度重なる被災を乗り越え ~鯨と海の科学館/山田町
<ニュースエコー 2021年4月21日>
東日本大震災と2019年の台風19号、2度の災害に見舞われた山田町の「鯨と海の科学館」が4月1日、2度目の復活オープンを果たしました。災害の脅威を伝える企画展を開催した科学館が次世代に残したいものとは-
かつて捕鯨が盛んだった山田町に1992年に開館した「鯨と海の科学館」。東日本大震災では8メートルの高さまで津波が押し寄せました。壊滅的な被害を受けましたが、奇跡的に「鯨館」(=鯨と海の科学館)の目玉、マッコウクジラの骨格標本はそのままの姿で残りました。
多くの人の力を借りて修復作業を続け、2017年には再開することが出来ました。
(2017年・安倍首相訪問)
「良かったですね。骨格が残ってね」
しかし、そのわずか2年後。台風19号の影響で施設に土砂が流入し、今度は空調設備などが被災しました。

復活を支えた地道な努力
そして、およそ1年半後の4月1日、2度目の復活オープンを果たしました。
(来場者)
「大きいマッコウクジラがいる。見たらめちゃくちゃ大きかったのでビックリしました」
「去年の夏に一回来たんですけど閉まっていて、さっき話を聞いて台風で大変だったと聞きまして」
(スタッフの和井内三穂子さん)
「ここも、そこのワカメの辺りまで(津波が)来ていますので」
「鯨館」のスタッフ和井内三穂子さんです。来場者への対応のほかにもう一つ、大切な役割を担っています。
ここは、収蔵庫です。
(和井内さん)
「震災の時にもう本当にグチャグチャで、これが資料なのかただの木なのかも分からない状態だったのが、資料台帳があったおかげで『これは資料なんだ』、『これは流れてきた漂流物だ』と判別することができたんです」
およそ8万点あった資料のうち、資料台帳を基に救い出せたのは約1万5千点。しかし、せっかく救出されても一度津波を被った資料は海水の塩分で腐食が進みやすい状態でした。
試行錯誤の末、ぬるま湯に漬けて塩分を抜く工程を繰り返し、腐食を止める作業が続けられました。
(和井内さん)
「今、処理できて良かったではなくて、これを20年後30年後にちゃんと次の人に渡して、その次の人も次に渡せるようにならないと」
和井内さんは震災からの復活オープンを目前にした2016年、一度、「鯨館」の担当から外れました。それでも和井内さんは学芸員になるための勉強を続け、2018年に資格を取得。震災直後の苦労から専門的な知識を身に着けたいと考えていたからです。
館長の湊敏さんです。
(湊館長)
「被災資料をこまめに安定化処理なり台帳の確認なりの作業をずっと地道に続けてくれたので、和井内さんを『鯨館』に呼ぶしかないなと」
こうして和井内さんは再び「鯨館」に戻ってきました。

「マッコウクジラ」を次の世代へ
再開した「鯨館」では東日本大震災と台風19号、2つの大きな災害を振り返る企画展が開催されています。
(湊館長)
「(震災直後は)大変な状態でがれきで埋まってしまってここにたどりつけなかったんですよね」
企画展ではこれまで公開してこなかった資料も展示することにしました。
(湊館長)
「修復できないものは、その状態で後世に伝えていこうかと。その状態で保存管理している」
(湊館長)
「これはマッコウクジラがシャチに襲われたときに親が子供を守るということで、その隊形が子どもを中心にこういう形で守るんですよね」
マッコウクジラが天敵のシャチから子どもを守るため周囲を放射状に囲む円陣。形が菊の花に似ているところから「菊花陣形」と呼ばれています。
(湊館長)
「この尻尾をバタバタと威嚇する」
子どもを守ろうとするマッコウクジラは、度重なる災害に遭っても大切な資料を次の世代につなごうとする「鯨館」の姿とも重なります。
(和井内さん)
「(改めてみるとやっぱり立派ですね)そうですね。これをあとの人、あとの人にも見てもらいたいなと思います」
(湊館長)
「二度もこんな災害に遭うと思わなかったんですけど、我々の気持ちを奮い立たせてくれた陰にはマッコウクジラがいるんです。将来の子どもたちにもまた渡してやって欲しい、つないでいって欲しいという気持ちがあります。すごく心強いですよ」
(和井内さん)
「(だそうです)ありがとうございます」
二度の大きな災害から立ち上がった「鯨と海の科学館」。貴重な資料とともに人材も次の時代へつなげます。