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ここで、生きていく ~“卒業”復興支援員が選んだ道/釜石市

<ニュースエコー 2021年3月31日>

岩手県釜石市の復興支援員で作る通称「釜援隊」(かまえんたい)が、2020年度で8年に渡った活動を終えました。地域に溶け込み、住民とともに課題解決へ奔走してきた若者たちは今後も釜石に残るといいます。

「釜援隊報告書が完成いたしました」

 釜石リージョナルコーディネーター、通称「釜援隊」。釜石市が総務省の復興支援員制度を利用して2013年に立ち上げました。
 「リージョナルコーディネーター」の名の通り、「地域の調整役」を担うのが役割です。この日は今年度で8年に渡る活動を終える釜援隊のメンバーに市から感謝状が贈られました。  これまで全国から参加したメンバーは合わせて29人。その経歴は、銀行員に新聞記者、IT関連や青年海外協力隊など実に様々です。

(釜石市オープンシティ推進室 石井重成室長)
「外部の若者だったりコーディネーターという方々が触媒として地域の活動に刺激を与えながら、一緒に汗をかいて新しい価値を生み出していく」

 メンバー自らが被災地の課題を掘り起こし、地域の人たちが自分の力で暮らしを再建する手助けに徹した8年でした。
復興住宅で住民と清掃活動

コミュニティーづくりに貢献


「なんでここにこんなゴミがあんだろ?」

 94世帯が暮らす釜石市平田の復興住宅です。住民たちと清掃をするのは釜援隊の遠藤眞世さんです。

(住民)
「いい人です。いろんなことで親身に相談にのってくれるし」
「すごい丁寧だし分かりやすいしすごく助かって、かわいい娘みたい」

 東京出身の遠藤さんは青年海外協力隊としてブラジルの日系人社会でコミュニティー作りをサポートした経験を、復興住宅の自治会づくりに生かしました。

(釜援隊 遠藤眞世さん)
「いつもサロンに来る人だけじゃなくて、男性も来るようにとか子供も来るようにとか子供の保護者も来るようにとか考えながら工夫していた。そういうのはブラジルでもやっていた」

 遠藤さんが釜援隊として復興住宅の自治会に関わって6年。入居者の高齢化が進んだことに加え、被災者以外も住むようになったことで、自治会への参加意識が希薄になってきているといいます。

(自治会役員)
「もう面倒くさいから(自治会)無くなってもいいという人もいるかもしれないよ」
(遠藤さん)
「全部が他人事になっちゃうから自分が住んでいる所なんだけど自分のところだけあればいいってなっていっちゃう」

(平田復興住宅自治会 平野スエ子会長代行)
「いちばんは役員さんの成り手がない。もっと若い人にも協力してもらいたいんですけどその辺は難しい」

 自治会が岐路に立つ中で釜援隊の活動は終了します。遠藤さんは複雑な思いでした。

(遠藤さん)
「釜援隊が終わったからといって知らないものとはできないのが素直な思い。お話し相手になるくらいは関係を続けていきたい。見守っていきたい」

 遠藤さんは放課後子供教室の講師として春以降も復興住宅を訪れ住民と交流を続けます。
釜石に残り漁師の道へ

まちに魅せられ今後は漁師に


 津波で大きな被害を受けた釜石市箱崎町で、地域の復興のために住民自らが組織したNPO法人です。ここにも釜援隊のメンバーがいます。佐藤啓太さんです。
 愛知県出身の佐藤さんは東京でシステムエンジニアをしていた時に東日本大震災が発生。ボランティアとして幾度も被災地を訪れる中で釜石が好きになり、自分のキャリアを復興にいかしたいと2017年に釜援隊に応募しました。

(釜石東部漁協管内復興市民会議 高橋道夫理事長)
「バイタリティのある方なんでこれから本当に期待したいし、また町民の一員として頑張っていただきたいと考えています」

 佐藤さんのミッションは漁業をテーマにしたまちおこし。NPOに関わりながら子供たちが漁業に親しむ体験ツアーなどを企画してきました。

(釜援隊 佐藤啓太さん)
「水産業に直接NPOが関わっていくのは難しい部分もある。漁師のまちの魅力をどんどん高めていくというのはNPOから出来る。そういう分野でまちを活性化できれば」

 佐藤さんは漁業のまちの魅力を伝えるため釜援隊の活動終了後もNPOに残り、今度は自分が漁師になって取り組みを続ける決心を固めました。

(佐藤さん)
「漁業体験と漁師は相乗効果を生めるものだと思っているので、上手くスピードに乗って上がっていくことを見越している。そこまでは大変なんですが踏ん張ってやっていきたい」

 釜援隊としての3年間、先輩の漁師たちから学んだことは仕事のことだけではありません。

(佐藤さん)
「同世代からは学べない人間関係とか気遣いだとかいろんな交流方法だとか、便利な時代に育った自分達では分からない価値観というのはもらったと思う」

 遠藤さんと佐藤さん、2人はそれぞれに釜石で家庭を持ち、釜援隊が終わってもこのまちで暮らす道を選びました。

(遠藤さん)
「後悔はない。そもそも復興支援もなんですけど、それとは別に釜石に来たい、釜石が好きっていうのが根底にあったので」
(佐藤さん)
「海も近くて空気もきれいな場所なんで子育てするには最高の場所だと思います」

 復興の「黒衣」からまちの未来を担う「主役」へ。釜援隊の最後のメンバー11人は全員が釜石に残り、地域とともにそれぞれの新たな道を歩みます。
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