気象と防災 マメ知識!

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気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

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489回「液状化現象」2018年9月22日OA

2018年09月22日 6:00 PM

今月6日午前3時8分に発生した北海道胆振東部地震についてです。北海道厚真町(あつまちょう)で震度7、安平町(あびらちょう)、むかわ町で震度6強を観測しました。震源は胆振地方中東部、深さは37キロ、地震の規模を表すマグニチュードは6.7と推定されます。北海道で観測史上初の震度7と、経験したことのない非常に強い揺れだった厚真町では、緑の山々の至る所で土砂崩れが発生し、茶色い山肌が露わになり、家屋が土砂に呑み込まれました。北海道によると41人の方が犠牲になり、その内36人が厚真町の方でした。

震度6弱を観測した地域のあった札幌市では液状化現象が起きました。道路が波打ち、大きな穴があちこちに開き、泥が流れ込み出入り口が塞がれた住宅もありました。液状化の仕組みは、砂浜の波打ち際に立ち、体を揺すると砂に足がめり込み、海水が浮いてくるのに似ています。液状化が起こる土地は、地震前は砂などの粒同士がくっつき、その間を水が満たし地盤を支えています。しかし大きな揺れで、粒同士の結合がなくなります。すると水が分離して浮き上がり、砂の粒が沈み、地盤沈下や亀裂を引き起こすのです。

関東学院大学の若松加寿江(わかまつかずえ)研究員らの調査によりますと、東日本大震災の際、県内では北上川沿いの北上、花巻を中心に7つの市と村で液状化が確認されました。この内、花巻市では、花北地区と呼ばれる一日市(ひといち)、坂本町(さかもとちょう)、愛宕町(あたごちょう)、四日町(よっかまち)、下幅(したはば)の道路や住宅で発生しました。一帯は、かつて北上川が湾曲して流れていた場所です。その後、長らく水田として利用されていましたが、1960年代後半から家屋が建ち始め、1990年代終わりには全て宅地化されました。液状化の危険のある土地の条件は「海を埋め立て造成した所」「昔、川や沼地だった所」「昔、川の氾濫常襲地だった所」ということです。自宅の液状化が心配な方はどちらに相談したら良いのか、県に尋ねたところ「施工業者など、民間業者にお問い合わせ下さい」とのことです。若松研究員は岩手のリスナーに「地震災害は『時を選ばず、場所を選ばず、予告せず』です。自然災害多発大国の日本にあって、被害軽減は住んでいる土地のリスクを知り『備え』しかありません」と、1人1人の減災への取り組みを訴えています。

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479回「震災遺産」2018年7月14日OA

2018年07月14日 6:00 PM

今日は福島県の「震災遺産」についてです。福島県立博物館を事務局としたプロジェクトでは、震災が産み出したものを、次世代に伝え遺すべき歴史的資料、すなわち震災遺産と位置付け、その保全を目的に2014年度からフィールド調査や資料収集に取り組んでいます。「震災の時刻で止まった時計」「安定ヨウ素剤」「配達されなかった新聞包み」など登録された2036件は、原則として福島県立博物館に運ばれ保存処置されました。その内、現地保存された震災遺産が、先月13日に訪れた福島県富岡町に展示されていました。双葉警察署脇、児童公園の一角にあったのは津波で被災した一台のパトロールカーです。ベース車両はトヨタ・クラウン。上部はすっかり無くなり、赤茶けたフレームはへし曲がり剥き出しで、水の力でここまで車が破壊されるのかと身震いします。花や飲み物が捧げられた隣には、展示された経緯がパネルに記されていました。

車両は2003年に双葉警察署に配属後、富岡町や双葉郡内の住民や地域の安全を守る多くの業務に携わり、走行距離は29万2000キロを超えました。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生後、双葉警察署から増子洋一警視(当時41歳)と佐藤雄太警部補(当時24歳)がこのパトカーで富岡町仏浜地内に急行し、町民らの避難誘導を行いました。避難した住民の中には、駆け付けたこのパトカーと冷静に避難誘導をしていた2人の姿を鮮明に覚えている人が多くいました。その後パトカーは2人の警察官と共に津波に遭い、多量の土砂が流入した車両は子安橋のたもと付近で見つかりました。増子警視は地震から約1か月後に陸地から30キロ離れた沖合で発見されましたが、佐藤警部補は行方不明のままです。

