X 
このサイトでは、閲覧解析や広告改善のためにCookieを使用します。サイトを利用することでCookieの使用に同意頂いたものとします。オプトアウトや詳細はこちら「IBCサイト規定
震災遺族のこころの支え 「いのちの写真展」/岩手

<ニュースエコー 2021年2月17日>

釜石で開かれた東日本大震災を振り返る写真展。遺族と遺族を支え続けている女性の10年の思いが詰まった写真展です。

 東日本大震災の発生から9年11か月。2月11日、釜石市で当時を振り返る写真展が開かれました。ガレキの山をかき分け行方不明者を懸命に探す警察や消防、海上保安部、自衛隊の人達の姿。写真には帰らぬ人たちの家族から、捜索に対する感謝のメッセージが添えられていました。

 「いのちの写真展」。主催したのは津波の犠牲になった人達の遺族らが集う会です。写真展の準備は、去年12月に始まりました。集まった写真は全部で700点。

(笹原留似子さん)
「遺族目線なんですよ被災者の人たちにとっては。警察・海上保安庁・自衛隊・消防の皆さんは、家族を捜してくれたり運んで見つけてくれたりそういう特別の存在」

 北上市の笹原留似子さんです。笹原さんは全国的にも数少ない「おくりびと」復元納棺師です。東日本大震災では、300体を超える遺体の復元にあたり、皮膚マッサージやメイクを施しながら生前の安らかな表情を取り戻しました。笹原さんは2012年、災害や病気などで大切な人を失った遺族らが集う団体「いのち新聞」を立ち上げ写真展を開いてきました。

(笹原留似子さん)
「いつも私たちは亡くなった人たちと気持ちは繋がっているので、亡き人と共に生きるという道を探すその中にこの追悼イベントがあって」
会場には、救援や捜索にあたった自衛隊などの関連資料も展示

遺族だけでなく、捜索や救援にあたった人たちも思いを新たに


 写真展を前にしたこの日、笹原さんと遺族たちは釜石の港に近い場所で祈りを捧げました。「亡き人と共に生きる」、遺族たちはこの言葉を胸に支えあって、10年の時を歩んできました。

(笹原留似子さん)
「ガレキの中を歩いていて、声をかけたら自分の家を探しているっていうから、そのときからのお付き合いなのでもう10年になりますね」

 大槌町の白銀照男さんです。今も妻と母親、娘の行方が分かりません。

(白銀照男さん)
「この10年というのは、祈り続けた。見つかってくれるように祈り続けた10年でした。笹原さんはじめ皆さんに支えてもらった。感謝の気持ちでいっぱいでした」

 展写真展の当日…。震災の記憶を風化させまいと2012年から毎年2月、笹原さんの地元・内陸の北上市で開いてきた写真展が初めて沿岸の被災地で開かれました。

(会場を訪れた女性)
「思い出しますね、涙が出てきますね…」

 あのとき悲惨を極めた現場で、捜索や救援にあたった人たちもまた思いを新たにする機会になりました。

(自衛隊岩手地方協力本部 鎌田哲3等陸佐)
「今の若い人にもこういうことがあったということを、しっかり伝えていきたいという思いになります」

(釜石警察署交通課 田村美紀係長)
「若い方々がいま警察の組織でも増えてきましたので、やはり一番は私が話して伝えるということが、大切だと思っております」
会場を訪れた人に声をかける笹原さん

喪われた命ととにも歩んでいく


 津波で陸前高田市に暮らしていた母を失い、祖父が行方不明になった北上市の伊藤智江さんです。被災地で初めて開く写真展に特別な思いを抱いていました。

(伊藤智江さん)
「内陸でやってたのは、震災を風化させないということが大きなメインだったけど、今年はどれだけ時間がたっても皆さんと思い続けましょう、大事な人をっていうことだと。そういう気持ちで、だから被災地でそんなことを思ってました」

 悲しみを自らの内に秘めたまま、折れそうな心を必死に支えてきた伊藤さん。笹原さんたちいのち新聞の仲間と出会い、心の内を打ち明けることで救われたといいます。

(伊藤智江さん)
「ひとりじゃ抱えきれない悲しみなので、だからそういうときはぜひお話しできたらいいなと思います」
「思うのはいまとにかく一生懸命生きて、死んだ後に母に会って『頑張ったな』って言われたいの、ただそれだけなんですよ。だから死ぬことは怖くないし、でも今頑張んなきゃって思うの」

 遺族に寄り添い続けてきた笹原留似子さんは、遺された人たちが住みやすい社会になることを願っています。

(笹原留似子さん)
「切ないから話せない時期もあるでしょうけど、でもいつか話したいタイミングって絶対来るから、それを伝えてみることで、何かを生み出したり誰かを守ったりするエネルギーに、変えていければきっといいんじゃないか」

 悲しみを乗り越えるのではなく、喪われた命と共に歩んでいく未来。いのちの写真展はその未来へと続く道を示してくれているようでした。
HOME