気象と防災 マメ知識!

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気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

505回「公衆電話」2019年1月12日OA

2019年01月12日 6:00 PM

NTTタウンページは、県が提供する防災情報に加え、各地域の避難所の場所などを記したマップを掲載した「防災タウンページ」を、県内の住宅や事業所へ配布しました。最近は若い人を中心に公衆電話の使い方を知らない人も多いことから、使い方も掲載されています。公衆電話は災害時、優先的に使える通信手段です。総務省によりますと、災害等の緊急時に電話が混み合い、通信規制が実施される場合であっても、通信規制の対象外として優先的に取り扱われます。又、NTTの通信ビルから電話回線を通じて電力の供給を受けている為、停電時でも電話がかけられるのです。公衆電話には外観が緑の「アナログ」と、外観が緑又はグレーの「デジタル」の2種類があります。見分け方は、緊急通報用の赤いボタンがある方が「アナログ」で、無い方が「デジタル」です。

さて停電時や災害発生時の使い方についてです。「アナログ」の場合、停電時、赤いランプが消えています。停電時と通常時の使い方は基本的に同じですが、停電時はテレホンカードが使えないことに注意が必要です。又、大規模災害が発生し無料となった場合、受話器を上げ、硬貨かテレホンカードを一旦投入し、発信音を確認してから電話番号をダイヤルします。通話終了後、硬貨又はテレホンカードは返却されます。次に「デジタル」の場合、停電時、液晶ディスプレイが消えています。停電時と通常時の使い方は同じですが、停電時はこちらもテレホンカードが使えないことに注意が必要です。大規模災害が発生し無料となった場合、硬貨やテレホンカードは不要です。受話器を上げただけで発信音が聞こえますので、そのままダイヤルします。

又、公衆電話とは異なる「特設公衆電話」をご存知でしょうか。災害時用公衆電話のことで、被災者等が無料で使える卓上の電話機です。避難所等に保管されていて普段は使えませんが、災害が発生した際、施設管理者が端末を設置するものです。岩手県内全ての市町村で、小学校等の避難所に収容人数100人に1台の割合で配備されています。公衆電話の場所や、特設公衆電話の配備場所については、お手元の防災タウンページで御確認下さい。

 

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504回「亥年の自然災害」2019年1月5日OA

2019年01月05日 6:00 PM

干支によって災害が多いのかどうか、気になります。過去の亥年の記録を調べてみました。国交省岩手河川国道事務所によりますと、72年前の亥年1947(昭和22)年9月14日から16日にかけて岩手を襲った「カスリン台風」は山間部を中心に長雨をもたらしました。戦時中に山の木々が伐採されていて保水力が無く北上川が氾濫し、被害は死者130人、行方不明者38人、住宅被害は4万2161戸に上りました。特に一関周辺での被害は町を呑み込むほどで、狐禅寺での最高水位はビル6階の高さに相当する17.58mを観測しました。この他も調べてみましたが、県内では明治以降、亥年で目立った気象災害は無いようです。

しかし全国に目を向けると、亥年は大災害が頻発していることがわかります。24年前の1995(平成7)年1月17日、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の「阪神大震災」が発生。神戸市などでは最大震度7に達し、家屋やビルの倒壊、火災により死者6000人以上、負傷者4万人以上の大惨事となりました。36年前の1983(昭和58)年5月26日、秋田県沖を震源とするマグニチュード7.7の「日本海中部地震」では、犠牲になった104人の内、100人は津波によるものでした。60年前の1959(昭和34)年9月26日、超大型の「伊勢湾台風」が潮岬付近に上陸。名古屋市の西から富山湾を経て北上、三陸沖に抜けました。伊勢湾沿岸の高潮による被害を中心に、全国の死者・行方不明者は約5000人に上りました。96年前の1923(大正12)年9月1日、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の「関東大震災」が発生。死者・行方不明者は約10万5000人、その内約9万2000人は火災により命を落としました。更に遡り江戸時代、312年前の1707年10月28日、東海地方から四国・九州にかけて起きた「宝永地震」では、大津波、山崩れが起き49日後に「富士山が大噴火」しました。東海道、紀伊半島を中心に約2万人が亡くなりました。同じく江戸時代、408年前の1611年12月2日、三陸沖を震源として起きた「慶長地震」では、東北・北海道を大津波が襲い、甚大な被害をもたらしまた。

大災害が決まった周期で起こるわけではありませんが、過去の自然災害を振り返り、備えを見直すことは大切です。穏やかな1年になることを願うばかりです。

 

