気象と防災 マメ知識!

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気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

475回「明治三陸地震津波の記録2」2018年6月16日OA

2018年06月16日 6:00 PM

前回に続いて明治三陸地震津波についてです。気象庁によりますと、1896(明治29)年6月15日午後7時32分に、マグニチュード8.2の明治三陸地震が発生。三陸沿岸では津波により2万人を超える人が犠牲になりました。

津波に関する当時の文献資料に出会い、復刻に取り組んだのが、釜石市の上飯坂哲(かみいいさかさとし)さんです。上飯坂さんは、吉里吉里小学校校長や鵜住居公民館長を務め、2009(平成21)年に71歳で亡くなりました。先日、2005(平成17)年に自費出版された「津波てんでっこ考」を拝読しました。その頃、宮城県沖を震源とするマグニチュード7以上の地震が30年以内に発生する確率が99%と言われていながら、防災意識が高くないことを危惧し書かれたものです。上飯坂さん自身の丁寧な手書きで記されたB5サイズ113ページの本書では、明治三陸地震津波当時の人々の津波に対する考え方や行動を考察しています。例えば大槌町立吉里吉里小学校の初代校長であった海野安見(かいのやすみ)先生が残した記録によると、その日は雨が降り、霧がうっすらかかっていました。自宅に来客があり応対中、地震が発生。その後、夜の海を何度も見ていると津波の第一波が襲来しました。記述では「戸外ヲ望ムコト三四回目ノトキ、海上激浪ヲ湧カセシナラン、急ニ白色銀彩アルヲ見」とあり、この描写は波頭が白く泡立って崩れ落ちる瞬間と考えられる、とのことです。続いて「海嘯(かいしょう)ノ目前ニ逼リタル時トシテ此ノ一刹那、海岸ニアリシ家屋船舶一斉ニ倒潰セラレ」と書かれていることから、第一波が見えてから1分半弱で吉里吉里の集落が襲われたと計算しました。つまり1分、1秒の避難の判断が生死を分けるのです。

翻って現代は、ラジオ、テレビ、インターネット等、リアルタイムで情報が入手できますが、上飯坂さんは、「『だから安全だ』ということには繋がりません」と警鐘を鳴らします。「ただ『何が起きたのか』を知るだけです。その先『自分は、どうしなければならないか』は情報に入っていません。あったとしても『~に気を付けて下さい』ぐらいなのです」。情報を得た後、どう行動するのか、私達の意識と備えが問われています。

 

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474回「明治三陸地震津波の記録1」2018年6月9日OA

2018年06月09日 6:00 PM

今日は明治三陸地震津波についてです。1896(明治29)年6月15日午後7時32分、釜石東方沖を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生。「いわて震災津波アーカイブ」によりますと、県内では津波によって1万8158人が亡くなり、流出倒壊家屋が6882戸などの大きな被害となりました。中でも釜石地区は当時の町の人口約6500人の内、4000人以上が犠牲になり、全戸数約1100戸の内、約900戸が流されるという壊滅的な被害でした。又、気象庁によりますと大船渡市では津波の遡上高約38.2mを記録しました。

この明治三陸地震津波は地震の揺れに特徴がありました。現在の震度で2か3、緩やかで長く続く振動だったのです。内閣府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」には、当時の宮古測候所の談話の要約が掲載されています。津波の状況は「地震は微弱であったが合計13回程あった。その後、7時50分頃に潮が異常な速さで引き始め、同時に遠くで雷が鳴るような音を聞いた。8時7分に約4.5mの津波が来襲し、人畜家屋が流出してしまった。津波はその後6回にわたり繰り返し、海面の振動は翌日の正午頃まで続いた」とのことです。三陸地方は津波の常襲地帯です。明治三陸地震津波の前、1856(安政3)年には、三陸はるか沖で発生した地震により津波が押し寄せました。明治の津波では、その時の経験を元に行動し、逃げ遅れた人がいました。広報「ぼうさい」2005年7月号には当時の記録として「今から41年前に起こった津波は緩やかに来襲し、家屋の二階にいた者の多くが助かった。明治の津波においては、津波の来襲に驚き慌てて逃げた者は助かり、過去の経験から津波はゆっくりやって来るものだと信じていた者は避難が遅れたために、巻き込まれて亡くなってしまった」と掲載されています。

