同市気仙町の今泉地区は藩制時代に気仙地方の政治の中心地として栄え、醸造業などの伝統的な産業が営まれてきた。震災では約600戸のうち592戸が全半壊する甚大な被害を受け、大規模な土地のかさ上げと高台造成による住宅再建が進められている。
培ってきた歴史・文化を受け継ぎ、後世に継承するための取り組みも進む。市は流失した県指定文化財「旧吉田家住宅主屋」の復元を進め、24年度の完成を予定する。同市のまちづくり会社は発酵をテーマにした商業施設を整備し、にぎわい創出を図る。

来年度中に内部公開
2011年3月11日。気仙中は卒業式を控え、全校生徒約90人が体育館で合唱練習に励んでいた。同校教諭だった高田東中副校長の蒲生正光さん(56)は「避難マニュアルをうのみにせず、臨機応変に動くことの大切さを実感した」と当時を振り返る。
地震発生後、生徒は教職員の指示で上履きのまま約200メートル先の第1避難場所に向かった。防災無線は3メートル、6メートルと津波の高さを伝えており「ここも危ない」と判断。約800メートル離れた第2避難場所の気仙小は低地を通るルートで危険とみて、近くの山側に避難した。
途中の小高い場所から大津波が高田松原の松林をのみ込む様子が見えた。生徒らは山道から二日市公民館に移動し、一夜を明かした。数日後には欠席・早退を含む全生徒の無事が確認できた。
的確な避難行動で犠牲者を出さなかった気仙中。市は県の意見も踏まえて「防災教育上での価値がある」とし、遺構としての保存を決定した。後に旧道の駅高田松原「タピック45」とともに、内部公開することも決めた。
校舎は1981年完成で鉄筋コンクリート造り、延べ床面積2504平方メートル。遺構は市が所有・管理し、改修工事は委託を受けた県が本年度に実施する。来年度以降の内部公開はガイドが同行する形で行う方向だ。
蒲生さんは「津波に限らず災害はどこでも起こり得る。見学する人に経験や教訓が伝わる場所となってほしい」と願う。
