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津波の記事一覧

640回「車での避難」2021年8月21日OA

2021年08月21日 6:00 PM

東日本大震災が発生した際、東京では、皆が車で早く家に帰ろうとした結果、大渋滞が発生しました。発災から3時間後には、渋滞が通常時の約5倍に。又1キロをクルマで走行するのに約2時間かかり、大切な命を救う為の緊急車両が通れなくなってしまったのです。あれから10年。東京都では震度6弱以上が発生した場合、環状7号線から都心方向への車両の通行が禁止となるなど、大規模な交通規制が実施されます。警視庁では「車には乗らない」「乗っていたら駐車場など道路外に移動」を呼びかけています。

大規模災害発生時の渋滞は、東京だけの話でしょうか。TBC東北放送が取材した宮城県の例です。今年3月20日、宮城県内で最大震度5強を観測する地震が起き、沿岸部には4年4か月ぶりに津波注意報が出されました。この時、ある課題が浮き彫りになりました。多くの人が車で避難した為、各地で渋滞が起きたのです。震災の時にも同じことが起こっていました。石巻市で実施した市民アンケートでは、震災の際、約27%の人が「自動車で逃げた」と回答しています。渋滞が起きたことで、車で逃げざるを得ない人の命も失われました。東松島市の老人ホームの臨時職員男性は、地震が起きてすぐ、寝たきりの利用者4人を車に乗せました。しかし避難の途中で渋滞に巻き込まれ、車ごと津波に流されました。男性は助かりましたが、一緒に乗っていた利用者4人は亡くなりました。こうした教訓から沿岸部の自治体の多くは原則「徒歩」で避難するよう呼びかけています。津波避難タワーや津波避難ビルを整備している自治体もあります。一方、亘理町の地形は高台や高層建物がない平野です。その為、多くの住民が希望する、車を使った避難訓練を実施しています。亘理町に住む男性は、混雑が予想される県道を避け、信号が少ないルートを使うことにしています。

岩手県の地域防災計画では、避難手段は原則として「徒歩」としながらも「避難所までの距離や避難行動要支援者の存在など地域の実情に応じ、やむを得ず自動車により避難せざるを得ない場合においては、避難者が自動車で安全かつ確実に避難するための方策をあらかじめ検討する」としています。歩いて避難できる場所もあれば、車でしか逃げられないような場所もあります。又、支援が必要な人は、車を使うことでスムーズに安全な場所に逃げることができます。地震や津波の際、命を守る為、どこにどうやって避難するのか、日頃から想定しておくことが重要です。

 

633回「津波伝承絵本『奇跡の水門』」2021年7月3日OA

2021年07月03日 6:00 PM

今日は、東日本大震災の津波から村を守った普代水門の教訓を伝える絵本「普代村を守った『奇跡の水門』」についてです。普代村と大阪府の追手門学院大学が共同制作したもので、A4版40ページ、現地視察の資料として使えるA5版ミニ絵本もあります。

内容は「こんぶ」や「しゃけ」など、海の幸に恵まれた村の紹介から始まり、巨費を投じる水門に反対する住民を説得し建設した、当時の村長・和村幸得さんの思い、そして普代水門のお陰で津波から村が守られたことが描かれています。普代水門は、外海に面した普代浜から普代川を遡り海から300m地点にあります。高さ15.5m、総延長205mと巨大なもので、130トンもの重さがある門扉4つと、水門の南側、県道44号上に設けられた開閉式門扉で構成され、水門上部には、建屋が5つ並びます。よく見ると建屋の途中に「23.6m」と東日本大震災の津波の高さを示すプレートがあります。実は大津波は水門の高さを8m上回ったのです。県道にかかる門扉も5分の1程度しか閉じないトラブルがありましたが、それでも水門の1キロ上流までの浸水で津波を防いだのです。

絵本は、普代村と追手門学院大学の学生との交流から生まれたものでした。震災後、年2回、村の振興を図る為に訪れた学生が、普代水門に焦点を当て、防災の重要性を伝えていきたいと思い、紙芝居の制作を始めました。村は、その紙芝居を元に、去年6月から8月、クラウドファンディングで全国に呼びかけ、支援により絵本が出版されました。絵本は1500部発行、ミニ絵本は1000部発行。絵本は県内全ての小学校に寄贈し、図書室などで活用いただいているとのことです。村の担当者は「百聞は一見にしかず。普代水門は動けないので、まずは一度見に来て大きさを体感していただきたいです。『奇跡の水門』と言われていますが、奇跡でもなんでもなく、過去の教訓から未来の村の為に、熟慮を重ねた結果だと思います。その様子がわかりやすく描かれている絵本。多くの人に読んでいただき、震災の教訓が未来に受け継がれていけば幸いです」と語っています。絵本は三陸鉄道・普代駅にあるアンテナショップ「あいで」の他、インターネットからは「奇跡の水門」で検索すると47クラブECサイトから購入になれます。

632回「災害時の断水」2021年6月26日OA

2021年06月26日 6:00 PM

今日は、災害時の断水についてです。盛岡市上下水道局によりますと、盛岡市の水道水は、盛岡・都南地域は、米内川、中津川、雫石川、簗川の4つの川。玉山地域は岩手山と姫神山からの湧き水や地下水などを利用しています。取水後、市内7つの浄水場で、ゴミ、ニオイ、色を取り除き、薬品を入れて消毒しキレイにしてから、私達の家庭に届けられます。

10年前の東日本大震災の際、盛岡市は震度5強の揺れに見舞われ、約30時間に及ぶ大規模停電が発生し、約3万世帯が断水しました。断水の主な原因は、浄水場で水道水が作れなくなった為でした。水道水は、浄水場から「送水管」を通って、水を配る池と書く「配水池」に蓄えられ、「配水管」を通って各家庭に送られます。停電により水道水が作れなくなると、配水池や送水管などが空になります。復旧後、そのまま水を送ると、沈殿していた錆などを巻き上げ混濁する為、配水池や送水管の清掃が必要、ということです。盛岡市上下水道局では、震災の停電の教訓を踏まえ、各浄水場とも自家発電機など停電に備えた設備を整備しました。沿岸での断水は、盛岡市の停電とは違い、地震・津波により、取水場・浄水場・ポンプ場・配水池・配水管等が破損しことによるものでした。発災後、盛岡市上下水道局では、市内の給水の他、大阪市や神戸市など全国の応援隊と連携し、沿岸被災地の応急給水も行いました。ある職員は『釜石の小さな避難所で給水を終えて車に乗り込んだら、縁側に座っていた、おそらく足が不自由と思われる高齢女性が拝むようにして見送ってくれました』と当時を振り返ります。

盛岡市上下水道局では「災害に備えて日頃から浴槽などに生活用水を溜めておくことを心がけてください。溜めおきは、小さなお子さんの事故等に十分ご注意ください。又、受水槽を設置してポンプにより各戸に給水をしているマンションやアパートでは、発電機が無い場合、停電時に水道水を利用できなくなることが想定されます。普段から水のくみ置き等の対策をしてください。停電時に水が出る場合でも、受水槽内に残っている水しか使えないので、節水に努めてください。停電復旧後は、水道水に空気や錆などが混じり、濁る場合があります。しばらく水道水を流してからご使用ください」と呼びかけています。

