2011年3月11日に再び三陸を襲った東日本大震災。鵜住居地区の死者・行方不明者は580人に上り、市内の犠牲者のおよそ半数がこの地区の住民だった。防災教育の成果で小中学生が率先避難した一方、地域の防災センターに避難した大勢が亡くなった。
昨年開催されたラグビーワールドカップで復興を世界に発信した鵜住居。まちが新しくなり、世代が替わっても、教訓をつなぐため地域一体で模索を続ける。

想定外考慮の重要性
震災から9年8カ月が過ぎてもなお、あの日の教訓を強く発信する鵜住居地区。児童生徒が避難したルートには、「津波避難所 農協集配センター 350メートル」と記された標識が、津波に押され傾いたままの姿でひっそりとたたずむ。
この標識は、子どもたちが訓練通り避難したグループホーム「ございしょの里」よりも内陸側にある。子どもたちがございしょの里にとどまっていたら、想定をはるかに超える大津波にのまれていた。
だが子どもたちは、「農協集配センター」の跡地に建設されていた指定避難場所のやまざきデイサービスまで避難し、さらに高台へ駆け上がった。学校で教わった通り「想定にとらわれず、最善を尽くした」。津波は最終的にデイサービスの目前まで押し寄せた。
やまざきデイサービスを経営する山崎忠男さん(66)は「釜石の出来事は、普段の行いの重要性を感じさせる。震災後は施設利用者を車で送迎する際に必ずラジオをつけ、地震に備えている」と話す。学校の防災教育は、地域住民の意識向上にもつながった。
同地区に昨年、震災を伝承する「いのちをつなぐ未来館」が整備された。市は防災プログラムに活用しようと、標識の保存を決定。意識しなければ目に留まらないが、未来に教訓をつなぐ重要な役割を担うこの地で「想定にとらわれない」ことの大切さを伝える。
