<ニュースエコー 2018年8月29日>
				「仮設住宅は今」
			
			
				住まい再建、揺れ続ける思い/矢巾町
			
			 			 
					
				岩手県によりますと、県内の仮設住宅・みなし仮設住宅に暮らす人は、7月末現在で4410人です。シリーズでお伝えしている「仮設住宅は今」。62回目は、岩手県の内陸部、矢巾町にある「みなし仮設」のアパートで暮らすご夫婦です。2013年に取材させていただいたことがあり、今回再び訪ねました。月日の経過と共に住まいの再建への思いが揺れ続けています。
矢巾町の「新来軒」。「釜石ホルモン」は、新鮮な国産の豚ホルモンに秘伝の味付けを凝らした、唐辛子の辛さが特徴です。この店を営むのは岡本誠さん・眞澄さん夫婦。誠さんは3年前に体調を崩し、おととし10月から長女の美咲さんも店を手伝っています。
(岡本誠さん)
「(Q.お嬢さんと一緒に仕事するのは?)最高ですね。最高に気分が良いですね」
釜石市松原町にあった「新来軒」は、元々、誠さんと姉夫婦の3人で切り盛りしていた中華料理店でした。しかし津波によって、店舗と港町の自宅も流されました。
松原町の新来軒は、姉と甥達が釜石市定内町に場所を移して店を再開。
一方で、岡本さんは、矢巾町の精肉会社から肉を仕入れていた縁もあり、震災の年、2011年5月に矢巾町に移り住み、その年の12月、釜石の姉達と暖簾を分ける形で矢巾に店を構えたのです。
 
				いつまでも思い出す津波の体験
2013年の取材当時、岡本さんは、震災当時の事をよく思い出すと話していました。
(岡本誠さん)
「寝ていて(思い出します)。実際に自分も津波の現場にいましたので。家や車が流れているのも見ているし」
あれから5年が経ちました。岡本さんは全国あちこちで多発する水害を見聞きするたび、津波を思い出すと言います。
(岡本誠さん)
「色々な災害があって電信柱にしがみついたりするのを見ると『そういう人もいた』と。知っている人も亡くなっているから」
 
				7年経っても落ち着かず、将来への不安も
矢巾に移り住んだとき時は56歳、現在は63歳。年月の経過と共にみなし仮設を出た後の住まいへの考え方が変わってきました。
(岡本誠さん)
「家を持ちたいと思っていたが、年齢的なものもあるし、病気をして家を諦めたり、来た当時と今とは考え方が違ってきた」
岡本さんと訪れたのは、盛岡市内の災害復興公営住宅の建設予定地。これから宅地造成等が行われ、来年度中に完成予定です。こちらに入居を希望しているものの所得制限で入れない可能性もあると言います。
(岡本誠さん)
「どれぐらい働けるかわからない。入れれば一番良いがまだわからない。その辺が不安」
(神山アナリポート)
「岡本さんは震災の時の5月からこちらのアパートに住み始めて7年以上が経過しました」
(岡本誠さん)
「まだ自分達の部屋という感じがしない。落ち着いていないのが本音。今まで通りに、親父の作ったホルモンを伝えていきたい。娘も帰ってきて手伝ってくれる。後は皆さんに美味しく食べていただきたい」
長すぎる時の移り変わりと揺れ動く思い。岡本さんはみなし仮設を出た後の将来に不安を抱えたまま、岩手県の内陸部、矢巾町で「釜石の味」を守り続けます。
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