629回「永訣」2021年6月5日OA

2021年06月05日 6:00 PM

今日は新曜社「永訣 あの日のわたしへ手紙をつづる」を紹介します。東北学院大学震災の記録プロジェクトの三回目の企画で、10年前の自らに記した過去への手紙31編が綴られています。

宮城県丸森町(まるもりまち)出身で、県外の大学に進学した20歳の男性は、小学4年生の時、福島県相馬市で働いていた父親が津波で犠牲になりました。彼は3月11日の朝、父親に「朝ごはんの目玉焼き、今までで一番おいしかったよ。行ってきます」、この言葉が言えなかったことを後悔しています。「被災地は復興してきています」「傷が癒えてきています」という報道に違和感があり「自分がどれだけ復興できたか、どれだけ立ち直ることができたのかは他人が決めることではなく、自分自身で決めることだと思っています」と復興途上の気持ちを打ち明けます。そして「残された家族で幸せな家族を作っていくことを約束します」と締めくくっています。福島県浪江町(なみえまち)出身の23歳の女性は、津波で父親が行方不明になりました。年月が経つと、「本当になってほしくないから」「お父さんが帰ってこないことを」願うようになりました。そして「行方不明と言いたくない時」「離婚や単身赴任、静かな人で会話がない」など嘘をつくようになりました。「嘘をつく度に、お父さんにも友達にも本当に申し訳なくなりました。でも、それ以上に怖いんです。どんな雰囲気になるか、同情か父親の会話がしにくくなってしまうのではないか」と吐露します。結びに「今のあなたは本当に幸せ者です」「嘘をつく人にならないでください。後悔なく、一分一秒を生きてください」と優しく語りかけます。宮城県雄勝町(おがつちょう)、現在の石巻市出身の23歳の女性は、震災で母親を喪い(うしない)ました。彼女は、今回の手紙を書く数週間前に聞いた『この子たちには幸せになる権利がある』という言葉を紹介しています。「震災をハンデと捉えず誰よりも幸せになれとストレートに言ってくれているように感じました。13歳の私にも、23歳の私にも幸せになる権利はあります」「これから先の人生も全力で幸せでいましょう」と誓っています。

編者で、去年3月まで東北学院大学教養学部で教鞭を執り、現在、関西学院大学社会学部の金菱清(かねびしきよし)教授は、「災害の恐ろしさや爪痕の深さを一番よく知っているはずの被災者・当事者が、それを知らない当の本人に対して直接伝えることの難しさ」を指摘しています。31編の手紙は、10年の歳月と向き合う中から、災害の教訓とは何かをも伝えています。

628回「津波避難 3つのS」2021年5月29日OA

2021年05月29日 6:00 PM

今日は、永野海(かい)さん著「みんなの津波避難22のルール 3つのSで生き残れ!」(合同出版)を取り上げます。東日本大震災の被災者支援をしている弁護士・防災士の永野さんが、津波から命を守る為に「これだけは知ってほしい!」ことをまとめたものです。マンガや写真が多く、漢字にはルビを振っていて、親子で防災について学べる本になっています。

さてタイトルにある「3つのS」とは「SWITCH(スイッチ)」「SAFE(セーフ)」「SAVE(セーブ)」の頭文字のことで、永野さんが東日本大震災を教訓に、津波の避難行動を分類したものです。スイッチとは「津波から逃げるスイッチ」。宮城県石巻市の大川小学校では、北上川を遡上してきた東日本大震災の津波に襲われ、多くの児童・教職員が犠牲になりました。大川小学校事故検証委員会がまとめた報告書では、事故の直接的な要因の一つに避難開始の意思決定=スイッチが遅かったことを挙げています。セーフとは「安全な避難場所とルート」。釜石市の鵜住居防災センターは、東日本大震災の津波に襲われ、避難した多くの住民が亡くなりました。釜石市がまとめた報告書によりますと、鵜住居防災センターは本来、津波の避難場所ではなかったにも関わらず、避難訓練の際に使用され、又、市は防災センターを「避難訓練のみのための避難場所」として容認し、危機管理体制の見直しを行っていませんでした。住民は、高台にある本来の津波避難場所=安全な避難場所を理解していなかったのです。セーブとは「最後までいのちを守り抜くこと」。私は震災後、取材で山田町を訪れました。そこで津波で命を落とした理由の一つに、高台に避難したものの、貴重品を取りに自宅に戻ったから、と聞きました。津波の危険がある場合、安全な場所を離れてはいけないのです。この本では、津波避難22のルールを3つのSに区分し、3つのSのどれかが欠けると被災すると警鐘を鳴らします。

永野さんはリスナーに『取材を重ね、津波訴訟なども分析し、東北での津波の教訓をまとめさせていただきました。津波避難のルールを、30年後も100年後も1000年後もしっかりと継承し、未来の命を津波から守ってほしいです』と訴えています。

 

620回「宮城県沖地震」2021年4月3日OA

2021年04月03日 6:00 PM

先月20日午後6時9分、宮城県沖を震源とする地震では、仙台市や石巻市など宮城県で震度5強、県内でも最大震度5弱を観測。宮城県沿岸には一時、津波注意報が出されましたが、津波は観測されませんでした。総務省消防庁によりますと、けがをした人は、宮城県9人、岩手県1人、福島県1人、計11人です。県によりますと盛岡市で40代の女性が転倒して口の中を切る軽いけがをした他、遠野市で住宅の外壁が一部崩落する被害などがありました。気象庁はこの地震について東日本大震災の余震とみられるとしています。

今回の地震について津波工学を専門に研究している東北大学災害科学国際研究所の今村文彦所長は『地震の発生した場所が沿岸部に非常に近い。地震の真上で津波が発生して、津波の到達も揺れと同時ぐらいに起きた』と解説します。県内では過去に、揺れの後すぐ津波が来襲し被害があったというデータは無いとのことですが、同様の条件で津波が来る可能性があり、岩手も例外ではないと指摘します。今回、県内には津波に関する発表はありませんでした。隣の県で津波の注意報や警報が出された場合、どのようなことに注意すればいいのでしょうか。今村所長は、2016年の福島県沖地震を例に挙げます。11月22日午前5時59分、福島県沖の深さ25キロでマグニチュード7.4の地震が発生しました。午前6時3分、福島県に津波警報、宮城県には津波注意報が出されました。その後、午前8時9分、宮城県の津波注意報は津波警報に切り替わりました。今村所長は『津波が大きくなり宮城でも警報に変わった。こういう状況もあるので岩手の南側では宮城県の情報を、北側では青森での情報を得るようにしていただきたい』とアドバイスします。