富岡町ではあの日、震度6強の揺れを観測、21.1mを超える津波が襲い、町内で直接亡くなった人が18人、震災後、体調を崩すなど関連して亡くなった人は425人に上ります。カーポートの下に設置されたこのパトカーは、津波が近づく中、使命感と勇気を胸に多くの住民を守る為に職務を全うした人達がいたこと、そして平穏な町を襲った地震や津波の威力の凄まじさを、静かに語り続けます。

 

478回「富岡町」2018年7月7日OA

2018年07月07日 6:00 PM

先月13日、東日本大震災で津波・原発事故の被災地となった福島県を地元のガイドが案内する「Fスタディツアー」に参加しました。2011年4月から活動を続けていて、これまで約5000人を案内してきました。緑のビブスを着たガイドは坂本雅彦さん(44)です。いわき市出身で、コンクリート製品の企業に就職しました。しかし震災後、「福島で起きたことを伝えたい」と、2016年、ツアーの本部を置くいわき市の老舗温泉旅館「古滝屋」に転職し、故郷の情報を発信しています。

常磐道を北上し1時間、訪れたのは「富岡町」です。去年4月1日、避難指示が一部、解除されました。5月1日現在の人口は5507世帯、13185人。町内居住者は避難指示解除直後の去年5月1日には86世帯128人、現在は426世帯、614人に増加。全人口の4.6%が戻った計算です。去年春には、スーパーやドラッグストア、ホームセンターや飲食店が入居する公設民営の複合商業施設がオープン。津波で流出し、元の場所から100m北に建て直したJR常磐線・富岡駅は去年秋から一部区間で再開通しました。又、今年4月、7年ぶりに町内で小中学校が再開、富岡校には児童生徒17人が通っています。これらショッピングモール、駅、学校に近いエリアは、真新しい戸建てや集合型の災害公営住宅が建ち並んでいますが、ベランダに洗濯物が干してある世帯は数えるぐらいです。復興工事関係の車両は多く行き交うものの、この地に町民の暮らしがあることは、あまり実感できません。

車で15分ほど北に進むと、桜の名所「夜の森(よのもり)」があります。樹齢100年のソメイヨシノの緑のトンネルは全部で約500本。周辺の住宅地一体がバリケードで覆われていて、その向こうは帰還困難区域です。警備員が立っていて、バリケードより先は放射線量が高く立ち入ることはできません。夜の森地区の全ての桜を楽しめる日がいつになるのか未定です。坂本さんは「ツアー参加者の中には、シダレザクラの枝が下がった姿を見て『放射能のせいでは』と心配するような風評が未だにある。イメージだけで福島を見ないでほしい。足を運んでいただいて、同じ東北、お互いに手を取っていけたら」と岩手のリスナーに来訪を呼びかけていました。

 

477回「南海トラフ巨大地震の被害想定」2018年6月30日OA

2018年06月30日 6:00 PM

気象庁によりますと、南海トラフ地震は駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域として概ね100~150年間隔で繰り返し発生してきた大規模地震です。前回の地震発生から70年以上が経過した現在、次の南海トラフ地震発生の切迫性が高まってきています。内閣府が2012年8月に公表した被害想定では、多くの人が自宅で就寝中に被災、家屋倒壊による人的被害の危険性が高く、津波からの避難が遅れる恐れがある「冬の深夜」に巨大地震が発生した場合、関東から西の都府県で最大32万3000人が亡くなる恐れがあるとしています。又、2013年3月に公表した経済的な被害については、資産等の被害や生産・サービス低下による影響、交通寸断による影響等、計220兆円と推計しました。

しかし今年6月、土木学会が公表した推計はそれを大幅に上回る巨額なものでした。人口や生産拠点の流出など、阪神大震災の時と同様に20年間継続すると想定し、20年の経済低迷効果をシミュレートしたものです。地震・津波によって生産施設等が破壊され、交通インフラが破壊される事を通して低迷する経済被害は1240兆円。建築物や工場などの資産被害は170兆円です。経済被害と資産被害を合わせて1410兆円となりました。集計方法は異なるものの、東日本大震災の直接被害額16.9兆円の約80倍に相当し、被害の深刻さが浮き彫りになりました。報告では「経済大国」や「主要先進国」と呼ばれ得ぬ状態に転落する「国難」と表現しています。

