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683回「陸前高田移住者の思い3」2022年6月13日OA

2022年06月18日 6:00 PM

今日は愛知県瀬戸市出身の男性にスポットを当てます。太田海(かい)さん(24)は、名古屋市にある名城大学を卒業後、2020年4月に陸前高田市に移住しました。市内の津波の最大到達地点に桜を植樹し並木で繋ぐ、NPO法人「桜ライン311」の活動に参加する為です。
陸前高田市との関わりは大学2年生の時に参加した図書館再生のサークル活動がきっかけでした。初めて陸前高田市を訪れたのはその年の夏。震災から7年以上経っても重機やトラックによる盛り土の最中で、復興工事は想像以上に進んでおらず、衝撃を受けました。そして震災のことを知る為、桜ライン311の岡本翔馬代表に出会います。語り部や石碑ではないオリジナルな取り組みで、しかも陸前高田という地域に特化していることに心を大きく動かされ4年生の夏、1か月インターンシップに参加します。大学に戻る際『又、帰ってこいよ』という声が嬉しくて「帰る場所ができた」と実感。卒業後はそのまま就職しました。現在はSNS等を活用した広報活動を行っています。趣味はランニング。海辺や山間は走りやすく、自分らしく生活できる場所と感じています。太田さんは他県から来た移住者というより「陸前高田市の一市民として生活したい」と言い、移り住む人がいたら受け入れる側に立ちたいと考えています。
桜ライン311の活動は道半ばです。市内の津波到達地点を線で結ぶと約170キロ。10m間隔で桜を植えていくと合計1万7000本の並木になります。震災から11年経った現在、1978本。まだ12%未満です。土地の所有者に許可を得ての植樹は『津波を思い出す』『心の整理がつかない』方もいて、時間がかかる取り組みです。しかし太田さんは、震災の伝承は地域全体で行うべきと考えていて、桜を植える意味を、親から子、子から孫、更にその先に伝えることこそ大切と訴えます。
来月は母校の名城大学で防災に関する講演会講師を務めます。例え震災を経験していなくても、若い世代が伝えていかなければならないと引き受け、災害が起こった際「生き残る」「大切な人を守れるように」と思いを伝えるつもりです。太田さんは陸前高田市民として、未来の命を守る活動をこれからも続けます。

677回「移住者を支える高田暮舎」2022年5月7日OA

2022年05月07日 6:00 PM

陸前高田市高田町にあるNPO法人「高田暮舎(たかたくらししゃ)」を訪ねました。2017年5月、陸前高田市の移住定住促進の事業パートナーとして活動を始めました。5人のスタッフは、移住者が陸前高田で暮らし始めた後、地域に溶け込めるよう、仕事や周辺環境を紹介するなどバックアップも行っています。
高田暮舎で作成したのが「高田暮らしの手引き」というA5サイズ、30ページの小冊子です。陸前高田市の風土や慣習など、外からは見えづらい実際の暮らしをコンパクトに紹介しています。例えば「地域活動」のページは各地区毎に整理され、草刈り、川の清掃の他、中には新年に獅子舞が民家を巡る「悪魔払い」という行事も記されています。「ごみはどうやって出すの?」では、ゴミ袋に名前を書く文化の話、「消防団について」は、活動内容や消防演習など行事予定、「お葬式について」では近所に不幸があった際の対応の仕方や香典金額の目安など、丁寧且つ多岐にわたっています。
活動の柱である「空き家バンク」は、市内の空き家の利活用を目指し、「空き家の利用を希望する人」と「空き家を所有している人」のマッチングをサポートしています。ポータルサイトでは、物件の情報に加え、各家のストーリーや家主のおすすめポイントなども紹介しています。気仙町の築60年の空き家は「平屋建ての5DK、さわやかな潮風のある暮らし、川と海が近くにあるまち」又、建物外観や各部屋の写真に添えて「西側にある6畳と8畳の和室はふすまを外すことによって、大広間に早変わりです。広い空間で海の幸を持ち寄って、みんなでお鍋を囲むあたたかな食事も楽しいですよね」など、移住後の暮らしが想像できる内容になっています。
空き家バンクの利用者は、これまで35世帯、46名。多くは20代から40代で、地方でのんびり暮らしたいという関東からの移住者ということです。現在も売買23件、賃貸14件の物件を扱い、移住者を迎える体制を整えています。高田暮舎の移住コンシェルジュ・髙橋瞳さんは今後の展望について「単に移住者を増やすのではなく、大変な面も知った上で、それでも陸前高田が面白そう、暮らしてみたいと思って決断してくれる人を増やせるよう、日々積み重ねていきたい」と語っています。市にとって、高田暮舎の活動は、行政では行き届かないサポートをする大きな力になっています。

675回「陸前高田移住者の思い2」2022年4月23日OA

2022年04月23日 6:00 PM

東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙町の商業施設「陸前高田 発酵パーク CAMOCY(カモシー)」。震災前、醤油や味噌の醸造店が集まっていた今泉地区の賑わいを取り戻そうと、発酵をテーマに2020年12月にオープンしました。食堂やビールの醸造所など8つの店舗が入居しています。建物入ってすぐ左手にあるのが市内で初めての本格的パン専門店「ベーカリー・マーロ」です。
店長の塚原涼子さん(36)を訪ねました。福島県郡山市出身の彼女は社会人として始めは保険会社の営業をしていました。しかし「手に職をつけたい」「食べるのが好き」「空間を自分で作れる場所で働けたら」とパン職人の道に入りました。千葉県松戸市の有名パン店などで7年間修業。カモシーオープンを機に店主に請われました。以前、勤めていた店が震災後、避難所でパンを配り高田と交流を深めたことがきっかけでした。それまで高田と縁がなく、しかも震災当時、都心にいた塚原さんは「被災地に自分は寄り添えない」と感じ復興に向き合うと重い気持ちになりました。しかし「新しいことをする楽しそうな場所」「ボランティアの方と情熱が違う。違う方向で盛り上げられたら」と気持ちを切り替え陸前高田に居を移しました。
現在パン作りスタッフ4人、販売3人の交代制。塚原さんは、共に働く地元のスタッフに震災のことを深く聞くことはありませんが「これからが充実した生活になれば。その形なら協力できる」と静かに語ります。そして陸前高田で焼き立てを届ける思いについて「パンは生鮮食品というイメージを持ってほしい。コンパクトなまちで、地元の農家と関係を築き、そこで獲れた野菜や果物も使いフレッシュな美味しさを」と説明します。店頭に並ぶパンは約20種類。一番人気の「食パン」は国産小麦を使いモッチリ感があり、毎日食べても飽きないよう砂糖やバターは使い過ぎないようにしています。この他八木澤商店の醤油や味噌を使ったパン、地元の人の要望で「クロワッサン」「バゲットなどハード系のパン」も揃えています。平日は気仙沼や大船渡から、休日は盛岡など内陸から買い物客が訪れる人気店です。しかし塚原さんは「車を運転しない市内の人にも、もっと広められれば」と考えていて、パンの他、カモシーの商品を車に積み、移動販売ができればと夢を描いています。塚原さんたちが作った焼きたてパンは、明日も店頭に並び、来店者を笑顔にします。

