津波で被災した洋食店が1日だけ復活 ~地域との絆を再認識/釜石市
<ニュースエコー 2020年10月21日>
津波で被災し、閉店を余儀なくされた岩手県釜石市の洋食店が先日一日だけ復活しました。市民に長年愛された懐かしい味の復活に挑んだ元店主の胸によぎる思いとは?
盛岡市に住む前野隆彦さん57歳です。震災前、前野さんは釜石市で家族で洋食店を営んでいました。店の名前は「ポートまえの」。「ポート」の名が付く通り釜石港に近い場所で50年にわたり市民に愛された店はあの日、津波で全壊しました。
震災後、前野さんは母、姉2人とともに盛岡に避難。経済的な事情もあり店の再建は断念せざるを得ませんでした。震災発生から9年半を前にした今年8月、地元新聞社の復興に関連したイベントとして「ポートまえのを一日だけ復活してみないか」という提案が寄せられました。
(前野隆彦さん)
「それ自体やるかどうか迷ったんだけど思い出のってことでうちの思い出、ハンバーグは売りだったんでそれでハンピラAとハンピラBとあとオムライスのリクエストがけっこう多い」
「ハンピラ」とはハンバーグとピラフのこと。ポートまえのの人気メニューでした。釜石の人たちからも「もう一度食べたい」という熱いリクエストが届き前野さんは一日だけ、あの味を復活させることを決めました。今、前野さんは盛岡市内の高齢者施設で食事を作る仕事をしながら家族4人で暮らしています。妻のいずみさんとは震災後に出会い、50歳のときに結婚しました。
(前野さんの長男・孝介さん)
(お父さんのメニューで何が好き?)「スパゲティです」
(どんな感じ?)「カルボナーラ」
(美味しい?)「はい」
(長女・ひかりちゃん)
(お父さんの料理で何が好きですか?)「ハンバーグとナポリタン」
震災前は独身だった前野さん今は2人の子供の父親です。盛岡での暮らしを選んだことに後悔はありません。
(前野隆彦さん)
「もちろんこの10年いろいろあったけど、今が一番幸せな状況にいられるというのは本当にありがたいし自分の生き方じゃないけどそれが間違ってなかったなとそれは本当に思うので」

市民が待ち望んだ懐かしの味
一日だけの復活の前日、前野さんの姿は釜石にありました。かつて店があった場所は今は更地になっています。
(前野隆彦さん)
「ここに二人掛け二人掛け門のところに半円の丸テーブルがあって」
店を失った悔しさ…。その一方でなぜか精神的に楽になった部分もあるといいます。
(前野隆彦さん)
「すごい理想的なお店が出来たんだけど、大きな借金したじゃないですか大きな借金したことでそれを押し被るようになって精神的に参っちゃったんですお店が繁盛しててハッピーなのにそっちのプレッシャーで震災で流されちゃったら治っちゃった精神的な病の方がそこは何とも不思議な感じ」
そして迎えたイベントの当日。厨房はかつての店の近くに去年オープンした市の観光交流施設の店舗を借りました。テイクアウトに用意した限定30食の弁当は整理券の配布から30分で無くなりました。
(客)
「いやーほんとに9年間食べたかったです!ありがとうございます!」
「一日やってくれるだけでホント嬉しいですもう一生食べられないと思ってたので嬉しいですただただ嬉しいですありがたいです」
(前野さん)
「嬉しいね…」
「過去の全部があったから今がある、出会った今までの人とか」

ふるさと釜石との縁と絆の深さを再認識した一日に
ポート前野の定番メニュー「ハンピラ」ことハンバーグピラフ。そして、常連客から「オムハン」と呼ばれたオムライス・ハンバーグ。釜石の人々に愛された懐かしい、あの味が甦りました。
(客)
「そうですねこの味ですね」
「また食べたいねいろんな種類を食べたい」
「キャベツの千切りもそのまま」
「懐かしい!」
妻のいずみさんは足を運んでくれた人にコーヒーをサービスしました。
(妻・いずみさん)
「本当に友達たくさんいてたくさんの人に愛されててありがたいということですしもし叶うんだったらもう一回お店とか持てればいいんでしょうけどね」
「みんなの顔を見ると泣けてくるから」と前野さんは厨房に立ち続けました。
(前野さん)
「いよいよラストスパート終わりが見えるとちょっとあれですねなんか…」
名残惜しさの中たった一日のポートまえのはあっという間に終わりを迎えました。
(前野さん)
「もうただただありがたくてそういう一日でした言葉にならないです」
震災発生から間もなく10年。懐かしい味と一緒に前野さんにとってふるさと釜石の人たちとの縁と絆の深さが蘇った一日でした。