気象と防災 マメ知識!

IBC岩手放送ホームページでは、広告・番組情報配信、閲覧履歴解析等のためにクッキーを使用しています。このお知らせを閉じるか閲覧を継続することで、クッキーの使用をご承認いただいたものとします。オプトアウトや詳細についてはIBC岩手放送「サイト規定」をご覧ください。

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

514回「東北地方で切迫する地震」2019年3月16日OA

2019年03月16日 6:00 PM

2月26日、政府の地震調査委員会は、青森県東方沖から房総沖までの日本海溝沿いで、今後30年以内に地震が発生する確率を公表しました。今回の報告は、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震発生を受け、2011年11月にまとめた長期評価に、新しい知見を盛り込み改訂したものです。マグニチュード(M)9クラスの超巨大地震は、津波堆積物の痕跡から過去3000年の間に5回発生したとして、平均発生間隔を550年~600年としました。そして震災から8年しか経っていない為、確率はほぼ0%としました。しかし東北地方太平洋沖地震以外の場所での超巨大地震発生の可能性は否定できないとして、その確率は不明としました。

青森県東方沖及び岩手県沖北部で発生するM7.9程度の巨大地震は「5~30%」、約9年に1回発生している規模がひとまわり小さいM7.0~7.5程度の地震は「90%程度以上」としました。ひとまわり小さい地震でも死傷者が出ることがあり、1994(平成6)年、M7.6の三陸はるか沖地震では3人、1945(昭和20)年、M7.1の地震では2人が亡くなりました。

一方、宮城県沖ではM7.9程度が2011年版のほぼ0%から「20%程度」に上昇しました。1793(寛政5)年の地震では岩手県中部から福島県沿岸まで2m~5mの津波が押し寄せ、44人以上が亡くなりました。1897(明治30)年の地震では、釜石で1.2m、盛で約3mの津波を記録しています。今回、新たに算出した宮城県沖でのM7.0~7.5程度の地震は「90%程度」としました。1923(大正12)年以降、6~7回、約13~15年に1回発生しています。これとは別に宮城県沖の陸寄りで、約38年毎周期で発生しているM7.4前後の、いわゆる宮城県沖地震は「50%程度」としました。震源域が陸寄りに特定されている為、1978(昭和53)年の宮城県沖地震のように28人が犠牲になる等、大きな被害を引き起こす恐れがあります。約44年に1回発生している福島県沖のM7.0~7.5程度の地震は前回の10%程度が「50%程度」に上昇しました。大震災があったので暫く大きな地震や津波は来ないとは考えず、備えが必要です。

 

IBCラジオPR
IBCワイドFM

513回「震災8年、仮設住宅は今」2019年3月9日OA

2019年03月09日 6:00 PM

震災から8年。県内で未だに仮設住宅、みなし仮設住宅に住んでいる方は、2月28日現在、1203世帯、2620人です。私は2012年秋から、デジカメを持って仮設住宅を訪れ、住民に今の気持ちや今後についてお聞きしています。震災を風化させたくないという思いで取材し、テレビのニュースエコー内で放送しているものです。3世帯の例をお伝えします。

陸前高田の80代の女性は、50代の長男、10代後半の孫2人と4人で暮らしています。津波では姪2人を失いました。仮設住宅の住民が減り、自分は残って暮らしている中「行く所が無いからいるだけ、早く行きたい。ここは狭くてダメ」と焦りを感じています。自宅再建予定の気仙町は土地の造成中で、転居は約1年半後です。引っ越しできたとしても、近所に、同世代で話しの合う人がいるかどうか、心配しています。「一番、年上も辛い」と、老いと向き合い、不安を抱えながら過ごす日々です。

