全校劇「海よ光れ」 閉校前最後の上演/山田町
<ニュースエコー 2019年11月6日>
岩手県山田町の小学校で30年以上受け継がれてきた劇「海よ光れ」が、今年度末の閉校にともなって最後の上演を迎えました。幾度となく津波被害に遭いながら海と共ににあった故郷の歴史を、子どもたちはどう伝えたのでしょうか。
(劇中セリフ)「フライ旗だ!大漁旗が揚がってた」
営まれてきた暮らし。伝統のスルメづくり。まちを幾度も襲った津波。子どもたちが劇で表現するのは、海と共に紡いできたふるさとの歴史です。
(劇中歌)「光届く届く、海、朝の海光る」
三陸海岸のちょうど真ん中に位置する山田湾。多くの人が漁業で生計を立てるこの町で、大沢小学校は湾を見下ろす高台にあります。児童数の減少で来年春の閉校が決まり、1988年から児童たちが毎年演じ続けてきた全校表現劇「海よ光れ」も今月3日に最後の舞台を迎えました。
(劇中セリフ)「船にのれ!」「ヘイス!」
物語は船出から始まります。採った海産物の加工は地域のみんなの仕事です。
(劇中歌)「イガイガスルメ、スルメイカ、イガイガスルメ、スルメイカ」
劇で使うスルメは毎年、児童たちが手作りしています。
(劇中セリフ)
「ほいぞ(包丁)で割れ割れ、割ったら洗え洗え、できたら干せ干せ」
ふるさとを生かしてくれた、海。

6年生は震災当時3歳、津波の演出を見たことがなかった
しかし、時に海は多くを奪い去ります。
(劇中セリフ)「ところが悲しい出来事が起きた」
1896年の明治三陸大津波です。
そして、2011年3月にも、大沢地区を津波が襲い95世帯中62世帯が全半壊。121人の尊い命が奪われました。それ以来、津波に流された人々が舞台上で倒れる演出はカットされてきました。
(今年9月・教室での担任と子供たちの会話)
「今年で海よ光れ…大沢小の海よ光れは終わりです。だからもとに戻すとしたら今年しかないよねって話をされました。津波のシーンをやるかどうか。ここまでわかった?」「はい」
(震災前の劇DVDのセリフ)
「もう遅かった。大きな津波の山が明神様の岬の上を超えてきた。山田湾に入って波が高くなる」
6年生は震災当時3歳。津波の演出を見たことすらありませんでした。
(DVDを見終わって担任)
「『助けてけろ、母さん、助けてけろ、父さん、助けてけろ、助けてけろ』というセリフが入っています。最後には人が亡くなっている様子もちょっとありましたよね。では席に戻って考えてみましょう」
(子供たちの話し合い)
「やるとしたら今年しかないから」
「それはそれであるけど…」
「やりたいけど…やりたいけど、地域の人たちの気持ちを考えるとできないじゃん」
「ぼくは入れたいと思いました。津波があったことを知ってもらってまた(津波が)あったときに生かしてほしいからです」
意見は大きく分かれました。本番当日。会場は「海よ光れ」の最期を見届けようという地域の人たちで溢れかえりました。

震災から8年8か月、全校劇は幕を下ろしたが…
(劇中セリフ)
「なんだ、どうしたんだべなあ」
「津波が来るかもしれねえ」「逃げろ!」
「だがもう遅かった、大きな津波の山が明神さまの岬の上を超えてきた。山田湾に入って津波が深くなる」
…悲惨な演出はカットされたままでした。
(6年生)
「おうちの人とか先生とか、各クラスの人とかに聞いて、やりたくないって人がいた場合は『海よ光れ』を楽しい物にするためにやらない方がいいんじゃないってなって、やらないことになりました」
子どもたちが選んだのは、地域の人たちにこの劇を、故郷の海をずっと好きでいてほしいという思いを伝えることでした。
(劇中、子どもが母親に叱られる場面)
「赤目っけ~」「このわらすは!」
「ちゃんと稼がねえからだや」
「稼がねえばきょうの夕飯も明日の朝飯も昼飯も夜も次の日もまた次の日も全部なしにすっぞ」「それは一番困る…」(会場笑い)
(劇中、網を上げる場面)
「よーいさー」「よーいどっこらさ」「やー!」
(劇中歌)
「育ててくれた海三陸の海、山田の海よ、忘れないよ大人になっても、忘れない、たとえふるさと離れても」
(卒業生)
「最後ってなるとやっぱり寂しい」
(保護者)
「(娘が)嫁と同じおばあさんの役(をやった。)同じセリフでやっていたので、見てすぐ泣いて感動した」
(卒業生)「大沢小は今年で無くなっちゃうけど、大沢小だった人にとってもこれから心の中でも伝統であってほしいです」
(劇中歌)「目を覚ませ大沢の子、潮でザンブリと顔洗え」
震災から8年8か月。幕を下ろしたまちの宝は、これからも心の宝として生き続けます。
少子化の影響で今年度末に閉校となる大沢小学校は、周辺の5つの小学校と統合して、新たな歴史を刻むことになります。