<ニュースエコー 2021年9月1日>
				岐路に立つ
			
			
				「思い出の品」返却事業/岩手
			
			 			 
					
				 津波で流された写真や思い出の品を返却する事業が今、岐路に立たされています。東日本大震災の発生から10年。寄付を募って活動を継続する民間団体がある一方、残された写真や品々の今後の扱いに悩む自治体もあります。
(三陸アーカイブ減災センター 秋山真理代表理事)
「こういうお祭りの写真の中で、米粒くらいに小さく後ろ姿が写っているのを『私のお父さんだ』とおっしゃる方もいる」
岩手県陸前高田市で写真や物品などの思い出の品の返却に取り組む民間団体、「三陸アーカイブ減災センター」の代表理事、秋山真理さんです。
秋山さんは震災直後から写真や物品の返却に携わってきました。沿岸からの避難者が暮らす県の内陸部でも返却会を開くなどして、10年間でおよそ1万人に写真20万枚、1600点以上の物品を返したといいます。
震災から10年たってようやく思い出の品をさがす決心がつく被災者も多いと、秋山さんは感じています。
(秋山さん)
「住まいもある意味で落ち着いて、心の余裕がようやく持てる。(写真を)見る気持ちになれる。『本当にこれからですね』とおっしゃる方も中にはいる。そういう方が時間が経つうちに増えてくるという印象を持っている」
こうした取り組みを支える財源は、これまで国や市の予算で賄ってきました。ところが国の復興創生期間の終了とともに、今年3月で事業の予算も終了。いったんは活動を休止せざるを得ませんでした。それから4か月・・・。秋山さんは寄付を募って、思い出の品の返却を再開することにしました。
(秋山さん)
「大切なもの、唯一のものかもしれないものを手元にお戻しすることで、少し前を向いてもらえるということも伺っています。細々とになるかもしれないが続けていきたい」
 
				最終的には廃棄の可能性も~自治体は事業縮小
一方で、返却事業が終了した自治体の中には、思い出の品を今後どのように扱うべきか悩む自治体もあります。
「これも被災写真なんですね」
「そうですね」
岩手県大槌町で、震災の伝承に関わる仕事を担当する四戸直紀さんです。
町役場の倉庫に納められているのは東日本大震災の津波で流出し、拾得物として集められた写真が入るケースです。写真はおよそ5万枚。大槌町は震災から5年が経った2016年、思い出の品の返却は一定のメドがついたとして、NPO法人に委託していた事業を終了しました。
(大槌町 震災伝承推進班 四戸直紀班長)
「委託事業は終了して、あとは私たち職員でこれからスキャンする作業はやっていく」
持ち主が見つからずに町に残る5万枚の写真のうち、3万5000枚は保存のためデジタル化しました。しかし人手や予算に余裕がなく、残り1万5000枚について、作業は思うように進んでいません。町には写真のほかに、卒業文集やランドセルなどの物品およそ1500点も残されています。
(四戸さん)
「震災から10年も経っていますし、財源の部分も縮小されていくのは仕方ないことだと思う」
こうした思い出の品の扱いについて、町は来年度までに方向性を決める計画で、最終的には廃棄することも検討せざるを得ないとしています。
(四戸さん)
「ほかの被災自治体も同じ問題を持っていると思いますので、できれば被災自治体と連携した返還という取り組みができればいいかなと思っています」
 
				連携して返却事業の継続を
陸前高田市で思い出の品の返却活動を続けてきた秋山さんは、大槌町のように今後に不安を抱く自治体や近年多発する豪雨災害で被災した自治体も支援していきたいと話します。
(秋山真理さん)「岩手県内でいうと山田町で流れされて釜石市の唐丹町で見つかるケースもあります。例えば遠隔でも見られる仕組みを作るとか、今後ますます必要になってくると思います」
岩手復興局は「幅広く活用ができる総合交付金の枠の中で支援を検討することは可能」としていて、今後は自治体単位の返却事業に変わり、官民の連携を軸とした新たな活動に期待が寄せられます。
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