山田町のスーパーの店長を務める30代の男性は仮設で1人暮らしです。復興事業が終盤を迎える中、町から工事関係者が減ってきています。復興が進むことは嬉しいものの、買い物客の数が減っていて複雑な思いです。父親は職場で被災し帰らぬ人になりました。「軽自動車ばかり乗っていた父に大きな車を買ってやりたかった」と親孝行できなかったことを後悔しています。年内に自宅を再建し、盛岡のみなし仮設であるアパートに暮らす60代の母親を呼び寄せる予定です。狭い仮設に置いている仏壇は小さく、あくまで仮です。家を建てれば大きな仏壇に納められます。「今まで待たせてゴメン」と亡き父に手を合わせます。

盛岡のみなし仮設に住む70代の女性は、80歳の夫と2人で暮らしています。彼女は陸前高田の自宅を津波で流されました。月が丘の災害公営住宅に申し込んだものの抽選で外れ、南青山町に整備される災害公営住宅への入居を希望しています。しかし建設予定地は未だ杉林。交通渋滞緩和など課題があり、木々の伐採は今年9月頃、着工が12月頃、完成は来年12月頃の予定です。「早く落ち着く所に落ち着きたい」と待ち疲れた様子です。盛岡で暮らして8年、同世代の仲間もできました。災害公営住宅に仲間を招き入れるのは、2年先になります。

 

512回「久慈のケルン」2019年3月2日OA

2019年03月02日 6:00 PM

「久慈市の記録」によりますと、2011年3月11日の東日本大震災では久慈市で震度5弱を観測。市内全域で停電と断水が相次ぎ、大津波警報が発表された約40分後、大津波が沿岸部を襲いました。漁港や工場、家屋などを呑み込み、4人が亡くなり2人が行方不明です。

震災の経験を後世に伝え復興のしるべに、と建立された石積みのモニュメントが長内町の久慈港を望む公園にあります。登山の道しるべとなる「ケルン」がモチーフの円錐形で、高さは10m、直径12m。海抜では14.5mとなり、久慈市を襲った最大の津波の高さと同じになります。コンクリートの基礎部分には、津波で壊れた防潮堤やケーソンなどのガレキが使われ、表面には大人が腰掛けられそうな大きさの石が壁のように積まれ空に伸びています。特徴的なのはケルン上部を斜めに貫く穴です。直径30センチのパイプが入っていて、地震が発生した日時の3月11日午後2時46分に太陽光が海側に差し込むようになっているのです。そして光の先、ケルンの海側には、高さ4m程のステンレスのアーチがあります。アーチには2本の紐を引いて鳴らす直径30センチのスウィングベルが取り付けられています。

ケルンを造ったのは「NPО法人岩手・久慈ケルンの会」です。6000人を超える人達と、250を超える市の内外の企業や団体の寄付により2014(平成26)年12月に形になったものです。私も足を運びましたが、ケルンは一目見たら忘れることのない巨大な石積みで、鐘の音と共に心に刻まれました。ケルンの銘板には、久慈に被害をもたらした明治と昭和の津波についても記されています。明治三陸津波は23mにも達し1031人が犠牲になり、昭和三陸津波は6.5m押し寄せ、死者行方不明者は22人です。そして今回の東日本大震災と、悲劇が繰り返されています。副会長の坂本治雄(さかもとはるお)さんは「『ここより下に家を建てるな』と石碑がある宮古市重茂の集落が、震災でも津波の被害を免れたことを報道で知り、石碑の建立を思いついた。後世の為に教訓を残したい」と、津波で命を失うことのない久慈の未来を願っていました。

511回「スクラムかみへい住宅」2019年2月23日OA

2019年02月23日 6:00 PM

「『スクラムかみへい住宅』7年の記録」を拝読しました。東日本大震災で被災した人達の住宅再建の為、釜石市、大槌町、遠野市の工務店、設計事務所約30社に加え、森林組合や建築業協会等の木造住宅に関わる事業者や団体が2011年11月「上閉伊地域復興住宅協議会」を結成しました。「スクラムかみへい住宅」と名付けられたプランは、2013年4月の第1号の上棟式以降、去年9月末までに45棟が完成し、11棟が設計・施工中の実績を挙げています。冊子は、沿岸地域の復興の為に2市1町が連携し、地域型住宅を造り続けてきた記録集です。

