津波で消えた白砂青松 ~情熱が支える再生への道のり/陸前高田市
<ニュースエコー 2021年6月2日>
東日本大震災の津波で「奇跡の一本松」と呼ばれた1本だけを残し、壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の景勝地・高田松原。松林の再生を目指す植樹会が、5月に区切りを迎えました。ふるさとの景色をよみがえらせ後世に伝えたいと活動してきた人たちがいます。
「愛情と思い出を込めて植えてちょうだいね。それだけ。いいですか」
「はい」
5月18日。陸前高田市の高田松原で行われた植樹会です。地元・高田高校の生徒やボランティアが参加して、50センチほどのクロマツの苗木、250本を植えました。震災の津波で失われた松林を再生するための最後の植樹会です。
(高校生)
「ちゃんと植えることができたし、このまま大きく育ってほしいと思いました」
「(震災から)10年、こうして今新しく植えているって思うと、すごく感動する場面に出会えたかなと思います」
「昔のように大きくて強い松になってほしいし、次に津波が来た時には一本松じゃなくてすべての松が生き残っているくらいになっていてほしいですね」

失われた白砂青松 再生は苦難の道
高田松原は震災前、およそ7万本の松があったとされ、「白砂青松」とうたわれた美しい海岸は市民の憩いの場でした。それが、震災による津波で全長2キロの砂浜とともにたった1本の松の木を残して失われてしまいました。
(高田松原を守る会 鈴木善久理事長)
「新しい高田松原のご先祖になる松です」
NPO法人「高田松原を守る会」は2016年、高田松原の再生に向け県と合同で試験的な植栽を始めました。松の苗が定着するかどうかを調べるためで、苗木が根付いた翌2017年から植樹活動が本格化しました。
順調に進んでいた植樹でしたが・・・
(鈴木理事長)
「これが高田松原の津波前の松ぼっくりの種からの松苗です。貴重な高田松原の松の木の遺伝子を持つ松の苗木です。この間の台風19号でこのように倒れたんです」
県内を襲った台風19号が高田松原にも被害を及ぼし、当時植えられていた8,900本の苗木の半数は、無残にも倒れてしまいました。
困難に見舞われながらも松原再生の取り組みは続きました。今年は新型コロナウイルスの影響で大規模な植樹会は中止されましたが、地元の高校生の若い力が守る会の活動を後押ししてくれました。彼らの姿に、守る会副理事長の千田勝治さんは目を細めます。
(高田松原を守る会 千田勝治副理事長)
「これから高田松原の成長を見ていくのはきょうの高田高校の人たちが中心となっていくと思うので、そういう世代の人たちに渡すために私らがきょうまで頑張ってきたわけですので、これをバトンタッチできる目安が付いたということについて安堵してるところです」

10年で見えた光 松原復活への活動は続く
「おはようございます」
「おはようございます」
「どうも、本当にありがとうございます。しばらくぶりにこれ着た」
最後の植樹会からおよそ2週間。守る会の理事長、鈴木善久さんが久しぶりに姿を見せました。
(鈴木理事長)
「わたし肺がんです。検査をしてあとは今、抗がん剤などを飲むという治療をしています」
今年4月に肺がんの手術をし、現在も闘病生活を送っています。「作業を行う」と聞いていてもたってもいられなくなったと言います。
「あー、あっちから植えてきてさ、ここまで来た。うん」
愛おしそうに植樹したエリアを見つめる鈴木さん。のべ1万3,000人のボランティアの手を借りて、県と合わせておよそ4万本の苗木を植えた5年間を振り返ります。
(鈴木理事長)
「やっぱり元気に育っていって、そして震災前のような白砂青松の美しい高田松原になってほしい」
(仲間とのやりとり)
「津波前のように立派になるには50年かかる。俺、124(歳)まで生きなきゃならないから」
「俺、120(歳)」
「ちゃんと見られるように健康に気を付けて頑張るべし」
震災から10年が経ち、ようやく松原復活に光がさしてきました。かつての姿を取り戻すまで、次の世代に引き継ぎながら、再生の取り組みは続きます。