今後の地震について、今村所長は『震災から10年が経った。余震の活動は少なくなっていたが、今年から少し多くなり、2月13日以降、活発化している。大きな地震、又は余震が一定の大きさで起こると、海底で力のバランスが少しずつ、ずれてしまい、そういう所では地震が誘発されやすくなる。今までの状況ではなく、活発化しているということを頭に入れて頂きたい。又、全体の揺れで地盤が緩くなっている。揺れに対する備えの他、土砂災害への備えも頭に入れておいてほしい』と、備えの継続を呼びかけています。

619回「三鉄の物語」2021年3月27日OA

2021年03月27日 6:00 PM

東日本大震災で被災し、復興するまでの三陸鉄道と沿岸各地の街並みを描いた絵本「リアスのうみべ さんてつがゆく」が先月、岩崎書店から出版されました。作者は野田村出身で久慈市在住の詩人、宇部京子さんです。三陸鉄道が陸中野田駅から久慈駅の間を力強く走り出したのは、震災発生からわずか5日後のことでした。宇部さんは『水がない、電気がない、ガソリンがない、灯油がない、国道を車1台も走っていない。そんな時に走れるわけがないだろうと。だけど走ってきたんです』と当時を振り返ります。宇部さんは支援物資の仕分けや民家の泥出し、そして野田村図書館の再建とふるさとの復興のために尽力しました。震災から2年が経った頃、『ガレキは少しずつなくなっていくけれど、三鉄がその上を毎回ちっちゃい体で走っていく。一生懸命つぶさに見ていると、5日後に走った三鉄もすごいけれど、その後の三鉄のこともやっぱり書きたくなりました』と筆を執った思いを語ります。

宇部さんの方言を使った温かい語り口の文章に、優しいタッチの絵を添えたのが、盛岡市在住のイラストレーター、さいとうゆきこさんです。震災後映画の上映会などのボランティアで被災地を回り、その活動から『生きた芸術は人々の心をほぐす力があると感じた』と言います。絵本の制作に携わるのは今回が初めてだった、さいとうさんは、宇部さんが紡いだ物語を丁寧に読み解くことで、絵の世界観を広げていきました。海辺の松林に鮮やかな草花が描かれたシーンは、津波によって失われた、宇部さんの心の中にいつまでも残るふるさとの風景。一番力が入った場面だと振り返ります。

宇部さんは『現場にいた人間は、後世にこういうことがあったと伝えなければならない使命がある。そして子ども達に、色々なことがあるけれど、打開策を考えて行動する勇気や決断力を伝えていけたら』と、絵本に託した思いを語ります。絵本は、こんな言葉で締めくくります。「みんながげんきになれば あっちも こっちも つながって あだらしいせかいが はじまるんだ。ほれ、ポッポー!!」被災地で暮らす人達を励まし、力強く走り続ける三鉄。この絵本を親子で読むことで、震災を見つめ、復興のその先を考えるきっかけになりそうです。

 

618回「震災10年」2021年3月20日OA

2021年03月20日 6:00 PM

震災から10年。私は3月11日、県と市の合同追悼式が行われた陸前高田市に参りました。陸前高田では県内で最も多い1606人が亡くなり、202人が行方不明。総世帯数の半数にあたるおよそ4000棟の住宅が全半壊したほか、市役所などの公共施設も全壊するなど壊滅的な被害を受けました。去年4月11日に開館した高田町にある市民文化会館「奇跡の一本松ホール」は、一般参加の献花会場でした。大船渡から献花に訪れた50代夫婦は、奥様のお父様が高田町で津波に呑まれ、5日後、変わり果てた姿で見つかりました。ガンの手術が成功し、1年経った頃でした。彼女はこの10年を『時間の感覚が無い』と振り返っていました。そして当時、中学生の娘さんは東京で看護師になり『花嫁姿を見せたかった』と無念を口にしていました。

陸前高田市の人口は震災前、2万3000人を超えていましたが、今年1月末現在1万8000人余り。震災以降、減少が続いています。市内に住む60代女性は『広報を見ていると、誕生より亡くなっていく人が多い。生まれる人が少ない。悲しくなる。子ども達が少なくなっている。周りに子どもの声がない』と寂しさを滲ませます。市の中心部周辺は、津波の浸水地で10mかさ上げされました。背後の北側の山は削られ、高台団地の造成が行われ住宅が立ち並びます。今年5月に業務開始予定の市役所の新庁舎は濃い灰色の7階建てで、この日もバックホーやトラックが行き来していました。かさ上げ地は、新しい商店や住宅がまだ少なく、空き地が広がり、草が生い茂っています。まち作りは緒に就いたばかりです。

新型コロナ禍の中、県外からのお墓参りの姿は減っています。又、人との接触の制限は、被災地の高齢者の孤立感に拍車をかけています。震災で妻、義理の母親、長男が帰らぬ人になった大槌町の80代男性は、仮設住宅を出て3年前に自宅を再建し1人暮らしです。彼は『仮設の頃は支援の人が来てくれた。今は家にただいるだけ。テレビとにらめっこ。退屈でしょうがない。1人でいるのが辛い。とにかく健康が不安』と語っていました。心の安定に繋がる地域のサポートが必要と感じました。あれから10年は、終わりという意味の区切りではなく、震災は続いています。

616回「震災メモリアルパーク中の浜」2021年3月6日OA

2021年03月06日 6:00 PM

宮古市崎山にある「震災メモリアルパーク中の浜」を訪ねました。震災の記憶や自然の脅威を後世に伝える公園です。震災前の中の浜は三陸の海に臨む緑豊かなキャンプ場として、海水浴シーズンを中心に多くの利用者が訪れる場所でした。しかし2011年3月11日、15mを超える津波が押し寄せました。3月ということで利用者はいなかったものの、管理棟や炊事棟、トイレなどの施設が失われました。津波は中の浜から約1キロの内陸まで達し、キャンプ場の奥にあった家屋も大きな被害を受けました。

浜辺の駐車場で車を降りると、約100m東に青い海が広がり潮風が心地良く吹いていました。振り返ると高さ80m程切り立った山林があり、その途中の枝に赤い球体がぶら下がっていました。大津波により約17.3mの高さに引っかかったままの漁具です。建物で言えば6階に相当し、改めて大津波の恐ろしさを実感します。キャンプ場のトイレや炊事場は当時のまま保存されています。シャワー室も併設されていたトイレは白い外壁の平屋で、無残に壊れ近づけません。ドアも窓も無くなり、外壁は剥がれ、天井からは紺色の布ようなものが垂れ下がり、10年前から時間が止まっています。蛇口が並ぶ炊事場を囲む柱は中折れし、赤茶けた鉄筋が何本も剥き出しになっています。傍には震災前のキャンプ場の写真パネルがありました。炊事場は屋根があり東屋でした。周囲は美しい緑に囲まれ、芝生の上にテントが張られたその1枚から、かつて人気キャンプ場だったことが伝わってきました。

