地震発生
2011年3月11日(金) 午後2時46分
巨大地震発生 マグニチュード9.0 震源 三陸沖
釜石では震度6弱を観測
2011年3月11日(金) 午後2時46分
巨大地震発生 マグニチュード9.0 震源 三陸沖
釜石では震度6弱を観測
鵜住居川河口にある釜石東中学校・鵜住居小学校
海からは わずか500m
当時、この2校には児童生徒・教員などあわせて600人余りがいた
(中学校約240名、小学校約390名)
地震発生直後、動いたのは中学生たちだった。
地震による停電で校内放送ができない中、まず部活で校庭にいた生徒たちが自主的に避難を開始。
そして校舎内にいた生徒たちが、それに続いた
*IBC番組取材(2011)
一方、隣接する鵜住居小の児童たちは、先生の指示で校舎の3階へ避難していた
しかし消防団が大津波警報の発令を伝え、そこから小学生たちは校舎の外へ避難を始めた
児童たちは、叫びながら避難している中学生のあとを追うように駆け出した
*児童たちが避難したあと、小学校には事務職員1人が残り、津波の犠牲になった
釜石東中の生徒たちが自主的に避難を開始できたのは、
2008年から本格的に取り組んできた防災学習の成果だった
「自分の命は自分で守る」「助けられる人から助ける人へ」
隣接する鵜住居小との合同避難訓練も積み重ね
中学生たちは、訓練通りに最初の避難場所へ向かった
釜石東中・鵜住居小 合同避難訓練
2010年6月14日(岩手日報撮影)
最初の避難場所「ございしょの里」(海抜4メートル)
地震発生からわずか10分~15分
小中学校から約800メートル離れた避難場所に約600人が到着した
しかしここでは地震の影響でがけ崩れが発生していた
近所の人の助言もあり、
小中学生たちはさらに高台へ避難を始める
*「ございしょの里」で保護者に引き渡された児童1人は、その後、津波の犠牲になった
小学生の手を引いて走る中学生たち
その様子がカメラに収められている
合同避難訓練でも小学生を手助けすることは訓練していた
また、近所の人たちも一緒になって子供たちの避難を助けてくれた
*子どもたちが避難する様子~その後、津波がまちを襲う(撮影:高村幸男氏)
写真が語る「釜石の出来事」(2022年3月27日岩手日報掲載)
*IBC番組取材(2011)
2次避難場所「やまざきデイサービス」
(海抜15メートル)
全員がこの2次避難場所にたどり着いた5分後
津波が鵜住居のまちを襲った
午後3時17分
子供たちは鵜住居が津波にのまれる光景を目撃する
*IBC番組取材(2011)
津波が迫り、子供たちはさらに高台へと走り出した
峠までは約500メートル
勾配が急な坂道を、子供たちも、地域の住民たちも一緒になって駆け上がった
津波は1次避難場所の「ございしょの里」を飲み込み、2次避難場所の「やまざきデイサービス」まで迫っていた
午後3時半 「恋の峠」(海抜44メートル)到着
峠には、地域の住民も含め1000人以上が避難していた
学校から避難してきた子供たちは、ほとんどが無事だった
多くの子供たちの命が助かったのは、常に津波に対する意識を高め、取り組みを重ねていた結果―
それは決して奇跡ではない
一方で、当日学校を休んでいた児童1人、生徒1人、
そして避難途中で保護者に引き渡された児童1人が津波の犠牲に
また、小学校に1人残った事務職員も行方不明に
その「出来事」も忘れてはならない
釜石市東日本大震災検証報告書【学校・子ども関連施設編】(抜粋)