501回「未来へのきずな2」2018年12月15日OA

2018年12月15日 6:00 PM

前回に続いて、みやぎ防災教育副読本「未来へのきずな」についてです。気象庁のHP内に開設された「防災教育に使える副教材、副読本ポータルサイト」にリンクが貼られています。東日本大震災を経験した宮城県の子ども達が、防災について考え、行動し、きずなを大切にしていけることを願って作成されたものです。

高校生向けの教材「災害から命を守る情報収集」のページでは、災害時、適切な避難行動をとれない心理的傾向について解説しています。東日本大震災の被災3県、岩手、宮城、福島の沿岸部では、大地震の揺れで助かったにも関わらず、高台に避難せず津波で命を失ったり、助かった人達の中にもすぐに避難せず津波に巻き込まれたりした人がいました。地震の揺れが収まった後の行動を調べてみると、57%の人は揺れの直後に避難しましたが、42%の人はすぐに避難しなかったことが分かりました。

教材では、適切な避難行動を妨げる心理は、考えや意見に隔たりを生じさせる「バイアス」が関係していて、「正常性バイアス」「楽観主義バイアス」「多数派同調バイアス」の3つがあると指摘します。「正常性バイアス」は、異常事態に遭遇した時、なるべく正常であると解釈しようとする傾向のことです。『どうせこんなことは起こるはずがない』『信じられない』と自分にとって都合の悪い情報を無視したり、目の前に起きていることを過小評価したりしてしまい、何かの間違いだと思ってしまうのです。「楽観主義バイアス」は、できるだけ楽観的に解釈しようとする傾向のことです。異常事態に遭遇しても『いつもと変わらない』『自分だけは大丈夫』と自分の身に降りかかることは少ない、楽観的な側面から見ようとしてしまうのです。「多数派同調性バイアス」は、どうしていいかわからない時、他の人と同じ行動をとったり、迷った時は周囲の人の動きを探りながら行動をとったりすることが安全だと考える傾向のことです。『みんながそうしているから』『他の人も逃げていないから』と、とりあえず周りに合わせようとするのです。このような心理状態に陥ることを平時に理解し、いざという時、冷静に適切な避難行動をとれるように意識しましょう。

499回「暖房器具使用時の注意」2018年12月1日OA

2018年12月01日 6:00 PM

暖房器具が欠かせない時期になりました。一般的に1日の平均気温が10度を下回るとスイッチを入れると言われています。この気温を平年値に当てはめると、暖房を使用する期間は、盛岡の場合、10月下旬から4月下旬、宮古の場合は11月上旬から4月下旬にかけてが多いと思われます。暖房は誤った使い方や不注意により火災などの事故が発生する為、注意が必要です。NITE(ナイト)=製品評価技術基盤機構に寄せられた情報によりますと、2013年度から2017年度の5年間に全国で暖房器具の事故により107人が亡くなりました。

2016年11月、愛知県では、男性が電気ストーブを使用中、前面ガードに可燃物が接触して火災が発生し1人が亡くなりました。ストーブの上で衣類を乾燥させると、乾いて軽くなった衣類などが上昇気流であおられて落下し、高温部に接触することで、火災に至る恐れがあります。ストーブ前方に干したとしても、放射熱が起こす空気の対流により衣類などが高温部に接触して危険です。ストーブの周囲に布団や衣類などを置いたり、カーテンの近くにストーブを置いたりしないように注意して下さい。今年1月、栃木県では、男性が石油ストーブのカートリッジのふたを十分に締めていなかった為、タンクをストーブへ戻す際にふたが外れ灯油が漏れ、漏れた灯油が高温状態の燃焼部にかかり火災が発生、住宅を全焼し1人が亡くなりました。給油する際は必ず消火することが大切ですが、ストーブ等が消火状態でも、再点火した際、こぼれた灯油に引火した事故や、消火直後の高温状態の燃焼部に灯油がこぼれて発火する事故が発生しています。灯油がこぼれた場合、灯油が機器内部に浸入している恐れがありますので、再点火を行わずに使用を中止し、販売店に相談して下さい。

又、2015年2月、神奈川県では女性が就寝時、ゆたんぽを長時間、脚に接触させて使用した為、低温やけどを負いました。取扱説明書には、低温やけどを防ぐ為「布団が温まったら、ゆたんぽを布団から取り出して就寝する」旨、記載されていました。温かいと感じる程度の温度でも、長時間にわたって皮膚の同じところに触れていると、皮膚温度が上がり、皮下の細胞組織などが壊死するために「低温やけど」になるのです。暖房器具による火災などの事故の件数は、毎年、年末年始にピークを迎えます。誤った使い方や不注意で事故を起こさないよう、お互いに気を付けましょう。