公園の中心には園内を一望できる「展望の丘」が設けられています。大型トラック2800台分の震災ガレキ由来の再生資材を使って作られています。高さ13mの丘の上に立ち海を眺めるとちょうど視線が津波の高さとなるよう設計されています。公園を取り囲む山々には津波が斜面を駆け上がった高さが記されていて、最大21mの表示はいち早く高台に避難することの大切さを教えてくれます。又、公園の一角には2014年に植えられた、まだ若いミズナラ、ケヤキなどが約400本ありました。津波で失われた木々を再生しようと、森づくりが進められているのです。「震災メモリアルパーク中の浜」は、自然と触れ合いながら、自然の恵みと脅威を学べる場所になっています。

 

613回「盛岡藩 災害の記憶」2021年2月13日OA

2021年02月13日 6:00 PM

盛岡市内丸にある「もりおか歴史文化館」では、江戸時代の盛岡藩で起きた災害を振り返る企画展が開かれています。盛岡城を中心とする盛岡藩は、現在の岩手県・青森県・秋田県にまたがるエリアで、長い海岸線を持つ大きな藩でした。もりおか歴史文化館には盛岡藩の家老が江戸時代を通じて書き続けた政務日記などの貴重な記録類が保管されています。その内、地震と津波、岩手山の噴火、城下町盛岡での洪水や火災について、絵図や文献資料など30点を展示し、発生時の様子や被害状況ついて紹介しています。

幕府に提出する為に盛岡藩全域を描いた「盛岡藩国絵図(くにえず)」は、縦2m、横3mと大きな地図で、企画展にあわせ、江戸時代に地震、津波の被害があった場所にシールを貼り示しています。盛岡、花巻、三戸などには青いシールが貼られ、1772年=明和9年の地震で被害があったことを示しています。記録によりますと「明和9年5月3日、晴れ。大地震あり。地割れ発生。盛岡城の石垣2か所膨らむ。武家屋敷など所々破損。盛岡城以外では遠野、大槌、宮古で被害。特に崖崩れによる被害が各地で多発し、男性5人、女性6人、馬21頭、牛1頭が死亡」とあります。陸域の震源の浅い地震で、内陸の被害が目立ちます。一方、沿岸部には黄色いシールや濃いピンク色のシールが貼られています。それぞれ1793年=寛政5年、1856年=安政3年の海溝型地震を表していて、三陸が繰り返し津波に襲われていることがわかります。

又、岩手山の噴火に関するコーナーもあります。1686年=貞享(じょうきょう)3年の噴火の際、江戸幕府への報告には「盛岡城下において三月二日は、空は曇り雪が少し降る中、明け方ごろ落雷のような音が鳴り、盛岡城下の南を流れる北上川が濁り、魚などが流れ込んだ。午後4時頃から空が晴れると、盛岡城下の西方にある岩手山という山から煙が上がっており、日が暮れると、およそ幅2m、長さ1キロメートルの火柱が確認され、城下まで火山灰が降り注いだ」と記されています。この記録から、もし岩手山が噴火したら、私達の生活にどんな影響が出るのか、想定するヒントになります。過去に起こった「災害の記憶」を見つめることで、現代を生きる我々が次の災害に備えるきっかけになるこの企画展は3月15日まで開かれています。

 

608回「日本海溝・千島海溝沿い巨大地震3」2021年1月9日OA

2021年01月09日 6:00 PM

東日本大震災の発生から9年半を迎えた去年9月、内閣府があるデータを公表しました。三陸沖から房総沖にかけての日本海溝沿いで巨大地震が発生した場合の津波の浸水想定です。マグニチュード9クラスの巨大地震に伴い、東日本の太平洋岸の広い範囲に津波が到達するとされていて、水門や防潮堤などのインフラが破壊された場合、県内の沿岸12市町村全てで広い範囲が浸水するとされています。今回の想定の検討にあたった、津波工学を専門とする東北大学の今村文彦教授は「同じような規模の地震が1600年代に起きていた可能性があり、400年前に起きている。400年というのが一つのサイクルである可能性があるので、実はそう遠くない状況でこの最大クラスの地震が起こる可能性がある」として、この巨大地震はいつ起きてもおかしくないと警鐘を鳴らしています。

津波が遡上する高さが29.7メートルで、県内で最も高い想定の宮古市。日本海溝版の浸水想定では、東日本大震災で被災しなかったエリアでも浸水するとされた場所が多くあります。その為、新たな浸水想定を書き加えた形でハザードマップを更新し、2月1日号の「広報みやこ」と共に配布するということです。策定した新たなハザードマップではこれまで指定していた避難場所のうち浸水の可能性のある箇所を削除。さらに高台に新たな避難場所を25か所指定しました。例えば津軽石川の河口にあたる赤前地区では、当初、赤前コミュニティ消防センターも避難場所に指定されていましたが、新たな浸水想定の公表で浸水する可能性があるということで、さらに高台にある赤前小学校に避難場所が統一されました。この他、市内中心部の宮古消防署前とつつじヶ丘公園の高台は、標高が高い小沢地区の2つの高台に変更される他、上村修道場付近の高台も廃止され、磯鶏小学校の高台が新たな避難場所となります。宮古市危機管理課の芳賀直樹危機管理監は「山に登りさえすればとりあえず命は守ることができますので、日本海溝の大きな地震が来ても犠牲者を出さないということを最大の目標に防災の活動を続けていきたい」としています。

一次避難場所だけではなく、更に安全な二次・三次避難場所も訓練で確認するなど、浸水エリアに関わらず逃げることが命を守ることに繋がります。

605回「復興研究会が制作した絵本」2020年12月19日OA

2020年12月19日 6:00 PM

今日は大槌高校復興研究会の取り組みについてです。148名の生徒が学ぶ岩手県立大槌高校。2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波は、高台にある校舎に続く坂のすぐ下まで押し寄せましたが被害を免れ、学校は震災当日の夜から8月上旬まで地域の避難所として利用されました。避難所運営に携わった経験などから、生徒は2013年、新たなまちづくりに貢献する為「復興研究会」を立ち上げました。部活と並行した活動で、毎年、復興過程を写真で記録するなど定点観測を行っています。その復興研究会では今年度、東日本大震災の教訓を絵本にまとめました。タイトルは「伝えたいこと あの日、私は小学2年生だった」。A4横72ページで、避難途中『見てはいけない』と視界を遮る大人たちの間から見えた津波に呑まれる町の光景や、避難した体育館でカーテンを布団代わりに寝た体験などが描かれていて、不安や悲しみが伝わってきます。又、地震の後の取るべき行動についてクイズ形式でも取り上げていて、震災を経験したからこそ伝えられる『未来の命を守りたい』という想いを発信しています。

制作に取り組んだのは、津波に追われながらも高台に避難して助かった当時小学2年生だった女子生徒3人です。その内の1人、大槌高校3年の佐々木結菜(ゆいな)さんに聞きました。昭和三陸津波の経験を親や祖父母たちから聞いた人が、今回の津波から逃げて助かったということを耳にし、『震災体験を伝承することで、正しい行動を取るきっかけになれば』と作成したということです。この絵本にはDVDが付属しています。美術部員の協力を得た絵の画像と共に、『文字だけより感情を込めた方が伝わると考えた』と、自分たちの声で文章を読み上げた約22分の音声が収録されています。

