伝説のジャズ喫茶 「クイン」人々の想いをのせて再開/大槌町
<ニュースエコー 2020年1月15日>
震災前、岩手県大槌町に東北で最も古いと言われた伝説のジャズ喫茶がありました。店の名は「クイン」。亡き父の遺志を継いで津波に流された店を8年ぶりに再開した娘と、この日を待ち望んでいた人々の想いを取材しました。
津波で被災した大槌町の中心部に完成した飲食店街に去年12月、一軒のジャズ喫茶が復活しました。8年ぶりに大槌に帰ってきたその店の名前は「クイン」、店の主は佐々木多恵子さん51歳です。ネルドリップで丁寧に淹れるコーヒーが自慢です。
(佐々木さん)
「お客さんが美味しいって言ってくれたのでまぁまぁまな?笑」
ジャズ喫茶クインは今から56年前の1964年、東京オリンピックの年に佐々木さんの父親賢一さんが始めました。娘の多恵子さんは地元の高校を卒業すると父親といっしょに店に立ち東北で一番古いと言われたジャズ喫茶「クイン」を親子二人三脚で守ってきました。そしてオープンから間もなく50周年を迎えようとしていた2011年3月。悲劇は突然、襲ってきました。
(リポート)
「クインがあった場所ですここにクインがありましたなんにも無いですね…役場前のガレキの中にこれはたぶんクインのものじゃないでしょうか?レコードジャケットですね」
津波で壊滅的な被害を受けた大槌町。2万枚をこえるレコードやCDもろともクインは津波に押し流され、常連客も犠牲になりました。

大槌に想いを寄せながらの避難生活
震災後、賢一さんと多恵子さん親子はジャズ仲間の手助けで花巻に避難しました。
(佐々木さん)
「天気予報も、花巻に住んでいるから花巻の天気予報見ればいいのに、大槌もちゃんとチェックして、きょうは大槌はこのくらいの寒さなんだな、いいなとか、そんな風に思ってたりしてました」
大槌に想いを寄せながら花巻での避難生活は7年に及びました。父・賢一さんは周囲の人に「大槌に戻ることはない」と話していましたが、心の中は違っていました。
(佐々木さん)
「父親にしてみれば先が短いから早く帰りたいんだなと。それを早く叶えてあげれば良かったんだけど、大槌がなかなか復興しなかったので待ちきれなかった間に合わなかった大槌に帰る日を夢見ながら2018年8月、父・賢一さんは病に倒れました。76年の生涯でした。生前、賢一さんはIBCの番組の中でクインに対しての想いをこう語っています。
(故・佐々木賢一さん)
「もし何もなくて普通の商売だったらば、こんなにいろんな人に会えなかったんじゃないかというのはいっぱいあるね。ジャズとして岩手だけじゃなく県外の人たちともねすごくリラックスして飲める。これはいいなと。共通語だもんねそのへんが俺の一番の原点じゃないかな」

店の再開を待ち望んでいたファン
父に代わって娘の多恵子さんが店を継ぐと聞いて、昔からのファンが再開したクインに駆け付けました。大槌町に暮らすグラフィックデザイナーの蛇口禎治さんもそのひとり。お祝いにとポスターを作ってきました。震災前のクインの店内。壁には所狭しと写真やポスターが張られ本やCDが山のように積み上げられていました。椅子に座るマスターの姿は白いままであえて描きませんでした。
(蛇口さん)
「これはそれぞれ見た人がそのときの表情を自分で思い出して見ればいいなって思った」
そして、クインの再開を心待ちにしていた人がもうひとり。
「おはようございます」
大槌町の菅谷あやさんです。夫の義隆さんは津波で今も行方が分からないままです。義隆さんは震災前、週5日は店に来ていたという常連客でした。「スーさん」の愛称で親しまれた義隆さんはカウンターの決まった席でウィスキーを飲みながら賢一さんと音楽の話をするのが大好きでした。
(菅谷さん)
「私とスーさんの出会いの場所もクインでしたし、とても本当にいい空間だったので、またここもそういう場所になってくれたらいいなって」

父親の想いも胸に
店の全てを津波に流されゼロからのスタートでしたが、震災前のクインを知る全国のファンから「店の再建を応援したい」とレコードやオーディオ機器が次々と届きました。父・賢一さんがジャズを通して育んだ人々との出会いが娘・多恵子さんの再出発を強く支えました。
(佐々木多恵子さん)「いろいろ遺してくれたものが大きかったお金じゃなくて人とかたくさんの人うん。人かなやっぱり遺してくれた…」
8年ぶりに大槌に帰ってきたジャズ喫茶の老舗クイン。
(佐々木多恵子さん)
「クインのあのコーヒーの味を自分がいちばん飲みたかったというのがあるんだけど。そこを目指したいと思って淹れています。いつも」
大槌に帰ってくる夢を果たせずに逝った父・賢一さんの想いを胸に、これからは娘の多恵子さんがレコードに針を落とします。