土木学会は同時に国難に直結するかは「対策」をするかによって大きく左右されると指摘。具体的な提言として、ハード面では「道路対策」「海岸堤防対策」「建築物」と「港湾・漁港の耐震強化対策」の4つを行うことで、経済被害1240兆円の約4割以上、約510兆円縮減できることを示しています。又、これらの対策により人的被害は4割以上、人数にして約14万人程度縮小し、加えて防災教育などソフト対策を講ずれば犠牲者を合計で約4分の3、23万7000人縮小できる可能性も考えられるとしています。国難を回避する為、公共インフラ対策と共に、防災意識を高める啓発が急務です。

 

476回「大阪府北部の地震」2018年6月23日OA

2018年06月23日 6:00 PM

今日は18日(月)午前7時58分頃発生した大阪府北部の地震についてです。気象庁によりますと、大阪市北区、高槻市、枚方(ひらかた)市、茨木市、箕面(みのお)市の5市区で震度6弱を観測。震源地は大阪府北部で震源の深さは約13キロ、地震の規模はマグニチュード6.1と推定されます。大阪府で震度6弱以上の地震が観測されたのは、1923(大正12)年に観測体制が整ってから初めてですが、歴史を遡りますと、これまでも地震や津波により数々の被害に見舞われました。

政府の地震調査研究推進本部によりますと、陸域で発生した被害地震では、1596年に慶長伏見地震が発生、堺で600名余りが亡くなったとされています。1936年の河内大和(かわちやまと)地震では府内で8名が命を落とし、地面に亀裂が入り、砂が地下水と共に噴出しました。大阪府は南海トラフ沿いの巨大地震に、これまで何度も襲われています。1854年の安政南海地震では、大阪湾北部で高さ約2mの津波が来襲、木津川(きづがわ)・安治川(あじがわ)を逆流し、船が破損、橋が損壊、7000名が亡くなったという記録があります。1707年の宝永地震では更に大きな津波に見舞われ、旧大和川流域だった河内(かわち)平野で特に倒壊被害が大きくなりました。1944年の東南海地震では14名が、1946年の南海地震では32名が犠牲になりました。又、1927年の北丹後地震や1995年の「平成7年兵庫県南部地震」のように周辺地域の浅い場所で発生する地震や、1952年の吉野地震のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生する地震によっても府内で被害が生じたことがあります。

消防庁によりますと、22日現在、今回の地震により大阪府では5人が死亡、負傷者は大阪府の338人の他、兵庫県、京都府なども含めて406人に上りました。亡くなった大阪市の80歳男性、高槻市の9歳の女の子共にブロック塀の崩落に巻き込まれ、茨木市の85歳の男性は本棚の下敷きに、高槻市の81歳の女性はタンスの下敷きになり、同じく高槻市では66歳の男性の死亡が確認されました。私達はいつ、どこで起きてもおかしくない地震列島に暮らしています。屋内、屋外の危険について、改めて家族で話し合うことが必要です。

445回「君の命を守りたい2」2017年11月11日OA

2017年11月11日 6:00 PM

先日、訪れた東京都墨田区にある「本所防災館」の防災シアターについてです。上映されたのは「君の命を守りたい」というおよそ20分の映像。後半は、東京での「地域一体の防災活動」について描かれています。千代田区の和泉公園では、毎年、「秋葉原東部町会連合会」の住民と「三井記念病院」のスタッフが合同で、首都直下地震を想定し、負傷者の救出、煙体験など様々な訓練を行っています。又、地震による火災の発生や建物の倒壊などの危険度がとても高い木造住宅密集地域の一つ「墨田区の京島地区」では、道路の幅を広げたり、小さな公園を整備したり、建物の耐火性・耐震性を高めたりするまちづくりが進められています。加えて要配慮者の避難支援、玄関先に掲げ無事を伝える黄色いタオルを使った安否確認の他、「街かど防災教室」では、道路上にある消火栓や排水栓に差し込み、ホースをつなぎ消火を行う「スタンドパイプ」を操作し、地域住民の誰もがいざという時、初期消火にあたれるよう、月に1度のペースで繰り返し訓練しています。

「杉並区のマンション」では、住民のアイデアを結集したユニークな防災活動が数多く見られます。「伝令ロープ」はエレベーターが停止しても、各棟の吹き抜けを活用し、各フロアの安否情報を地上に素早く届けると共に、上層階へAEDを届けます。「こども避難所」は地震発生時、もし親が帰宅できなくても、こども達が安心して過ごすことができる部屋です。その他、住民同士の話し合いで「カセットボンベ式簡易発電機」「トランシーバー」「断水しても使えるおがくずを利用したトイレ」「傷病者を運ぶ折り畳み式救護車」が備えられました。

