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津波の記事一覧

684回「陸前高田の震災語り部」2022年6月25日OA

2022年06月25日 6:00 PM

今日は陸前高田市で震災体験を語り継いでいる「釘子明(くぎこあきら)」さん(63)についてです。陸前高田で生まれ育った釘子さんは高田町内にあった自宅を東日本大震災の津波で失いました。発災後は、陸前高田市立第一中学校の体育館に避難しました。24歳から30年間、岩手や宮城のホテルに勤め、宿泊客の安全を第一に行動していた経験から、避難所では業務部門の責任者として組織作りや運営に奔走しました。その後「全国からの支援に応えたい」「自然災害から命を守ってほしい」と2013年から被災地ガイドや全国での講演で語り部活動を始めました。これまで釘子さんの話に耳を傾けた方は5万5000人に上ります。
2014年の年間約1万2000人をピークに年々、参加者が減少しました。釘子さんは観光客に防災に関心を持ってもらおうと、陸前高田市の歩みを伝える写真展を開催しました。自ら撮影した写真は、震災前の高田松原から震災直後の被災の様子、困難を乗り越えて開催した祭りを喜ぶ人々の姿などで、まちの移り変わりを切り取ってきました。仮設住宅での生活後、2016年5月、高田町に事務所兼自宅を再建。30人程入れるスペースには大型スクリーンを設置し、陸前高田の写真を映しながら体験を伝えました。写真展が軌道に乗ったものの、今度は新型コロナが猛威を振るいます。ここ2年は陸前高田を訪れる人も激減し、語り部活動参加者は年間1000人を割るようになりました。そこで最近はリモートを活用した講演会を通じ、災害への備えを呼びかけています。
釘子さんが一貫して伝え続けていることが3つあります。1つ目は「避難所に行ったことがありますか」、2つ目は「避難所にはどんな備蓄、設備があるのか知っていますか」、3つ目は「避難所は本当に安全な場所か真剣に考えたことがありますか」。市が指定した避難所である市民体育館で多くの人命が失われたことから、行政だけではなく、市民も日頃から避難所に関心を持つことが必要だと考えているからです。『まず避難所を見直すこと。それが愛する人、大切な人達の命を守ることになる…』。次の災害に直面した時、自分たちの震災体験を生かしてほしい。釘子さんは、コロナ禍の終息を願いながら、被災地からのメッセージを発信し続けています。

683回「陸前高田移住者の思い3」2022年6月13日OA

2022年06月18日 6:00 PM

今日は愛知県瀬戸市出身の男性にスポットを当てます。太田海(かい)さん(24)は、名古屋市にある名城大学を卒業後、2020年4月に陸前高田市に移住しました。市内の津波の最大到達地点に桜を植樹し並木で繋ぐ、NPO法人「桜ライン311」の活動に参加する為です。
陸前高田市との関わりは大学2年生の時に参加した図書館再生のサークル活動がきっかけでした。初めて陸前高田市を訪れたのはその年の夏。震災から7年以上経っても重機やトラックによる盛り土の最中で、復興工事は想像以上に進んでおらず、衝撃を受けました。そして震災のことを知る為、桜ライン311の岡本翔馬代表に出会います。語り部や石碑ではないオリジナルな取り組みで、しかも陸前高田という地域に特化していることに心を大きく動かされ4年生の夏、1か月インターンシップに参加します。大学に戻る際『又、帰ってこいよ』という声が嬉しくて「帰る場所ができた」と実感。卒業後はそのまま就職しました。現在はSNS等を活用した広報活動を行っています。趣味はランニング。海辺や山間は走りやすく、自分らしく生活できる場所と感じています。太田さんは他県から来た移住者というより「陸前高田市の一市民として生活したい」と言い、移り住む人がいたら受け入れる側に立ちたいと考えています。
桜ライン311の活動は道半ばです。市内の津波到達地点を線で結ぶと約170キロ。10m間隔で桜を植えていくと合計1万7000本の並木になります。震災から11年経った現在、1978本。まだ12%未満です。土地の所有者に許可を得ての植樹は『津波を思い出す』『心の整理がつかない』方もいて、時間がかかる取り組みです。しかし太田さんは、震災の伝承は地域全体で行うべきと考えていて、桜を植える意味を、親から子、子から孫、更にその先に伝えることこそ大切と訴えます。
来月は母校の名城大学で防災に関する講演会講師を務めます。例え震災を経験していなくても、若い世代が伝えていかなければならないと引き受け、災害が起こった際「生き残る」「大切な人を守れるように」と思いを伝えるつもりです。太田さんは陸前高田市民として、未来の命を守る活動をこれからも続けます。

681回「首都直下地震の新たな被害想定」2022年6月4日OA

2022年06月07日 8:38 AM

今日は10年ぶりに見直し、東京都が公表した首都直下地震の被害想定についてです。震源の位置が異なる地震をシミュレーションしたところ、最も被害が大きいのは、マグニチュード7.3の「都心南部直下地震」で最大震度7に達しました。また23区全域の6割が震度6強以上の揺れに見舞われるとしました。建物の耐震化や不燃化が進んだことで、都内の死者は2012年の想定から3500人減り最大6100人。建物被害は3割以上減り19万4000棟と算出されました。又、マグニチュード7.3の「多摩東部直下地震」では、震度6強以上のエリアが約2割に上る多摩地域に大きな被害が想定されています。死者は4900人、建物被害は16万1000棟としています。
今回の報告書では、発災後の被災者の状況が時系列で示されました。当面は生活に大きな支障が生じる恐れがあります。液状化地域では住まいが傾き生活が困難になります。長周期地震動により、固定されていない本棚が倒れたり、家具、ピアノ、コピー機等が大きく移動し人に直撃したりする恐れがあります。本や食器、窓ガラスが飛散し、ストーブ等が転倒します。ライフライン毎に見ていくと、広い範囲で停電が発生、計画停電が実施される可能性があります。停電で住宅のエレベーターが停止します。断水し下水利用が制限され、排水管等の修理が終了するまで集合住宅では、水道供給が再開されてもトイレが使えなくなります。各家庭のガスは震度5弱以上で自動遮断。通信網が渋滞し音声通話が繋がりにくく、メールやSNS等の送受信が大幅に遅れる他、携帯基地局の電源が無くなり不通エリアが拡大します。鉄道は点検や被災により都内のJR在来線、私鉄、地下鉄が運行停止。新幹線も運行を停止し、都外から来た方も帰宅が困難となります。道路寸断や交通規制、渋滞により、バス等の代替交通による移動も難しくなります。道路は一般車両の通行が規制され、ガソリンスタンドは当面給油不能か長蛇の列ができる想定です。被害が甚大な場合は、これらの復旧が長期化する恐れがあります。東京都は、建物の耐震化を進めることで被害を大幅に減らすことができるとしていて、地域防災計画を修正、必要な対策を強力に推進し、防災力の向上を図ることにしています。
今回取り上げた2つの大地震の発生確率は30年以内70%と切迫しています。首都圏は家族や親戚、友人・知人が住んでいたり、出張や旅行で行ったりするということもあるかと思います。災害から身を守り、冷静に行動できるよう、まずはこのような想定を知ることが大切です。