モットーは「地元の木材を活かし、地元の職人の手で、地元の皆さんに役立つ」。住宅は基本形を6タイプ揃え、壁間仕切りを自由に配置できる自由設計とし手頃な価格を目指しました。例えば子どものいる家庭を想定した間取りは総二階で、狭い土地を有効に使えるプランです。主要木材は釜石大槌地域産のスギ材を活用、1・2階合わせて約30坪で、システムキッチンなど設備を備えて税別1000万円と設定しました。通常、家を建てる際は、工務店などがプランを作成・提案し、施主と3、4回打ち合わせを重ねますが、モデルプランがあることで、工期を短縮しコストを抑えられるメリットがあります。入居者からは「『早く家族と広い所に住みたい』という願いが実現できて良かった」という声が多いそうです。活動を支援してきた慶應義塾大学先導研究センターの米田(よねだ)雅子特任教授は「『地域の森林資源を利用して、地域で木材加工、設計、施工を行い、住宅を再建する』ことは、住宅の再建と雇用創出の両方を担う重要な取り組みです。復興後も住宅のメンテナンスという仕事を継続することが期待されます」と、まさに地域経済牽引のスクラムと強調します。

上閉伊地域復興住宅協議会の特徴の一つは、事務局を釜石地方森林組合に置いたことでした。日本の林業では、木材産業と住宅産業との連携が課題で、木材や住宅の市場動向をあまり把握せずに、山から木を切り出す林業者が多いことが問題ということです。今回の取り組みは、森林、木材、住宅の新しい繋がりと作ったといえます。全国で自然災害が多発し、多くの仮設住宅が造られ、続いて復興住宅が自立再建されます。上閉伊地域復興住宅協議会の取り組みは、地域型復興住宅のモデルの先例となりそうです。

 

509回「被災地支援チェックリスト1」2019年2月9日OA

2019年02月09日 6:00 PM

今日は、災害が起こる前から知識の備えにしてほしい「被災地支援チェックリスト」についてです。静岡県弁護士会が作成したもので、静岡市の弁護士、永野海(ながのかい)さんのHPに掲載されています。A4で印刷後、点線に沿って切ったり折ったりすると、ポケットサイズになります。

リストは、まず「災害時特有の問題を知りたい」「お金の支援制度」など、フローに沿ってチェックします。「災害時特有の制度・問題」については「り災証明書とは」「応急危険度判定とは」「権利証や健康保険証などの紛失」「境界標や石垣の基礎部分について」「運転免許証の有効期間延長」「廃車手続」に分かれています。この内、「り災証明書」では、「市町村が発行窓口となる地震・水害等による家屋被害の程度(全壊・大規模半壊・半壊・一部損壊)を証明するもの。各種支援金、税の減免、融資申請等に必要です。被害証明のために可能なら屋内外の写真をたくさん残しましょう」とあります。もしカメラが手元に無かったとしても、身近な人にお願いして記録しておくことが大切なようです。又、「応急危険度判定」では、「余震等の二次被害防止のため、緊急に建物の危険性等をチェックするもの。危険(赤)、要注意(黄)、調査済(緑)のステッカーが貼られます。り災証明書のための被害認定とは異なる制度です。危険(赤)=全壊認定ではありません」ということです。応急危険度判定は、建築物が安全に使用できるか否かについて応急的に判定するものであり、建築物の資産価値的な面を調査する「り災証明」のための被害調査では無いことに注意が必要です。又、「権利証や健康保険証などの紛失」について「不動産の権利証、預金通帳、実印などを紛失しても権利を失うことはありません。預貯金については金融機関にご相談を。また、健康保険証が手元になくても、氏名、生年月日等を医療機関に伝えれば保険診療を受けることができます」とあり、覚えておいた方が良さそうです。