東日本大震災復興支援財団の助成を受け200冊印刷された絵本は、県内沿岸の70の小学校に寄贈した他、全国の学校や図書館などに配布しました。新型コロナウイルス感染症の影響で伝承機会が限られる中、今回の絵本は何度でも手軽に読めることで、新たな伝承ツールになっています。復興研究会顧問の松橋郁子先生は『月日が経つと記憶が薄れる中、生徒の体験談、気持ちの他、震災時、周りの大人たちがどう支えてきたかも理解していただければ』と被災地発の絵本の役割に期待を込めていました。

 

594回「警視庁ツイッター2」2020年10月3日OA

2020年10月03日 6:00 PM

今日は、以前も取り上げた警視庁警備部災害対策課のツイッターについてです。いざという時に役立つ防災情報を発信していて、2013年から始め、今ではフォロワーと呼ばれる登録者が85万人を突破する人気ぶりです。最近の情報からいくつかピックアップします。

まずはアンダーパス=立体交差で掘り下げた道路をキレイにする投稿です。交番に勤務しているその警察官は、台風などによる大雨が予想される前に、必ずアンダーパスに行って排水路のゴミを取り除くようにしている、という内容です。これは「落ち葉」や「吸い殻」などのゴミが排水溝に詰まることにより、道路冠水の原因になるからです。もし避難経路だったら、非常に危険です。災害に強い街づくりに加えて、街の美化にもなる地道な取り組みです。避難経路に雑草が生えていると通行の妨げになり、草取りが必要になります。意外な道具を使った草取りのアイデアが掲載されていました。工具の「ペンチ」を用いる、というものです。手強いタンポポも根元から簡単に抜くことができる、とのこと。大工道具ではない、発想を転換した工具の用途に感心しました。発想の転換といえば、急に暴風雨が強まり、家の内側から窓ガラスの飛散防止措置を取る際の方法も紹介されていました。段ボールやカーテンを利用するというものです。段ボールは、窓ガラスに養生テープで隙間ができないよう貼り付けます。カーテンは閉めるだけではなく、洗濯ばさみでしっかり補強する、というものです。これはあくまでも緊急的な対処です。事前に飛散防止フィルムを貼ったり、台風が接近している時は雨や風が強まる前に、早めに外側から対策しておいたりすることが大切です。災害の発生を想定し、自宅マンションで、電気、ガス、水道を使わずに、午前8時~翌日午前8時まで24時間、生活してみたという体験談もありました。ご家族は、本人の他、奥様、10歳、8歳、6歳、2歳の子供たち、計6人です。終了後にお子さんから出された「夜は真っ暗なのでライトを探すのも難しい」といった感想が掲載されていて、興味深い内容です。

防災のプロが発信する警視庁のツイッターは「警視庁警備部 災害」で検索すると御覧になれます。

593回「日本海溝・千島海溝沿い巨大地震2」2020年9月26日OA

2020年09月26日 6:00 PM

日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震に伴う大津波についてです。内閣府によると、東日本大震災の津波の高さと比べた場合、青森県以北では今回推計した津波の方が高く、岩手県内では、海岸地形にもよりますが、宮古市付近より北で今回推計した津波の高さの方が高くなる所があります。「北海道」では、根室市からえりも町付近にかけて10~20mを超え、高い所ではえりも町で30m弱。えりも町より西側の地域の苫小牧市や函館市などで10m程度が想定されています。「青森県」では八戸市の高い所で25mを超え、太平洋岸で10~20m程度が想定されています。「岩手県」では、宮古市の高い所では30m近い津波の高さになる等、10~20m程度。「宮城県」や「福島県」などでは、場所によっては10mを超える高さですが、一部の地域を除き東日本大震災よりも低い想定です。

さて内閣府は、この津波により防潮堤が破壊されるケースと破壊されないケースについて、岩手県の浸水想定を公表しました。沿岸市町村の浸水の深さは7段階で色分けされていて、防潮堤が破壊されるケースでは、沿岸北部を中心に市街地が5メートル以上浸水する市町村もあります。野田村の野田湾では地震発生34分後、最大波である第1波13.4mが襲来。地震発生43分後には役場のある場所で8.2mの浸水が想定されています。又、釜石市の釜石湾では地震発生81分後、最大波9.2mが押し寄せ、その時間に市役所は6.7mの浸水が想定されています。この他、久慈市の久慈湾では地震発生83分後、最大波13.5mが来襲。地震発生90分後、市役所は5.3mの浸水が想定されています。津波が防潮堤を乗り越えたとしても破壊されないケースで庁舎の浸水が想定されているのは久慈市のみで、地震発生53分後、1.5mの浸水です。

地震、津波は自然現象で不確実性を伴います。今回の想定で示した時間よりも早く津波が到達したり、津波の高さが高くなったり、浸水範囲以外でも浸水の恐れがあったりすることに注意が必要です。東日本大震災の教訓は、防潮堤のようなハードだけで命を守るには限界があるということです。防潮堤はあくまで避難の時間を稼ぐという意識を持ち、決して過信せず、何よりも「逃げることが大事」ということを忘れてはなりません。

 

589回「発達障害と避難」2020年8月29日OA

2020年08月29日 6:00 PM

SVDさんから質問を頂きました。ありがとうございます。「ここ最近、水害にコロナ、後は間接的な地震などの話題に頭が痛いと感じる私。先日、私が住んでいる一関市の避難所のリストを見ていた時、水害、地震の時は・・・と書いてあるのは良いけれど、私は発達障害があるし、避難所ではどうやって居るのが正しいのかわからないし、会話もできないし、寝ているのが良いのか、手伝ってと言われた時にどうやって対処するのが正しいのかよくわからないし、本当に頭が痛い話だと感じるので」。

この件について、岩手県と一関市にお聞きしました。避難所運営を担当する一関市まちづくり推進部まちづくり推進課によりますと、市では新型コロナウイルス感染症への対策として、多くの人が避難所に密集しないよう「分散避難」を推奨しているとのことです。分散避難とは、安全な地域に住む親戚や知り合いの家などに避難することです。自宅が安全な地域にあれば、無理に避難するのではなく自宅に留まる選択肢もあります。市が設置する避難所に避難する際、配慮が必要な場合は、避難所スタッフに相談していただければ、別室やテントといった個別の配慮スペースを確保するなど、避難された方の状態に応じた対応を行うとしています。また保健師等による健康調査を行い、障害者支援施設や高齢者福祉施設などの福祉避難所への避難が必要な場合は、避難された方の状態に対応した施設との調整を行い、避難体制を整えるということです。

加えて岩手県保健福祉部障がい保健福祉課では、ご家族の協力を求めています。避難所スタッフに対して「本人の心身の状態や障がいの特性をお伝えいただくとともに、併せて、本人が必要とする薬、食品などの物品や、落ち着ける場所、話しかけ方など、特に配慮する事項もお伝えいただきたい」としています。そして大規模災害時は、岩手県災害派遣福祉チームが、避難所の要支援者の福祉・介護等のニーズ把握や応急支援などを行う体制を構築する、ということです。県や市の支援体制をお伝えしましたが、それでも不安がある場合は、平時にSVDさんのご家族から、市に相談しておくことが、災害が起きた時の備えになりそうです。