674回「陸前高田移住者の思い1」2022年4月16日OA

2022年04月16日 6:00 PM

先日、中心市街地活性化を目的に作られた「陸前高田ほんまる株式会社」の種坂奈保子(たねさかなおこ)さん(36)を訪ねました。種坂さんは、まちの中心にある公園や施設を使ってマルシェなどイベントを企画したり、商店街組合のメンバーと共に買い物マップを作ったりして、地域の魅力を発信しています。
愛知県出身の種坂さんは、2007年、大学3年生の夏休みに2か月かけ全国を旅しました。陸前高田市には偶々立ち寄り「気仙町けんか七夕」を楽しみ、まつりの後、消防団屯所でBBQをするなど地元の人と触れ合う機会になりました。
そしてその4年後、2011年3月11日、東日本大震災が発生。陸前高田市が甚大な被害に遭ったと知り、高田の人達を案じました。当時、職を探していたタイミングだったこともあり、3月末、宮城県石巻市のボランティア団体に属し高田に入りました。そして11月、仮設の商店街「陸前高田未来商店街」を立ち上げる仕事を見つけ移住しました。商店街事務局ではSNSを活用し現状を発信しました。ネット上には震災前の情報しかなく「家も店舗も失い二重ローンに苦しむ商店主の現状が全国に伝わっていない」「当事者が『辛いです』とは言いにくい」と思い始めたもので、人、物資、金銭面で支援が集まり手ごたえを感じました。種坂さんの関心は次第にまちづくりに移ります。商店主は商売だけではなく「まちに遊びに来て、散歩する、公園のようなものが欲しい」といった地域のことを深く考えていることに心動かされたからです。「この人達を応援することが、まちを作っていることになる。この人達が発信できないことに力を注ぎたい」「このまちができる所を見たい」というのが現在の活動の原動力です。2017年4月、まちの中心部にアバッセたかたがオープン。震災から11年経った今になって再開する店もあり、周辺に100店舗程できました。
山も海もないまちで育った種坂さんにとって高田は「ニンジンを収穫したり、週末にキャンプをしたりと、旅行に行かないとできないことが身近に体験できる」と新鮮に映ります。地元の人と結婚し、2019年10月には女の子を授かりました。娘さんが「将来、大きくなった時、自慢できるまちに。地元が好きになってほしい」と未来を見つめます。種坂さんは、これからも一市民として、ずっとワクワクできるまちづくりのサポートをし続けます。

671回「震災デジタルプロジェクト鵜住居」2022年3月26日OA

2022年03月26日 6:00 PM

IBC岩手放送と岩手日報社は今月9日、震災デジタルプロジェクトとして共同制作した特設サイト「鵜住居~UNOSUMAI」を両社のホームページで公開しました。去年4月から、ラジオ番組「デジタルニュース・ラボ」では、釜石市鵜住居町出身の前川晶(あき)記者が定期的に出演し、ふるさとの新聞特集記事を取り上げ、震災後のまちと人の姿を、新聞・放送だけではなく、多様なデジタルコンテンツとして発信してきました。今回の特設サイトはその集大成となるもので、「鵜住居」という一つのまちに焦点を当て制作されました。震災以前の住民の営みや、まちに残る震災の教訓を風化させずにデジタルデータとして残していくことが狙いです。
市の北側に位置し、大槌湾と両石湾に面した「鵜住居(うのすまい)」は東日本大震災の津波で市の中でも特に大きな被害を受けた地域です。死者・行方不明者は釜石全体の半数を超える580人にのぼり、地区全体の住まいの約7割にあたる1668棟が被災しました。サイトは3Dのデジタルマップ「触れる思い出、まちの記憶」、住民の避難行動などを振り返る「あの日、そしてあの日から」、前川記者と弦間アナが鵜住居を巡る「11年目、ふるさとを歩く」など6つの項目で構成されています。マップには震災後、まちの復元模型=ジオラマに残された住民の思い出やエピソードが散りばめられています。例えば釜石東中学校のピンをクリックすると「部活中、ランニングしてきますと嘘ついて海パンをはいて根浜まで行って泳いでいた」などエピソードが現れ、震災前のまちの様子が目の前にあるように伝わってきます。「あの日、そしてあの日から」の中の「釜石の出来事」では、当時の児童・生徒の避難行動を証言を元に再現し、一方で当日学校を休んでいた児童1人、生徒1人、そして保護者に引き渡された児童1人が津波の犠牲になり、小学校に1人残った事務職員も行方不明になったその「出来事」も忘れてはならない、と結んでいます。又、祖父母が鵜住居地区防災センターに避難して命を落とした前川記者。「ふるさとを歩く」では自身とふるさとを繋ぐ、今は亡き祖父母を見つめる内容になっています。
震災から11年が経ち、震災を知らない、記憶にない子供たちが多くなっています。その中、地元の新聞社と放送局が手を携え、従来の伝え方とは違うデジタルコンテンツを通じて、特に若い世代への震災伝承・継承につなげていく取り組みは、IBC、岩手日報社の各ホームページから御覧ください。

670回「岩手の天気予報の精度」2022年3月19日OA

2022年03月19日 6:00 PM

気象庁では、日々の天気予報と実際の天気を比較して、予報精度の検証を毎月行いHPで公開しています。具体的には、朝と夕方発表の今日、明日、明後日の降水の有無、朝発表の今日の最高気温、及び夕方発表の明日の最高気温、最低気温の予報誤差などです。
盛岡の予報の検証結果について、2003年と2022年では、変化があるのか比較してみます。まずは「降水の有無の適中率」です。「雨」、「曇り一時雨」、「曇り時々雪」など降水のある予報を発表し実際の降水が1ミリ以上だった場合、又、「晴れ」、「曇り」、「晴れ時々曇り」など降水の無い予報を発表し実際の降水が1ミリ未満だった場合は、予報が適中とみなします。午前5時発表の降水の予報について、今日の適中率は2003年、2022年共に82%と同じでした。しかし明日の適中率は2003年の77%から2022年は82%に向上しています。又、午後5時発表の降水の予報について、今夜の適中率は2003年85%、2022年86%。明日は2003年78%、2022年は82%。明後日は2003年75%、2022年は81%と、確実に上がっているのが分かります。又、気温の予報誤差は、常に正の値となり0に近いほど予報精度が高い指数を用いると、午前5時発表の今日の最高気温は2003年は1.8から2022年は1.4に。午後5時発表の最低気温は2003年が1.8から2022年が1.4に。最高気温は2003年が1.9から2022年が1.4に。それぞれ気温の誤差が小さくなっているのが分かります。
気象庁の天気予報は、コンピューターを用いて地球大気や海洋・陸地の状態の変化を数値シミュレーションによって予測する「数値予報」を用いています。具体的には、最初に地球大気や海洋・陸地を細かい格子に分割し、世界から送られてくる観測データに基づき、それぞれの格子にある時刻の気温・風などの気象要素や海面水温・地面温度などの値を割り当てます。次にこうして求めた「今」の状態から、物理学や科学の法則に基づいてそれぞれの値の時間変化を計算することで「将来」の状態を予測します。この数値予報の精度向上の背景には、計算に用いるコンピュータープログラムの精緻化、解析手法の高度化、観測データの増加・品質改善、そして数値予報の実行基盤となるコンピュータの性能向上といった、地道な取り組みがあるのです。