津波は大きな揺れの後に発生する他、長く小さな揺れの後に発生することもあります。安政の津波は大きな揺れの後、1時間前後でゆっくりと押し寄せました。明治の津波は長く小さな揺れの後、30分前後で突如襲ってきました。形を変えて襲う津波から命を守る為、今を生きる私達は、速やかに避難することを決して忘れてはいけません。

 

 

474回「洪水警報の危険度分布」2018年6月2日OA

2018年06月02日 6:00 PM

今日は「洪水警報の危険度分布」についてです。これは前回お伝えした「北上川上流洪水予報」のような流域面積の大きい河川ではなく、中小河川の洪水から命を守る為、気象庁のHPで、リアルタイムで確認できる情報のことです。

2年前の台風10号で岩泉町では小本川が氾濫し、施設に大量の水が一気に流れ込み9人が犠牲になりました。このように中小河川では上流域に降った雨が河川に集まるまでの時間が短く水位が急激に上昇し、避難が間に合わないケースがあります。このような場合、水位計や監視カメラ等による現地情報に加え、水位上昇の見込みに関する予測情報も併せて活用することで、洪水危険度が急上昇する前に避難を開始できます。この予測情報が「洪水警報の危険度分布」です。中小河川の洪水災害発生の危険度の高まりを、地図上で概ね1キロ毎に示します。避難にかかる時間等を考慮して3時間先までの予測値を用いて5段階に色分けしています。常時10分毎に更新していて、洪水警報等が発表された際、どこで危険度が高まっているかを把握できます。

気象庁のリーフレットでは、「平成29年7月九州北部豪雨」での大分県日田市の小野川を例に挙げています。5日午後2時半の時点で、現場では増水しているものの、小野川はまだ溢れていません。しかし危険度分布では、水位が上昇して3時間先までに重大な洪水災害となる可能性を示す「赤色」が出現しています。午後3時の時点で更に増水しているものの、橋の高さまでは達しておらず、家屋周囲の草むらもまだ浸水していません。しかし危険度分布では「薄い紫色」が出現しており、引き続き水位が上昇して3時間先までに重大な洪水災害となる可能性が高い状況です。そしてそのわずか30分後の午後3時半。急激に増水し氾濫が発生。激流が橋に打ちつけ、家屋周囲の草むらも浸水し、既に逃げ道を塞がれ避難が困難な状況です。危険度分布でも、重大な災害がすでに発生している可能性が高い「濃い紫色」が出現しています。このように、遅くとも洪水警報の危険度分布で薄い紫色「非常に危険」が出現し、氾濫注意水位等を超えたら避難を始めて下さい。

473回「北上川上流洪水予報」2018年5月26日OA

2018年05月26日 6:00 PM

今日は「北上川上流洪水予報」についてです。これは岩手河川国道事務所の水位に関する河川情報と、盛岡地方気象台の雨量に関する気象情報を元に共同で発表されます。岩手河川国道事務所の資料によりますと、県内の指定河川と15の基準観測所は次の通りです。「北上川」は、盛岡市の館坂橋、明治橋、紫波町の紫波橋、花巻市の朝日橋、北上市の男山、奥州市水沢の桜木橋、奥州市前沢の大曲橋、一関市の狐禅寺、一関市川崎町の諏訪前。「雫石川」は盛岡市の明治橋。「中津川」は盛岡市の山岸。「磐井川」は一関市の釣山。「砂鉄川」は一関市川崎町の妻神。又、「雫石川」は盛岡市の太田橋。「猿ヶ石川」は花巻市の安野です。

