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高台移転の伝承誓う

山田町船越・田の浜地区


 幾度となく津波の被害に襲われてきた山田町船越の田の浜地区。1933(昭和8)年の大津波の翌年に建立された大海嘯(かいしょう)記念碑は、東日本大震災の津波で石台から落ち、傾いた状態となったままだが、現在も先人の教えを伝えている。
 町教委が82年に発行した町津波誌によると、1896(明治29)年の大津波で田の浜地区を含む旧船越村では、村民の半数以上に当たる1327人が犠牲となり、371戸の家屋が流失。国土交通省津波アーカイブによると、明治の大津波を機に同村では高台移転を断行したが、田の浜地区の住民は同意せず、再び昭和の大津波で2人が犠牲となり、183戸の住宅が流失する被害を受けた。
 昭和の大津波後、住民は高台へと移転したが、時間の経過とともに大津波の戒めは薄れ、漁業をなりわいとする多くの住民は次第に海に近い低地に住居を構えるようになったという。そして、東日本大震災が発生し、田の浜地区はまたも津波の被害に襲われた。
 同地区自治会長の佐々木善朗さん(67)は「堤防を越える津波を経験する人が少なくなった。ここに住んでいる限り、戒めを守り後世に伝えていかなければならない」と誓う。

命守る大切さ短歌に

2017年4月に高台に建てた住宅前で震災当時を振り返る中村トキさん=山田町船越・田の浜地区
 「津波はおっかない。いつ、どんな天災が起こるか分からない。油断してはならない」。1933年の昭和、60年のチリ、そして東日本大震災の3度の津波を経験した田の浜地区の中村トキさん(98)は、重みのある言葉で津波の恐ろしさを振り返る。
 明治と昭和の大津波を経験した母トキワさんから、浜に伝わる教えを幼い頃から何度も聞いて育った中村さん。「着ていたものはたたんで枕元へ置き、大事なものはリュックサックに入れておけ」。トキワさんの教えを実践し命を守った。
 7年9カ月前の震災。郵便局から帰宅後、今までに感じたことのない揺れに「津波は絶対に来る」と確信し、自宅から薬や補聴器の電池、ラジオなどが入った緊急時用のリュックサックを背負い、高台へ向かった。
 「津波が来るから早く上がれ」。誰かの叫ぶ声に、足が悪い中村さんは懸命に避難。裏山では山火事が発生し、暗闇の中で夜空を焦がす不気味な明かりの恐怖と寒さに震えながら夜明けを待った。
 約1カ月後、自宅跡地に戻ると家や着物、写真など大切にしていたもの全てが奪われていた。中村さんはその場で声を上げて泣き崩れた。田の浜地区は津波で324戸が全壊し、関連死を含めて127人が犠牲となった。
 同地区では現在、防潮堤が建設中で、流された住宅跡地には津波防災緑地公園が整備。桜やタブノキ、ドングリなどの木を3年計画で約1万本植樹し、防潮林とするなど着々と復興に向かっている。
 50歳から本格的に短歌を詠むようになり歌集も出す中村さん。震災後は自身の経験を歌にし「命を守ることの大切さ、逃げることの大事さ」を訴え続けている。
〈逃げよ逃げよただ只管(ひたすら)に登りたり津波来しとふ声に押されて〉
防潮堤工事が進む田の浜地区。住宅地の海側には堤防が整備され、津波防災緑地公園となった(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年3月】 低地にあった住宅地が被害を受けた田の浜地区(いわて震災津波アーカイブ・山田町提供)

2019年08月01日 公開
[2018年12月17日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

山田町船越・田の浜地区の大海嘯記念碑

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