665回「末の松山」2022年2月12日OA

2022年02月12日 6:00 PM

和歌に詠まれてきた名所を「歌枕」と言います。松尾芭蕉は、1689年(元禄2年)江戸を旅立ち美濃国(みののくに)大垣に到着するまでの半年間、東北・北陸の名所旧跡や歌枕を訪ね、紀行文「おくのほそ道」を完成させました。多賀城市や、多賀城市観光協会によりますと、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」の内、多賀城市では3か所の歌枕が指定されています。その内の1つが「末の松山」です。八幡(やわた)の宝国寺裏手にある標高約8メートルの丘で、推定樹齢480年、樹高約19メートルの2本のクロマツがそびえています。8世紀から12世紀、平安時代の昔から「歌枕」として遠く都の人々にも知られてきました。大きな津波が襲っても「末の松山」を越えることはできないといういわれから、越すに越せない大きな存在を意味するようになったとされます。この大きな津波とは何を意味するのでしょうか。
東京大学出版会「歴史のなかの地震・噴火」によりますと、清少納言の父として知られる清原元輔(きよはらのもとすけ)の作歌(さっか)「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは」。10世紀後半に作られたと考えられるこの歌には本歌(ほんか)があります。「古今和歌集」の「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 波をこえなむ」。国文学者の河野幸夫(ゆきお)さんによりますと、「古今和歌集」の成立は905年(延喜5年)ですから、この歌は9世紀後半頃に詠まれた歌であることなどから、作者が貞観地震を経験していた可能性が大きい、と推測します。「貞観」とは、安倍貞任(あべのさだとう)の「貞」に観音様の「観」と書きます。国が編纂した歴史書「日本三代実録」には、869年(貞観11年)に起きた貞観地震は揺れが大きく、宮城県にあった多賀城の城郭が崩れ、人々は叫び合い、倒れて起き上がることができず、家屋が倒壊したと記録されています。又、津波による犠牲者は城下1000人程で、野原や道も全て青海原になったとも書かれています。宝国寺は仙台湾から内陸約2キロに位置し、東日本大震災では津波の被害は免れました。
平安時代、貞観地震の大津波により仙台平野が水没する中、難を逃れ衆目を集めた末の松山は、天地(あめつち)を鎮める祈りを込め、歌に詠まれたのかもしれません。

664回「氷柱(つらら)の呼び方」2022年2月5日OA

2022年02月05日 6:00 PM

今日は、水のしずくが凍って垂れ下がった、漢字で氷の柱と書く「氷柱(つらら)」についてです。ポプラ社「つらら」によりますと、その由来はツラツラ光って見えるからだということで、その輝きから命名されたとあります。元々「つらら」という言葉は、中国、四国、近畿、東海、長野、関東の一部で使われていて、明治から昭和にかけては、東京で使われていた「つらら」が「標準語」として全国に広まりました。昔の関東地方では、東京を含めて「あめんぼう」という名前も多かったようです。俗にミズスマシともいう、昆虫の「あめんぼ」とは違います。広辞苑第七版で引くと、棒状につくった飴菓子の「飴ん棒」のことで、他に「つららの異称、たれんぼう」とあります。水飴が垂れ下がっている様子から連想したようです。
学研「全国方言一覧辞典」の「つらら」の頁には、各地の代表的な方言が掲載されていて、その種類に驚かされます。長崎では「びーどろ」と言い、江戸時代のガラスを指す言い方から来ているとか。又、大分の「よーらく」は、仏像にかける玉の飾りを指す言い方。福岡・熊本の「まがんこ」は、代掻きに使う農具、馬の鍬と書く「馬鍬(まぐわ)」の歯の連想からと言われているそうです。それぞれ北国ほどの冷え込みではないことから、できたつららは、小さく細いのかな、と想像します。
北国ではどうかと言いますと、北海道・福島は「しが」、青森「しがま」。共に氷を表す「すが」から来ています。童謡「どじょっこふなっこ」の「春になれば 氷(すが)こも 解けて」の歌詞で有名な「すが」と同じです。玉川学園HPによりますと、この童謡は、1936年、玉川大学合唱団が東北公演旅行で現在の秋田市立金足西小学校に立ち寄った際に誕生しました。秋田市にあるJR「追分(おいわけ)駅」では、到着メロディーとして駅のホームで流れているそうです。岩手・宮城では「たろひ」。つららを意味する、漢字で氷が垂れると書く「たるひ」が訛ったものです。花巻市石鳥谷町で、毎年2月11日、氷の太さでその年の作柄を占う「たろし滝」の「たろし」と同じです。吉田菊治郎著「水沢地方の方言考」によりますと、県内で訛った発音として他に「たらひ・たるし・たるす・たろーしゅ・たろす・たるぎ等」があるとのことです。水が豊かで、寒い冬がある日本、岩手は、つららの表現も豊かなのです。

663回「雪に関連した季語」2022年1月29日OA

2022年01月29日 6:00 PM

角川俳句大歳時記より、雪に関連した季語を拾ってみました。
六つの花と書いて「六花(むつのはな」=結晶が六角形であることから雪の異名です。雪が降るさまを花の散るさまに見立て「雪の花」。雪を銀になぞらえ同様に「銀花(ぎんか)」。雪が降ってきそうな空模様「雪空(ゆきぞら)」。積もった雪のために辺りが明るく見える「雪明かり」。樹木などに積もった雪が落ちる音を表す「雪の声」。深く積もり、音を吸い込むような「深雪(みゆき)」。寒く乾いた時に降る「粉雪」、細かい雪と書く「細雪(ささめゆき)」、精米する時に砕けた小さい米のような「小米雪(こごめゆき)」。「白雪」、餅のようにふわふたした「餅雪」。衾(ふすま)、つまり現在の掛布団のように多く積もった「衾雪(ふすまゆき)」。「明けの雪」、「今朝の雪」、「雪の宿」、新しく降り積もった「新雪」、積もったまま春まで残る「根雪」、「積雪」、「べと雪」。木の枝や電線などに降り積もった雪がずれて垂れ下がり、飾り紐のように見える「雪紐」。「筒雪」、「冠雪(かんむりゆき)」、山の稜線の風下の谷側に、庇(ひさし)のように張り出した「雪庇(せっぴ)」。「水雪」、雪に華やかと書いて「雪華(せっか)」、雪の結晶がいくつか合わさった、ひとひら「雪片(せっぺん)」、降り積もった雪の重みで締まった状態となった「しまり雪」、日中解けた積雪が日没後再び凍結し、それを繰り返してできる「ざらめ雪」、水分を多く含んだ「湿雪(しっせつ)」、吹雪を指す「雪風(ゆきかぜ)」、雪のある時の月夜「雪月夜(ゆきづきよ)」、「雪景色」、夕暮れに降る「暮雪(ぼせつ)」、雪の多い地方「雪国」、以上35個です。
四季の代表的な眺めを表す「雪月花」という言葉があるように、雪は春の花、秋の月と並んで冬の美を代表します。一方で豪雪は災害をもたらし、白魔と魔物に例えられるほど恐ろしいものでもあります。豊かな表現の数々から、雪と共に暮らしてきた先人がどれほど子細に雪を観察してきたかが、よくわかります。