「荒川区」では、防災の即戦力、又、将来の防災リーダーとして中学生の防災教育に力を入れていて、平成27年には区立中学校の全てに「防災部」を創設しました。防災訓練の他、地域に暮らす高齢者を定期的に訪問し交流を深め、防災力向上に繋げています。又、釜石市など東日本大震災の被災地に中学生の代表団を派遣、教訓を学ぶ機会になっています。「『助けられる人』から『助ける人』へ」を合言葉に、自助と共助の備えが進んでいます。「君の命を守りたい」は公開されていて、インターネットで検索すると御覧になれます。

 

444回「君の命を守りたい1」2017年11月4日OA

2017年11月04日 6:00 PM

先日、5年ぶりに東京都墨田区にある「本所(ほんじょ)防災館」を訪れました。東京消防庁が運営し、模擬災害を体験しながら、もしもの時の防災行動力を身につけてもらおうという施設です。インストラクターが案内するツアー形式で予約が必要です。

防災シアターで上映されたのは「君の命を守りたい」というおよそ20分の防災教育動画です。東京に住む小学4年生の女の子「はなちゃん」が、想定されているマグニチュード7.3、震度6強の首都直下地震について知り、自助・共助の大切さを学ぶというストーリーです。前半は、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震の被災の様子や、東京が経験した約100年前のマグニチュード7.9、最大震度6の関東大震災のモノクロの映像が流れます。歴史を振り返ると、関東地方ではマグニチュード8クラスの巨大地震がおよそ200年毎に起きていて、更にその間、マグニチュード7クラスの大地震が何回も発生しています。政府の発表では、マグニチュード7クラスの首都直下地震は30年以内に70%の確率で発生すると予想されています。

阪神・淡路大震災の被災地となった神戸市では、犠牲者の8割以上がつぶれた家や倒れた家具の下敷きになり、ケガをした人のほぼ半数は家具の転倒が原因でした。しかし備えれば助かる可能性があります。動画では阪神・淡路大震災で命を守り抜いた人達の証言が流れ、備えとして「家屋等の耐震化」「家具類の転倒・落下・移動防止対策」の他、「近隣住民の助け合い」が取り上げられています。つぶれた建物などから助かった人の9割以上が自力で脱出したか、又は家族や友人、隣人に助け出された人で、いわゆる「自助・共助」でした。大地震などの災害では同時に広い範囲で被害が発生することや、道路などの交通も麻痺する為、消防や警察などの対応、いわゆる「公助」には限界があります。だからこそ「自助・共助」が必要なのです。次回は、防災シアター後半についてお伝えします。尚、東京防災救急協会が企画制作した「君の命を守りたい」は公開されていて、インターネットで検索すると御覧になれます。

 

433回「活断層の地震に備える」2017年8月19日OA

2017年08月19日 6:00 PM

今日は文部科学省と気象庁が合同で作成した「活断層の地震に備える~東北地方版」についてです。地球の表面は十数枚の巨大な板状の岩盤(プレート)で覆われており、それぞれが別々の方向に年間数センチの速度で動いています。日本列島周辺では、複数のプレートがぶつかりあっていて、岩盤の中に大きなひずみが蓄えられています。その為、海のプレート境界やプレート内の他、深さ約20キロより浅い所でも多くの地震が発生します。過去に繰り返し地震を起こし、将来も地震を起こすと考えられている断層を「活断層」と言います。日本の周辺には約2000もの活断層があり、それ以外にもまだ見つかっていない活断層が多数あると言われています。

県内の主要な活断層は、矢巾町西部から奥州市胆沢区南部にかけてほぼ南北に延びる、最大M7.8程度が予想される「北上低地西縁断層帯」。更に西側にあり、同時に活動した場合M7.5程度の「雫石盆地西縁-真昼山地東縁断層帯」。青森県五戸町から葛巻町北部にかけて、最大M7.6程度の「折爪断層」があります。

