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植樹完了から1年 高田松原の今/陸前高田市

<ニュースエコー 2022年7月13日>

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」。その松林を再生するための植樹は去年完了しましたが、元の景観を取り戻すにはおよそ50年かかると言われています。高田松原の現状と見つめ続ける人たちの思いを取材しました。
 7月5日。高田松原に花巻市立宮野目中学校の生徒たちの姿がありました。去年植樹が完了した松林で、雑草が広がるのを防ぐために苗の根本にかけられた「防草シート」をはがす作業を手伝うためです。生徒たちは授業の時間を使って事前に高田松原の被災状況を学習してからこの日を迎えました。

(生徒)
「東日本大震災の前のマツを見たことがないので、前のようになって初めて見ることができるようになってほしいと思います」
「海開きするということなので来てみたいなと思いました」

 草刈り作業をサポートするのは、NPO法人「高田松原を守る会」のメンバーです。理事長の鈴木善久さんは一生懸命作業に励む中学生の姿に目を細めます。

(高田松原を守る会 鈴木善久理事長)
「きょうは高田松原の再生のために頑張った!という気持ちが子どもたちの心に忘れられないこととして残ると思います」
2017年に植えたマツは約3mに

「市民の誇り」高田松原~再生への道のり


 陸前高田市高田町出身の鈴木さんは、中学時代、生物クラブで高田松原の植生を研究し、県のコンクールで最優秀賞を受賞したことがあります。思い出が詰まった高田松原の自然を後世に伝えたいと、2006年の発足当時から活動に参加しています。
 震災前の高田松原にはおよそ7万本のマツがあったとされ、「白砂青松」と謳われた美しい海岸は市民の誇りでした。

(鈴木善久理事長)
「私達は子どもの頃、学校にプールなんてなかった。泳ぐ場所は高田松原。泳いだ後は松林の中に入ってお弁当を食べたりしながら休むとかね」

 しかし、津波により「奇跡の一本松」を残して松林は失われてしまいました。
 自慢の松林を復活させようと「高田松原を守る会」は2017年に県と合同で本格的な植樹をスタート。台風の影響で植えた苗木が倒れてしまったり、コロナ禍で植樹会が中止になってしまったりと多くの困難がありましたが、のべ2万人を超えるボランティアの手を借りて、5年間で県と合わせておよそ4万本の苗木を植えました。

(リポート)
「こちらが植樹を始めた年、2017年に植えたマツです。5年間で私の身長よりもはるかに高い3mほどにまで成長しています」

 植樹完了から1年、松林は「植樹」から木を育てる「育樹」の段階へと進んでいますが、再生を進めているのはマツだけではありません。津波の被害を受けた跡地で奇跡的に芽生えた植物を保護し、松苗畑の一角で育てています。

(鈴木善久理事長)
「やっぱり震災前の高田松原の植物なのでなんとか今度復活する高田松原でもね、ここから移植して増えてもらいたい」

 8月には地元の小学生がハマナスの花から種を採り、来年高田松原で開催される「全国植樹祭」で皇后陛下がお手撒きされることになっています。
高田松原を守る会 鈴木善久理事長

50年要する松原の復活 課題はメンバーの高齢化


 順調に進む高田松原の再生ですが、元の景観を取り戻すにはおよそ50年かかると言われています。数年後には間伐作業が始まりますが、引き続き、下草刈りなどボランティアの手が必要です。そのボランティアの受け入れを担当している「高田松原を守る会」の中心メンバーは平均年齢がおよそ70歳と高齢化が課題です。


(鈴木善久理事長)
「50年後もこのまま続けるということはみんな百何十歳にならないといけない。やっぱり若い人達が『高田松原を守る会』に入ってくれて、この活動を引き継いでいってほしいなと」

 自分の目でゴールを見届けるのが難しいほど長い期間を要する再生への道。活動は無報酬な上、仕事との両立も大変な中で、走り続けてきた鈴木さんたちの原動力とは。

(鈴木善久理事長)
「やっぱりね、私達が子供の頃、震災前に高田松原で楽しい思い出をたくさん作った。今の子ども達にも、これから生まれる人達にも、高田松原でそのような楽しい思い出たくさん作ってもらいたい。それから高田松原は国の名勝の松原。国の宝物なんだよ。なんとか再生したいという気持ちだ」

 これからおよそ50年、たくさんの人の心に新たな思い出を刻みながら、高田松原再生に向けた活動は進んでいきます。
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