659回「気仙隕石」2022年1月1日OA

2022年01月01日 6:00 PM

日本最大の隕石が岩手に落ちたことを御存じでしょうか。「気仙天隕石物語」によりますと、嘉永3年(1850)5月4日の明け方、陸前高田市気仙町にある長圓寺の参道付近に物体は落下しました。暴風雨で雷が鳴る中、雷鳴をかき消すほどの大音響が響き、辺りは真昼のように明るくなりました。風雨は収まり、人々が落下物に近づくと、地中からもうもうと白煙を上げ、異様な音がしていたと言います。気仙隕石は、落下が目撃され、落下地点、日時、状況などが記録されている点でも貴重です。掘り出された後は、寺に運ばれ外縁に置かれました。この隕石は養蚕や漁業、疾病に効き目があると信じられ、多くの人が砕いて破片を持ち去りました。明治27年(1894)に帝国博物館に献納されたときの重さは135kgでした。更に研究用に削られて現在、国立科学博物館に展示されている最も大きな塊は106kgです。
先日、取材で長圓寺を訪れた際、隕石の欠片を見せて頂きました。手のひらサイズ、暗い灰色で粒が細かく、鉄瓶を思わせるような重みがありました。寺の女性は『ご利益があるということで急須に入れてお茶を飲んだ』と懐かしそうに話していました。
隕石は小惑星の一部ですが、小惑星衝突と気候変動との関連で興味深い研究があります。東北大学と気象庁気象研究所は2016年7月、小惑星衝突時の恐竜やアンモナイトなどの絶滅は、衝突で発生した煤による気候変動が原因だったとする研究結果を発表しました。約6600万年前、小惑星がメキシコ湾ユカタン半島付近に衝突し、恐竜などが絶滅しました。原因はこれまで地球規模の寒冷化と考えられてきました。ところが衝突時にスペインなどの周辺海域海底に堆積した堆積岩を調べると、煤が異常に多いことが分かりました。更に成層圏に放出された煤の量から大気や海洋などの気候変動を計算したところ、これまでの恐竜絶滅シナリオとは全く異なる結果が出ました。煤の成層圏放出による太陽光吸収で気温は低下したものの、低緯度は恐竜が棲める気温でした。ただ降水量は砂漠並みで、陸上植物は枯れ、食物連鎖的に絶滅、海は光合成帯が縮小し水温低下が起き、アンモナイトが絶滅したと考えられる、とのことです。隕石をめぐる話題、興味が尽きません。

654回「自主防災組織」2021年11月27日OA

2021年11月27日 6:00 PM

県が令和元年度に行った自主防災組織活性化モデル事業の中から2つの取り組みを取り上げます。
「陸前高田市の下矢作(しもやはぎ)地区」は265世帯、696人が暮らしています。人口に占める65歳以上は301人、高齢化率は43.2%と高く、避難する際は地域での助け合いが求められます。気仙川・矢作川が流れる山間部に位置し、東日本大震災では川を遡上して津波が到達しました。又、市のハザードマップによりますと、最大規模の大雨による洪水では地域全体が浸水し、土砂災害の危険性が高く、孤立地域も想定されています。住民にヒアリングや現地調査を行ったところ「地区の公民館が土砂災害警戒区域にかかっており、避難が危険」「行政区が矢作川の右岸と左岸に分かれていて、特に右岸は逃げ場がない」など、行政区外への避難の必要性が指摘されました。地区内の避難は危険であることから、今後は設備が整っている市街地の高田地区の避難所に早めに避難し、又、避難方法について各行政区で検討を行うことにしています。
「久慈市の東広美町(ひがしひろみちょう)」は、市の中心部に近く、新築住宅やアパートが増えている住宅地で、213世帯、464人が暮らしています。長内川の堤防沿いにあり、過去に道路の冠水や住宅浸水、洪水などに見舞われてきました。2018年11月、自主防災組織を結成。「具体的な活動を展開したい」と今回のモデル事業に参加し、地域の災害リスクについて考えることから始めました。2019年10月の台風19号では町内の道路がほぼ冠水し、床上浸水ぎりぎりでした。当時の状況について振り返り「高齢者や要配慮者が、どこにいるのか把握する必要がある。それによって、誰がどの人を担当するということもはっきりしてくるのではないか」との意見が出されました。そこで住宅地図に要支援者世帯を表すシールを貼り、見える化を実施。又、豪雨による避難を想定し、担当者が地区毎の各戸を訪問し声掛けする訓練を行いました。これらの活動から避難行動、声掛けの重要性の他、日頃から挨拶し合える関係作りの大切さに気付きました。加えて避難場所までのルートの確認、要支援者に限定した避難訓練の必要性が指摘されました。
今回紹介した取り組みで共通するのは、自然災害のリスクを住民が共有し、活動を通して課題を発見している点です。地域住民の構成は年々、変化することから、地域の防災力を若い世代に引き継ぐ取り組みもカギになってきます。

651回「初冠雪時の里の気温」2021年11月6日OA

2021年11月06日 6:00 PM

ラジオネーム「キミぱた」さんから質問をいただきました。ありがとうございます。「今年も岩手山初冠雪のニュースが流れましたね。このニュースが流れる度に父は『どうりで今朝は冷えたな』と言っていますが、山の天気と里の天気は違うのではないかと思っています。初冠雪が観測された日は毎年冷えるのでしょうか。言い換えれば『今年一番の寒さ』になるのでしょうか。統計的にどうなのか、お願いします」

さて「今年一番」という表現ですと、1月2月の厳寒期も含みますので「今シーズン一番」で話を進めます。盛岡地方気象台は今年「10月17日」朝、岩手山の初冠雪を観測しました。上空にはこの時期としては強い11月中旬並みの寒気が入り、雨が雪に変わり、標高の高い山々が白くなったものです。この日の最低気温「3度」は、夜11時10分に記録。お父様の言う通り、今シーズン一番の寒さになりました。去年の初冠雪も同じ10月17日でした。雪は前夜からこの日朝に降ったものの雲に隠れて見えず、午後になって雲が取れ観測されたものです。17日の盛岡の最低気温は「8度」。雲が多く地表の熱が放射冷却が起こらず、平地=里はそれほどの冷え込みではありませんでした。しかし前日の最低気温は「4度」。今シーズン一番の冷え込みでした。この寒気が残っていた為、標高の高い山は雪になったのです。初冠雪は寒気が入っただけでは観測されません。寒気に加え降水を伴う雲が無いと、雪は降らないのです。さてそれ以前はどうだったのでしょう。2011年から初冠雪の記録と、その日の盛岡の最低気温を調べてみました。すると初冠雪と、盛岡の今シーズン一番の冷え込みが同じ日になったのは「2011年」「2015年」「2017年」の3回のみでした。今年も含めると、過去11年で「4回」しかありません。今シーズン一番の冷え込みが翌日にずれたのが「2013年」「2014年」「2019年」の3回。「2018年」は前々日、「2016年」は翌々日にずれていました。

