「消防団員の『生きた証』」を後世に残したい… 鎮魂碑建立へ/陸前高田市
<ニュースエコー 2020年12月2日>
東日本大震災による大津波は、避難誘導に当たっていた多くの消防団員の命も奪いました。震災を後世に伝え、亡くなった消防団員たちの生きた証を残そうと陸前高田で鎮魂碑の建立を目指す活動が始まっています。
東日本大震災による死者1606人、行方不明者202人、4047棟の家屋が倒壊した陸前高田市。住民らの避難誘導に当たっていた消防団員も犠牲になりました。
市内の消防団員の死亡は51人。中心部を管轄する陸前高田市消防団高田分団第1部は当時の団員20人のうち半数を超える11人が犠牲になりました。地域の住民たちは彼らを悼む祠を手作りし、月命日などに祈りを捧げてきました。
神奈川県での避難生活を経て陸前高田市に戻り、今は災害公営住宅で暮らす新沼光也さん66歳です。
(新沼光也さん)
「なんていうか他のまちに来たような感じ。わたし来た時、車で走って目印ないからどこ走ってるか。高田のまちですよ。全然、わかんなかったですね。今はまあだいぶマシになったけど」
復興事業で変わりゆくまちに寂しさを感じながらも前に進む日々…。そうした中新沼さんは大きな決意をしました。
(新沼光也さん)
「せめて出身の部の殉職者だけでも弔ってあげたいなと思って」

鎮魂碑はかつて消防屯所があった場所近くに
新沼さんは20年ほど前まで高田分団第1部に所属していました。震災発生からもうすぐ10年。その節目を前に殉職した後輩たちを供養する「鎮魂碑」を造ろうと決意したのです。資金はインターネット上で寄付を募るクラウドファンディングを利用します。
かつて消防団の屯所があった場所には土が盛られ、今は元の場所を見ることができません。屯所跡地に隣接するように置かれている手作りの祠。
新沼さんはそこに鎮魂碑を建てようと考えています。
(新沼光也さん)
「ここに建てる予定です。海の方を向けて」
新沼さんと思いを同じくする高田分団第1部のOB菊池純一さん63歳です。菊池さんが営む畳店にはやはり団員だった長男・勇輝さんの遺影が飾られています。
(菊池純一さん)
「忙しいときね、いてくれたらななんて思うんですけど。あとは普段は仕事してて息子がやってたらこうやってやってたんだろうな、みたいな」
命を懸けて地域の人たちを守ろうとした勇輝さんを「頑張った」と評価する菊池さん。しかし、鎮魂碑への思いは遺族としてではない、と言います。
(菊池純一さん)
「消防団のOBとして、自分が勧誘した団員もいるわけでしょ。一緒に作業、っていうか活動した仲間なんだよ、ほとんどが。なので本当に申し訳ないっていう。申し訳ないっていう言葉じゃ足りないんですけどなんかやらなきゃ。生かされてるから生かされたものが使命として、なにか本当に遺してやりたいと思って動いてる」

住民の命を守るために活動した仲間たちを忘れない
新沼さんと菊池さんはともに消防団の活動をした先輩と後輩、仲間です。勇輝さんたち、亡くなった消防団員の人数分の線香を立てる菊池さん。多くの人が訪れ手を合わせてきた祠は年とともに古びてきましたが、そこにはたくさんの思いが込められています。その傍らに鎮魂碑をつくることで亡くなった消防団員たちを思い、震災を伝える気持ちをさらに深めます。
(菊池純一さん)
「祈りの場ですね、祈りの場。で、忘れないためにも後世に伝えていただければ。そういう場所になってくれればいいなと思います」
(新沼光也さん)
「大津波を100年先まで伝えたい。100年後の人は当然忘れちゃってわかんないと思うから。まあ大津波いつくるかわからないけどやっぱり教訓にしてもらいたい思いです。んで、そのために亡くなった消防団員いっぱいいるから、そういう人たちがいたんだよっていうことを要は伝えたいです」
住民の命を守るために自らの命を張った仲間たちのためにー。生きた証を伝えようという揺るぎない気持ちが新沼さんや菊池さんたちの活動を支えています。