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未来のために開業 浜のお母さん食堂/田野畑村

<ニュースエコー 2019年5月15日>

岩手県田野畑村の三陸鉄道・島越駅に4月、食堂がオープンしました。名前は「島越しおかぜ食堂」。ここで働くのは島越で被災した3人の女性です。専業主婦をしていた浜のお母さんが地域の未来のために…と立ち上がりました。

 三陸鉄道、島越駅。東日本大震災で海沿いにあった駅舎は津波に流されましたが2014年に場所を200メートル離れた高台に移し、復活しました。駅の1階に4月25日、オープンした「島越しおかぜ食堂」です。厨房に立つのは田野畑村漁協浜岩泉浦女性部の3人。震災前は皆、島越駅周辺に住み地域のお祭りや集会で料理の腕を振るっていました。作っているのは「そふとかりんとう」。地域に伝わる手づくりおやつです。

(リポーター)
「いいよ、それ、おっきいの食べて。良いの?いただきます。熱い。あ、ふわふわだ。ちょっとドーナツみたい。おいしい!」

 そこは厨房と言うよりも家庭の台所といった雰囲気。そんな、包容力豊かな3人に期待を寄せるのが田野畑村の石原弘村長です。

(田野畑村・石原弘村長)
「1年数か月前から地区の方々と話をして、ようやく1年数か月かけてここに至りました。観光船のお客さんを中心とした皆様に食事を提供する場所、休んでいただく場所として開業できたということを本当に嬉しく思います」
島越の今、そして未来のため、立ちあがった3人のお母さんたち

誰かがやらなければ…地元に残された者の責任


津波で飲食店や宿泊施設などが無くなった島越駅の周辺。田野畑の景勝地・北山崎の断崖クルーズを楽しもうと観光船の乗り場がある島越を訪れたものの待ち時間に食事をする場所がなく、帰ってしまう観光客もいたと言います。

(早野さち子さん)
「ここで観光船のお客さんにその辺で会ったときに『食べるところないですか?』って聞かれて、その時に『ないんですよ』と答えるのがすごく辛い感じがして」

 村長が地元の住民に協力を呼びかけ、「私たちで良ければ…」と申し出たのが3人です。

(早野文子さん)
「(村長に)声をかけられたんだけども、応募する人がなかったのね。だからどうしても私たちが出て来ねばならなくなった」

 3人の背中を押したのは地元・島越への思いと、「一歩踏み出さなければ…」という気持ちでした。

(早野文子さん)
「だれかが出て来ねば始まらないことでしょ。そうするといつまでも、南(沿岸南部)は栄えてるのに、北(沿岸北部)はいつまでもね…発展がないというかね。そういうのを感じるために頑張ってみるかという思いで」

(山口クリ子さん)
「私初めてこういうのやってみたんですけど、そうでないと家で一人ひっこんでいて。皆さんに支えられながらやってます」

(早野さち子さん)
「何かできないのかなと考えた8年間だったんですけど、一人でできることなんて何にもないですしね、地元に残された者の責任というかね」
食堂には笑顔があふれた

地元ならではのメニュー


3人それぞれの思いはカタチとなって動き出しています。ゴールデンウィーク期間中は毎日営業。地元の海産物を使った手づくりおやつを提供しました。


(観光客)
「最高ですね。美味しいです。これを目当てに来たんです」

(地元客)
「新しい所ができると嬉しいなというのは正直ありますよね。復興が進んでるんだなという気持ちがあります」

(早野文子さん・山口クリ子さん・早野さち子さん)
「初めてやったばっかりのわりには、寂しい駅に結構人が来たなというのを感じました。(営業時間は)短い時間だったけど忙しかったね」「車が(駐車場に)いっぱいになった時には感動しました」

 元々は専業主婦、その表情は安堵感にあふれていました。
「島越しおかぜ食堂」は駅舎内に開業

食堂は「未来」につなげるための土台作り


 3人のうちの1人、早野文子さんは震災で自宅が全壊。元の自宅は新しい島越駅舎のすぐ近くでした。


 (早野文子さん)
「この辺に結構うちがあったもの。川の向こうにもうちがあったんだもん。両脇に。だから結構なうちがあったの。だどもね、(被災した町を見た)瞬間思ったことは、津波って大変だけどこれに負けてはダメだと思ってさ、頑張る…気持ちばっかりはね、頑張らねばって」

 
 早野さんは震災後、元の自宅からおよそ4キロ内陸の地区で中古住宅を購入しました。3人の息子は独立し夫と2人暮らしです。

(早野文子さん)
「うちがあった場所のあたりで働くから、なんか身近に感じるね」「うちはなくても帰れるというかね」

 早野さんは食堂での自分の役割を「未来」につなげるための土台作りだと感じています。

(早野文子さん)
「自分でなく、もっと若い人たち、島越の人たちが頑張ってくれば良いのになと思ったけども、なかなかないんだよね。ほんじゃあ『土台』は作ってやろうかと思って。頑張ってやってる姿を見て、引き寄せる、そしてどんどん発展していく、そういうことって誰かがしねばダメだな」

 震災を乗り越え、ここで暮らしてきたからこそできること…。島越の今、そして未来のため、立ちあがった浜のお母さん。3人の挑戦と奮闘は始まったばかりです。

※「島越しおかぜ食堂」は土・日曜・祝日の午前11時から午後2時の営業
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