結論として、キミぱたさんの御指摘の通り、岩手山初冠雪観測の日と、盛岡の今シーズン一番の冷え込み日は、必ずしも一致しません。しかし初冠雪観測の前後数日まで広げると、今シーズン一番の冷え込みとほぼ重なります。お父様は山の寒さを想像しながら「里でも冬への備えが必要になってくる」と感覚的な表現をしているのでは、と思います。

 

650回「気温と人数、数字の読み方」2021年10月30日OA

2021年10月30日 6:00 PM

ラジオネーム「爺元気」さんから質問をいただきました。ありがとうございます。「気温と人数の読み方について、数字の発音はどう使い分けていますか。気温は17度:ジューナナドですが、人数は17人:ジューシチニン。気温は19:ジューキュ-ド、人数は19人:ジュークニンですが」

結論として放送での数字の発音・読み方について、数字だけ単独の場合の発音と、数字の後に助数詞や単位が付く場合とは、必ずしも同じではありません。それぞれの語の伝統的な独自の読みや慣用があります。IBCでは、NHK放送文化研究所編「NHK日本語発音アクセント新辞典」を拠り所にしております。この辞書では、ある程度、改まった場面で使っても、多くの人に自然に受け入れられるものが示されています。又、数字の発音の基準について「NHKことばのハンドブック第2版」では「日常会話で普通に使われている発音を尊重し、2通りの発音がある場合には、なるべく2通りの発音を認める」として、例として14:ジューヨン、ジューシ。2試合:ニシアイ、フタシアイを挙げています。加えて「ニュースなどのように、特に正確な情報伝達を目的とした番組では、原則として聞き取りやすい発音を使う」としています。

ご質問の件ですが、数字単独の場合、原則として7:ナナ、場合によってはシチ。原則として9:キュー、場合によってはクと発音します。気温を表す「度」や人数を表す「人」が付いた場合、17℃:ジューナナド、許容がジューシチド。17人:ジューシチニン、許容がジューナナニン。19度:ジューキュード、許容がジュークド。19人:ジュークニン、許容がジューキューニンです。最初にお伝えした読みを第1の基準として、2番目の読みは許容、つまり場合により許される発音で間違いというわけではありません。尚、7人:シチニンはナナニンが主でも良さそうですが、1人:ヒトリと聞き間違える恐れが無いのでシチニンと言うようにしています。映画も「七人:シチニン」の侍ですね。柳瀬尚紀著「日本語は天才である」(新潮社)によりますと、ナナと読むかシチと読むかについて「次に和語・和訓が来る場合はナナとなり、漢語・字音が来る場合はシチになります」としています。ナナの例として「七色」「七草」「七光り」、シチの例は「七福神」「七変化」「七味唐辛子」などがあります。シチフクジンをナナフクジンと言うと違和感がありますね。

645回「キキクル ОN ハザードマップ」2021年9月25日OA

2021年09月25日 6:00 PM

IBCが提供するスマートフォン向け「IBCつながるアプリ」に、今月、新機能「キキクル ON ハザードマップ」が搭載されました。IBCと防災情報提供会社のゲヒルンが共同で開発したものです。キキクルとは、気象庁が発表する、大雨による災害発生の危険度の高まりを地図上で確認できる危険度分布の愛称です。地図上に危険度を5段階に分け表示して伝えます。今回IBCアプリでは、県内の洪水や土砂災害のハザードマップの上に、このキキクルの情報を重ねて表示するものです。これまでは、ハザードマップとキキクルの情報を別々に確認する必要がありました。しかしこの新機能により、大雨などの災害が迫った際に、自分がいる場所のハザードマップと、リアルタイム情報としての危険度分布を同時に見比べることができ、自分が置かれた状況を客観的に把握して、避難の判断などに役立てることができます。尚、県内の洪水と土砂災害のハザードマップは、岩手県から提供された今年9月現在の最新のものを表示。雨が降っていなくても身近な場所のハザードマップとして、いつでも確認することができます。

この新機能について滝沢市のオルガンさんからメールを頂きました。「IBCアプリにキキクルが追加されたと聞いたので見てみたら、何と自分の家の周りの地図上に雨や洪水などの情報が載って見られるので驚きました!雨雲レーダーで現在地まで表示できるサイトはありますが、まさに自分の家の所がはっきりわかるのでいいですね。キキクルを活用するような天気にならないほうがいいですが、いざという時のために安心です」。ありがとうございます。

私もこの新機能を実際に使ってみました。県内は低気圧の通過により17日夜から18日にかけ沿岸南部で大雨となり、大船渡では降り始めから200ミリ近い雨量を記録、午後は一時、土砂災害警戒情報が出されました。夕方「キキクル ОN ハザードマップ」の内、右上の「土砂」というキキクル=危険度分布を開いてみると、大船渡の市街地が赤色の「警戒」に覆われ、国道45号沿い西側の土石流危険区域と重ねて表示されました。特にどのエリアで警戒が必要か、一目で分かりました。この機能は「IBCつながるアプリ」をダウンロードするか、既にダウンロードしている場合はバージョンアップすることで御利用になれます。

639回「気象病・天気痛」2021年8月14日OA

2021年08月14日 6:00 PM

「気象病」という言葉をお聞きになったことがありますでしょうか。国語辞典にも載っていて、広辞苑第七版によりますと、『気象の変化と関係があると考えられる種々の病症の総称。特にフェーン現象・前線・気温などとの関わりが深い。喘息・頭痛・神経痛・リウマチ』などとあります。

天気が悪くなると痛みが悪化したり、寒暖差により不調になったりすることを「天気痛」と名付け、日本初の気象病外来・天気痛外来を立ち上げた医師が、中部大学・生命健康科学部理学療法学科の佐藤純(じゅん)教授です。佐藤教授の著書「天気痛を治せば 頭痛、めまい、ストレスがなくなる!」(扶桑社)には、天気痛対策として、自分の体のリズムをつかむ為の日記の他、市販の酔い止めの薬を勧めています。乗り物酔いをした時の、気持ちが悪くなる、吐き気、頭痛、眠気などの症状は、天気痛そのもので、原因が耳の最も奥にある内耳の急激な揺れから来ているところも同じ、とのことです。その他、手軽に効果が期待できるのが「耳の後ろにあるツボ押し」や「耳の血流マッサージ」です。マッサージは、耳を真ん中から、縦に2つに折り曲げます。力を込め過ぎず優しく行い、更に耳全体をマッサージすることも勧めています。目的は血流の促進で、耳の周りの血流が悪いと内耳の中にあるリンパ液も一緒に滞り、めまいや頭痛などの症状を引き起こすと考えられるから、ということです。

中部大学のHPによりますと、佐藤教授は、愛知医科大学・医学部と日本獣医生命科学大学・獣医学部との共同研究により、マウスにも、内耳の前庭(ぜんてい)と呼ばれる器官に気圧の変化を感じる場所があることを、世界で初めて突き止めました。今回の研究成果から『私たち人間においても天気の崩れによって前庭器官が気圧の微妙な変化を感じとり、脳にその情報が伝わり、結果として古傷や持病の痛みを呼び覚ましたり、めまいや気分の落ち込みといった不調を起こしたりするものと考えられます』『今後も研究を続け、どのようなメカニズムで前庭器官が気圧の変化を感じ取るのかを明らかにしていきます。また、このメカニズムを明らかにすることで、気象病や天気痛の有効な治療法の確立に繋げていきます』としています。

