「心の復興も」 被災地を支える医師たちの思い/陸前高田市
<ニュースエコー 2018年4月11日>
津波で大きな被害を受け、かさ上げ工事が進む岩手県陸前高田市に、昨年、本設の診療所ができました。この診療所で被災地を支える医師たちの、地域への思いを取材しました。
(孫を抱いた祖母)
「お願いいたします」
(医師)
「えーと、お熱ですね」「体重わかる?」
(祖母)
「体重11キロくらい」
今月2日、陸前高田市気仙町の済生会陸前高田診療所で、小児科の診療が始まりました。新たに着任したのは群馬県にある、公立藤岡総合病院の小児科部長などを歴任した、深澤信博医師64歳です。
「きのう食欲は?」
「ないです、きのうおとといと熱出てからは食欲ないです」
「なしと言ってもゼロじゃないだろうから、普段の何分のいくつぐらいかな」
深澤医師のていねいな診療に、熱を出した孫を連れてかけ込んできた女性は、ほっとした様子でした。
(孫を抱いた祖母)
「先生優しかったねぇ、良かった。お母さんがきょうから小児科の先生がいらっしゃっているからということで、良かったねって。近いから。今急いできたのね。良かったね、いい先生で。安心ですよね」
(深澤信博医師)
「かさ上げして住宅ができ、学校も気仙小学校も新しくできるようですから、人が戻って来るのの役に立てればと、そういう風に思っています」

「診療所」としての役割だけでなく・・・
東日本大震災による津波では、県立高田病院をはじめ、陸前高田市の医療機関も大きな被害を受けました。そうした中、済生会陸前高田診療所は、2015年10月に仮設で開業。去年2月、気仙町今泉地区に本設の診療所を開設しました。
(伊東紘一所長)
「震災があって非常な被害を受けた人たちが、まだ立ち上がれないでいる人たちも多いわけ。その人たちを助けようと、力になりたいということなんですね」
ここでは診療所としての役割だけでなく、ミニコンサートなどを企画して、患者や地域の人たちの心を癒す「憩いの場」としての役割も担おうとしています。

岩手で恩返しを
週に一度、整形外科の診療がある金曜日。診療所はいつもよりだいぶ混み合います。
(男性の診療)
「ちょっといいですか? 回すのも痛いしね。どこ痛い? 肘のこれだね。ここ押すと痛いでしょ? ちょっと曲げてみて」
山形済生病院から2カ月に一度、応援にかけつける千葉克司医師は(岩手県)奥州市前沢出身です。
(患者)
「いやー、助かりますよ。人間関係が、患者との触れ合いっていうか、コミュニケーションがけっこう取れて、病気に関係ないような話もできたりして、割といいんじゃないかなと思ってる」
(千葉克司医師)
「岩手で育ててもらったっていうのが、ありがたいと思っているので、何とか恩返しできたらと思っていたので、ちょうどいい機会を与えていただいたというか、ありがたいと思って来ています」

「心の復興」を後押しするために
診療所の所長、77歳の伊東紘一医師は被災地を支えようと3年前、妻の生まれ故郷である陸前高田にやってきました。
(女性の診療)
「よし、じゃあそれでなんとか、そっちの方も良くしないといかんからね。あと、糖の方やその他は、完全にいい状態になりつつあるので。冬眠から覚めたから、いくらか動くようになったから。うふふ」
常勤2人と応援の医師1人に対しこの日、診療所を訪れた患者は130人。診療所開設からこれまでで一番多くなりました。
(女性患者)
「待ってるのは・・・でも、お隣同士とお話しするとけっこう時間ね」
「この病院自体が、地域に貢献したいと思って、やってると聞いたので素晴らしい病院だなと思って」
診療時間の午後5時を過ぎ、夕方6時を回っても、診察はまだ終わりません。待合室の患者に菓子とお茶を配っているのは…。伊東院長と妻のカヅ子さんでした。
(伊東紘一所長)
「まさにコミュニティの場を作らなきゃいけないから、その場になっているということが大事だし、不十分かどうかわからないけど、そういう場になってきた。この診療所っていうのは、開放してみんなの場所ですよ。みんなの支える場所だから、みんなが自分の家だとか、自分の庭だとか思うのが一番いいわけ」
診療所としてだけでなく、コミュニティのための場に。「心の復興」を後押しする医師たちの地道な活動が続きます。