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岩手百科事典

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「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

はちのへし八戸市

青森県の東南端に位置し、太平洋に面した水産と工業の都市。市の中央部を貫流し太平洋に注ぐ馬淵川・新井田川の沖積地と、それに続く丘陵地が展開する。漁港・商港・工業港が整備され、1964年(昭和39)指定の八戸地区新産業都市の拠点として、また岩手県北から青森県南の北奥羽地域の中心都市として発展している。1929年(昭和4)旧八戸町・小中野町・湊町・鮫村の3町1村が合併して市制を施行、その後数回にわたって隣接村の合併が行われ、1958年大館村を合併し現在の市域となった。歴史的には古く、縄文式文化遺跡など出土品が多く、特に是川出土品の土器・木器類など633点は国の重要文化財の指定を受け、市立歴史民俗資料館に保存展示されている。1334年(建武元年)三戸にいた南部氏の一族南部師行が、市内の根城に城を築き、1627年(寛永4)遠野へ国替えになるまで19代にわたって領知した。その後、1664年(寛文4)南部氏の一族直房が八戸に居城(現在の三八城公園)を構え、2万石の八戸藩が誕生した。現在の市街地の中心である。八戸藩の領地は、岩手県の久慈市・軽米・大野・葛巻・種市と青森県の八戸市・名川・福地および飛び地になった紫波町の一部などであった。八戸市と岩手県北の町村との経済交流が現在も続いているのは、藩政時代からのこのようなつながりに由来する。工業は、豊富な地下資源を生かしたセメントや砂鉄などの資源型工業から、紙パルプ・非鉄金属・飼料・合金鉄などの臨海型工業に移り、さらに、高次加工型を目指す都市型工業へと発展を続けている。水産業は大規模な魚港施設と200余りの水産加工場、11万tを超える冷蔵施設を有し、全国漁港でもトップクラスの水揚げ実績を挙げている。産業の発展に対応する各種の基盤整備も進み、新産業都市の指定以来、臨海工業用地の造成・日量35万t供給の工業用水道・出力65万kWhの火力発電所・臨海鉄道・住宅団地などが完成し、さらに八太郎地区の掘り込み式港湾(第二工業港)の築造も進んでいる。八戸港は、5万t級1バース・2万~1万5000t級6バースをはじめ、40を超えるバースが活発に利用されている。鮫港は、国際貿易港を目指す重要港湾として穀類・木材・植物の輸入指定港として、内外の大型船舶の出入港が増加し、港湾貨物の取扱量は1000万tを超えている。臨海道路も全長1323mの八戸大橋や八太郎大橋が開通(1977年・昭和52)し、港湾と工業地帯の連絡は、一挙に短縮された。面積は214.40km、人口は22万4366人(昭和50)・23万8179人(昭和55)・24万1430人(昭和60)。

2023年12月5日(火)
正部家種康

はたばこ葉タバコ

中央アメリカのマヤ族が宗教儀礼用に使っていたものをコロンブスが持ち帰り、喫煙用として世界的に普及したといわれる。本県特産の南部葉タバコの由来は伊達藩のローマ使節団支倉常長一行が1620年(元和6)に帰国した際、八戸港に上陸、ひそかに持ち帰った良馬と葉タバコの種子を南部藩に預けたのが始まりとされている。寒冷地で薫製された南部葉は口当たりがまろやかで、当時のヘビースモーカーであった吉原の花魁(おいらん)たちに喜ばれ、口伝えで日本中に知られるようになった。1898年(明治31)に専売制実施以後は大迫専売所の統制下に主としてきざみの原料葉として生産、300haほどの作付けされていた。巻タバコ時代に入り、1939年(昭和14)にバーレー種を試験的に導入、1949年(昭和24)に専売公社に改正されてから本格化した。県内の作付面積は明治初年の700haから大正1000ha、1945年1600ha、1965年(昭和40)4850ha、1976年(昭和51)5181haと着実に増え、福島県に次ぐ全国第2位の産地になった。しかし、外国産葉タバコの輸入増加などから1982年(昭和57)から本格的な需給調整が行われ、1985年の作付面積は4377haにとどまっている。専売公社も1985年に民営化され日本たばこ産業株式会社となった。

