震災12年で新作を発表 2人の女性が“相撲甚句”に込めた未来への思い/釜石市
<ニュースエコー 2023年3月29日>
東日本大震災の教訓を「相撲甚句」に乗せて発信してきた2人の女性にスポットを当てます。あの日から12年、2人が新作を発表しました。唄に込めた願いに迫ります。
東日本大震災から、あすで12年という節目の夜。2人の姿は、岩手県釜石市の海辺の旅館にありました。「きょうは楽しみ。私も皆さんと一緒に楽しませていただきます」
あの日、58才だった2人。そして、今は…。
「今、70になりました。」
「12年っていえば長いけど、一生懸命やってきたなあ」
唄を担当する藤原マチ子さんと、手話と合いの手を担当する北村弘子さんの2人組。
震災の翌年から続けてきたのは、あの日の記憶を、オリジナルの「相撲甚句」で伝える取り組みです。
♪生徒児童の600人 手に手を取って 高台に
「釜石東中学校・鵜住居小学校編」では、かつて「釜石の奇跡」とまで呼ばれた子ども達のあの日の避難を。
♪3つは率先避難せよ
♪命からがら駆け込んだ
「防災センター編」では、避難した多くの人が押し寄せた津波で犠牲となった、釜石市の鵜住居防災センターの悲劇を。
♪二度と起こすなこの悲劇 二年の月日で知りました あなたは私の中にいて
「いのり編あなた」では、あの日から行方不明のままの夫を思う女性の気持ちを、唄い伝えて来ました。
(北村弘子さん)
「2011年の出来事は、1000年に一度の出来事は、今私たちが伝え始めないと、これも10年、100年、1000年後には消えてしまうかもしれない」
なぜ、相撲甚句で伝えるのか。理由は、この唄に込められています。
♪相撲、相撲に明け暮れて 兄貴が津波にさらわれて
唄に出てくる「兄貴」とは、藤原さんの兄・八幡新吉さん。あの日の津波で命を落としました。
(藤原マチ子さん)
「親父も相撲バカだった。家を出てからまわしを持って仕事場に行かずに相撲大会に行って」
三人の兄が全員アマチュア力士という相撲一家で育った藤原さん。国体にも出場した新吉さんがハレの舞台で唄うのも、相撲甚句でした。
♪正月 寿ぐ フクジュソウ 一度はつぐんだ甚句だが 遠くで聞こえる兄の声 妹唄えと兄の声 天に届け 兄貴の甚句
亡き兄が愛した相撲甚句で、震災を伝える。悲しみを、悲劇を繰り返すなと訴える「魂の叫び」です。
2人がこれまでに作った震災甚句は、全部で9つ。全国からの支援への感謝を歌った9曲目、「感謝編ありがとう」の発表は、10年前のことです。
その次の10曲目にはある願いを込めていました。
(北村さん)
「10曲目に復興甚句を作りたくて、9曲で辞めたの」
願ったのは、「復興」というハッピーエンド。しかし…。
(北村さん)
「仮設(住宅)から全員復興(住宅)に移ったからって皆さんがハッピーかというと オールハッピーとは言えなかった。復興道路が完成したらなるのかなと待ち続けて、結局どの段階になっても、復興したと思えなかった」
(藤原さん)
「モノというのは、壊れたモノでも修正きくし、でも生身の心は、常に動いているし、止まらない。忘れない、忘れられない、そういう気持ちが残っていて、はっきりとは、これからもずっと復興っていうのは、無いのかな」
(北村さん)
「どこまで行っても復興というゴールはなくて、そこで待っていたのは、スタートラインだった」
生ある限り、終わりなき日常を生きる。10曲目には「復興」ではなく、「未来」を歌うことを決めました。
(藤原さん)
「未来の孫たちに伝える甚句で終わるというか、締めるというか」

2人が未来に伝えたい甚句とは
震災甚句の締めくくりは、未来に向けた唄に。
相棒の北村さんからその作詞を託された、藤原さん。よりどころとしていたのは、かつて自らしたためた、まだ見ぬ子孫への手紙です。
(藤原さん)
「千年後の孫へ。元気に暮らしていますか?会えないあなたが愛おしくて愛おしくてたまりません。ばあちゃんのふるさと大槌の町は大切な人たちと一緒に消えてしまいました。生かされたばあちゃんは、あの日のことを忘れないために、のちの世に伝えようと思いました。もう二度と悲しみの甚句を作ることのない平和な日々と、あなたがいつも幸せでいられますように、笑顔で暮らせますようにと祈ります」
あの日から、12年。未来を生きる命へのメッセージを、この甚句に託します。
♪未来の孫へ どすこいどすこい 思い浮かべて 未来の孫へ
これまでの作品で最長の9分を超える甚句。はじめは12年前のあの日のことを、伝えます。
♪誰が思うか、あの津波 無常の波は容赦なく 何より大事な命まで 根こそぎさらっていきました
あの時の自分の心も、唄にのせて。
♪寒さと恐怖の暗闇で 家族の無事を祈るだけ 明日の見えないその時に 助け守られ支えられ 地獄のようなあの日々を 傷つきながらも懸命に 生き抜くことができました
未来の命に2人はこう伝えます。
♪たとえ何が起きようと どんなときにもあきらめず 必ず命を守ること
最愛の兄を失って12年。
(藤原さん)
「こんな時に兄がいたらな…でもいないもの。何するったって、どうするって問いかけたって、決めるのは自分だから。支えにはなっているけど」
あの日の悲しみは、少しずつ穏やかに形を変えて、それでも、消えることはありません。
(藤原さん)
「この唄を歌って、つなげていくことしか自分は何もできない。まだ行っていられないから、呼びに来ないでね、兄」
歌い続けます。たった一つの願いを込めて。
♪愛しい子らよ すこやかにあれ はあ どすこいどすこい