498回「自衛隊のライフハック」2018年11月24日OA

2018年11月24日 6:00 PM

今日は、自衛隊のライフハック、つまり仕事術についてです。災害や事故の時に役立つ知識が、自衛隊のHPに掲載されています。まずは「ケガ人の運び方」についてです。道具もなく、急いでいる場合、直接、ケガ人を担ぐことになります。2人で運ぶ場合、負傷者を座らせ、2人が両脇にしゃがみます。そして負傷者の腕を2人の肩に回してもらい、負傷者の背中と膝の裏で2人が手を組みます。膝の裏で組んだ手の上に負傷者を座らせるようにして運ぶ方法で、「両手搬送」と呼ばれています。搬送する際は、お互いに声を掛けタイミングを図ることが大切です。1人で運ぶ場合は、背負っての搬送が良いとのことです。意識がある場合、負傷者自らが体を掴んでくれることで、搬送中も安定します。もし意識が無い場合は、負傷者をうつ伏せにします。上体を起こし、腰から立ち上げます。そしてお腹を背負うにして抱え込みます。これを「消防士搬送」と呼ぶそうです。降ろす時は、軽く足を振るようにして、かかとから降ろすそうです。無理に動かすより、安静に搬送した方が良いことがほとんどですが、一刻を争う際の運び方として覚えておくと良さそうです。

続いて「初期消火の基礎知識」です。基本は「電気と油が燃えている時は、絶対に水をかけない」です。例えば、電源タップが燃えている時は、主電源を切ることが重要です。水をかけると感電のリスクが高まります。油が燃えている時は、消火器、砂などで対処して下さい。油は水をかけると、爆発する恐れがあります。

次に「車に積もった雪の落とし方」です。フロントガラスや窓に積もった雪を落とすだけでは、ブレーキ時、屋根の雪が落ちてきて視界が塞がれ非常に危険です。雪は前後ではなく左右に落とします。前は進行方向を妨げない為、後ろは雪による排気口の詰まりを防ぐ為です。万が一、排気口に雪が詰まると、排気ガスが車内に回り、一酸化炭素中毒を起こす恐れがあります。最後に冬場「車内のガラス曇りを軽減する方法」です。エアコンや曇り止めをすることで軽減できますが、意外と靴についた雪が盲点です。溶けた雪が車内の湿度を上げ、フロントガラスを曇らせる原因の一つになります。乗る前にしっかりと靴の雪を落としましょう。危機管理のプロである自衛隊のノウハウが詰まったHPは「自衛隊 ライフハック」で検索すると御覧になれます。

487回「岩手のオーロラ」2018年9月8日OA

2018年09月08日 6:00 PM

もりおか歴史文化館のテーマ展「太陽と月、ときどき星」を拝見しました。江戸時代を中心とした天文現象の記録、描かれた太陽・月・星の姿を紹介しています。その中に今から約250年前、全国的に見えたとされる赤いオーロラの史料がありました。江戸時代後期の歴史書、盛岡藩士の「見聞随筆」で「1770(明和7)年秋、日にちは忘れたが、夜8時頃から空に突然『あかけ』が現れ、夜通し見えて、京の都では『北方の火事だ』と言い、江戸では『千葉や茨城のあたり』という人も多く、原因は分からず、日本国中、見えない所は無かった」と記述されています。

日本天文学会・天文月報1999年2月号によると、太陽活動の活発な時期には、日本のような低緯度地帯でもしばしば、北の空が暗い赤色に染まる巨大な幕のようなオーロラが観測されることがあり「低緯度オーロラ」と呼ばれているそうです。古い記録では、低緯度オーロラを赤い空気の気「赤気(せっき)」と表し、史料の中には「夜に北の空が火事のように赤くなり、白い大蛇のようなものが現れた」と書かれているそうです。興味深い話しです。

実は17年前の2001年、IBC宛てで、オーロラに関する葉書をいただいたことがあります。「47歳になる主婦ですが、玉山村出身の私が小学低学年の頃、オーロラを見た記憶があるのです。人に話してもなかなか信じてもらえないのですが、是非調べてもらえないでしょうか」探したところ、お葉書を下さった方が見た時期とほぼ一致するオーロラに関する記事が、1958(昭和33)年2月12日の岩手日報夕刊に掲載されていました。その前日の2月11日午後6時半から8時半頃までの間に、新潟から北の、北海道、東北、北陸、信越、関東の東日本各地にわたってオーロラを観測。赤い弓のような形で、一部では線のようになって脈打つように見えたという事です。このオーロラは大変規模が大きく、広範囲で天候に恵まれた為よく見えました。ラジオをお聞きの方の中でも、ご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。人々が天文に思いを寄せた一端を感じられる、もりおか歴史文化館のテーマ展「太陽と月、ときどき星」は今月17日まで開かれています。