2023年12月4日(月)
佐藤紀生・瀬川征光

はせはせ

はせにはイネを刈り取ってから乾燥させるものと、畑作ではムギを乾燥させるものとあり、県南と県北とで、その作り方に違いがある。県北の稲ばせの柱となるものは直径約15cm、長さ約4.5mのもので、これにマツ・スギ・ホオ・などの横木を使い、5段・10段・12段のものがある。二戸市周辺の農村では5段ばせが普通である。8反歩(約79a)の水田を経営し5段ばせにして40間(約72.7m)を必要とした農家があった。使用した後は、雨雪をさけて屋根のある小屋に収納するが、半永久的に作り付けのものもある。これは浄法寺とか安代方面に多いといわれている。はせで乾燥したイネはわらが真っすぐで稲こきの時など取り扱いやすい。また盛岡以北の農村では3本のくいではせを作っている所もある。県南のはせ脚はマツ・スギ・クリなどが主で、約2.5m、横木はスギ・マツで2段ばせで、これにイネを3段かける。反(10a)当たり25間(45.4m)~30間(54.5m)必要である。反当たり収穫の束数は2000束前後、乾燥する期間は約1ヵ月。使用後は簡単な小屋に収納する。県南には県北地方のように半永久的な作り付けのものはほとんどない。県北の麦はせは、作り付けのはせが使用される。主としてオオムギの乾燥に使われる。県南の麦はせは10段くらいのもので少々傾斜させて作り、使用後は収納するのが普通である。

2023年12月3日(日)
高橋九一

はたさくかんしゅう畑作慣習

畑作慣習として特徴の見られるのは、奥中山以北の火山灰土地帯である。栽培する作物の主なものはヒエ・大豆・ソバなどで、自給自足を主としたものである。このヒエ畑を耕す道具としてすきを使っていることも大きな特徴である。すきは体重をかけて足で踏み込むので、石ころの混じっている所とか、重粘な土壌では使えない。ヒエをまく方法も粒まきではなく人糞尿(じんぷんにょう)に種子を混ぜ、素手で振る「ぼったまき」である。土が軽いため春の強い風に土が吹き飛ばされるので、足で踏みながら覆土をする。また風を防ぐために畑のあぜにウツギを植えて、小型の防風林を造っているところもある。これをくねといっている。食糧事情の悪かったころの「あらきおこし」も県北畑作地帯で特に多かった。そのとき使う木や草の根を切るためのなたも用意されている。すきやくわの柄台が自然木であるのもこの地方の特徴である。これらはいずれもこの地方の風土を背景とした畑作慣習である。

2023年12月2日(土)
高橋九一

はしもとびじゅつかん橋本美術館

1975年(昭和50)(財)盛岡橋本美術館として盛岡市の郊外岩山の風致地区・加賀野才の神に開設。恵まれた周囲の自然環境に溶け込んだ自然と一体になった美の殿堂であり、しかも南部曲がり家を生かした独特の建築が親しまれている。展示作品は19世紀写実派のクールベの風景画や、ミレー・ドービニーらバルビゾン派の作品を中心にまとまった収集と、橋本八百二の昭和初期から現在に至る代表作品を集めてあり、さらに古陶器・鉄びん・漆器などの工芸コーナーと民芸館も併設、広く一般の関心にもこたえる構成になっている。1977年(昭和52)橋本八百二から寄付を受けて財団法人に改組。博物館法の適用認可を受けた。

2023年12月1日(金)
佐々木一郎

はしもといせき橋本遺跡

水沢市姉体字橋本。北上川右岸の低湿地帯に立地する。開田の際、多くの土器が発見された。発掘調査は伊藤鉄夫によって行われ、甕(かめ)・鉢(はち)・壺(つぼ)・台付き鉢・高坏(たかつき)などが検出された。土器施文方法から谷起島式土器より新しい弥生中期末の時代と考えられている。橋本遺跡発見の資料を標式として橋本式と命名されているが、県内では、ここ以外でまだ出土例は少ない。遺跡の全容は1969年(昭和44)伊藤によって報告され、その学術的価値は高い。

2023年11月30日(木)
伊藤博幸

はしのこうろあと橋野高炉跡

釜石市橋野町。1858~1859年(安政5~6)に南部藩士大島高任により設計築造された日本最古の洋式高炉3座の遺跡。従来日本では砂鉄から製鉄していたが、高任は釜石周辺の山から鉄鉱石を採出し、洋式高炉で良質の鉄を量産することができた。当時の生産量は1日1座500貫(約2t)、年間能力30万貫(約1125t)。このことは日本における近代鉄鋼業発達に極めて大きい意義をもつもので1957年(昭和32)国の史跡に指定された。この地方には他に洋式高炉は大橋3座、佐比内2座、栗林・砂子渡各1座計10座があった。

2023年11月29日(水)
昆勇郎

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