 

638回「荒井郁之助」2021年8月7日OA

2021年08月07日 6:00 PM

岩手出身の作家・平谷美樹(ひらやよしき)さんが著した「鍬ヶ崎心中 幕末宮古湾海戦異聞」(小学館)を拝読しました。幕末から明治へと移り変わる動乱期の史実である宮古湾海戦が、無名の男女の物語を通してリアルに想像でき、胸が熱くなりました。

宮古湾海戦は、明治2年3月25日、旧幕府軍残存艦隊の内の「回天」が、新政府軍艦隊の集結する宮古湾へ攻め込んだ奇襲戦のことです。宮古市の資料によりますと、旧幕府軍は荒井郁之助を総司令官に、回天一隻で宮古港に停泊する新政府軍の軍艦「甲鉄」奪取を決行。回天の船首が甲鉄の脇腹に乗り上げ、兵士が甲鉄の甲板に飛び降りて戦いますが、甲鉄側も猛反撃を開始。速射砲が火を吹き、旧幕府軍の兵士は次々と倒れ、わずか30分あまりの戦いで多数の死傷者を出し作戦は失敗に終わり、退却します。江戸を離れ、遠く蝦夷の地に独立国を建設しようとした旧幕臣達の夢物語は、宮古の海に砕け散ったのでした。

さて旧幕府軍の総司令官・荒井郁之助は、日本の気象事業の始まりを支えた1人でした。原田朗(あきら)著「荒井郁之助」(吉川弘文館)によりますと、1836年(天保七年)に旗本の家に生まれた荒井は、軍艦操練所で近代的な艦船の運用の他、地政学、天文学、高等数学などを学び、幕府の命を受けて江戸湾の測量を行いました。小笠原諸島の測量では、海図も天気図も無い危険な航海で暴風雨に遭い、この経験が後の気象事業に生かされることになったと思われます。戊辰戦争の際は、軍艦頭として開陽・回天などの幕府の艦隊を率いて、新政府の許可無く江戸湾を脱走し蝦夷に向かいました。その後宮古湾において新政府軍と戦い、或いは榎本武揚とともに箱館五稜郭に奮戦しますが、敗れて獄に下ります。2年半後、西欧の科学技術に詳しいことから出獄を許され新政府に受け入れられます。内務省地理局では、一大三角測量の実施、1mを3尺3寸とするメートル法の導入、日本の経度基準点の決定、日本標準時の制定など、今日の地球物理学の礎を築く多くの重要な仕事を行っています。明治20年には新潟で、日本初の本格的な皆既日食の観測に成功。その後は地理局において測候所の全国整備を行い、明治23年、気象庁の前身である中央気象台が設置されると、その初代台長に就きました。荒井郁之助は、幕末から明治の激動期、時代に翻弄されながらも自然科学の分野で確固とした仕事を残したのでした。

 

612回「水循環型手洗いスタンド」2021年2月6日OA

2021年02月06日 6:00 PM

現在、盛岡駅西通一丁目、岩手県民情報交流センター「アイーナ」には、水循環型手洗いスタンド「WOSH」(ウォッシュ)が設置されています。水道の無い場所でも清潔な手洗いができる全く新しい手洗いスタンドです。形は公共施設で見かけるウォータークーラーに似ています。WOSHは白いドラム缶型で、高さ約1m、直径60センチ、一番上には水飲みではなく手洗いのシンクがあります。蛇口とハンドソープが出るノズルがついていて、手を触れずにセンサーで使用でき衛生的です。WOSHには20リットルの水をろ過する3つのフィルターの他、それを制御するAI=人工知能が入っています。ウイルスを死滅させ不純物をキレイにし、使用後の水を水道水の基準まで浄化し循環させることで、最大500回の手洗いが可能ということです。私も体験してみましたが、シンクの青いリングが光りながら1周するまで、たっぷりの水でもみ洗いし、実に気持ちの良いものでした。

WOSHは、元々、東京にあるWОTA(ウォータ)という会社が開発しました。そして今回、WОTAと提携している、ガスの製造販売などを行う北上市の「北良(ほくりょう)」が設置したものです。北良の笠井健(かさいけん)社長によりますと「5年前の熊本地震で被災地支援に訪れた際、避難所で手を洗えない為にノロウィルスやインフルエンザといった感染症が発生していました。断水になってもできる手洗いが必要だろうということで、こちらの開発に乗り出しました」ということです。石鹸と流水による手洗いは、最も基本的で効果のある感染症予防策とされており、手指についた菌・ウイルスを100万分の1まで減少させ主な感染経路である接触感染を防止する効果があるということです。笠井社長は「災害時だけではなく、野原やイベント会場の真ん中などにも持ち運びができます。新型コロナ禍の中、又、終息後も衛生的な環境を維持し、岩手県を災害と感染に強い地域にできれば」と語っていました。

「WOSH」は現在、東京のデパート・百貨店、JRの駅構内やコーヒーショップなど、多くの人が出入りする場所に徐々に置かれています。県内ではアイーナ3階総合受付付近に2月12日(金)まで設置されています。

607回「防災拭い 新型コロナ編」2021年1月2日OA

2021年01月02日 6:00 PM

去年4月、この番組で取り上げた「防災拭い」に、新しく「新型コロナウイルス編」が加わりました。制作、販売しているのは、デザインを手掛ける滝沢市大釜にある有限会社「クワン」です。「防災拭い」とは、災害を防ぐ「防災」と日本古来の「手拭い」をかけた造語です。災害時に落ち着いて行動するための手順や防災情報を厳選し、わかりやすいイラスト付きで手拭いに印刷しています。大きさは縦34センチ、横幅は100センチ。よく見かける手拭いより10センチ長くなっています。2005年に「防災グッズ編」と「地震編」、その後、「津波編」などを全国で販売、累計販売枚数28万枚を超えた商品で、今回の「新型コロナウイルス編」はその第6弾となります。クワンでは、以前よりインフルエンザやノロウイルスなども災害と捉え感染症対策編を企画していたところ、新型コロナ感染が拡大したことから、本格的に制作を開始したということです。

この防災拭いは、左上には「クラスター(集団)感染発生のリスクを下げるため、3つの密の空間を避ける」とイラストと分かりやすい文章で描かれていて、その下には「日常生活の中でできる予防対策」として、人との間隔をできるだけ2m空けることや、こまめな換気など、8つの新しい生活様式の実践例が解説され、防災拭いの右側には「正しい手の洗い方」「正しいマスクの使い方」が描かれています。これらの情報は岩手医科大学附属病院の櫻井滋教授が監修しました。

「新型コロナウイルス編」は、県内の住宅メーカーが感染予防の取り組みとして、1月より来店者に配布することになったなど多くの反響があるとのことです。小野公司社長は、『軽量で薄いので、畳むとコンパクトになります。鞄に入れて毎日、持ち歩いてもかさばりません。いざという時には簡易マスクになります。更に洗っても色落ちせず、乾きやすいので、お手入れしやすく便利に使えます。冬はインフルエンザや風邪のリスクも高まりますので、感染症予防意識を高めるツールとして1人1枚、お持ちいただければ』と勧めています。1枚税込み550円で、取扱店など詳細はインターネット「防災拭い」で検索すると御覧になれます。

