震災後に人口増・津波被害を受けた地区から移住 新旧住民のコミュニティづくり/大槌町
<ニュースエコー 2020年6月3日>
震災発生後、人口が大きく減った大槌町で被災した住民が移り住み世帯数や人口が増えた地区があります。新旧の住民の心の隔たりなど地区が抱える課題の解消に向けたコミュニティ作りを取材しました。
大槌町の中心部から2キロほど山間に入った臼澤地区です。おととい、地区の自治会が主催して住民同士の交流を図るグラウンドゴルフ大会が行われました。
(自治会長の東梅英夫さん)
「きょうはたぶん12、3人は来ると思うんだけど」
臼澤地区の自治会の会長を務める東梅英夫さんです。
(東梅さん)
「震災という大きな節目があったから、みんなと話しながら暮らしていけるのはすごくいい。きれい事じゃなくいいことだし、同じ住むなら顔見知りで、お互いにね」
この日は22人が集まりました。そのうちもともとの臼澤地区の住民は3人。後は津波の被害を受けた町内の別の地区から震災後に移り住んだ人たちです。
(移住した住民)
「震災のとき(臼澤地区の)鹿踊り伝承館に避難した。東梅会長にお世話になり、こちらに来たらと言われて移住した」
「もうここに来るしかないなと。家を建てられなかった、震災前の場所ではそこは「だめ」と役場で」
津波の被害を免れた臼澤地区では震災前に運動公園だった場所に津波で家を失った人のための宅地と戸建ての災害公営住宅が整備されたほか、県立病院も移転しました。今年3月末の時点で世帯数は震災前の157から460に、地区の人口は453人から1037人と倍以上に膨れ上がりました。
ところが…。
(記者)
「まわりの方々はいかがですか?」
(住民)
「知らないんですよ。催しに参加して初めてこうやって自治会に参加して、ようやく顔見知りになっている感じです」「(家の)後も前も両脇も知らない方ばかり。こういう場に出ないと誰にも会うことがない」)
人口が増えたもののほとんど顔見知りがいない…。新旧の住民の心の隔たりと住民の孤立が課題として持ち上がりました。

様々な行事で新旧住民の交流を図る
4年前自治会長になった東梅さんは3か月に1度、地区の集会所で「お茶っこ会」を開いて、住民同士の交流を図ってきました。しかし、それも新型コロナウイルスの影響で3月から開けなくなったため、考えたのが屋外で楽しめるグラウンドゴルフ大会でした。
(自治会長の東梅英夫さん)「皆さんの要望を慎重に聞いて、こういうことを望んでいるんだというあたりをうまく探り当てるような姿勢でやってきて、それが皆さんに気持ちよく受け入れてもらっているのではないかなと」
臼澤地区には江戸時代からおよそ400年続く郷土芸能「鹿子踊り」があります。地区の「鹿子踊伝承館」は震災の時、100人を超える避難者を受け入れました。鹿踊り保存会のリーダーでもある東梅さんは新たな住民と昔からの住民がそれぞれの文化や風習を理解して絆を育むきっかけづくりに郷土芸能を役立てられないかと考えたこともありました。
一方で、大槌は人々と郷土芸能の結びつきが強いため失ったものへの悲しみを呼び覚ます心配もありました。そこで東梅さんが考えたのが「紙芝居づくり」を通した新たな交流メニューです。
(秒東梅さん)
「紙芝居やりながら、ある場面になったら住民が脇からそれぞれの衣装着て踊りだすとか、そういう単純な紙芝居だけじゃなくプラスアルファ付けて楽しめるものにしたいなと」
紙芝居の題材は誰もが愛着を持てる大槌に伝わる民話にしました。絵や道具作りは地区の人たちの手作りで始まったばかり。7月に予定される「お茶っこ会」でのお披露目を目指しています」

新たなコミュニティづくりがようやく動き出した
(東梅さん)
「題材の大槌の民話は、みんな住んでいた場所だというのを考えると、思い入れも出てくるだろうし、できるだけ住んでいた地名、震災前はあそこに住んでいたとかそういうあたりをなるべく重点に取り組みたい」
自治会として初めて取り組んだグランドゴルフ大会は、大盛況でした。
(住民は)
「これから新しい人ばかりだけど、だんだん顔見知りになって、いろいろな活動をやりながらみんなと楽しくやっていきたい」
臼澤地区での新旧の住民の交流は震災から9年が過ぎた今年、やっと本格的に動き始めました。このことは、住民同士の「心の準備」に10年近い時間が必要だったとみることもできます。被災した地区と同様に被災しなかった臼澤地区も復興という大きな流れの中で模索が続いています。