 

583回「津波フラッグ」2020年7月18日OA

2020年07月18日 6:00 PM

気象庁がガイドラインを公表し、先月より運用が始まった「津波フラッグ」についてです。「津波フラッグ」とは、海水浴場で津波警報等の発表を知らせる「旗」です。長方形を四分割した、赤と白の格子模様のデザインになっています。縦横の長さや比率に決まりはありませんが、実際に見てわかるように、短い辺の長さが1m以上になります。

気象庁が津波警報等を発表すると、ラジオ、テレビ、緊急速報メール、防災無線、サイレン等、様々な手段で地域の人に伝達されます。一方で海水浴場等においては、耳で聞いてわかる伝達手段と比較して、目で見てわかる伝達手段が少ないことから、津波警報等の視覚による伝達手段について検討が行われました。背景にあったのは東日本大震災です。岩手、宮城、福島における聴覚障害者の死亡率が、聴覚障害の無い人の2倍に上った、というデータがあります。その原因として、「防災行政無線、サイレン、広報車による避難の呼びかけが聞こえなかった」「停電によりテレビの字幕や携帯メール等が使えなかった」点が挙げられています。海水浴場では、津波警報等が発表されたら直ちに避難する必要があります。しかしこのような場所では、携帯電話を持っていないことも多く、防災行政無線やサイレンでは、耳が聞こえにくい人に情報を伝えることができません。又、聴覚に障害が無くても、海に入っている場合等、波や風によりこれらの音が聞こえない場合も考えられます。このような際、津波警報等を伝達する手段として、旗による視覚的な伝達が提案されたのです。

この津波フラッグは、主に船舶間の通信に用いられ「進路に危険あり」を意味する国際信号旗(こくさいしんごうき)のUの旗と同様のデザインです。海外では海からの緊急避難を知らせる旗として多く用いられています。デザインは「視認性が高い」「色覚の差に影響しにくい」「国際的に認知されている」「遊泳禁止と混同しない」という点から選ばれました。海水浴場や海岸付近で津波フラッグを見かけたら、速やかに避難を開始し、より高い所を目指して逃げましょう。

577回「日本海溝・千島海溝沿い巨大地震」2020年6月6日OA

2020年06月06日 6:00 PM

東北から北海道の太平洋沖にある日本海溝と千島海溝沿いを震源とする大地震の想定を内閣府の有識者会議が公表しました。津波想定の対象は北海道と青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の7道県で、マグニチュード9クラスの巨大地震が発生すれば太平洋沿岸の広い範囲に大津波が到達するとしています。このうち日本海溝での地震はマグニチュード9.1と想定されていて、県内では大槌町、釜石市、大船渡市、それに陸前高田市で震度6強の強い揺れに見舞われるとされました。津波の高さは宮古市が29.7メートルで全体で最も高い想定です。その他は岩泉町が26.6m、山田町が21.9m、田野畑村が20.9m、釜石市が18.5m、大船渡市が16.2m、陸前高田市が12.5mなどとなっていて、県内の沿岸市町村に10m以上の津波が到達すると想定されています。宮古から北では地点によって東日本大震災の時よりも高い津波が到達する予想となっています。

各道県の具体的な浸水想定エリアも図面で示されましたが岩手県については今回公表が見送られました。内閣府は「沿岸市町村の復興まちづくりへの影響や住民に不安を与えるといった懸念を考慮した」と説明していて、県からも公表について慎重な判断をするよう要請があったということです。これについて武田良太防災担当大臣は会見で「できるだけ早く公表できるよう丁寧に説明したい」と述べ、県内の浸水想定エリアの公表に向け地元自治体と調整を進める考えを示しました。県内の浸水想定の公表が見送られたことについて達増知事は「国の検討の目的や浸水想定の前提条件に対する市町村の理解が得られていない中での公表は見送るべきではないかとの声が挙げられている。今後とも地元に十分な理解が得られるよう求めていく」とコメントを発表しました。

有識者会議では、最大クラスの地震の発生確率を求めることは困難であるが、過去に巨大な津波が約300年から400年間隔で発生していて、直近の17世紀の津波からの経過時間を考えると、「最大クラスの津波の発生が切迫している状況にあると考えられる」としています。東日本大震災の教訓は、防潮堤のようなハードだけで命を守るには限界があるということです。今回、県内の具体的な浸水想定エリアの公表は見送られましたが、津波から命を守る為には何よりも「逃げることが大事」ということを決して忘れてはいけません。

 

576回「フクシマの社会運動」2020年5月30日OA

2020年05月30日 6:00 PM

今日は福島大学・後藤康夫(やすお)名誉教授と、基礎経済科学研究所・後藤宣代(のぶよ)副理事長の2人が、福島などに暮らす執筆者と共に、原発事故後の社会運動について著し編集した、八朔社「21世紀の新しい社会運動とフクシマ」についてです。

スタンフォード大学科学・技術と社会プログラム副ディレクターの佐藤恭子さんは「低線量被ばくの問題をどう考えるか」という章で「トランス・サイエンス」という概念を取り上げています。提唱したアメリカの核物理学者ワインバーグは低線量被ばくの遺伝的影響をあげ、動物実験で「統計的に信頼できるレベルで確認するには80億匹のマウスが必要だ」として、「理論的には科学的に答えられるはずではあるが、現実には不可能であり、科学を超えるということでトランス・サイエンス的な問題」としています。そして「被ばくは無ければ無い方がよく、全く無害な閾値(いきち=最小の値)は無い、という見方が科学者の間の広いコンセンサス(=合意)にも拘らず、実害の可能性を否定し、不安の表明を『風評被害』や『福島の復興を妨げる』と批判するのも民主的議論の圧迫・抑圧である」と指摘しています。又、後藤宣代さんは「科学者間でも見解が異なる外部被ばく、内部被ばく、そして低線量問題が、許容線量をめぐる対抗として展開している。『フクシマの運動』は、政府や行政の一方的な許容線量設定に対して、住民サイドが自主学習を重ねて、声を上げ、行動し、その設定を覆しているというところに特徴がある」と考察しています。

NPO法人コモンズの中里知永(としのり)理事長は、フクシマの運動の一つ、「いわき放射能市民測定室たらちね」について取材しています。この認定NPO法人は、原発事故による被ばくの被害から子どもたちと地域の人々の健康と暮らしを守る為、地域住民が2011年11月に開所しました。食品、水、海水、土壌、資材、人体の放射線量を測定して公開したり、2017年には内科と小児科のあるクリニックを開設し、甲状腺エコー検査や尿中のセシウムの測定なども実施したりしています。不安を感じる人たちに寄り添い、正しい情報=放射線の数値を提供する住民サイドの活動は、これからも続きます。

 