676回「噴火津波の情報発信」2022年4月30日OA

2022年04月30日 6:00 PM

気象庁は今月、トンガ沖の大規模噴火に伴う津波のメカニズムに関する報告書を公表しました。この噴火は日本時間1月15日午後1時頃に発生。日本では約7時間後に小笠原諸島の父島や千葉県勝浦市などで第一波を観測しました。気象庁は16日午前0時15分に鹿児島県の奄美群島・トカラ列島に、午前2時54分に岩手県に津波警報を発表しました。県内では未明から朝にかけて久慈港で1メートル10センチ、宮古と釜石で40センチ、大船渡で30センチの津波を観測しました。噴火後に観測された潮位変化は、津波の伝わる速度から予想される到達時刻より数時間早く観測される等、通常の津波とは異なる性質でした。津波の発表に時間がかかり内容も不十分だった為、2月から有識者を交えた「津波予測技術に関する勉強会」を開き、議論を重ねていました。
気象庁は、今回のメカニズムについて「噴火により急激に大気が膨らみ、気圧の変化が生じて広がる気圧波と呼ばれる空気の振動が発生。海面に伝わり、又、地形の影響による増幅など複合的な要因で発生したと考えられる」としています。今回と同様の噴火に伴う津波の予測可能性について「噴火により気圧変化がどれだけ発生するか予測することは困難」「潮位変化が発生する可能性を判断することは可能」又「潮位変化が発生する時刻については、大気波の伝わる速度を仮定して、最も早く到達した場合の時刻を予測するのが一つの方法」としています。
そして当面の対応として、海外で大規模噴火が発生したり、大規模噴火後に日本へ津波の伝わる経路上にある海外での潮位観測点で潮位変化が観測されたりした場合、「遠地地震に関する情報」によって、潮位変化が観測される可能性を知らせることにしました。加えて大規模噴火により発生した気圧波が秒速310mで伝わり潮位を変化させたと想定して到達時刻を予想し、情報文としては「この噴火に伴って通常とは異なる津波が発生して日本へ到達する場合、到達予想時刻は早いところ〇〇地域で、〇〇日〇〇時〇〇分頃です。予想される津波の高さは不明です」というイメージで発表することにしています。この情報は、実際、3月8日のパプアニューギニアの火山噴火の際、運用・発表されました。予測が難しい自然災害から命を守る為には、早めの避難しかありません。

675回「陸前高田移住者の思い2」2022年4月23日OA

2022年04月23日 6:00 PM

東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙町の商業施設「陸前高田 発酵パーク CAMOCY(カモシー)」。震災前、醤油や味噌の醸造店が集まっていた今泉地区の賑わいを取り戻そうと、発酵をテーマに2020年12月にオープンしました。食堂やビールの醸造所など8つの店舗が入居しています。建物入ってすぐ左手にあるのが市内で初めての本格的パン専門店「ベーカリー・マーロ」です。
店長の塚原涼子さん(36)を訪ねました。福島県郡山市出身の彼女は社会人として始めは保険会社の営業をしていました。しかし「手に職をつけたい」「食べるのが好き」「空間を自分で作れる場所で働けたら」とパン職人の道に入りました。千葉県松戸市の有名パン店などで7年間修業。カモシーオープンを機に店主に請われました。以前、勤めていた店が震災後、避難所でパンを配り高田と交流を深めたことがきっかけでした。それまで高田と縁がなく、しかも震災当時、都心にいた塚原さんは「被災地に自分は寄り添えない」と感じ復興に向き合うと重い気持ちになりました。しかし「新しいことをする楽しそうな場所」「ボランティアの方と情熱が違う。違う方向で盛り上げられたら」と気持ちを切り替え陸前高田に居を移しました。
現在パン作りスタッフ4人、販売3人の交代制。塚原さんは、共に働く地元のスタッフに震災のことを深く聞くことはありませんが「これからが充実した生活になれば。その形なら協力できる」と静かに語ります。そして陸前高田で焼き立てを届ける思いについて「パンは生鮮食品というイメージを持ってほしい。コンパクトなまちで、地元の農家と関係を築き、そこで獲れた野菜や果物も使いフレッシュな美味しさを」と説明します。店頭に並ぶパンは約20種類。一番人気の「食パン」は国産小麦を使いモッチリ感があり、毎日食べても飽きないよう砂糖やバターは使い過ぎないようにしています。この他八木澤商店の醤油や味噌を使ったパン、地元の人の要望で「クロワッサン」「バゲットなどハード系のパン」も揃えています。平日は気仙沼や大船渡から、休日は盛岡など内陸から買い物客が訪れる人気店です。しかし塚原さんは「車を運転しない市内の人にも、もっと広められれば」と考えていて、パンの他、カモシーの商品を車に積み、移動販売ができればと夢を描いています。塚原さんたちが作った焼きたてパンは、明日も店頭に並び、来店者を笑顔にします。

674回「陸前高田移住者の思い1」2022年4月16日OA

2022年04月16日 6:00 PM

先日、中心市街地活性化を目的に作られた「陸前高田ほんまる株式会社」の種坂奈保子(たねさかなおこ)さん(36)を訪ねました。種坂さんは、まちの中心にある公園や施設を使ってマルシェなどイベントを企画したり、商店街組合のメンバーと共に買い物マップを作ったりして、地域の魅力を発信しています。
愛知県出身の種坂さんは、2007年、大学3年生の夏休みに2か月かけ全国を旅しました。陸前高田市には偶々立ち寄り「気仙町けんか七夕」を楽しみ、まつりの後、消防団屯所でBBQをするなど地元の人と触れ合う機会になりました。
そしてその4年後、2011年3月11日、東日本大震災が発生。陸前高田市が甚大な被害に遭ったと知り、高田の人達を案じました。当時、職を探していたタイミングだったこともあり、3月末、宮城県石巻市のボランティア団体に属し高田に入りました。そして11月、仮設の商店街「陸前高田未来商店街」を立ち上げる仕事を見つけ移住しました。商店街事務局ではSNSを活用し現状を発信しました。ネット上には震災前の情報しかなく「家も店舗も失い二重ローンに苦しむ商店主の現状が全国に伝わっていない」「当事者が『辛いです』とは言いにくい」と思い始めたもので、人、物資、金銭面で支援が集まり手ごたえを感じました。種坂さんの関心は次第にまちづくりに移ります。商店主は商売だけではなく「まちに遊びに来て、散歩する、公園のようなものが欲しい」といった地域のことを深く考えていることに心動かされたからです。「この人達を応援することが、まちを作っていることになる。この人達が発信できないことに力を注ぎたい」「このまちができる所を見たい」というのが現在の活動の原動力です。2017年4月、まちの中心部にアバッセたかたがオープン。震災から11年経った今になって再開する店もあり、周辺に100店舗程できました。
山も海もないまちで育った種坂さんにとって高田は「ニンジンを収穫したり、週末にキャンプをしたりと、旅行に行かないとできないことが身近に体験できる」と新鮮に映ります。地元の人と結婚し、2019年10月には女の子を授かりました。娘さんが「将来、大きくなった時、自慢できるまちに。地元が好きになってほしい」と未来を見つめます。種坂さんは、これからも一市民として、ずっとワクワクできるまちづくりのサポートをし続けます。