この「被災地支援チェックリスト」は、去年夏の西日本豪雨の被災地で、地元ラジオ局がリストに掲載された支援内容を読み上げて被災者に伝え役立てられた、とのことです。この情報は「被災地支援チェックリスト」で検索すると御覧になれます。

506回「島原大変肥後迷惑」2019年1月19日OA

2019年01月19日 6:00 PM

去年12月22日、インドネシア・ジャワ島とスマトラ島の間にあるスンダ海峡で起きた津波で死者・行方不明者430人以上という大惨事となりました。この津波に関して、国土地理院は衛星による画像分析で「噴火した火山島アナク・クラカタウの2キロ四方の南西部が崩壊したと考えられる」と発表しました。このことから津波の原因は、山の一部が海に崩れ落ち発生した可能性があります。

このような津波は過去に日本でも起きています。今から227年前に発生した普賢岳噴火と眉山(まゆやま)山体崩壊です。日本の歴史上最大の火山災害で「島原大変肥後迷惑」と呼ばれています。国土交通省・九州地方整備局・雲仙復興事務所の資料によりますと、1792年5月21日、長崎県島原城下町背後にそびえる眉山の東側が大きく崩れました。普賢岳の噴火活動中に起きた地震により引き起こされたもので、山体崩壊により大量の土砂が有明海に流れ込み、大きな津波をもたらしました。津波は有明海沿岸の村々を襲い、約1万5000人の方が亡くなりました。「島原大変」の「大変」は大事件という意味で、東の対岸・熊本で起きた津波被害を「肥後迷惑」と呼んでいるのです。

津波は夜8時から8時半頃に発生し、熊本県側の海岸に第1波が達したのはその20分後の8時半から9時頃とみられています。この日の夜は新月で真っ暗だった為、住民はどんな現象が起きたか判断できませんでした。しかも有明海の満潮と重なり、通常の平均海面より193センチも高かったとことから、被害が拡大しました。津波の遡上高は場所によっては20~50mに達したと伝えられ、島原半島側では約1万人、熊本県側では約5000人が、津波に流されたり、土砂に埋まったりして命を落としました。集落毎の死者行方不明者数は、島原城下が5251人と最も多かったといわれています。山体崩壊が起こる前の月の4月21日から25日にかけて強い揺れが頻発し、多くの住民が避難したものの、地震活動が小康状態になり、避難場所から戻っていたことが大きいと考えられています。火山活動は山体崩壊、火砕流、溶岩流、土石流や津波など、様々な現象を引き起こします。火山と共生する為には、過去の歴史を知ることが重要なのです。

501回「未来へのきずな2」2018年12月15日OA

2018年12月15日 6:00 PM

前回に続いて、みやぎ防災教育副読本「未来へのきずな」についてです。気象庁のHP内に開設された「防災教育に使える副教材、副読本ポータルサイト」にリンクが貼られています。東日本大震災を経験した宮城県の子ども達が、防災について考え、行動し、きずなを大切にしていけることを願って作成されたものです。

高校生向けの教材「災害から命を守る情報収集」のページでは、災害時、適切な避難行動をとれない心理的傾向について解説しています。東日本大震災の被災3県、岩手、宮城、福島の沿岸部では、大地震の揺れで助かったにも関わらず、高台に避難せず津波で命を失ったり、助かった人達の中にもすぐに避難せず津波に巻き込まれたりした人がいました。地震の揺れが収まった後の行動を調べてみると、57%の人は揺れの直後に避難しましたが、42%の人はすぐに避難しなかったことが分かりました。