 

606回「日本の気候変動2020」2020年12月26日OA

2020年12月26日 6:00 PM

気象庁と文部科学省は、地球温暖化による将来の予測を「日本の気候変動2020」として取りまとめました。今世紀末の世界の平均気温について、温暖化対策の国際的枠組みである「パリ協定」の目標を達成した場合の「2度上昇」、現時点を超える追加的な緩和策を取らなかった場合の「4度上昇」、この2つの想定を盛り込んでいます。

具体的に見てみると、世界の平均気温「2度上昇」では、日本の平均気温は1.4度上昇、北日本ではそれより高い1.5度上昇。1日の最高気温が35度以上の「猛暑日」は全国平均で2.8日増加、北日本では0.7日増加。夜間の最低気温が25度未満の「熱帯夜」は全国平均で9.0日増加、北日本の太平洋側で1.4日増加。最低気温が0度未満の「冬日」は全国平均で16.7日減少、北日本の太平洋側では19.2日減少する予測です。世界の平均気温「4度上昇」では、日本の平均気温は4.5度上昇、北日本の太平洋側ではそれより高く4.9度上昇。猛暑日は全国平均で19.1日増加、北日本の太平洋側では6.6日増加。熱帯夜は全国平均で40.6日増加、北日本の太平洋側では18.3日増加。冬日は全国平均で46.8日減少、北日本の太平洋側では62.8日減少する予測です。つまり猛暑日や熱帯夜はますます増え、冬日は減るのです。

降水に関しては、雨の降る日数は減少するものの、大雨や短時間強雨の発生頻度や強さは増加すると予測されています。1日の降水量が200ミリ以上の日数は「2度上昇」では1.5倍に増加、「4度上昇」で2.3倍に増加するという予測です。つまり激しい雨が増えるのです。又、地球温暖化に伴い、雪ではなく雨が増えることから、降雪量、積雪量共に「2度上昇」では現在の7割から8割弱に、「4度上昇」では現在の3割から4割に減る予測です。ただ気温の上昇により大気中の水蒸気量が増え降水量が増加します。そもそも雪が融けないような寒冷な地域であれば、大雪のリスクはあるとしています。そして水蒸気量増加は台風のエネルギー源が増えることに繋がるので、強い台風の割合が増加し、台風に伴う雨と風は強まりそうです。温暖化を緩やかにする為に、私たちの暮らしの中の省エネをより進めることが必要です。

 

604回「虹と暈(かさ)」2020年12月12日OA

2020年12月12日 6:00 PM

虹は「太陽と反対側」に、空気中の「水滴」に当たった光により出現します。英語のレインボー、レイン=雨で作られたボー=弓は、現象をよく表しています。日光ではなく、稀に月の光によっても現れるようです。倉嶋厚著「季節ほのぼの事典」(東京堂出版)には、昭和8年7月4日に北海道の寿都(すっつ)測候所で夜の虹を観測した、という記述があります。「その夜は月齢が11.1の弓張り月だった。朝から晴れていたが、夜になると霧が現れ南東の強風とともに切れ切れに飛び、霧雨のように降った。月は夜の8時半ごろに南中し、次第に南西の空に移った。そのころ、北東の空に白い虹が淡く現れ、次第に濃くなった。虹の上の方は純白だったが内部は少し青かった」ということです。月光の虹とは、何とも神秘的な光景です。

虹と似た現象で「暈(かさ)」があります。漢字で日曜日の「日」の下に軍隊の「軍」と書きます。暈は虹と違い、「太陽と同じ方向」に現れ、空気中の「小さな氷の結晶」に当たった光により出現します。氷の結晶でできた薄い雲が広がっている時、その雲を通して太陽や月が見え、その周りに光の輪ができることがありますが、それが「日暈(ひがさ)」「月暈(つきがさ)」です。

さて盛岡のルンルンさんからお便りをいただきました。ありがとうございます。「11月27日午後4時半過ぎに近くのスーパーに出かけました。太陽が沈む前でしたがお天気も良く明るかったです。風もなく穏やかでした。でも虹がありました。輪になった方は消えていましたが、太陽を挟んで両側に虹の太い柱が立っていました。太陽と同じ側に虹があったのです。普通太陽と反対側に虹ができますよね。そしてお天気なのに。虹の上にはうろこ雲のような雲がありました。虹もくっきりでした。しばらく虹は消えませんでした。この現象をお聞きしたいです」。ルンルンさんが御覧になった現象は、太陽と同じ方向ということなので、虹ではなく日暈の一種で、しかも幻の日と書く「幻日(げんじつ)」と思われます。風もなく穏やかだったということから、氷の結晶が浮かびやすい条件だったのでしょう。幻日は、日暈の光の輪の、太陽の両側にあたる部分が特に光った現象です。珍しい自然現象を見られて、何か良いことがあるかもしれませんね。

 

603回「地震時計」2020年12月5日OA

2020年12月05日 6:00 PM

遠野の70代男性からお便りをいただきました。ありがとうございます。「小生が子どもの頃(昭和30年代)家に『地震時計』らしきものが貼ってあり、祖母が地震の度に『雨が降るぞ』とか言っていました。B4版ぐらいの紙に時計が書いてあり、文言は記憶していませんが祖母は『4・6の雨に・・・』とか言っていました。天気予報の歴史の一端にあるか気になりました。何だか富山の家庭の置き薬屋が紙風船とか一緒に配ったような気がします」とのことです。

盛岡市教育委員会事務局歴史文化課に問い合わせましたが、残念ながら地震時計そのものは所管する博物館施設にありませんでした。ただ地震の時刻で天気を予想する言い伝えは、県内の民族関連の書籍に記されていました。その内、岩手県教育委員会が昭和57年3月に発行した「岩手の俗信 第二集 天文気象に関する俗信」には、「地震による天気予察」という記述がありました。『往時、地震の事や天気の事等が不可思議であった事から、この間には何か関係があるかと推量し、次のような歌が生まれています』として、胆沢、江刺、釜石、東磐井、盛岡に伝わる『九は病、五、七が雨に四つ旱、六つ八つは風とこそ知れ(くはやまい、ごしちがあめによつひでり、むっつやつはかぜとこそしれ』と紹介しています。

これらの数字は昔の時刻の表し方です。日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー 大衆芸能編 寄席」のHPでは、江戸時代の庶民の時刻の表し方について「午前0時が九つで、約2時間ごとに八つ(やつ)、七つと数が減り、四つ(よつ)まで行くと再び九つになります。9は1桁の中で一番大きい数字なので縁起がよいという考え方があり、九つから始まっています。本来、次はその2倍の18、その次は3倍の27なのですが、数字が大きくなって数えるのが大変なので10の位を取り除き八つ、七つと表しています」と解説しています。つまり先程の歌であれば、0時(九)に揺れが来れば病気がはやる前兆、8時(五)と4時(七)なら雨が降り、十時(四)は日照り、六時(六)と二時(八)に揺れれば大風の吹くしるしだ、と言うことです。これらは迷信ですが、先人の残した言葉に触れると、自然を理解しようという探究心は今も昔も変わらない、ということを実感します。