673回「県最大クラス津波浸水想定」2022年4月9日OA

2022年04月09日 6:00 PM

県は先月29日、巨大地震に伴う最大クラスの津波が発生した場合の沿岸部の浸水想定を公表しました。津波対策には2つのレベルを想定する必要があります。L1は比較的頻度の高い津波です。数十年から百数十年に一度程度で到達し、津波の高さは低いものの大きな被害をもたらします。防潮堤はこのL1の津波を目安として設計されています。L2は最大クラスの津波です。数百年から千年に一度程度で到達し、発生すれば甚大な被害をもたらします。今回は、避難を中心とした対策が重視されるこのL2の津波の浸水想定が検討されたものです。具体的には、日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震に加え、東日本大震災、明治三陸大津波、昭和三陸大津波といった県内で過去に起きた最大クラスの津波の浸水範囲も算定の参考としています。2020年度末までに震災復興で整備した防潮堤が全て破壊された想定ですが、「何としても人命を守る」という考えの下、避難を中心とした津波防災地域づくりを進めるためのものであり、津波による災害や被害の発生範囲を決定するものではないことに注意が必要です。
沿岸12市町村に24ある海岸地域の想定では、宮古市の宮古湾より北側で日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震・津波の影響が東日本大震災よりも大きくなっています。第一波の到達時間は14分~36分と推計し、最も早いのは宮古市の姉吉漁港でした。最大になる地点は宮古市の小堀内漁港で、地震発生から35分後に29.5メートルの津波が襲来すると想定されています。また、沿岸12市町村のうち洋野町や久慈市、大槌町、陸前高田市など9市町村は市役所や役場が浸水想定区域に含まれます。最大浸水深、つまり津波が陸上まで遡上し水面が最も高い位置に来た時、地面から水面までの高さは、釜石市役所9.06m、野田村役場7.78m、大槌町役場6.9m、久慈市役所6.85m、普代村役場4.53m、山田町役場3.55m、宮古市役所2.92m、洋野町役場1.9m、陸前高田市役所0.24mとなっています。
浸水想定は県のホームページで公開されています。国の対策を踏まえた被害想定について県は今年8月の公表を目指しています。

671回「震災デジタルプロジェクト鵜住居」2022年3月26日OA

2022年03月26日 6:00 PM

IBC岩手放送と岩手日報社は今月9日、震災デジタルプロジェクトとして共同制作した特設サイト「鵜住居~UNOSUMAI」を両社のホームページで公開しました。去年4月から、ラジオ番組「デジタルニュース・ラボ」では、釜石市鵜住居町出身の前川晶(あき)記者が定期的に出演し、ふるさとの新聞特集記事を取り上げ、震災後のまちと人の姿を、新聞・放送だけではなく、多様なデジタルコンテンツとして発信してきました。今回の特設サイトはその集大成となるもので、「鵜住居」という一つのまちに焦点を当て制作されました。震災以前の住民の営みや、まちに残る震災の教訓を風化させずにデジタルデータとして残していくことが狙いです。
市の北側に位置し、大槌湾と両石湾に面した「鵜住居(うのすまい)」は東日本大震災の津波で市の中でも特に大きな被害を受けた地域です。死者・行方不明者は釜石全体の半数を超える580人にのぼり、地区全体の住まいの約7割にあたる1668棟が被災しました。サイトは3Dのデジタルマップ「触れる思い出、まちの記憶」、住民の避難行動などを振り返る「あの日、そしてあの日から」、前川記者と弦間アナが鵜住居を巡る「11年目、ふるさとを歩く」など6つの項目で構成されています。マップには震災後、まちの復元模型=ジオラマに残された住民の思い出やエピソードが散りばめられています。例えば釜石東中学校のピンをクリックすると「部活中、ランニングしてきますと嘘ついて海パンをはいて根浜まで行って泳いでいた」などエピソードが現れ、震災前のまちの様子が目の前にあるように伝わってきます。「あの日、そしてあの日から」の中の「釜石の出来事」では、当時の児童・生徒の避難行動を証言を元に再現し、一方で当日学校を休んでいた児童1人、生徒1人、そして保護者に引き渡された児童1人が津波の犠牲になり、小学校に1人残った事務職員も行方不明になったその「出来事」も忘れてはならない、と結んでいます。又、祖父母が鵜住居地区防災センターに避難して命を落とした前川記者。「ふるさとを歩く」では自身とふるさとを繋ぐ、今は亡き祖父母を見つめる内容になっています。
震災から11年が経ち、震災を知らない、記憶にない子供たちが多くなっています。その中、地元の新聞社と放送局が手を携え、従来の伝え方とは違うデジタルコンテンツを通じて、特に若い世代への震災伝承・継承につなげていく取り組みは、IBC、岩手日報社の各ホームページから御覧ください。

668回「田老の商店主の現状」2020年3月5日OA

2022年03月05日 6:00 PM

宮古市田老、三陸鉄道リアス線の田老駅近くにある「林本酒店」を訪ねました。店主の林本卓男さん(74)は昭和10年代に創業した米や雑貨を扱う店の3代目です。1933年に田老を襲った津波では祖父母も両親も全財産を流されました。そして2011年3月11日。住まいを兼ねた店は、東日本大震災の津波で流されました。家族は無事でした。林本さんは避難していて津波そのものは目にしていません。警報が解除され自宅に戻ると「家が無くなって、市街地が無くなって、破壊されてしまった。言葉も涙も出なく茫然としてしまった」と当時を振り返ります。市が災害危険区域に指定した為、住居は建てられません。仮設住宅で暮らした後、2016年11月、震災後に整備された三王団地に家を再建しました。同じ年の6月、流された場所には店のみ構えました。
1年目、2年目、3年目と売上は伸び震災前の半分を超えるようになりましたが、その後、新型コロナウイスルの蔓延が経営を直撃しました。宿泊施設や飲食店に卸していた業務用の米や酒類の売上が大きく落ち込んでいるのです。震災以前、駅前を中心に80~90世帯の家が建ち並び、地域で商いをしていましたが、今はその住宅街もありません。震災から11年経ち付き合いのあった客は、高齢化や転出により次第に利用が無くなり、売上は減るばかりです。2人の娘は仙台で仕事を見つけ暮らしていて、店の後継者もいなく、展望が開けないのが現状です。
林本さんの現在の住まいは高台にあり「自宅が避難所みたいな安心感はある」と語りつつ、日中、家を離れた時は「いつ、どこで、津波の注意報や警報が出るか」と不安を抱えています。政府の地震調査委員会は去年1月1日時点の評価として、30年以内に千島海溝で東日本大震災のようなM9クラスの地震が起きる確率は最大40%と算定。中央防災会議は、県内で最悪の場合、約3100人が命を落とす恐れがあるとしています。新たな脅威へ備える為、宮古市では住民を対象に説明会を開催し周知すると共に、ハザードマップの更新作業を進めています。

