原発被害を乗り越えて 〜ブランド乾シイタケ復活へ/一関市
<ニュースエコー 2021年6月9日>
東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、岩手県一関市で生産される乾シイタケの一部は今も出荷制限が続いています。そうした中、生産者らが力を合わせて10年ぶりに品評会を開き、復活への一歩を踏み出しました。
5月28日、一関市内の商業施設で地元産乾シイタケの展示・販売の準備が進められていました。このシイタケは品評会に出品された質の高いものです。一関市は旧大東町を中心に原木シイタケ栽培が盛んで、特に乾シイタケは県の品評会で30年連続で優勝を果たすなど、ブランドとなっていました。毎年この時期は市内の生産者が選りすぐりの乾シイタケを持ち寄り、品評会を開催するのが恒例でした。しかし・・・
(2012年 岩手県農林水産部 竹田光一林務担当技監・当時)
「残念ながら一部において現在の暫定規制値500ベクレルを超えるものが出ました・・・」
2012年、原発から200キロ以上離れた県内にも放射性物質の被害が及んでいたことが明らかになりました。一関市など13の市町村で生産・加工された乾シイタケは出荷制限の対象に。一関市の品評会も中止となりました。

Uターンし生産者に ゼロからのリスタート
原木シイタケは、シイタケの菌を植えたホダ木を林の中に並べ、2年ほどかけてようやく収穫できます。一関市大東町の原木シイタケ生産者、佐々木和典さんは祖父の代から続く生産者です。東京の大田市場に勤めていましたが、おととし故郷に帰ってきました。
シイタケを育てる「ホダ場」です。佐々木さんの家では放射性物質による汚染のため所有していた4万本のホダ木を全て処分しました。地表から5センチの土を全て取り除き、ヤシ殻の繊維で編んだシートで表面を覆った上に新しいホダ木を並べて、2017年にようやく出荷を再開できるようになりました。
しかし、未だ周囲に自生しているナラの木をホダ木として使うことはできず、洋野町など県北部のものを購入しています。
(佐々木和典さん)
「出荷はできる状況にまでは回復しましたけど、山の環境に対してこれだけ影響が残っているのは驚いています」
ゼロからの再出発となった一関市の原木シイタケ。佐々木さんは、父・久助さんを助け、長い道のりを一歩ずつ歩んでいこうと考えています。
(佐々木和典さん)
「自然のものに対しては自分も含めて人の力でどうこうできることではないので、ブランド力の向上であったり栽培技術の向上であったりは自分たちで一つずつやっていきたいなと」

復活した品評会~生産者の励みに
生産者と行政が協力し、10年ぶりとなる乾シイタケの展示・販売が始まりました。
出品されたのは地域の生産者が形、色つやなどに吟味を重ねて箱詰めした42点。震災前に比べると出品された数は半分以下ですが、自慢の乾シイタケを直接消費者にアピールする機会は、地域ブランドの復活を告げる狼煙となりました。
(客)
「嬉しいことですよね、これがどんどん広がっていけばいいですね。生産者じゃなくても消費者も待っています」
生産者団体の代表を務める岩渕謙一さんは2015年、地域でいち早く出荷再開に踏み切った一人です。10年ぶりの品評会に感慨もひとしおです。
(岩渕謙一さん)
「原発事故があって放射能の影響で出荷停止になったときはこの地域のシイタケ産業は終わりかなと思ったんですけど、ようやく10年ぶりでこういう品評会を開催できたのは本当に皆さんのおかげで嬉しく思っています」
事前に行われた審査で、佐々木さんのシイタケ「茶花どんこ」は見事、最高賞の優等賞に次ぐ1等賞に輝きました。初めての品評会は良い刺激になったようです。
(佐々木和典さん)
「私自身まだ始めたばっかりなんですけど、先輩たちに追いつけるように今日の品評会の展示品を参考にしながら今後の自分の力にしていきたいと思います」
山間の地形を生かし、自然の摂理に従って生産される原木シイタケ。その復活への道のりは放射性物質による汚染の根深さを今なお私たちに突きつけてきます。それでも、地域ブランドを次の世代につなげようという生産者の思いは新たな芽吹きとなってゆっくりと地域に広がり始めています。