教材では、適切な避難行動を妨げる心理は、考えや意見に隔たりを生じさせる「バイアス」が関係していて、「正常性バイアス」「楽観主義バイアス」「多数派同調バイアス」の3つがあると指摘します。「正常性バイアス」は、異常事態に遭遇した時、なるべく正常であると解釈しようとする傾向のことです。『どうせこんなことは起こるはずがない』『信じられない』と自分にとって都合の悪い情報を無視したり、目の前に起きていることを過小評価したりしてしまい、何かの間違いだと思ってしまうのです。「楽観主義バイアス」は、できるだけ楽観的に解釈しようとする傾向のことです。異常事態に遭遇しても『いつもと変わらない』『自分だけは大丈夫』と自分の身に降りかかることは少ない、楽観的な側面から見ようとしてしまうのです。「多数派同調性バイアス」は、どうしていいかわからない時、他の人と同じ行動をとったり、迷った時は周囲の人の動きを探りながら行動をとったりすることが安全だと考える傾向のことです。『みんながそうしているから』『他の人も逃げていないから』と、とりあえず周りに合わせようとするのです。このような心理状態に陥ることを平時に理解し、いざという時、冷静に適切な避難行動をとれるように意識しましょう。

497回「同行避難」2018年11月17日OA

2018年11月17日 6:00 PM

今日は災害時、ペットと一緒に避難する「同行避難」についてです。環境省「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」によりますと、災害時にペットを守る為には、まず飼い主が無事でいること、そしてペットの安全に配慮することが大切としています。屋外で飼っている場合、地震の時に破損しやすいブロック塀やガラス窓が近くにないかチェックする他、揺れに驚いて逃げ出すことがないよう、首輪や鎖が外れたり切れたりしていないか、加えてケージや囲いに隙間がないか確かめましょう。室内では、ペットが普段いる場所で、家具が倒れたり、物が落下したりしないか確認しましょう。過去の災害では、室内飼いの小型犬や完全室内飼いの猫でも、パニックになって開いた扉から逃げ出したり、地震等で倒壊した壁の隙間から外に出て行方不明になったりした事例が多数報告されています。室内飼いでも常に首輪や迷子札をつけることが必要です。

次に避難所でのペットの飼育についてです。ケージやキャリーバックに慣らしておくこと、人や動物を怖がったり、むやみに吠えたりしないこと、決められた場所で排泄できるようにしつけましょう。他人への迷惑を防止すると共に、ペット自身のストレスも軽減されます。又、避難所や動物救護施設では、ペットの免疫力が低下したり、他の動物との接触が多くなったりします。普段からペットの健康管理に注意し、予防接種等、ペットの健康、衛生状態を確保する他、不必要な繁殖を防止する為、不妊・去勢手術を実施しておくことが大事です。東日本大震災の初期には、ペット用の救援物資を運ぶ車両が緊急車両として認められず、ガソリン不足も加わり、救援物資がすぐに届かなかった事例がありました。避難所でのペットに対する備えは基本的に飼い主の責任です。療法食や薬、フードや水を5日分以上、食器、トイレ用品、ケージの補修などで使うガムテープを準備しておきましょう。

飼い主は予め避難所にペットを連れて行く際の注意事項を自治体に確認する他、地域の災害対策の会合や防災訓練で、避難方法を話し合っておきましょう。避難所以外にも、親戚や友人など、ペットの一時預け先を探しておくと安心です。災害時にペットの命を守り、避難後、トラブルにならない為には、日頃からの準備が肝要です。

 

496回「警視庁ツイッター」2018年11月10日OA

2018年11月10日 6:00 PM

今日は警視庁警備部災害対策課のツイッターについてです。いざという時に役立つ防災情報を発信していて、2013(平成15)年から始め、今ではフォロワーと呼ばれる登録者が76万人を突破する人気ぶりです。今年の情報からいくつかピックアップしてみます。絆創膏に関する2つのツイートで、1つ目は9月4日の「剥がれにくい貼り方」。粘着部両端の真ん中に切れ目を入れます。例えば手の指をケガした際、患部に当てた後、切れ目を交差させて貼ると、普通に貼るより剥がれにくいというものです。2つ目は6月28日の「靴底に貼り滑りにくくする方法」。両方の靴底の爪先とかかとに絆創膏を貼るだけで、雨に濡れた路面で滑りにくくなるというものです。投稿者は「水に濡れるとすぐに剥がれそうですが先日やってみたところ1日履いても剥がれませんでした」とコメントしています。紹介した2つの知恵は覚えておくと役立ちそうです。