571回「コロナ禍の避難所運営」2020年4月25日OA

2020年04月25日 6:00 PM

今日は新型コロナウイルス感染症のクラスター=集団発生対策についてです。厚生労働省は、咳やくしゃみをする際、マスクやティッシュ、ハンカチ、袖などで口や鼻をおさえる「咳エチケット」や、手洗いに加え、「密閉」「密集」「密接」の3つの密を避けるよう呼びかけています。「換気の悪い『密閉』空間」については、「部屋が広ければ大丈夫」「狭い部屋は危険」というものではありません。WHOは空気感染を起こす「結核・はしかの拡散」と「換気の回数の少なさ」の関連を認めていて、カギは「換気の程度」ということです。窓がある場合は2方向を1回数分間全開、これを1時間に2回以上。窓が1つしかなくても、入口のドアを開ければ窓とドアの間に空気が流れます。「多数が集まる『密集』場所」については、他の人と互いに手を伸ばして届かない十分な距離2m以上を取る、座席は隣の人と一つ飛ばしに座る、又互い違いに座るのも有効としています。「間近で会話や発声をする『密接』」についてWHOは「5分間の会話で1回の咳と同じくらいの飛沫が飛ぶ」と報告していることから、対面の場合は十分な距離を保ちマスク着用をお願いしています。

さて新型コロナウイルス感染拡大が続く中、もし自然災害が発生し、避難所に避難しなければならなくなった場合、どんなことに気をつければ良いのでしょうか。内閣府は今月はじめ、各都道府県などに対して「避難所における新型コロナウイルス感染症への対応について」通知しました。「可能な限り多くの避難所の開設」「親戚や友人の家等への避難の検討」。これらは避難所が過密になることを防ぐ為の措置で、ホテルや旅館等の活用も提案しています。又、避難所では「避難者の健康状態の確認」「手洗い、咳エチケット等の基本的な対策の徹底」「避難所の衛生環境の確保」「十分な換気の実施、スペースの確保」と、これまでの避難所運営以上の衛生管理が求められます。又、発熱、咳等の症状の人には「可能な限り個室や専用トイレを確保」し「一般の避難者とはゾーン、動線を分けること」としながらも、新型コロナウイルス感染症の場合は「軽症者等であっても原則として一般の避難所に滞在することは適当でない」とし、適切な対応を事前に検討するよう求めています。

自然災害が発生する前に官民一体となって、新型コロナ対策を考慮した避難方法を想定しておく必要があります。

570回「防災拭い」2020年4月18日OA

2020年04月18日 6:00 PM

デザインを手掛ける滝沢市大釜にある有限会社「クワン」は、岩手県のPRキャラクター「わんこきょうだい」をプリントしたユニークな手拭い「防災拭い」を制作、販売しています。「防災拭い」とは、災害を防ぐ「防災」と日本古来の「手拭い」をかけた造語です。災害時に落ち着いて行動するための手順や防災情報を厳選し、わかりやすいイラスト付きで手拭いに印刷しています。

大きさは縦34センチ、横幅は100センチ。よく見かける手拭いより10センチ長くなっています。煙の多い現場に遭遇した際は口を覆う、出血した際はそのまま、又は切り裂いて三角巾や包帯代わりにする等、手拭いだからこその活用方法があります。約35グラムと軽量で、手のひらサイズに小さく畳め、いつも持ち歩けます。東北大学の今村文彦教授が監修した「防災グッズ編」「地震編」「津波編」、又、3月より岩手大学の斎藤徳美名誉教授が監修した「台風編」が加わりました。「防災グッズ編」の真ん中にはわんこきょうだいの「そばっち」がデザインされ、その左側には「非常持ち出し品」として、いつも携帯したいモノ、必ず準備しておくモノのイラストが、右側にはあると便利なモノ、手拭いの便利な使い方、警察や消防の電話番号が記載されています。手拭いの文字はシルクスクリーンでプリントされていて濡れても消えない為、雨でも情報が確認できます。洗って繰り返し使え、薄いので乾きやすいメリットもあります。

小野公司社長は、2005年に県内の放送局から依頼され防災ハンドブック制作を手がけました。その際、防災の大切さを実感し「大人から子どもまで持ち歩ける防災用品」をコンセプトに制作することにした」とのことです。手拭いの右下には名前、生年月日、アレルギーの有無、連絡先を書き込む欄が設けられていますが「災害時、口頭で伝えることが困難な時、書き込まれた個人の情報が次に繋がるお手伝いができるのでは」と、その役割に期待しています。小野さんは「地域や学校での防災学習にご利用いただき、いざという時、慌てることのないようご活用いただければと思います」とリスナーに呼びかけています。防災拭いは、日頃から防災を意識し、災害発生時に冷静な行動をサポートするアイテムとして活躍しそうです。1枚税込み550円で、取扱店など詳細はインターネット「防災拭い」で検索すると御覧になれます。

569回「赤十字防災セミナー 災害への備え」2020年4月11日OA

2020年04月11日 6:00 PM

今日は「赤十字防災セミナー 災害への備え」という小冊子についてです。日本赤十字社で行っているセミナーのカリキュラムを元に、その要点や、災害時に役立つ知識などが32ページとコンパクトにまとめられています。

地震・津波・大雨から命を守るポイントの他、街歩きを通して「自宅から避難場所の距離・身体的疲労」「木造住宅密集地域や古く倒れそうなブロック塀」「津波避難の標識」などに注意するよう促していて、避難経路を見直すきっかけになりそうです。「暮らしをつなぐ」項目では、家屋や家財の損壊・水没、ライフラインが停止した際の避難場所ついて取り上げています。学校などに開設される「避難所」の他「車中泊避難」「在宅避難」「アパートを借りた避難」「血縁の知り合いを頼った縁故避難」「ホテルや旅館への避難」と、多様な避難方法があることをイラスト入りで紹介しています。避難というと「避難所」がまず頭に浮かびますが、「多くの避難者と共同生活を送る必要がある」「トイレの数が足りない」「入浴の機会が限られてしまう」等、不自由な環境でストレスを感じることがあり、選択肢を提案した形です。一方で避難所の大事な点として「避難した方々だけではなく、災害によって自宅や車中などで避難生活を送るすべての方々への情報・物資提供の場所として、地域の支援拠点となります」と記載しています。東日本大震災では、自宅は残ったものの物資が手に入らなかった被災者が、避難所の物資を分けて貰えなかった例がありました。その教訓から、避難所が被災者全てに開かれた場所であることを強調しているのです。備えの項目では、「過去の災害で無くて困ったものにあげられたのは、普段飲んでいる薬の情報、下着、本人確認ができる身分証明書などがありました」と、具体例を挙げて説明し参考になります。

日本赤十字社岩手県支部参事の木村匠さんは 「災害発生時に『いのちを守る』備えについて、そして守ったいのちを生活の再建につなげるため、災害発生後の『暮らしをつなぐ』備えについて、この小冊子を通して、多くの方々が考え行動に移していただけることを願っております」と活用を呼びかけています。この小冊子は、日本赤十字社のHPからダウンロードできます。

