「仮設住宅は今」 生かされた命、同じ被災者のために/盛岡市
<ニュースエコー 2017年2月1日>
東日本大震災の翌年、2012年から「仮設住宅は今」と題して岩手県沿岸各地の仮設住宅、あるいは内陸部にもある「みなし仮設住宅」の現状や、そこに暮らす方々の思いを特集しています。岩手県宮古市で被災して自宅を失い、その後、盛岡市に移り住んで、盛岡市内に避難している人を支援し続けている男性を取材しました。
沿岸から盛岡に避難している人をサポートしている「もりおか復興支援センター」。被災者と交流しているのは、スタッフの千村真一さん(46)です。盛岡に避難している人を定期的に訪問し、相談に乗っています。
(千村真一さん)「盛岡は病院が近い。買い物ができるところもある。住んで良いと言っている。困りごとといえば、周りに知り合いがいない、コミュニティがない、今の住居が狭い、色々ある。周りの付き合いがない、というのが沿岸と違う」
センターの一角には、去年8月の台風10号被害を記録した、写真が展示されています。(千村さん)「本当にこんな感じでした。震災当時、車は重なりガレキは山になり」

津波で自宅が流され、母は帰らぬ人に
宮古市重茂(おもえ)で生まれ育った千村さんは、地元の高校を卒業後、サケの定置網や養殖ワカメなどの漁師として働いていました。しかし自宅を津波で失いました。
千村さんは母、君代さんと2人で暮らしていましたが当時、自宅にいた君代さんは帰らぬ人となりました。現在、みなし仮設である盛岡市内のアパートで、1人で生活しています。千村さんは夢の中でよく故郷、重茂のことを思い出すといいます。
(千村さん)「仕事、色々な人との付き合い、近所でのイベント。夢で思い出す。過去にしばられてはいけない。自分の気持ち的に過去は過去、未来は未来と切り替えている」

母親が生かしてくれた 「人の役に立て」と
千村さんはあの日、君代さんに買い物を頼まれて、自宅を離れたため難を逃れました。今でも母親が自分を生かしてくれたと思っています。
(千村さん)「おまえは生きろ、と生かされた。それで人の役に立て。すごくそういう気持ちが聞こえてくる。自分にできることを一生懸命、やるしかないと考えています」
千村さんは支援物資を受け取ったことがきっかけで、現在の仕事に就きました。今後の住まいをアパートにするか、内陸に建てられる災害公営住宅にするか、決めかねています。
被災者でありながら支援者として、これからも盛岡で暮らし続けます。