洪水予報には次の4つの情報があります。危険度レベル2である「氾濫注意情報」。氾濫注意水位に達し、更に上昇する恐れがある時に発表されます。危険度レベル3である「氾濫警戒情報」。避難判断水位に達し更に上昇する恐れのある時、又は氾濫危険水位を超える洪水となる恐れがある時に発表されます。氾濫発生に対する警戒を求める段階で、避難準備・高齢者等避難開始に相当します。危険度レベル4である「氾濫危険情報」。水位が氾濫危険水位に達した時に発表されます。いつ氾濫してもおかしくない状態で、避難勧告に相当します。そして危険度レベル5「氾濫発生情報」。氾濫の発生を確認した時に発表され、氾濫水への警戒を求める段階です。

北上川の上流は南北に長く東西に狭い地形となっており、西の奥羽山脈、東の北上高地から河川が合流していることなどから、洪水が発生しやすい特徴があります。洪水予報はIBCのラジオやテレビでもお伝えする他、気象庁ホームページでも公開しています。発表された場合、市町村からの避難勧告等に留意しましょう。尚、大雨になってからや、浸水してからの避難は大変危険ですので、早めの避難を心がけましょう。万が一浸水してしまった場合には、頑丈な建物の2階以上や高い所へ避難した方が安全な場合もあります。予めハザードマップと避難方法を確認しておきましょう。自分がいる場所で浸水の危険がある場合、どれぐらいの高さになるか屋内で目印をつけ、普段から大切な物はそれよりも高い場所に置くようにしましょう。

 

472回「栗駒山火山ハザードマップ」2018年5月19日OA

2018年05月19日 6:00 PM

今日は、栗駒山の火山ハザードマップについてです。ハザードマップとは「災害予測地図」のことで、火山噴火など発生が予測される被害について、その種類・場所・危険度などを示しています。栗駒山の火山災害に対する防災体制の構築を推進する為、岩手、宮城、秋田の3県と、一関市、栗原市、湯沢市、東成瀬村の関係自治体、関係機関、学識経験者等で構成する栗駒山火山防災協議会が作成し、この春、公表しました。ハザードマップでは過去に発生した噴火や、他の火山での噴火事例を参考に「水蒸気噴火」と「マグマ噴火」に分けて影響範囲を示しています。

マグマによって加熱された地下水等が爆発的に地表に噴出する「水蒸気噴火」は、過去約1万年の間に少なくとも12回発生しています。800年に1回程度です。昭和湖付近で水蒸気噴火が発生した場合、火口から2-3キロの範囲で小さな噴石や火山灰が50センチ、奥州市の南西部にも1センチ程、堆積する恐れがあります。地下から上昇してきたマグマが地表へ噴出する「マグマ噴火」は、過去約1万年の間に少なくとも9回発生しています。1100年に1回程度です。昭和湖付近でマグマ噴火が発生した場合、溶岩流の他、火口から2キロの範囲で小さな噴石や火山灰が50センチ堆積し、10センチ以上堆積した斜面では雨により土石流発生の恐れがあります。

気象庁の資料によりますと、1774(寛保3)年2月3日の噴火では磐井川が俄かに渇水、山鳴りが響き、大木を含む大量の火山泥流が発生しました。その後も時々噴煙が観測され、山鳴りが続きました。又、1944(昭和19)年11月20日の小規模な水蒸気噴火は昭和湖付近で発生しました。火山灰が降り、泥を噴出、磐井川が濁り、魚類に多数の被害が出ました。加えて強酸性水が湧き出て、噴火後3年に亘り磐井川下流域の農作物や水力発電所に被害を及ぼしました。1774年の噴火でも同様の被害があり、将来、水蒸気噴火によって強酸性水が湧出した場合、磐井川下流域では数年間に亘り影響を受ける恐れがあります。自然の恵みと表裏一体にある火山のリスクを地域住民、登山者、観光客が共有することが大切です。栗駒山のハザードマップは岩手県のHPで御覧になれます。