601回「小春」2020年11月21日OA

2020年11月21日 6:00 PM

陰暦10月の別名は前回お伝えした「時雨月」の他「小春月」という呼び方もあります。今日は「小春」についてです。11月は平地でも雪が降り出し、近づく冬の足音を実感しますが、そんな中にも、一時的に、穏やかに晴れて暖かくなる日があります。晩秋から初冬に、大陸から進んできた移動性高気圧に覆われ、まるで春を思わせるような暖かさになる日を「小春日和」と言います。

倉嶋厚著「季節おもしろ事典」(東京堂出版)には、小春日和のことをアメリカで『インディアン・サマー』と表現すると解説しています。アメリカ先住民が、思いがけず現れた暖かい日を利用して、冬ごもりの支度をしたり、南に移動するため平原に姿を現したりするため、とのこと。この言葉はヨーロッパにも伝わって用いられていて、日本の春や秋のように快適な気候のようです。しかしこぼれ話として、日本の気候学者が知らずに『インドの夏』と訳してしまったため、「外国の小春日和はよほど暑いのだろう」と誤解を生んだエピソードも紹介されています。同じく倉島厚著「季節つれづれ事典」(東京堂出版)には、小春日和に相当する各国の言葉として、ドイツ語の「老婦人の夏」、ロシア語の「女の夏」を挙げています。理由として「小春日和の青空の下、キラキラ光りながら飛ぶクモの糸が、白髪に見え女性を連想させた」という説は美しく、興味深い話です。

冬の季語「小春」は「春」の字が使われているため、「春先の暖かい日」のことと誤解されることがあります。文化庁が行っている国語に関する世論調査で「小春日和」について尋ねた際、本来の意味である「初冬の頃の穏やかで暖かな天気」と答えた人は51.7%、又、本来の意味とは異なる「春先の頃の穏やかで暖かな天気」と答えた人は41.7%と、僅差でした。年齢別に見ると「初冬の頃の穏やかで暖かな天気」と答えた人の割合は50~60代で他の年代より高く6割前後でした。一方、「春先の頃の穏やかで暖かな天気」と答えた人の割合は、16~19歳で66.1%、20代で54.5%と他の年代より高く5割を超えていました。言葉は変化していきますので、今後、本来の意味ではない「春先の暖かい日」に使う人の方が大勢を占める日が来るかもしれません。

600回「時雨」2020年11月14日OA

2020年11月14日 6:00 PM

旧暦10月、今年は現行暦で明日11月15日から始まります。旧暦10月の別名を時の雨と書く「時雨月」と言います。今日はこの「時雨」についてです。時雨は、晩秋から初冬にかけ、空が曇り、急にぱらぱらと降ってはやみ、数時間で通り過ぎてゆく雨のことです。広辞苑には「『過ぐる』から出た語で、通り雨の意」とあります。大陸からの寒気が日本海の海面で暖められ、積雲や積乱雲が次々と通る為に起こります。通り過ぎた雲と、次に来る雲の間に日光が差し込んでできる虹を「時雨虹」と言います。虹は太陽の光が斜めに差し込む朝や夕方に多いのですが、太陽高度が低い晩秋から初冬に南が晴れて北が降っているような時、日中でも北の空に虹が現れることがあります。夏の鮮やかな虹とは違う、淡い日差しでできる儚い虹です。通り雨の意味の他、細かく切ったショウガなどと一緒に煮たハマグリなどのつくだ煮である「時雨煮」の意味もあります。その語源は、時雨月のハマグリは味が良いという説があるようです。

時雨は昔から詩歌に最もよく詠まれた雨の一つのようです。平安の都、京都の北側を囲む山地から降る雨を「北山時雨」と呼ぶように、時雨といえば北山が有名です。厳しい冬が来る前に、降ったり照ったりする空模様と人生を重ね合わせたのでしょう。時雨は冬の季語です。種田山頭火の自由律の句「うしろすがたのしぐれてゆくか」。時雨が降る中をとぼとぼ歩み去って行く、わびしい後ろ姿を見つめるもう一人の自分を詠んだものです。時雨には小さな夜と書く「小夜(さよ)時雨」という言葉もあります。夜に降るしぐれのことです。志田野波(やば)の句「小夜しぐれ隣の臼は挽きやみぬ」。旅の宿で時雨が通り過ぎると、さっきまで聞こえていた近くの民家の石臼を挽く音はもう鳴り止んでいた、という静かな冬の夜の趣を表しています。

演歌には、都はるみさんの「大阪しぐれ」、同じく都はるみさんと岡千秋さんの「浪花恋しぐれ」のようにタイトルに使われている曲があります。大阪では、冬型の気圧配置になると日本海側の雨雲の一部が流れ込み、しぐれることがあります。その時雨の比喩的な意味である「涙ぐむ」を、人生の涙になぞらえたものと思われます。

598回「住宅用火災警報器の効果」2020年10月31日

2020年10月31日 6:00 PM

今日は住宅用火災警報器についてです。大切な命を守る為、平成16年に消防法が改正され、全ての住宅に住宅用火災警報器の設置が義務付けられました。消防庁によりますと、住宅火災で犠牲になる方は逃げ遅れが最も多く全体の約6割を占めています。時間帯別にみると、火災件数自体は起きている時間帯が多い一方で、火災死者数は就寝時間帯の方が多くなっています。就寝中、火災発生に気づく為に、火災警報器は「寝室」に設置することとされています。又、寝室が2階にある場合は、火災による煙が集まりやすく、寝ている方にとって唯一の避難経路となる「階段」にも設置することとされています。

火災警報器は、どのくらい効果があるのでしょうか。平成28年から平成30年までの3年間における失火を原因とした住宅火災について、火災報告を元に住宅用火災警報器の効果を調査したデータがあります。死者数、焼損床面積及び損害額を見てみると、住宅用火災警報器を設置している場合は、設置していない場合に比べて、死者の発生は約4割減り、焼損床面積と損害額は概ね半減するという分析になりました。住宅用火災警報器を設置すれば、火災発生時の死亡リスクや損失の拡大リスクを大幅に減少することが証明された形です。住宅用火災警報器の全国の普及率は令和元年6月1日時点で82.3%。岩手県の普及率はそれをやや上回る83.8%です。しかし併せて行った全国での維持管理に関する調査では、作動確認を行った約68%の内、約1%で電池切れや故障が確認されたということです。本体の交換の他、定期的な動作確認が重要といえます。改めて我が家の火災警報器を確認すると、2006年製で、既に14年経過していました。ボタンを押すと警報音が鳴り作動しましたが、10年を経過すると電池切れや電子部品の寿命で、いざという時に作動しない恐れがある為、先日、新品に交換しました。

これから冬になると空気が乾燥し、物が燃えやすくなり、又、暖房器具等の使用も加わり出火のリスクが高くなります。過去には就寝中、掛け布団が電気ストーブに触れ、ふとんを焦がし、寝室の住宅用火災警報器が鳴り、気づいた居住者が、急いで水をかけ、大事に至らなかったという例もありました。万が一の時、住宅用火災警報器があれば、いち早く火災を知らせてくれるのです。