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2022年3月9日 岩手日報掲載

思い 語らい うれしくて

古里と、東日本大震災と、向き合う。郷里とのつながりを見つける。これまでできなかったそれらを取り戻したいという思いで昨春から、出身地の釜石市鵜住居(うのすまい)町を歩いてきた。感謝を抱き続ける人、文化の再興を願う人、失われたまちの思い出を大切にする人。出会い、語り、懐かしさや優しさに触れた1年。強まったのは、この地が「被災地」ではなく「古里」であるという思い。震災で亡くした祖父母への思いに変化もあった。最終回、これまでの取材を通して抱いた古里への思いを胸に、地域の子どもたちと触れ合った。


「私の家、あの辺りです」。前川晶記者(左上)と笑顔で語らう鵜住居小の6年生=1月

釜石・鵜住居小には、地域住民と神戸大で作った「震災前の街並みの復元模型」が保管されている。懐かしいまち並みに再会できる感動を地域の方々と共にしようと同校で開いた見学会(前回詳報)では、皆さん思い出話が尽きず、模型を前にしたからこそよみがえるたくさんの記憶が会場を満たした。

そこで改めて感じたのは「思い出を共有することには価値がある」ということ。かつてのまち並みを誰もが、いつでも見られるものにしよう。同僚らと模索した末、神戸大やIBC岩手放送と協力し、震災前のまち並みのデジタルマップ化に挑んだ。マップには住民それぞれの思い出を文章で落とし込んだ。全て、確かに人々がそこに生きていた証しだ。

自然に、今の子どもたちにも見てほしいという思いが募った。かつての鵜住居を知らない子たちに、ここが「人々に愛されてきた地域」であると知ってもらいたい。今の鵜住居に対する子どもたちの思いを聞き、私からもこの地の「愛されてきた歴史」を伝えられたら―。

学校と地域の協力を得て1月末、鵜住居小で「古里を共に考える授業」を行った。6年生を前に、こう問い掛けた。「みんなが思う、鵜住居の気に入っているところって何ですか」。子どもたちは少し考え、めいめいに付箋に書き始めた。
「人が優しいです。特におじいさん、おばあさんが優しいです。前に交流したときに思いました」
「自然が多いことと、夜の星がきれい。あと、夕方の紫色の空がきれいです」
「おじいちゃんと犬の散歩をする道が好きです」
「シカ、タヌキ、キツネ、キジとか動物がたくさんいるところが好きです」

初めに配った付箋は1人5枚ほど。数分もすると「もっとください」と声が上がり、予想以上の枚数になった。うれしかった。

子どもたちの言葉に触れ、私も改めて、幼い頃見上げた夜空の美しさや、大人になって感じる人のぬくもりの尊さを感じた。そして確信した。「震災があってもなくても、この地の良さは変わらないな」


「今を生きる子どもたちは、震災を含む、この地の背景を背負うことに何を思うのだろう」。不安さえ伴うこの疑問が、1年続けてきた当企画の原点だ。2019年、釜石鵜住居復興スタジアムで開かれたラグビーワールドカップの式典で初めて抱いた。世界への感謝を歌にし、黙とうする子どもたち。今、純粋な気持ちでこの舞台に立っているのだろうと思うと同時に、震災の記憶がほとんどない世代がわれわれ大人の「代わりに」感謝を伝えてくれている、とも感じた。「本来ここで歌うべきなのは、私たちの世代だよな」と、考えさせられたのを思い出す。


子どもたちと触れ合い、分かったこと。私に向けてくれたまっすぐな瞳は、鵜住居という場所をもまた、真っすぐに見つめ、体いっぱいにこの地の「良さ」を感じていた。そしてデジタル化した、かつてのまちをじっと見つめる表情に「私が生きた鵜住居」を少し伝えられたような気がした。

授業を終え「ああ楽しかった」とほほ笑む子がいた。そう思ってくれてありがとう。一緒に鵜住居を思ってくれて、ありがとう。心から思った。

<取材後記>鵜住居で大きな愛をもらった

昨春。震災から10年の、自分の中で一つの節目に古里を歩き始めた。祖父母を亡くし実家も流され、どうやって鵜住居とのつながりをたぐり寄せたらいいか。記者として地元に戻る私が嫌な思いをさせないか。不安だけがあった。

そんな心をほぐしてくれたのは古里の人々だった。鵜住居でも、隣り合う栗林でも、片岸でも、大槌でも。出会った人々の優しさが私を包んでくれた。心を交わす人が増えるたび、鵜住居に「帰る」感覚が再び芽生えていた。やっぱり、ここが私のルーツだ。


私の中で起きた変化。亡き祖父前川朝吉=当時(87)=と祖母マサ=同(83)=の2人の姿が取材を通じて、祖父母としてだけではない、一人の人間として見えてきた。

生前、朝吉が地域の人に掛けた言葉、マサのたくましい女性としての生き方。孫の私が知ることのなかった人間像が浮かび上がった。地域のこと。震災のこと。そんな心の内を語ってくれる人々に出会えたのも、2人のおかげだ。祖父と祖母としてだけではない、一人の人間に対する感謝と誇りを今、抱いている。


会えたことを喜び、流してくれた涙。記事掲載後に出演したラジオ番組を「聴いたよ」と教えてくれるメール。思い出を語り、握ってくれた手。たくさんの思い、熱。記者という立場になってからしか震災後の古里へ踏み込めなかった弱さは自覚していたが、それでも足を運んだ鵜住居で、大きな愛をもらった。

迎えてくれた皆さん。そして私の古里、鵜住居。この1年で大切な人は誰か、信じるものは何かを見つけた。鵜住居をもっと知る。足元にある「当たり前」を守る。それが私の生きる理由だ。

 
(整理部・前川晶)

鵜住居とともに~思い 語らい うれしくて

岩手日報 若手プロジェクトチーム 制作
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