島越地区はこれまで何度も津波の被害を受けながら立ち直ってきた。県昭和震災誌や村史などによると、同村では1896(明治29)年の三陸大津波で最大26メートルもの波が襲来し、死者138人、34戸が流失した。
1933(昭和8)年の三陸大津波では13メートルの津波が襲い、住家132戸が流失。村内で54人が犠牲になり、38人が行方不明になった。漁船も373隻が失われ、なりわいにも打撃を与えた。同地区では18人、家屋54戸が流された。
そして2011年3月11日、再び地域を津波が襲った。到達高17・9メートルの波が地区中心部に流れ込み、121戸の家屋が流失、倒壊し、死者17人、行方不明者10人と大きな被害が出た。

脅威を後世に伝える
宮沢賢治の作品に由来する「カルボナード」の愛称で親しまれていた島越駅は1984年の三陸鉄道開業以来、地域の足や観光の拠点として活躍してきた。だが、地域の玄関口を襲った震災の津波は海に臨む駅舎を直撃。駅前にあった詩碑は奇跡的に大きな破損もなくがれきに埋もれていたが、駅舎はホームへ続く階段数段を残して跡形もなく流された。
津波の被害を受けた中心部は住居の高台移転が進み、地区住民も減ってしまった。だが、震災前の住民らで組織する島越自治親交会(鈴木隆昭会長)はつながりを絶やすまいと活動。居住地がそれぞれ変わった現在でも127世帯318人が参加し、夏祭りやどんと祭といった季節ごとのイベントや、草刈りなどをしながら交流を続けている。
2017年には同公園に、明治と昭和の三陸大津波による被害規模や東日本大震災による地区内の犠牲者の氏名を刻んだ震災慰霊碑を建立。犠牲者を悼む灯籠流しなども行いながら、地元の被害を後世に伝えている。
島越駅は14年に旧駅舎跡から約100メートル北の高台に再建された。震災について学ぶ人々が列車を利用して同公園を訪れ、石碑や遺構をじっと見つめていくという。鈴木会長(64)は「過去の被害を知り、地震が起きたら津波が来ると肝に銘じてほしい。公園の展示と石碑を見たことが有事の避難行動に結びつけばこれ以上のことはない」と心より願う。