471回「荒浜小学校」2018年5月12日OA

2018年05月12日 6:00 PM

今日は、去年春から震災遺構として公開されている「仙台市立荒浜小学校」についてです。東日本大震災では2階の床上40センチまで津波が押し寄せ、児童、教職員、住民ら320人が避難し取り残されました。当時91人が通っていた校舎は、海岸から約700m内陸に位置します。鉄筋コンクリート造4階建て、各階には11の教室が並びます。1階の窓は無くなりネットが張られ、2階ベランダの手すりは、ガレキがぶつかりひしゃげ、茶色く錆びています。仙台市中心部から東に約10キロ、800世帯、2200人が暮らしていた荒浜地区。黒い津波は家屋を呑み込み200人近い住民が犠牲になりました。施設の女性スタッフは「流されてきた木造家屋のぶつかる音が響き渡り、避難した人達は『校舎も破壊されるのでは』と怖かったそうです」と7年前を振り返ります。その彼女は、あの日、85歳の母親と共に逃げ無事でしたが、海から約200mの所にあった自宅を失いました。

校舎に入るとネットの間を出入りするスズメの鳴き声が響きます。黒板が歪んだ1年1組の教室。破壊され鉄筋が剥き出しになった廊下の天井。脇には、ガレキと共に車が突っ込んだ大きなパネル。震災翌日、校長が撮影した写真を実物大に引き伸ばしたもので、自然の脅威を静かに語っています。4階の展示室では、午後2時46分の地震発生から27時間後の避難者全員の救出までを、約17分にまとめた映像を拝見しました。特に当時の校長のインタビューで「避難方法を見直す。良かれと思うことをできるだけやる。その積み重ねが何かの時に少しでも災害を少なくする」という言葉が心に響きました。実は言行一致の出来事がありました。2010年2月27日、チリ地震により大津波警報が出された際の学校の対応です。校舎西側・体育館内の毛布など備蓄品を「ここに置いていては津波が来た時、使えないのでは」と判断し、職員と共に校舎3階に移したのでした。その1年後の震災で体育館は全壊、しかし移動した備蓄品が避難者の命を守ることに繋がったのです。

「地震は来ても津波は来ない」との伝承を信じ、逃げずに犠牲になった人もいる荒浜地区。荒涼とした野原の真ん中に立つ荒浜小学校は、大津波の記憶と教訓を後世に伝え続けます。

470回「消防署職員の手記」2018年5月5日OA

2018年05月05日 6:00 PM

東日本大震災では、宮城県仙台市でも甚大な被害となりました。市の資料によりますと、宮城野区で震度6強、青葉区・若林区・泉区で震度6弱を観測、仙台港では推定で7.1mの津波が押し寄せました。904人の方が亡くなり、27人が行方不明、負傷者は2275人。30034棟の家屋が全壊、27016棟が大規模半壊となりました。

先日、津波被災現場の最前線に立っていた消防署職員の記録を拝見しました。地下鉄東西線・荒井駅舎内「せんだい3.11メモリアル交流館」で開かれた企画展「結(ゆい)~消防・命のプロが見た東日本大震災」です。展示の中心は仙台市沿岸の大部分を管轄する若林消防署職員の手記です。2011年5月から7月に記された手紙が7年の時を経て紹介されることになりました。救助活動のモノクロ写真が添えられた60枚の文章のパネルには、想像を絶する事態に立ち向かった人達の心情が綴られていました。「心の底から湧きあがる『恐怖』とメラメラ湧き上がる『奮起』が交差した」「消防とは、なんて非情な組織なのか。力尽きるまで戦えというのか」「今やるべきことは何か?真に必要なことは何か?」災害現場で活動するプロも生身の人間だと再認識し、現場の真実、心の真実に胸が張り裂ける思いです。

