過去の文献には、高田松原が津波のたびに防潮林の役割を果たし、同市高田町の中心市街地を守ってきたと記されている。しかし、東日本大震災の津波では高田松原の松の大半が流失し、同市気仙町では死者、行方不明者260人、850世帯が全壊する大きな被害が出た。

名勝再生へ一歩ずつ
東日本大震災の津波は高さ5・5メートルの防潮堤を乗り越えて松林をなぎ倒し、幹を砕き、枝葉を巻き込みながら市街地を襲った。ユースホステルは完全に水没し、地盤がえぐられ建物が折り曲がった。
津波に耐えて唯一残った松は「奇跡の一本松」と呼ばれ、復興のシンボルとなった。その後枯死したが、全国からの寄付で保存整備を行い、今はモニュメントとして復興が進むまちを見守っている。
周辺では、高田松原津波復興祈念公園の整備が続く。国営追悼祈念施設の一部として再建された道の駅高田松原や東日本大震災津波伝承館が2019年9月にオープンし、震災の被害と教訓を発信している。
再建された高さ12・5メートル、全長約2キロの防潮堤を上ると、眼下に広がる砂浜に松の苗木約3万本が育つ。一部は高田松原にあった松の種子などから育てた幼木で、名勝復活に向けて枝葉を広げ始めている。
県とともに植樹や苗の育成に尽力する同市のNPO法人高田松原を守る会の鈴木善久理事長(75)は「一本松は、地震があったら津波が来るという教訓を伝えるかのように奇跡的に残った。再生していく松原をずっと見守ってほしい」と願う。