667回「震災で九死に一生を得た元消防士」2022年2月26日OA

2022年02月26日 6:00 PM

宮古市田老の国道沿いにある「はなや蕎麦たろう」。2015年にオープンし、田老産の蕎麦粉を使った十割蕎麦が人気の店です。店主の小林智恵子さんをサポートするのは、夫で元消防士の小林徳光さん(61)です。震災の津波で、小林さん家族は無事でしたが、親戚4人が命を落とし、この蕎麦屋の場所にあった自宅が流されました。店のすぐ前には蕎麦畑が広がります。震災後、お盆の頃に咲く蕎麦の白い花を川井で目にしたのがきっかけで栽培を始めました。震災で亡くなった人に「白い花を手向けたい」、そして震災を生き延びた人に「田老の海で育った昆布、田老の山で育った椎茸で、田老の一杯の蕎麦を提供したい」という思いからでした。
あの日、宮古消防署田老分署にいた小林さんは、震度5弱の揺れに遭遇。大津波警報が発令された中、署内で救急対応をしていると、分署長が「津波だ、逃げろ」と叫びました。しかし小林さんは避難を一瞬、躊躇しました。「大きな堤防が2つあって、その堤防を乗り越えてくる津波を想像できなかった」のです。そして外に出て小林さんが目にしたのは、道路の上を滑るように動くガレキとなった家の屋根でした。津波が迫ってきていたのです。近くにいた高齢男性の手を取り、高台の神社を目指し避難しましたが、たどり着く手前で津波に呑まれました。水中で体が回される中、フェンスにつかまり「このまま死ぬのかと思っていた頃、スーッと水が引いて呼吸ができ」同僚に引き上げられました。手から離れた男性や、水門に赴き殉職した同僚3人を振り返り「僕は生きてしまった。だからここに住んで、ここで生きていくしかない」と九死に一生を得た自分を見つめます。
震災から11年。防潮堤は、震災前の10mから14.7mの高さになり、田老のまちを守っています。しかし日本海溝の地震では約30mの津波が宮古を襲うという想定が出されています。小林さんは「前より大きな堤防ができて安心と言われると思いますが、これを越える津波が来ることも考えなければならない」と震災後、三陸を訪れる小中高校生を対象に防災学習を行っています。又防潮堤の役割について「ここがあることによって、逃げていく時間を稼げる場所という風に考えてもらえれば」と訴えます。津波が来たらとにかく高台へ逃げてほしい・・・津波に呑まれながら一命を取り留めた小林さんは、故郷から発信し続けます。

665回「末の松山」2022年2月12日OA

2022年02月12日 6:00 PM

和歌に詠まれてきた名所を「歌枕」と言います。松尾芭蕉は、1689年(元禄2年)江戸を旅立ち美濃国(みののくに)大垣に到着するまでの半年間、東北・北陸の名所旧跡や歌枕を訪ね、紀行文「おくのほそ道」を完成させました。多賀城市や、多賀城市観光協会によりますと、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」の内、多賀城市では3か所の歌枕が指定されています。その内の1つが「末の松山」です。八幡(やわた)の宝国寺裏手にある標高約8メートルの丘で、推定樹齢480年、樹高約19メートルの2本のクロマツがそびえています。8世紀から12世紀、平安時代の昔から「歌枕」として遠く都の人々にも知られてきました。大きな津波が襲っても「末の松山」を越えることはできないといういわれから、越すに越せない大きな存在を意味するようになったとされます。この大きな津波とは何を意味するのでしょうか。
東京大学出版会「歴史のなかの地震・噴火」によりますと、清少納言の父として知られる清原元輔(きよはらのもとすけ)の作歌(さっか)「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは」。10世紀後半に作られたと考えられるこの歌には本歌(ほんか)があります。「古今和歌集」の「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 波をこえなむ」。国文学者の河野幸夫(ゆきお)さんによりますと、「古今和歌集」の成立は905年(延喜5年)ですから、この歌は9世紀後半頃に詠まれた歌であることなどから、作者が貞観地震を経験していた可能性が大きい、と推測します。「貞観」とは、安倍貞任(あべのさだとう)の「貞」に観音様の「観」と書きます。国が編纂した歴史書「日本三代実録」には、869年(貞観11年)に起きた貞観地震は揺れが大きく、宮城県にあった多賀城の城郭が崩れ、人々は叫び合い、倒れて起き上がることができず、家屋が倒壊したと記録されています。又、津波による犠牲者は城下1000人程で、野原や道も全て青海原になったとも書かれています。宝国寺は仙台湾から内陸約2キロに位置し、東日本大震災では津波の被害は免れました。
平安時代、貞観地震の大津波により仙台平野が水没する中、難を逃れ衆目を集めた末の松山は、天地(あめつち)を鎮める祈りを込め、歌に詠まれたのかもしれません。

662回「海底火山噴火による津波」2022年1月22日OA

2022年01月22日 6:00 PM

気象庁は南太平洋の島国トンガ沖の海底火山噴火の影響で、16日午前0時15分、鹿児島県の奄美群島、トカラ列島に津波警報を出し、午前2時54分に岩手県も津波警報の対象地域に追加。深夜の出来事に緊張が走りました。午前11時20分に津波注意報に切り替えられ、午後2時に津波注意報も解除されました。県内では未明から朝にかけて久慈港で1メートル10センチ、宮古と釜石で40センチ、大船渡で30センチの津波を観測しました。県内で津波を観測したのは2016年11月22日、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震で、久慈港で80センチなど観測して以来です。避難所は沿岸12市町村に88か所開設され、最大で1346人が避難しました。県によりますと、大船渡市、陸前高田市、山田町では養殖施設など水産関係の被害が確認されました。漁業関係者は復旧作業を急いでいます。海底火山の噴火で起きた前例のないメカニズムによる潮位変化について、気象庁は日本の太平洋側に津波警報と津波注意報を発表しながら、記者会見で「津波」と明言しませんでした。会見では予想された時刻より早く海面の変化が生じたことなどを挙げ「潮位変化」だと繰り返し「メカニズムが分からない」「通常の津波とは異なる」と強調しました。一方、津波警報を出した理由について、防災対応を呼びかける為に、既存の仕組みを活用したと説明しました。気象庁は今回、異変をどう呼ぶかに苦慮しつつ、避難の呼びかけを優先させた形です。
そのメカニズムについて、東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授は、噴火による空気の振動「空振(くうしん)」により、気圧が急激に上がり、下に押された海面が元に戻ろうとして大きな潮位の変化を引き起こしたと分析しています。一般的には海底の地震により大量の海水が持ち上げられ、それが周りに伝わって津波となりますが、今回は噴火の衝撃が空気を通して海面に伝わり津波が起きたとみられているのです。また、ニュージーランドの専門家は過去の噴火で形成された「カルデラ」と呼ばれる巨大なくぼ地の一部が崩壊し、広い範囲に影響を及ぼす津波が発生した可能性があるとした上で、空気の振動による津波と合わせて「津波は2回発生したと考えられる」と指摘しました。今後の詳細な解析が待たれる今回の津波。メカニズム解明の如何に関わらず、命を守る為、最善の行動を取るべきことに変わりはありません。