480回「いいたて雪っ娘」2018年7月21日OA

2018年07月21日 6:00 PM

先月14日に訪れた福島県飯舘村についてです。去年3月31日、放射線量が高い一部地域を除いて避難指示が解除されました。人口5777人の内、6月1日現在、村内に住んでいるのは419世帯、832人で、その他の村民は県の内外に避難したままです。去年春には、主要野菜の出荷制限が解除され、村の農業は復活への第一歩を踏み出しました。

この日、「いいたて雪っ娘(こ)かぼちゃプロジェクト協議会」会長の渡邊とみ子さん(64)を訪ねました。福島市出身で結婚を機に飯舘村に住みました。村で特産品を作る話が持ち上がった際、飯舘村出身の菅野元一(かんのもといち)さんが品種改良したかぼちゃが素材として取り上げられ、その研究会の会長に就任。栽培から加工、販売までの6次産業化を目指し2007年に加工施設を作りました。「いいたて雪っ娘」と名付けられ品種登録が決まる直前の2011年、東日本大震災の原発事故が発生、全村避難となってしまいました。活動を休止せざるを得ない状況でしたが、ここまで育んできた「いいたて雪っ娘」を守る為に、避難先の福島市で土作りから栽培を再開。先が見えない状況の中「かぼちゃが文句も言わずに芽を出す姿に励まされ、泣きながら作業した。負けちゃいられないと思った」と当時を振り返ります。全国から支援を受け継続的な生産環境が整い、仲間と共に福島市内に農産物加工所を作り、又、去年からは復興のシンボルとして飯舘村での栽培を再開しました。

リフォーム中の飯舘村の自宅と福島市を往復する現在は、福島市で75アール、飯舘村で80アールの畑で育てています。渡邊さんは、飯舘での栽培を通して、逞しく成長するのは先人達が作った肥沃な土地があるからだ、と改めて気付きました。冬越しできる「いいたて雪っ娘」は、白く輝く薄皮に包まれ、濃い黄色の果肉で、ほっくりした食感から生まれる、やさしく濃厚な甘さが特徴です。現在、マドレーヌ、カレー、スープなどにも加工し販売しています。渡邊さんは「営農が再開され、復興の歩みを実感できるようになった。自然豊かな飯舘村を見てほしい」と、マルチの間から顔を出した「いいたて雪っ娘」の双葉に目を細めていました。

 

479回「震災遺産」2018年7月14日OA

2018年07月14日 6:00 PM

今日は福島県の「震災遺産」についてです。福島県立博物館を事務局としたプロジェクトでは、震災が産み出したものを、次世代に伝え遺すべき歴史的資料、すなわち震災遺産と位置付け、その保全を目的に2014年度からフィールド調査や資料収集に取り組んでいます。「震災の時刻で止まった時計」「安定ヨウ素剤」「配達されなかった新聞包み」など登録された2036件は、原則として福島県立博物館に運ばれ保存処置されました。その内、現地保存された震災遺産が、先月13日に訪れた福島県富岡町に展示されていました。双葉警察署脇、児童公園の一角にあったのは津波で被災した一台のパトロールカーです。ベース車両はトヨタ・クラウン。上部はすっかり無くなり、赤茶けたフレームはへし曲がり剥き出しで、水の力でここまで車が破壊されるのかと身震いします。花や飲み物が捧げられた隣には、展示された経緯がパネルに記されていました。

車両は2003年に双葉警察署に配属後、富岡町や双葉郡内の住民や地域の安全を守る多くの業務に携わり、走行距離は29万2000キロを超えました。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生後、双葉警察署から増子洋一警視(当時41歳)と佐藤雄太警部補(当時24歳)がこのパトカーで富岡町仏浜地内に急行し、町民らの避難誘導を行いました。避難した住民の中には、駆け付けたこのパトカーと冷静に避難誘導をしていた2人の姿を鮮明に覚えている人が多くいました。その後パトカーは2人の警察官と共に津波に遭い、多量の土砂が流入した車両は子安橋のたもと付近で見つかりました。増子警視は地震から約1か月後に陸地から30キロ離れた沖合で発見されましたが、佐藤警部補は行方不明のままです。

富岡町ではあの日、震度6強の揺れを観測、21.1mを超える津波が襲い、町内で直接亡くなった人が18人、震災後、体調を崩すなど関連して亡くなった人は425人に上ります。カーポートの下に設置されたこのパトカーは、津波が近づく中、使命感と勇気を胸に多くの住民を守る為に職務を全うした人達がいたこと、そして平穏な町を襲った地震や津波の威力の凄まじさを、静かに語り続けます。

