被災地を伝え続ける 三陸鉄道「震災学習列車」/岩手
<ニュースエコー 2022年4月6日>
震災で大きな被害を受けた三陸鉄道が10年前から継続している「震災学習列車」。震災を知り、防災意識を高める旅とそこに関わる人々を取材しました。
3月26日、三陸鉄道が主催した「復興の今、震災学習列車」のツアー客が釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムに降り立ちました。このツアーは盛岡駅発着の日帰りバスツアーで、途中、三陸鉄道に乗車します。岩手県内陸部の人たちを中心に、北海道や新潟県などからの人も合わせ、22人が参加しました。「ここに何があったか知ってる人」
「小学校、中学校」
「そうです」
説明するのは釜石市の職員です。震災当時、子どもたちが命を守ろうと必死に高台に避難した場所だと伝えました。
(釜石市スポーツ推進課 千葉佐代子さん)
「あれは奇跡でもなんでもなくて当たり前に防災訓練の結果、避難訓練を常日頃やっている。そういうことでごく自然な流れだったということ。そのあと遺族の方々の気持ちもおもんばかって『釜石の奇跡』という言い方から『釜石の出来事』という言い方に変わりました」
一行が次に向かったのは近くにある旅館、「宝来館」です。
※体験メニュー
「はい、みなさん。緊急地震放送が鳴りました。大変大きな地震が発生したようです」
ここでは女将の岩崎昭子さんたちが震災発生時に取った行動をツアー客に体験してもらいます。
「ラジオはもう6メートルって言ってました。さあきょうは確実に津波が来ると思います。走りまーす。でも、走らなくても大丈夫ですよ」
ツアー客は旅館の裏山にある急な避難道を上がり、海の近くであっても高台があれば津波から避難できることを学びました。

震災、防災をともに考えたい~ガイドとして乗客に向き合う三鉄社員
旅の締めくくりは三陸鉄道に乗り、沿線の復興状況を見て、学ぶ「震災学習列車」です。ツアー客は鵜住居駅から乗り込みました。
「最後、締めをすることになって今非常に緊張しておりまして」
車内でガイドを務めるのは山田町出身の千代川らんさんです。入社したのは震災から8年、三陸鉄道が全線で復旧した2019年の春でした。
(三陸鉄道 中村一郎社長【当時】)
「本日JR山田線宮古釜石間の経営移管を受け、新たにリアス線としてスタートいたします」
被災した鉄路は新たに久慈駅から大船渡市の盛駅まで全長163キロのリアス線として結ばれ、列車は地域の人たちの喜びや希望を乗せ再び走り出しました。
※2019年4月1日・三陸鉄道入社式
(千代川らんさん)
「乗ってくださる方、一人ひとりの目を見て心で対話するような思いやりを持って対応したい」
千代川さんは去年、震災学習列車のガイドをはじめました。
「いかにわかりやすく伝わりやすいように話すっていうことを一番自分の中で大事にしようと思っていて」
「こちらがですね、陸中山田駅の比較写真になっております。下側の写真が2011年の4月、震災からだいたい1か月くらいに撮られた写真になります」
列車内では震災の前と後の写真を比較するパネルを使いながら三陸鉄道が受けた被害の様子や沿線の復興状況を乗客に説明していきます。
「その当時のこと、この11年間のこと頭に浮かべていただきながら黙とうの時間とさせていただきます。では、黙とう」
ツアーの終盤には黙とうの時間も設けられ、様々な角度から震災を伝えます。
「もし自分がその場にいたらどうしていたかとか、もし今後自分の地元で災害が起きた時にどうするかっていうそういう考えるきっかけを作る場にしていきたいと思っているので、対話しながら一緒に考えて学ぶっていうような震災学習列車っていうか、そういう内容に作っていけたらいいなって思っています」

人を運び、震災を伝える~「復興のシンボル」としての責務
列車は宮古駅に到着しました。ツアー客を出迎えたのは震災復興に尽力し、3月末で退任した中村一郎前社長です。
(三陸鉄道 中村一郎前社長)「全国どこでも毎年のように被害が発生してますので、そういった時に備えて我々の教訓からぜひ学んでいただければありがたいなという気持ちでこの列車を走らせています」
中村前社長のバトンは4月1日に就任した石川義晃新社長に受け継がれています。
(三陸鉄道 石川義晃社長)
「三陸鉄道は復興のシンボルになっています。復興の希望の灯と言われています。これを風化させることなくしっかり国内外に伝えていく。震災学習列車を通した三鉄の責務だと考えています」
三陸鉄道はこれからも沿線のまちとそこに暮らす人々、そして全国・世界の人々をつなぎながら震災を伝え続けます。