661回「介護老人保健施設の備え」2022年1月15日OA

2022年01月15日 6:00 PM

陸前高田市高田町の高台にある介護老人保健施設「松原苑」を訪ねました。震災当時、松原苑には300人を超える利用者と職員がいました。利用者の大半は看護・介護が必要な80代から90代で、寝たきりの高齢者は88人いました。建物の窓枠は外れ、ガラスは割れ、天井が一部落ち、水道管も破裂し水浸しになり、職員が利用者を背負うなどして外へ避難しました。松原苑の利用者は全員無事でしたが、非番だった職員2人が犠牲になりました。
IBCは発災後、陸前高田市に入り松原苑を拠点に、変わり果てたまちの惨状をラジオやテレビで伝えました。当時、お世話になった松原苑の入澤美紀子看護部長に、その後の苑の備えについてお聞きしました。あの時、電気、ガス、水道といったライフラインは途絶し、わずかな非常食で救援を待っていました。食べ物の他、体を暖めるものが必要でした。震災後、倉庫で備蓄量を増やしたのが「使い切りカイロ」です。入澤さんは「身体機能の落ちている高齢者は寒がる方が多いので、体温を上げることを徹底しなければ」と語ります。
防災訓練で使用しているのがA4サイズのアクションカードです。災害関連の研修会で知り製作したもので、緑、黄色など色分けされ、首から提げて使用します。カードには看護部長用の他、消火班、救護班、誘導班などの種類があります。看護部長用は「1.災害情報を集める 苑内情報の把握、被害状況(職員、利用者、設備、機器)、ライフラインの稼働状況」など、誘導班は「1.誘導班長の指示を受ける 2.避難場所へ誘導、避難経路の確保・搬送 3.誘導完了の居室の扉を閉める」など、チェック事項が細かく記されています。チェック事項は常に見直しを行っています。カードはヘルメットやヘッドライトと共に1か所にまとめられていて、発災時、身に着けることで、自分の役割を確認しながら行動できます。これは「震災の時は不安の中で動いていました。アクションカードによって確信を持ちながら動く為です」と話しています。又、ラミネート加工されていることで、ペンで書き込んだり、消したりと記録が容易です。「あの日、メモもできない中、その後、当時のことを思い出すことが大変で、記録することの大切さを実感したから」ということです。松原苑ではあの日を教訓として備えと訓練が続けられています。

660回「日本海溝・千島海溝地震被害想定」2022年1月8日OA

2022年01月08日 6:00 PM

先月21日、政府は北海道から東北地方の太平洋沖にある日本海溝・千島海溝沿いで巨大地震が発生した場合の被害想定を公表しました。県内では最悪の場合約1万1千人が死亡するという想定です。これは内閣府の中央防災会議が取りまとめたもので、岩手県沖から北海道沖に続く日本海溝と、北海道から千島列島沖に続く千島海溝で発生するマグニチュード9クラスの巨大地震が対象です。この地震による津波の浸水想定は、一昨年9月に公表されました。宮古市では最大でおよそ30メートルの津波が押し寄せるとされ、東日本大震災を上回る高さまで浸水すると想定される市町村もあります。
被害が大きいのは日本海溝の地震です。寒さや雪などで避難に時間がかかる冬の深夜に津波が押し寄せた場合、早期に避難者する人が2割にとどまるケースでは、全国でおよそ19万9千人、県内では東日本大震災を超えるおよそ1万1千人が死亡する想定となっています。
ほとんどが津波による死者で、高台に避難した後も屋内に二次避難できなかった場合、寒さによって低体温症で亡くなるリスクが高まることも指摘されています。建物等は津波により約17000棟が全壊、又、液状化、揺れ、急傾斜地崩壊、火災により約1000棟が全壊すると想定されています。二之湯智(にのゆさとし)防災担当大臣は会見で、津波の早期避難を徹底すれば「死者数が8割減という想定になっていて、命を守る事を最重要課題にして取り組んでいきたい」と語っています。被害想定を議論する国のワーキンググループの委員を務める東北大学の今村文彦教授は、今回新たに示された低体温症のリスクについて「高台やビルの屋上などは低体温症の対応がまだ不足している部分があると思います。例えばブルーシートや毛布を備蓄倉庫の中や屋上などの避難場所で準備することで、十分対策ができます」と指摘しています。県は今後、市町村ごとの被害想定を取りまとめ、今年6月をめどに公表したいとしています。
今回の想定は、広域にわたり甚大な被害の恐れがありますが、対策を講じれば被害は減少する見込みです。地域全体で冷静に受け止め、避難訓練などを重ね1人でも被害を減らすよう取り組むことが肝要です。

658回「震災・沿岸市長村長の提言」2021年12月25日OA

2021年12月25日 6:00 PM

地域課題解決に取り組むNPО法人「岩手地域総合研究所」が発行した記録誌「東日本大震災・津波から10年~私たちの取り組み~」についてです。東日本大震災の教訓と復興の歩みを後世に伝えようというもので、沿岸の市町村長に震災時の救助活動や復興事業、現在の課題について尋ねたインタビューも掲載されています。
大船渡市の戸田公明市長は、速やかな復興の為『応急仮設住宅の建設地を事前に決定しておくことが大事です』と訴えます。又、浸水想定区域について住宅高台移転の事前実行を行う際、「差込型高台移転」を勧めています。市が行った既存集落の近くの空き地を利用して防災集団移転先を整備する方法で、工期が短く、工事費用が抑えられ、既存コミュニティが維持できるなどのメリットがあるから、ということです。
陸前高田市の戸羽太市長は、派遣された自衛隊の指揮の問題点を指摘しています。自衛隊は、客室に誰かが残っている可能性のあるホテルの取り壊しなど、市長の命令で動く仕組みになっていますが、市長は災害救助については素人で、自衛隊の技術・能力も把握していません。一番有効な手段を取る為のシステムを国全体で見直すべきと感じている、ということです。又、まちのかさ上げの選択肢は区画整理事業しかなく『制度上、3分の1から半分近くは空き地になってしまうのは初めから分かっていました』と語っています。公金を使う区画整理は手続きに時間がかかります。その間に、民間事業者が山を切り崩し、宅地を整備。区画整理を待てない人たちが自宅を再建したのです。区画整理後、元の家があった場所の近くに整備された土地を引き渡されても、既に家を建てています。用途が宅地に限定されているので、農地にすることもできず空き地になってしまう、というわけです。区画整理事業の空き地問題は、制度を考え直すことが必要と訴えます。加えて、例えば防災集団移転促進事業では、地元のことをよく知らない大臣の押印など無駄な手続きが多く時間がかかり『時限でいいので国や県が持っている許認可権を一段、落としてほしい』と現場への権限移譲を課題として挙げています。記録誌は600部発行され、県や各市町村の図書館に贈られ、読むことができます。