陸域の浅い地震では、緊急地震速報が間に合わないことがあります。突然の揺れに備えて、自宅や学校・職場など建物内で、なるべく物を置かない安全なスペースを作っておくことが大切です。もし活断層の地震が起きたら、揺れの大きかった場所ではその後の大きな揺れに警戒が必要です。地震によって傾いたり倒壊したりした建物や塀など、危険な所には近づかないで下さい。一般的には、規模の大きい地震ほど余震は長く続きます。地震の活動は盛衰を繰り返すことが多いので、地震回数が一時的に減っても油断できません。規模の大きな余震が発生すると、再び地震回数が増える場合が多く、平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震でも余震の発生がやや落ち着いてきた後に、再び地震回数が増加しました。「活断層の地震に備える~東北地方版」は気象庁のHPで御覧になれます。

 

425回「地震・豪雨の命名」2017年6月24日OA

2017年06月24日 6:00 PM

紫波町のじゃじゃじゃサテライトさんから質問をいただきました。ありがとうございます。「熊本地震や岩手宮城内陸地震みたいに震度6強以上になると、どうして地震の名称が付くんですか?」

去年の熊本地震では、4月14日と16日に最大震度7を記録、地震の規模を表すマグニチュードは7.3、228名の方が命を落とし、2753名の方がケガをしました。9年前の岩手・宮城内陸地震では、最大震度6強、マグニチュード7.2.死者7名、行方不明者6名、ケガ人426名でした。気象庁による「平成28年(2016年)熊本地震」や「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」といった命名は、このように顕著な災害を起こした自然現象の経験や教訓を後世に伝承することが目的です。地震の命名には基準があります。規模については、陸域でマグニチュード7.0以上かつ最大震度5弱以上、海域ではマグニチュード7.5以上、かつ最大震度5弱以上または津波2m以上。そして家屋の全壊100棟程度以上など、被害が顕著な場合です。原則として、「元号+地震情報に用いる地域名+地震」と名付けています。

気象庁では、地震・火山現象の他、豪雨により家屋が1000棟程度以上損壊し、10000棟程度以上が浸水した場合、「平成26年8月豪雨」「平成27年9月関東・東北豪雨」のように名前を付けています。3年前の平成26年8月豪雨は、台風や前線などの影響により、全国各地で大雨となり、広島市の土砂災害では74名の方が亡くなりました。2年前の平成27年9月関東・東北豪雨では、台風18号から変わった低気圧の影響で、総雨量が関東地方で600ミリ、東北地方で500ミリを超え、土砂災害、浸水、河川の氾濫などにより、宮城県、茨城県、栃木県で死者8名、損壊家屋4000棟以上、浸水家屋12000棟以上の住宅被害となりました。各地で頻発する大地震や豪雨。時も場所も選ばず起きることを忘れてはなりません。

422回「岩手の地震観測の歴史」2017年6月3日OA

2017年06月03日 6:00 PM

先月、国立天文台水沢の敷地内にある「木村榮(ひさし)記念館」を訪れました。1900(明治33)年に建築された臨時緯度観測所創立時の庁舎です。緯度観測所とは、緯度の変化を観測して地球の回転と変形とを調べる機関のことです。木村榮は水沢の緯度観測所初代所長で、地球の自転軸の傾きに関する式に加えられた「Z項」の発見者です。

記念館によりますと、実は緯度観測所では創立間もない1901(明治34)年10月から地震観測が始まりました。地球全体の変動である極運動を引き起こす原因を探る為に行われたものです。観測当初は、地球の基本的な内部構造もよく知られていませんでした。国内、国外の地震観測点は少なく、その中で天文観測を行っていた水沢は時刻の精度も良く、世界的に信頼された観測点だったのです。地震観測は、緯度観測所設立直前の1896(明治29)年6月に発生した明治三陸大津波、又、同じ年の8月の陸羽地震による地震研究の高まりもあったようです。

館内には観測に使われた「大森式地震計」が展示されています。国立科学博物館地震資料室によりますと、大森式地震計は地震学者の大森房吉が1898(明治31)年頃に作った地震計です。地震動を感知してから動き出すというそれまでの欠点を改めて、常に動いて連続記録ができる地震計として登場しました。真鍮の板で覆った鉛の重りを鉄の棹に取りつけ、これを根元の円錐状の軸・ピボットと鋼の吊り線で支え水平振り子にしています。記録は煤書き式で、記録紙を巻いたドラムは重り又はゼンマイを動力にしてゆっくりと回転します。日本の代表的地震計で、大学の他、気象台・測候所、更に海外でも使われました。地震計の前には、水沢で検知した1923(大正12)年9月1日、関東大震災の地震波の記録も展示され、天地を観測していた歴史を知ることができます。奥州市水沢区星ガ丘町の木村榮記念館は、無料で御覧になれます。

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