1933(昭和8)年の大津波での死者は17人にとどまり、柏崎村長はさらに高台移転を徹底。明治の大津波で定めた高さより低地には誰も住めなくなった。
2011年の東日本大震災では、同地区を16・7メートルの大津波が襲ったが、犠牲者は1人、住宅流失は4戸だった。先代たちの教えのおかげで、他地区と比べ著しく被害が小さかった。

猛威伝える象徴再興
昭和の大津波で被災した住民は津波の恐ろしさを伝えるため、打ち上げられた石に「津波記念石」と記し残していた。しかし月日とともに存在感が薄れ、70年代の道路整備に伴い埋められてしまっていた。
約40年後、震災の大津波で防潮堤が倒壊し、整備した道路も濁流で流された。半月ほどして、がれきの中で津波石があった場所を探していた故柿崎門弥(もんや)さん=当時(81)=が津波石の一角を発見。友人の枛木沢(はのきざわ)正雄さん(91)や木村正継さん(73)らが協力して掘り進めると「津波」の文字が現れた。
地元住民は「津波の恐ろしさを伝える象徴として残さなければいけない」と団結し、市と協力して遺構化を計画。石を引き上げて周囲を固めた。
津波石は一躍脚光を浴びて大勢の観光客が訪れ、枛木沢さんはガイドとして約千人に教訓を伝えたが、震災から9年半が過ぎた今、見学者は減少。枛木沢さんは「昔のように、また津波石を忘れてしまってほしくないな」と寂しげに語る。
風化を防ぐため、吉浜小の児童は防災学習で津波石を見学し、気仙地区交通安全協会吉浜分会(菊地正人分会長)は、吉浜に着任した教職員らに津波石碑などを紹介する町内巡りを行っている。
木村さんは、昨年4月から月に1度行っているサロン活動で津波の歴史を語り継ぐ考え。「これから生まれてくる子どもにも、吉浜の津波の歴史を伝えたい」と力を込める。
吉浜の防災を、震災を経験していない世代へ−。先人がつくってきた伝統を地域全体でつないでいく。