657回「新聞大会2」2021年12月18日OA

2021年12月18日 6:00 PM

前回に続いて先月、盛岡で開かれた新聞大会についてです。私は被災3県4紙記者座談会の司会を担当しました。
登壇者の内、福島民報社報道部副部長の鈴木仁(じん)さんは、原発事故の避難先で家族が体調を崩して亡くなる「原発関連死」について取り上げています。「福島県内で地震、津波による直接死は1605人で、関連死はそれを大きく上回る2331人に上っています。この1年で20人近く増えている現状。原発事故による心労が避難者を苦しめている状況が浮かびます。関連死に至る経緯は様々で、市町村が設ける審査会の認定の判断が難しくなっている面もあるようです。一方で遺族側も災害で激変した生活、避難の状況が健康にどのような影響を及ぼしたのか説明する記録を提出できない悩みを抱えています」として、大切な家族を喪った人の思いや実態を共有してゆく必要性を訴えています。今後、地元紙が果たす役割について「原発事故が起きた県内では『風化』と並んで『風評』も大きな問題です。人々の意識が原発事故に向いていると風評を生んでしまいます。意識が向かなくなれば風化する、という懸念があります。ある県の幹部は『原発事故の影響はまだ続いている。支援してほしい』」と強く発信すると『福島はまだそんなに危ないのか』と思われる。一方で『福島の復興は進んでいる』とアピールすれば『ではもう支援はいらないのでは』と言われる。バランスが難しいと話していた」として「原発事故からの復興が道半ばであること、食品をはじめとした県産品は安全で魅力的であることを地道に報道し続けていく必要がある」と結びました。
福島民友新聞社報道部次長の菅野篤司(あつし)さんは、原発事故の影響により浜通りを中心とする12市町村で長期の避難を余儀なくされ、双葉町では全町避難が継続中であることに触れ、最大の課題として「古里そのものが失われたという喪失感に向き合うこと」を挙げています。被災者の選択は「帰る」「帰らない」「帰りたいけど帰れない」「帰ることがためらわれるが戻らなければ」「今は判断できない」と分断され立場が違います。菅野さんは「その全てが正解だと考えている」として、元の住民のゆるやかなつながりを維持していく為、船と船をつなぐように「もやい直し」していくことの重要性を指摘しています。岩手県も他人事ではありません。復興庁のデータによると、先月末現在、福島県から岩手県に避難し暮らしている人は、332人います。震災は終わっていません。

656回「新聞大会1」2021年12月11日OA

2021年12月11日 6:00 PM

先月17日、新聞、通信、放送各社が加盟する日本新聞協会は盛岡市で新聞大会を開き、加盟社が災害報道の重要性について議論しました。私は被災3県4紙記者座談会の司会を担当しました。会場の盛岡市内のホテルには、全国の報道機関から約80人が参加し、座談会の模様はオンラインでも配信されました。
登壇者の内、岩手日報社釜石支局長の川端章子(あきこ)さんは震災報道について、津波で家族を喪った方を取材した際のエピソードを紹介。「初めてお会いしたご遺族の方に『共感など簡単に言わないでほしい』というようなことを言われた。それを聞いてから、言葉一つ一つが自分にとってどういうものなのか、しっかり聞くようになった」と振り返っていました。私も川端さん同様、被災しておらず、家族を喪ったわけではありません。ご遺族にどう接するか悩みながら取材を続けています。「寄り添う」ことはできないとしても、せめて「寄り添いたい」という想いを抱きながら、ご遺族に接するように心がけております。
河北新報社報道部震災取材班キャップの高橋鉄男さんは、復興過程で見えてきた課題として3点を挙げました。1つ目は「被災者は復興したのか」。国の被災者生活再建支援金制度の支給状況を挙げ「被災19万世帯の内、4割のおよそ7万世帯は、自治体が用意した宅地や災害公営住宅を使わずに自力再建しました。自治体の見守りは災害公営住宅や集団移転した団地が中心です」として、自力再建した人たちの心の復興などフォローできず、被災者を一括りにできなくなっている点を指摘します。2つ目は壊れたままの自宅で生活を続ける在宅被災者の個別再建を、専門家と連携して後押しする「災害ケースマネジメント」です。東北弁護士会連合会によると「災害救助法が適用され応急修理制度を利用すると応急仮設住宅には入居できなくなる」「東日本大震災において住家を十分に修繕できずに、不自由な生活を強いられている在宅被災者が多数存在し、必要な福祉的支援などを受けることもできていなかったことが報告されている」とのことです。司法と福祉の連携がカギになります。3つ目は「伝承」です。高橋さんは「被災地には伝承施設が揃いハードが整備されたものの、10年で語り部は高齢化し、若者も就職で語り部活動から離れています。人づくりが重要ですが、国の復興予算にメニューが無く、こうしたことを問題提起していきたい」としています。
次回も被災3県4紙記者座談会について取り上げます。

654回「自主防災組織」2021年11月27日OA

2021年11月27日 6:00 PM

県が令和元年度に行った自主防災組織活性化モデル事業の中から2つの取り組みを取り上げます。
「陸前高田市の下矢作(しもやはぎ)地区」は265世帯、696人が暮らしています。人口に占める65歳以上は301人、高齢化率は43.2%と高く、避難する際は地域での助け合いが求められます。気仙川・矢作川が流れる山間部に位置し、東日本大震災では川を遡上して津波が到達しました。又、市のハザードマップによりますと、最大規模の大雨による洪水では地域全体が浸水し、土砂災害の危険性が高く、孤立地域も想定されています。住民にヒアリングや現地調査を行ったところ「地区の公民館が土砂災害警戒区域にかかっており、避難が危険」「行政区が矢作川の右岸と左岸に分かれていて、特に右岸は逃げ場がない」など、行政区外への避難の必要性が指摘されました。地区内の避難は危険であることから、今後は設備が整っている市街地の高田地区の避難所に早めに避難し、又、避難方法について各行政区で検討を行うことにしています。
「久慈市の東広美町(ひがしひろみちょう)」は、市の中心部に近く、新築住宅やアパートが増えている住宅地で、213世帯、464人が暮らしています。長内川の堤防沿いにあり、過去に道路の冠水や住宅浸水、洪水などに見舞われてきました。2018年11月、自主防災組織を結成。「具体的な活動を展開したい」と今回のモデル事業に参加し、地域の災害リスクについて考えることから始めました。2019年10月の台風19号では町内の道路がほぼ冠水し、床上浸水ぎりぎりでした。当時の状況について振り返り「高齢者や要配慮者が、どこにいるのか把握する必要がある。それによって、誰がどの人を担当するということもはっきりしてくるのではないか」との意見が出されました。そこで住宅地図に要支援者世帯を表すシールを貼り、見える化を実施。又、豪雨による避難を想定し、担当者が地区毎の各戸を訪問し声掛けする訓練を行いました。これらの活動から避難行動、声掛けの重要性の他、日頃から挨拶し合える関係作りの大切さに気付きました。加えて避難場所までのルートの確認、要支援者に限定した避難訓練の必要性が指摘されました。
今回紹介した取り組みで共通するのは、自然災害のリスクを住民が共有し、活動を通して課題を発見している点です。地域住民の構成は年々、変化することから、地域の防災力を若い世代に引き継ぐ取り組みもカギになってきます。

