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描き伝える東日本大震災 ~奥州市の画家・鈴木誠さん/岩手

<ニュースエコー 2022年2月9日>

 東日本大震災の被害や教訓を絵画で表現し続けている岩手県奥州市の画家がいます。震災から間もなく11年、被災地を描いた絵は160枚を超えました。油絵に込められた願いとは―
 津波で流された駅舎の跡地にぽつんと残された郵便ポスト。「今日も同じ場所で待っている」と題した絵を描いたのは、埼玉県出身で奥州市に暮らす画家の鈴木誠さんです。1月、釜石市内で鈴木さんの作品展「描き伝える東日本大震災」が開かれました。鈴木さんは東日本大震災の直後から震災の記憶と記録を油絵で残す取り組みを続けています。

(奥州市在住の画家・鈴木誠さん)
「災害やそういうものは徐々に風化していく。50年、100年経ったときにそれを振り返る材料を作るんだったら今やるしかないという意識がすごく強かった」

 震災当時埼玉県で暮らしていた鈴木さんが被災地を描き始めたのは、発生からおよそ2か月が経った2011年5月のことです。初めて訪れたのは福島県いわき市でした。

(鈴木さん)
「本当に描いていいものなのかという葛藤がすごくあった。最初の絵はなんとかそういう気持ちを押し殺して描いたわけですけれども」

 悩んだ末に導き出した答えが、自らの絵筆でこの震災を伝えることでした。

(鈴木さん)
「震災のことを少しでも頭の片隅に残るようになっていってくれれば、ひょっとしたら命を救うことにつながっていくのかもしれない」
花露辺地区を描く鈴木誠さん

「人の匂い」を絵に・・・海辺の集落へ


 2月6日。鈴木さんが向かったのは釜石市唐丹町の花露辺(けろべ)地区です。

(鈴木さん)
「(絵の中に入れたい要素は?)人の匂いが入っていないと嫌だというのがありますよね。こっち(海側)を描けば描きやすいんだけど匂いがなぁ・・・」

 花露辺地区の人々は、浜に防潮堤を造らない復興を選択しました。「そこに込められた人々の想いを絵にしたい」。鈴木さんはそう考えていましたが、どう描くかずっと長い間決めかねていました。ところがこの日、思わぬヒントが偶然通りかかった住民からもたらされました。

(鈴木さん)
「どういう経緯でそうなったのかすごく興味があったんです」
(地元の漁師の男性たち)
「作業小屋がいっぱいあった。防潮堤を造るのに基礎部分がすごいスペースを取るということで、(作業の)場所が無くなるので(防潮堤建設に)反対したんですよ」
「ここらは2回3回、津波の経験があるからね。地震があればすぐ津波が来るという頭があっからす」

 花露辺地区の人々は、たびたび津波に見舞われてきた歴史の中で徐々に住まいを高台に移し、暮らしの糧をもたらす海とともに生きてきました。
 鈴木さんは、高台に向かって折り重なるように家々が立ち並ぶ集落を描くことで、時間の経過と培われてきた津波の教訓を表現することに決めました。この日の最高気温は2度。寒さの中、黙々と描き続ける姿に地元の人たちが声をかけてくれます。

(住民)
「うわーすごいすごい。やっぱりプロはちがうなー。うまいもんだ。がんばってください!」

 とれたてのワカメを差し入れてくれる人も。

(住民)
「茎のところ輪ゴムしてたから下で切って茎は茎でコキコキして美味しいし、葉っぱも美味しいから」
「先人が護る郷」

「絵は人の心を伝えるメディア」~被災地を描き続ける


 鈴木さんが絵を描き始めたきっかけは、職場での人間関係が原因で20年前に患ったうつ病でした。治療の助けになればと、好きだった絵を本格的に習いはじめたのです。

(鈴木さん)
「一年くらい何にもできなくて(就職)面談受けにいってもぜんぜん落ちるし・・・そのあと一年半位して何とか別の会社に入るんですけど」

 しかしそこでも人間関係に悩んだ鈴木さんは東日本大震災を機に退職。今はフリーでグラフィックデザインの仕事で生計を立てながら、絵を描くことに没頭しています。

(鈴木さん)
「売れるような絵は描けないけど残るような絵は描けるようになったかな・・・」

 筆を取り始めて8時間、夕暮れが迫るなか、震災の被災地を描いた164枚目の絵が完成しようとしていました。題名は「先人が護る郷」。高台のてっぺんに建つ災害公営住宅は釜石市内で最も早く完成した花露辺地区復興のシンボルです。

(奥州市在住の画家・鈴木誠さん)
「いちばん印象に残ったのは昭和三陸地震の被害を受けてこのまちが造られたというところにすごく感銘を受けました。本当の、ここの花露辺という集落は、教訓を生かしたまちなんだなとすごく感じたので、そういうものを絵の中に込めたいと思いました」

 東日本大震災の被災地を描き続けてもうすぐ11年です。「絵は人の心を伝えるメディアとしての役割がある」。こう話す鈴木さんは、言葉は無くても被災地に暮らす人々の息遣いや震災の爪痕、教訓を描き続け、後世に伝えていきたいと考えています。
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