 

567回「地震のはなしを聞きに行く」2020年3月28日OA

2020年03月28日 6:00 PM

今日は2013年3月、偕成社発行、文・須藤文音(すとうあやね)、絵・下河原幸恵(しもかわらゆきえ)「地震のはなしを聞きに行く」という本についてです。福祉施設職員の須藤さんは23歳だった震災当時、仙台で暮らしていました。気仙沼市の実家は津波の難の逃れたものの、気仙沼港で船の整備士をしていた父親が命を落としました。震災を避けるようにしていましたが「現実からにげつづけていいのか」考えるようになり、「なぜ父が死んだのか」知るため、3人の研究者を訪ねます。

地震学が専門の東北大学・松澤暢(まつざわとおる)教授は、平均約38年周期で発生している宮城県沖地震は、東日本大震災の時に同時に起こったことは恐らく間違いないと解説します。しかし、想定されていた宮城県沖地震の場所より沖合の方が大きく動き、その影響で宮城県沖地震の発生は早くなるかもしれないと考えている研究者もいれば、震災でプレートのエネルギーが放出され、暫く宮城県沖地震は起きないという意見の研究者もいる等、どれが正しいかはっきり分からず「宮城県沖地震が近い将来おこる可能性もあるということはおぼえていてもらったほうがいいと思います」と備えを呼びかけます。地震考古学が専門の産業技術総合研究所客員研究員・寒川旭(さんがわあきら)さんは、貞観地震の起きた9世紀と現代には共通するところがあると指摘します。830年~863年は日本海側で地震が続き、869年東北地方で貞観地震、878年関東・相模湾で地震、887年仁和(にんな)南海地震が発生。そして現代は2004年~2007年に日本海側で地震が続き、2011年に東日本大震災が発生しました。寒川教授は「次は首都圏の近くや南海トラフで地震がおこる可能性がとても高いわけです」と警鐘を鳴らしています。防災学が専門の関西大学社会安全研究センター長・河田惠昭(かわたよしあき)さんがおすすめする防災術の一つが「家のなかはつねに整頓!いらないものはすてる」です。阪神・淡路大震災の時、玄関に靴を脱ぎっぱなしにしていたり、階段に物を積んでいたり、家の中が散らかっていたりした人が沢山ケガをしたから、ということです。

須藤さんは、少しの知識と少しの意識で未来は変えられるとして「すこしでも被害をへらせるよう、大切な人をうしなうことのないように、ひとりひとりが自分のこととして、この震災を考えてほしい」と結んでいます。

566回「正しく怖がる」2020年3月21日OA

2020年03月21日 6:00 PM

被災者の支援に取り組む一般社団法人SAVEIWATEが出版した「東日本大震災被災者手記集 残したい記録 伝えたい記憶」。A5版64ページの手記集には、ふるさとを離れて盛岡で暮らす内陸避難者など16人が寄稿しています。その内の1人、小笠原明子さん(72)に今の思いをお聞きしました。

2011年3月11日、当時、大槌町吉里吉里で0歳児から5歳児まで75人を預かる保育園の園長だった小笠原さんは、午後2時46分、大きな揺れに襲われました。地震発生後、2人の母親がそれぞれ2人の子どもを迎えに来ました。鉄筋2階建ての園舎は遠くに太平洋を望む海抜23mの小高い地にありました。小笠原さんは「絶対、津波が来るから保育園で待っていましょう」と訴えましたが、1人は「足が不自由な祖母が自宅にいるから助けたい」、1人は「夫が自宅にいるから共に逃げたい」と、それぞれ子どもを連れ、車で坂を下りていきました。それから間もなく「津波だ!」と悲鳴が上がり第一波が襲来。園ではこの場所でも危険だと判断し、子どもたちをおんぶ、抱っこ、又は手を引いて、地域の人たちに助けられながら更に高台に避難しました。高台からは恐ろしい海の変化に目を向けることができませんでした。午後4時30分過ぎに園舎に戻ると、町は変わり果て、園に通じる坂の途中まで流木がありました。13日の朝、瓦礫の中、辿り着いた釜石の自宅は全壊。19日、連絡が取れない夫は遺体で発見されました。母親が連れて帰った園児4人も犠牲になりました。

小笠原さんが手記集に寄せた体験談のタイトルは「正しく怖がる」です。東日本大震災の際、「過去の津波はここまで来なかったから、今回も何とも無い」と逃げずに被災した方がいたことから、「自分の住む地域でどんな自然災害が起こり得るのか正しく知り、正しく怖がって、正しく自分の身を守る行動を速やかに取ってほしい」という思いが込められています。震災後、娘を頼って盛岡に移住した小笠原さん。地域防災の集まりに積極的に参加する中で、自分の震災体験だけではなく、地域での備えの大切さも、伝え続けることにしています。

 

565回「内陸避難者の現状」2020年3月14日OA

2020年03月14日 6:00 PM

東日本大震災での盛岡の避難者の現状や課題について、内丸にある「もりおか復興支援センター」を取材しました。こちらは2011年7月に開所、盛岡市が委託し、一般社団法人「SAVE IWATE」が運営しています。スタッフ13名は、センターに登録されている540世帯の被災者に毎日、訪問や電話により生活状況の変化を尋ね、福祉や介護など、専門家に繋ぐ必要のある方には同行しています。その他、センター内でのお茶会などサロン活動、囲碁将棋、写真、花壇づくりなどサークル活動のサポートをしています。

センターの支援は、当初、被災地復興の歩みと共に「帰還支援」を行ってきましたがその後、「定住支援」に変化してきました。金野万里(きんのまり)センター長は「被災規模が甚大で、まちが再生しない中、地元に戻れず盛岡への定住を希望する人が増えてきたのが現実でした。2つの要因があり、1つは被災した高齢者は、盛岡や近郊に住む家族や親戚を頼って避難してきた方が多く、時間の経過と共にこちらでの暮らしを希望するようになったこと。もう1つは、沿岸で職を失った世代が、盛岡で職を得たことにより定住を希望するようになったからです」と説明します。岩手県が整備している内陸の災害公営住宅は、一関、盛岡、花巻、北上、遠野、奥州と6つの市に13棟あります。盛岡の4棟の内、南青山地区の99戸入居の鉄筋コンクリート造り4階建て災害公営住宅は県内で唯一、未だ工事中です。先日、現場を見に行くと、かつてあった杉林は伐採され、敷地全体が高さ2m50cm前後の白いパネルで覆われていました。令和2年度完成予定ですから、1年後、やっと避難者はみなし仮設を離れ、落ち着いて暮らせるようになります。

震災から丸9年。内陸避難による生活環境の変化により、体調を崩している子ども達がいたり、被災時から更に高齢になり健康に不安を抱える高齢者がいたりするということです。センターでは、その皆さんの心身の健康をサポートすると共に、来年度に完成する南青山地区の災害公営住宅での入居者のコミュニティ形成、そして南青山町の住民とのコミュニティ形成のサポートをしていくことにしています。