653回「三大震災の事実と教訓」2021年11月20日OA

2021年11月20日 6:00 PM

先月、陸前高田市気仙町の東日本大震災津波伝承館の企画展示「三大震災の事実と教訓」に足を運びました。三大震災とは2011年「東日本大震災」、1995年「阪神・淡路大震災」、1923年「関東大震災」のことです。同じ震災と名が付いていますが、被害の特徴、そしてそこから得られる教訓に違いがあります。
「東日本大震災」で、岩手・宮城・福島の犠牲者の9割は大津波による「溺死」でした。地震後、すぐに避難した人は約6割に留まり、逃げ遅れた人たちが命を落としました。背景には、自宅や家族を心配して見に行ったり、防潮堤があるから大丈夫と過信したりしたことがあります。又、気象庁は技術的限界から津波の高さを正確に予測できず、その後、更新された津波警報が、防災行政無線の電源喪失などにより十分、伝わりませんでした。ここから得られる教訓は、より高い場所を目指して「避難」することです。「阪神・淡路大震災」が起きた26年前、土地区画整理事業を実施していない市街地では耐震基準を満たしていない古い木造建物が多くありました。又、発災が午前5時46分と早朝で就寝中の人も多くいて、直接死の約7割が建物倒壊や家具転倒による「窒息・圧死」でした。ここから得られる教訓は「耐震」です。その後、木造住宅の耐震基準が改正され、耐震化が進んでいます。「関東大震災」では地震後、東京、横浜などで発生した火災は強風にあおられて広域化しました。昼食の時間帯で多くの家庭で火を使っている最中に地震が起こり、建物倒壊等により火災が発生、建物群は超過密で道路も狭かった為、火災は燃え広がりました。犠牲者の約9割は「焼死」と言われています。得られた教訓は「耐火」で、燃え広がりを抑える為、道路の拡幅や区画整理、緑地帯の整備が進められています。
これらの教訓から、私たちができる備えは何でしょう。災害の被害を最小限に抑える為には、自分の身を守る=自助、地域やご近所で協力し合う=共助、行政・消防・警察といった公的機関による助け=公助があります。災害が大きければ大きいほど、公助の手は足りなくなります。そこで共助=地域住民が自発的に様々な防災・減災活動を行う「自主防災組織」が必要になってきます。平時は地域の避難場所や経路、危険箇所や要配慮者を調べ、防災マップを作るなど活動し、災害時は安否確認、避難誘導、要配慮者の支援、避難所の運営などを行います。次に起こる震災で犠牲者を出さない為、地域の防災力が問われています。

652回「わんかふぇ」2021年11月13日OA

2021年11月13日 6:00 PM

陸前高田市高田町に9月28日にオープンした「わんかふぇ」を訪れました。高田高校グラウンドのすぐ脇にある平屋の店舗です。大型犬用、小型犬用と2つに区切られたドッグランが併設。ウッドチップが敷かれた地面は、犬の脚への負担を軽減する為の配慮です。店内には、骨の形をした可愛らしいリードフックがあり、カフェでくつろいでる最中、犬を繋ぐことができます。ランチも提供している他、塩分の入っていない犬用ハンバーグもあり、愛犬と飼い主が共に楽しめる空間になっています。

オーナーの千葉美緒さんは、震災の津波で夫の昇一さん(47)を喪いました。消防団員だった昇一さんは、足の不自由な老人を背負って避難途中、陸前高田で津波に呑まれたのです。県によりますと、震災で殉職した消防団員は陸前高田市で34人、県全体で90人に上ります。自宅を被災した千葉さんは、陸前高田市内の仮設住宅で暮らした後、現在は大船渡の実家から通っています。千葉さんは震災から5年目が一番、きつかったと言います。昇一さんとは5つ、年が離れていました。『夫の年を超える、その事実が嫌で嫌で』。生きていれば超えることになるからです。しかしある時、美容師さんにその話をしたところ『亡くなった人も、一緒に年を取っているんだよ』と言われ、肩の荷が下りたそうです。2012年から飼い始めた柴犬のメス「のあ」、現在は9歳になります。『私を助けてほしい』と旧約聖書の箱舟から名付けました。穏やかな性格で癒され、いつしか『犬に関係した仕事がしたい』と思い始め、友人の勧めもあり、今回、カフェをオープンしました。

東日本大震災から10年8か月。千葉さんは心の変化を感じています。『やっと10年で普通になれました。仕事に行く時、国道45号を通っていて、運転中に自然と涙が出てきました。ここ最近、それが治まってきました。たまに夫を思って涙が流れる時はある、時間の流れは、人それぞれ』と語ります。一方で千葉さんは、震災を忘れない、と思いを打ち明けます。『震災では夫の他、会社の同僚も亡くしました。震災を忘れることは、その人たちのことを忘れることになるからです』と。昇一さんの墓がある陸前高田市で、千葉さんは「のあ」と共に、新たな一歩を踏み出しました。

646回「津波てんでんこ」2021年10月2日OA

2021年10月02日 6:00 PM

地震発生時のアナウンスについて、盛岡の匿名さんからIBCにメールを頂きました。ありがとうございます。一部抜粋しますと「私は10年前の3.11の時に釜石市に仕事で行っており、津波で被災した場所で仕事をしており、当日地震後に業務を終えて内陸遠野に移動しておりました。そこでお伺いします。緊急地震速報が出され三陸沖で地震が発生した場合、IBC岩手放送では『皆さんに声を掛け合って避難してください』ですか『てんでんこで避難してください』とアナウンスされますか。『命てんでんこ』なら、『自分の命は、何としてでも自分で守れ』。こうした言葉が受け継がれてきた背景には、過去の地震・津波の際に、家族や知人を助けに行ったことで避難が遅れ、多くの死傷者が生まれた言葉ではなかったんですかね」。

「てんでんこ」は「津波てんでんこ」や「命てんでんこ」とも言いますが、受け継がれてきた背景は御指摘の通りです。津波の常襲地帯である三陸地方に伝わってきたとされ、特に震災以降、高い所への避難を一言で要約する用語として、多くの人に知られるようになりました。その意味は「津波が来たら、各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」「自分の命は自分で守れ」という防災上の教訓です。ただこれだけ聞くと、自分が助かれば他人はどうなってもよい、とする利己主義に思われるかもしれませんが、それは違います。本来、家族や地域であらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、離れ離れになった家族を探したり、判断に迷い逃げ遅れたりすることを防いで、皆が結果的に助かることを意図していると思われます。又、平時に、支援が必要な高齢者や障害のある方などの避難方法を共有することで、「津波てんでんこ」が有効に機能すると思われます。

さてIBCでは、緊急放送マニュアルを作成しています。大津波警報や津波警報が出された場合は、「家族や周りの人に避難を呼びかけながら、あなたが率先して避難してください」とコメントすることにしています。「てんでんこ」という言葉は使っておりませんが、いざという時には率先避難者になるという「津波てんでんこ」の教えをベースにした呼びかけ、と考えています。

