2度の津波で海に面する須賀集落は壊滅的な被害を受け、内陸部への移転が進んだとされる。
川をさかのぼる津波から平地を守ろうと、全長221メートルと国内でも有数の規模を誇る小本川水門が約40年かけて整備された。
しかし、2011年の東日本大震災では水門や防潮堤を乗り越えて津波が襲来。小本地区で3人が犠牲になり、家屋177棟が全壊した。漁業関連でも登録船舶292隻中266隻が被災したほか、養殖施設や定置網が損傷し、なりわいに打撃を与えた。

伝承のシンボル期待
海沿いの約2・4ヘクタールの松林は夏に小学校の行事でキャンプやスポーツが行われるなど、住民に親しまれていたが、2011年の東日本大震災で姿を消した。
震災直後数本が残っていた松林はがれき置き場となり、保存処置は施されなかった。塩害などで徐々に枯死が進み、15年ごろ1本だけになったが、潮風や台風をものともせず18メートルに成長し、今もたくましくそびえ立っている。
住民から防潮林の復旧を求める声が高まり、県は14年、復旧に着手。植林したクロマツを根付かせるため約3メートル盛り土し、住民と協力して17年までに約1万本の植栽を終えた。
震災前の松林の姿を取り戻すには50年以上がかかるとされる。その間、残り1本となった松を残し、震災伝承に役立てようと、20年8月に小本地域振興協議会が名称を募集。地域住民が寄せた案の中から、田村千美(ちはる)さん(小本中1年)の「未来につなぐ希望の松」が採用された。
震災当時3歳だった田村さんは津波で自宅が全壊。引っ越し後も元の自宅の近くにあった松を見に訪れ「津波を耐え抜いた力を感じ、自分も頑張ろうと勇気をもらった」と振り返る。
同町は一本松そばの道路沿いに案内板を設置し、震災から10年となる3月11日に公開する。田村さんは「再び前を向いて一歩ずつ歩いていけるようにという願いを込めた。震災を忘れず、知ってもらえるきっかけになってほしい」と希望を託す。