エピローグに掲載されていたのは祖父や友人を失い、実家が全壊した職員の手記でした。「全員助けたかった。流された人、閉じこめられた人、取り残された人、建物の上に残された人、車に乗ったままの人、全員、助けたかった。全員、生きて家族の元へ帰してあげたかった。私には足りなかった。知識、技術、体力、行動力、判断力、勇気、様々なものが不足していた。しかし前を向いていくことに決めた。両親や弟夫婦もアパートを借りて生活を始め冗談を言えるようになった。イチゴ農家の友達は必ずやり直すと言ってビニールハウスを作り直し始めた。私ももう一度やり直そうと思っている。救助隊員として揺るぎない気持ちをもてるように」。消防救助の基本である結び=結索(けっさく)から着想を得た企画展タイトル「結(ゆい)」。この展示は命と命の「結(ゆい)」を見つめる時間となりました。

 

469回「大船渡津波伝承館」2018年4月28日OA

2018年04月28日 6:00 PM

今日は大船渡市赤崎町にある「大船渡津波伝承館」についてです。館長の斎藤賢治さん自らが撮影した震災時の津波の映像を視聴し、命の大切さ、そして、防災について学ぶ施設です。東日本大震災から2年目の2013年3月11日、被災しなかった内陸のさいとう製菓の工場の会議室を借りて開館しました。

スクリーンには、本社事務所2階で激しい揺れの中、撮影された映像から始まります。物が散乱する中、齋藤さんはカメラを回しながら従業員に「逃げろ、津波が来る」と呼びかけます。瓦屋根の家々やビルを見下ろす高台へ。15時22分、大船渡湾から防潮堤を越えて津波が市街地に流れ込んできます。15時23分、社屋前を自販機が流れ、水かさが増し勢いが強くなります。白い飛沫と灰色の煙を上げながら、ミシミシと音を立て移動する家屋。地域の建物が塊になって崩れて黒い海に呑み込まれ、圧倒的な自然の猛威の前で、人は無力だと感じます。15時24分、「何が防波堤だよ、何が防潮堤だよ」「収まってくれ」とビデオを回しながら叫ぶ齋藤さんの声が。そこには全てを奪った大津波の一部始終が記録されていました。

齋藤さんは改めて映像を止めながら分析します。市街地が30センチ程の水かさの際、海に向かって走る、2台の車が映っていました。津波が来ているのに逃げない異常行動の背景は5つ、考えられると言います。「1.津波の知識が無い、2.車中からは津波が迫っていることが分からない、3.土地勘の無い人は方向が分からない、4.避難行動を考えない人は、いつも通りの行動をする、5.海の方向に家がある、家族がいる」です。齋藤さんは「津波の際は車を捨てて高台に逃げるなど命を守る適切な行動を」と訴えます。又、市街地の浸水が始まっているのに避難せず、普通に歩いている黄色いジャンパーを来た女性がいました。防災無線を耳にして、津波来襲はわかっていたはずです。齋藤さんは「正常性バイアス」という心理学用語を用い説明します。自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりする人の特性のことです。逃げ遅れを防ぎ、落ち着いて行動する為には、地域の避難訓練に参加する等、日頃から防災に対して意識することが必要なのです。津波伝承館は今後、市内の別の場所に本格的な施設を作り津波の恐ろしさを伝えていくことにしています。

 