日頃の備えで使えるのが2月28日にツイートされた、光を蓄える「蓄光テープ」です。投稿者の自宅でブレーカーが落ち、家族が「懐中電灯の場所が分からない」と慌てた経験から備えたものです。蓄光テープを懐中電灯の他、ドアノブ、非常用持ち出し袋がある場所等に貼ったところ、思った以上に暗闇で光り、安心に繋がったそうです。確かに手の届くところにあったとしても、暗闇で懐中電灯を探すのは大変です。シンプルな方法で、参考になります。

その他、プルトップ型ではない「缶詰」を、道具を使わず開ける方法が10月16日に掲載されていました。蓋の縁をコンクリートやアスファルトに円を描くようにこすりつけるというもので、構造上、蓋の接合部分が削れると開けられるからなそうです。蓋を取る際、砂等が入らないよう気をつける必要があります。又、5月31日のツイートでは、「瓶の蓋」が開かず困った際、瓶を逆さにして置き、底を掌で叩く方法が紹介されています。振動により、瓶と蓋の間に空気が入り、開けやすくなるからなそうです。瓶が割れたり、手を痛めたりしないよう注意が必要ですが、こちらも試してみたくなります。防災のプロが発信する警視庁のツイッターは「警視庁警備部 災害」で検索すると御覧になれます。

 

495回「いのちの石碑」2018年11月3日OA

2018年11月03日 6:00 PM

先月はじめ、宮城県女川町を訪問した際、「いのちの石碑」を拝見しました。町の北側、女川湾から離れた高台にある女川中学校。眼下には集合住宅を建設する槌音が響いていました。白い4階建て校舎の前には2013(平成25)年11月に建立された石碑がありました。高い所で2m、幅1.3m、厚さ15センチで、「女川いのちの石碑 千年後の命を守るために」と刻まれています。

考案したのは、小学校の卒業式を目前に被災した子供たちでした。千年に一度といわれる大震災から1か月後、中学校に入学。彼らは社会科の授業をきっかけに「千年後の人々にこんな悲しく、辛い想いをさせたくない」と考え、町にある21の浜の津波到達地点よりも高い所に石碑を建てようと計画したのです。町内各地や修学旅行先で募金活動を行い建立し、現在、19基になりました。形状はどれも右上側が高く、左が低くなっています。これは鎌倉時代初期に建てられた、災害で亡くなった人を供養する碑と同じ形です。歴史が好きで、母と祖父母を津波で失った生徒の意見が採用されました。訪ねた3つの石碑には、それぞれ異なった俳句が彫られていました。女川中学校では「夢だけは 壊せなかった 大震災」。宮ケ崎地区の神社の境内にある石碑には「ただいまと 聞きたい声が 聞こえない」。鷲神浜地区の石碑は、東に美しく青い海が見える坂の途中にあり「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」。

子ども達は、現在、大学生や社会人になり、来年1月、成人式を迎えます。保護者代表の山下由希子さんは「親というより一町民として、彼らの行動がなかったら前を向けなかったと思います」と明かします。東日本大震災で女川町は14.8mの大津波に襲われ、当時の人口約1万人の内、574人が犠牲になりました。山下さんは「着ている服以外、全てを一瞬で流されました。大人は食べるだけ、今を生きるだけで、明日のことは考えられませんでした。しかし彼らはその先を見て語ってくれました。『この町に未来があるんだ』と思えました」と、自分達の背中を押し、支え、力をもらえた当時を振り返ります。この後20基目、そして最終目標の21基目は、宅地の造成が終わり次第、建てられるとのことです。いのちの石碑は、津波避難の目印として、町の復興を見つめ続けます。

もっと読む