 

478回「富岡町」2018年7月7日OA

2018年07月07日 6:00 PM

先月13日、東日本大震災で津波・原発事故の被災地となった福島県を地元のガイドが案内する「Fスタディツアー」に参加しました。2011年4月から活動を続けていて、これまで約5000人を案内してきました。緑のビブスを着たガイドは坂本雅彦さん(44)です。いわき市出身で、コンクリート製品の企業に就職しました。しかし震災後、「福島で起きたことを伝えたい」と、2016年、ツアーの本部を置くいわき市の老舗温泉旅館「古滝屋」に転職し、故郷の情報を発信しています。

常磐道を北上し1時間、訪れたのは「富岡町」です。去年4月1日、避難指示が一部、解除されました。5月1日現在の人口は5507世帯、13185人。町内居住者は避難指示解除直後の去年5月1日には86世帯128人、現在は426世帯、614人に増加。全人口の4.6%が戻った計算です。去年春には、スーパーやドラッグストア、ホームセンターや飲食店が入居する公設民営の複合商業施設がオープン。津波で流出し、元の場所から100m北に建て直したJR常磐線・富岡駅は去年秋から一部区間で再開通しました。又、今年4月、7年ぶりに町内で小中学校が再開、富岡校には児童生徒17人が通っています。これらショッピングモール、駅、学校に近いエリアは、真新しい戸建てや集合型の災害公営住宅が建ち並んでいますが、ベランダに洗濯物が干してある世帯は数えるぐらいです。復興工事関係の車両は多く行き交うものの、この地に町民の暮らしがあることは、あまり実感できません。

車で15分ほど北に進むと、桜の名所「夜の森(よのもり)」があります。樹齢100年のソメイヨシノの緑のトンネルは全部で約500本。周辺の住宅地一体がバリケードで覆われていて、その向こうは帰還困難区域です。警備員が立っていて、バリケードより先は放射線量が高く立ち入ることはできません。夜の森地区の全ての桜を楽しめる日がいつになるのか未定です。坂本さんは「ツアー参加者の中には、シダレザクラの枝が下がった姿を見て『放射能のせいでは』と心配するような風評が未だにある。イメージだけで福島を見ないでほしい。足を運んでいただいて、同じ東北、お互いに手を取っていけたら」と岩手のリスナーに来訪を呼びかけていました。

 

467回「避難所運営マニュアル」2018年4月14日OA

2018年04月14日 6:00 PM

今回は3年前の3月、陸前高田市がまとめた避難所運営マニュアルを取り上げます。避難所に関する基本的な考え方、避難所組織のあり方や活動内容をまとめたもので、一定期間の避難生活を想定しています。「事前対策」、「初動対応」、「運営」の大きく3章に分かれ、事前対策では「地域住民による『自主運営』」「震災検証報告書で整理された課題や教訓を反映」「要配慮者が安心して生活を送れる」を運営の基本方針としています。机上のマニュアルではなく、東日本大震災での教訓や課題が反映されているところが、円滑な避難所運営の為の大きなヒントになります。

東日本大震災では、市が運営する避難所26か所と併せて、地域で自発的に開設された避難所が58か所ありました。市が指定していないものの、地域の公民館や集会所等が自主受け入れ避難所になったもので、全避難所の約70%を占めました。しかし開設状況の把握が困難で、食料・物資が行き渡りませんでした。マニュアルでは「各施設から、コミュニティセンター単位で設置されている地区本部へ、積極的に情報提供することが重要」と指摘しています。又、被災した自宅で生活している人達の所在の把握が困難で、食料・物資の支援等で課題が生じたことから「在宅避難者は自ら地区本部に申し出を行い、登録する等の対応が必要」としています。市が状況を把握しないと、食料・物資等の支援が受けられません。自主受け入れ避難所、在宅避難者共に、「行政との連携」が鍵となります。

この他、食料・物資の調達に関して「地域で米を調達できたとしても、籾の状態で保管していた為、精米機の動力源の確保が困難で、食料として利用するまで時間がかかった」ことから、「停電に備え事前にガソリンや軽油等で稼働する発電機を準備するよう努め、地域での食料調達について日頃から話し合うこと」としています。又、電気、ガス、水道が使用できない状況で炊き出しが行われたことから「カセットコンロ、かまど等の器具や、パック容器を事前に準備することが有効」と指摘しています。このマニュアルは、インターネットで「陸前高田市避難所運営マニュアル」で検索し御覧になれます。

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