468回「語り部が案内する陸前高田」2018年4月21日OA

2018年04月21日 6:00 PM

先月末、陸前高田観光ガイド部会の語り部・河野正義(こうのまさよし)さんに市内を案内していただきました。最大12.2mまで盛り土する大規模工事中の新市街地。建て直された「東日本大震災追悼施設」は白木が香る木造の平屋建てで、中には慰霊碑と献花台が設けられています。大津波により犠牲になった1757人に静かに手を合わせます。河野さんは、震災の教訓を2つ挙げます。1つ目は「防潮堤を過信しない」。「昭和35年のチリ地震津波も大丈夫だったから、今回も大丈夫」と逃げない人達がいた為です。2つ目は「避難所に逃げた後も、安心せずより高台へ」。陸前高田市がまとめた東日本大震災検証報告書によりますと、「津波避難場所として指定していた一次避難所67か所のうち38か所が被災するとともに、9か所で推計303人から411人の尊い命が失われた」としています。市は県の津波予測を絶対視し「それ以上の津波の襲来はない」として避難所の見直しを行わなかったのです。

追悼施設近く、BRTの駅舎は、薄い緑色の屋根に白とベージュの外観で、かつての駅舎をモチーフにしています。震災前の賑やかな駅前通りの写真を掲げながら河野さんは「住民の念願が叶ってやっと通った鉄路の復旧ではなく、バスでの再開になってしまった」と悔しさをにじませます。観光物産施設「一本松茶屋」の傍にある被災したガソリンスタンド。残った2本の支柱を見上げると赤い屋外看板「オカモトセルフ」の文字の脇に「津波水位15.1m」と記されています。自分達がいる所も含め町を呑み込んだ大津波の高さに慄然とします。大型トラックが行き交う市街地から仮設の気仙大橋を渡り、奇跡の一本松が見える場所で車を降りました。田畑を守る防砂林として植えられた約7万本の内、1本だけが残った理由として「海側に立つ黄色いユースホステルの建物により津波の力が分散され、又通常の松より下枝が無かったことが考えられる」と説明していました。

形を変えて繰り返し私達を襲う自然災害。河野さんの命を守る為のメッセージ「人の造ったものに頼ってはいけない」「心の防潮堤を高くして」を胸に刻みました。

 

467回「避難所運営マニュアル」2018年4月14日OA

2018年04月14日 6:00 PM

今回は3年前の3月、陸前高田市がまとめた避難所運営マニュアルを取り上げます。避難所に関する基本的な考え方、避難所組織のあり方や活動内容をまとめたもので、一定期間の避難生活を想定しています。「事前対策」、「初動対応」、「運営」の大きく3章に分かれ、事前対策では「地域住民による『自主運営』」「震災検証報告書で整理された課題や教訓を反映」「要配慮者が安心して生活を送れる」を運営の基本方針としています。机上のマニュアルではなく、東日本大震災での教訓や課題が反映されているところが、円滑な避難所運営の為の大きなヒントになります。

東日本大震災では、市が運営する避難所26か所と併せて、地域で自発的に開設された避難所が58か所ありました。市が指定していないものの、地域の公民館や集会所等が自主受け入れ避難所になったもので、全避難所の約70%を占めました。しかし開設状況の把握が困難で、食料・物資が行き渡りませんでした。マニュアルでは「各施設から、コミュニティセンター単位で設置されている地区本部へ、積極的に情報提供することが重要」と指摘しています。又、被災した自宅で生活している人達の所在の把握が困難で、食料・物資の支援等で課題が生じたことから「在宅避難者は自ら地区本部に申し出を行い、登録する等の対応が必要」としています。市が状況を把握しないと、食料・物資等の支援が受けられません。自主受け入れ避難所、在宅避難者共に、「行政との連携」が鍵となります。

この他、食料・物資の調達に関して「地域で米を調達できたとしても、籾の状態で保管していた為、精米機の動力源の確保が困難で、食料として利用するまで時間がかかった」ことから、「停電に備え事前にガソリンや軽油等で稼働する発電機を準備するよう努め、地域での食料調達について日頃から話し合うこと」としています。又、電気、ガス、水道が使用できない状況で炊き出しが行われたことから「カセットコンロ、かまど等の器具や、パック容器を事前に準備することが有効」と指摘しています。このマニュアルは、インターネットで「陸前高田市避難所運営マニュアル」で検索し御覧になれます。

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