640回「車での避難」2021年8月21日OA

2021年08月21日 6:00 PM

東日本大震災が発生した際、東京では、皆が車で早く家に帰ろうとした結果、大渋滞が発生しました。発災から3時間後には、渋滞が通常時の約5倍に。又1キロをクルマで走行するのに約2時間かかり、大切な命を救う為の緊急車両が通れなくなってしまったのです。あれから10年。東京都では震度6弱以上が発生した場合、環状7号線から都心方向への車両の通行が禁止となるなど、大規模な交通規制が実施されます。警視庁では「車には乗らない」「乗っていたら駐車場など道路外に移動」を呼びかけています。

大規模災害発生時の渋滞は、東京だけの話でしょうか。TBC東北放送が取材した宮城県の例です。今年3月20日、宮城県内で最大震度5強を観測する地震が起き、沿岸部には4年4か月ぶりに津波注意報が出されました。この時、ある課題が浮き彫りになりました。多くの人が車で避難した為、各地で渋滞が起きたのです。震災の時にも同じことが起こっていました。石巻市で実施した市民アンケートでは、震災の際、約27%の人が「自動車で逃げた」と回答しています。渋滞が起きたことで、車で逃げざるを得ない人の命も失われました。東松島市の老人ホームの臨時職員男性は、地震が起きてすぐ、寝たきりの利用者4人を車に乗せました。しかし避難の途中で渋滞に巻き込まれ、車ごと津波に流されました。男性は助かりましたが、一緒に乗っていた利用者4人は亡くなりました。こうした教訓から沿岸部の自治体の多くは原則「徒歩」で避難するよう呼びかけています。津波避難タワーや津波避難ビルを整備している自治体もあります。一方、亘理町の地形は高台や高層建物がない平野です。その為、多くの住民が希望する、車を使った避難訓練を実施しています。亘理町に住む男性は、混雑が予想される県道を避け、信号が少ないルートを使うことにしています。

岩手県の地域防災計画では、避難手段は原則として「徒歩」としながらも「避難所までの距離や避難行動要支援者の存在など地域の実情に応じ、やむを得ず自動車により避難せざるを得ない場合においては、避難者が自動車で安全かつ確実に避難するための方策をあらかじめ検討する」としています。歩いて避難できる場所もあれば、車でしか逃げられないような場所もあります。又、支援が必要な人は、車を使うことでスムーズに安全な場所に逃げることができます。地震や津波の際、命を守る為、どこにどうやって避難するのか、日頃から想定しておくことが重要です。

 

633回「津波伝承絵本『奇跡の水門』」2021年7月3日OA

2021年07月03日 6:00 PM

今日は、東日本大震災の津波から村を守った普代水門の教訓を伝える絵本「普代村を守った『奇跡の水門』」についてです。普代村と大阪府の追手門学院大学が共同制作したもので、A4版40ページ、現地視察の資料として使えるA5版ミニ絵本もあります。

内容は「こんぶ」や「しゃけ」など、海の幸に恵まれた村の紹介から始まり、巨費を投じる水門に反対する住民を説得し建設した、当時の村長・和村幸得さんの思い、そして普代水門のお陰で津波から村が守られたことが描かれています。普代水門は、外海に面した普代浜から普代川を遡り海から300m地点にあります。高さ15.5m、総延長205mと巨大なもので、130トンもの重さがある門扉4つと、水門の南側、県道44号上に設けられた開閉式門扉で構成され、水門上部には、建屋が5つ並びます。よく見ると建屋の途中に「23.6m」と東日本大震災の津波の高さを示すプレートがあります。実は大津波は水門の高さを8m上回ったのです。県道にかかる門扉も5分の1程度しか閉じないトラブルがありましたが、それでも水門の1キロ上流までの浸水で津波を防いだのです。

絵本は、普代村と追手門学院大学の学生との交流から生まれたものでした。震災後、年2回、村の振興を図る為に訪れた学生が、普代水門に焦点を当て、防災の重要性を伝えていきたいと思い、紙芝居の制作を始めました。村は、その紙芝居を元に、去年6月から8月、クラウドファンディングで全国に呼びかけ、支援により絵本が出版されました。絵本は1500部発行、ミニ絵本は1000部発行。絵本は県内全ての小学校に寄贈し、図書室などで活用いただいているとのことです。村の担当者は「百聞は一見にしかず。普代水門は動けないので、まずは一度見に来て大きさを体感していただきたいです。『奇跡の水門』と言われていますが、奇跡でもなんでもなく、過去の教訓から未来の村の為に、熟慮を重ねた結果だと思います。その様子がわかりやすく描かれている絵本。多くの人に読んでいただき、震災の教訓が未来に受け継がれていけば幸いです」と語っています。絵本は三陸鉄道・普代駅にあるアンテナショップ「あいで」の他、インターネットからは「奇跡の水門」で検索すると47クラブECサイトから購入になれます。

632回「災害時の断水」2021年6月26日OA

2021年06月26日 6:00 PM

今日は、災害時の断水についてです。盛岡市上下水道局によりますと、盛岡市の水道水は、盛岡・都南地域は、米内川、中津川、雫石川、簗川の4つの川。玉山地域は岩手山と姫神山からの湧き水や地下水などを利用しています。取水後、市内7つの浄水場で、ゴミ、ニオイ、色を取り除き、薬品を入れて消毒しキレイにしてから、私達の家庭に届けられます。

10年前の東日本大震災の際、盛岡市は震度5強の揺れに見舞われ、約30時間に及ぶ大規模停電が発生し、約3万世帯が断水しました。断水の主な原因は、浄水場で水道水が作れなくなった為でした。水道水は、浄水場から「送水管」を通って、水を配る池と書く「配水池」に蓄えられ、「配水管」を通って各家庭に送られます。停電により水道水が作れなくなると、配水池や送水管などが空になります。復旧後、そのまま水を送ると、沈殿していた錆などを巻き上げ混濁する為、配水池や送水管の清掃が必要、ということです。盛岡市上下水道局では、震災の停電の教訓を踏まえ、各浄水場とも自家発電機など停電に備えた設備を整備しました。沿岸での断水は、盛岡市の停電とは違い、地震・津波により、取水場・浄水場・ポンプ場・配水池・配水管等が破損しことによるものでした。発災後、盛岡市上下水道局では、市内の給水の他、大阪市や神戸市など全国の応援隊と連携し、沿岸被災地の応急給水も行いました。ある職員は『釜石の小さな避難所で給水を終えて車に乗り込んだら、縁側に座っていた、おそらく足が不自由と思われる高齢女性が拝むようにして見送ってくれました』と当時を振り返ります。

盛岡市上下水道局では「災害に備えて日頃から浴槽などに生活用水を溜めておくことを心がけてください。溜めおきは、小さなお子さんの事故等に十分ご注意ください。又、受水槽を設置してポンプにより各戸に給水をしているマンションやアパートでは、発電機が無い場合、停電時に水道水を利用できなくなることが想定されます。普段から水のくみ置き等の対策をしてください。停電時に水が出る場合でも、受水槽内に残っている水しか使えないので、節水に努めてください。停電復旧後は、水道水に空気や錆などが混じり、濁る場合があります。しばらく水道水を流してからご使用ください」と呼びかけています。