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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2019年11月21日(木)

金田一温泉

きんだいちおんせん

二戸市金田一の湯田にある温泉。泉質は単純泉・放射能泉で湯温は29〜39℃。1626年(寛永3)発見され南部藩指定の湯治場となり、「侍ノ湯」と呼ばれた。1954年(昭和29)人工ボーリング泉に成功し、公認50m温水プールを造り国体会場になるなど今日の発展をみた。全国で初めて養殖に成功した食用熱帯魚ティラピアは金田一温泉の新しい味として有名。

Written by 佐々木嘉直

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2019年11月20日(水)

中野

なかの

種市町の南部にあり久慈市侍浜と南接する旧村。西部から九戸高原を源とする有家川・高家川が東流し、太平洋に注ぐ。発達した海岸段丘面が集落地や耕地に利用されている。海岸には岩礁地帯が見られ、アワビ・コンブ・ワカメなどが豊富で、特に中野海岸の素もぐりによる冬のアワビ採りが有名。

Written by 千葉武男

2019年11月19日(火)

長沼古填群

ながぬまこふんぐん

和賀町藤根字長沼の和賀中学校内にある。猫谷地古墳群・五条丸古填群・八幡古墳群とともに、和賀川北岸に分布する江釣子古墳群(国指定史跡)の一つで、最も西に位置し、標高約90mの金ケ崎段丘上にある。1963年・1972年の調査で13基確認された。古墳は、高さ約1m・直径約9mの円形の墳丘があり、内部は、河原石を使用した石室を持つ。周囲に周湟(しゅうこう)を持つ。1972年の発掘調査で、鉄刀・鉄鏃(てつぞく)・切子玉・管玉・金張りのガラス玉・錫(すず)製腕輪など多くの副葬品が出土した。

Written by 高橋信雄

2019年11月18日(月)

中野吉郎

なかのきちろう

1887〜1967 政治家。久慈市に生まれ、早稲田大卒後岩手木炭組合・岩手水産組合・大日本林業会社などの幹部を務め、1951年(昭和26)県議会議員に当選し、県教育委員長も務め、1954年には県議会議長となる。阿部千一知事時代の県政進展に貢献し、特に県北の農林業・漁業の振興と文教施設の整備に業績があった。

Written by 小田耕一

2019年11月17日(日)

中内

なかない

東和町の南西部、北上市と接する位置にある旧村。江戸時代は南部藩の領地で9集落に分かれ南成島・落合は安俵通りに、石持・宮田・浮田・駒籠・毒沢・小通・中内は高木通りに属し、花巻代官の支配下にあった。1889年(明治22)9集落が合併して中内村となり、1955年(昭和30)東和町の一部となる。谷内と同じ米作中心の農村地域。

Written by 佐々木博康

2019年11月16日(土)

小泉仁左衛門

こいずみにざえもん

代々釜師。初代清行は京都の名匠名越三昌に学び、江戸に出て1659年(万治2)南部重直に抱えられ盛岡に下る。3代清尊は小型の釜に弦と口を付けて最初の南部鉄びんを案出、普及した。4代清光は美的創意を加えて名作が多く「老松釜」・「尻張釜」(光照寺蔵)は市の有形文化財に指定された。この伝統を明治中期に継承したのが8代清信で、南部鉄器の声価が高まった時期に直面し、香取秀真を招いて技術と研究を重ねる。一面では県商工会長・鉄びん組合長などになって産業面からの活動を怠らなかった。院展入選3回。宮中献上や作業供覧、宮家買い上げ多数、全国・東北共進会や英国博覧会にそれぞれ金賞。没後長男清一(東京美術学校卒)が9代仁左衛門を襲名し、県立美術工芸学校教授・県文化財調査員などを歴任、本県の鋳金の発展に尽力した。帝展に入選2回。

Written by 工藤正治・梅原廉

2019年11月15日(金)

小泉市兵衛

こいずみいちべえ

1857〜1923 県内にホルスタイン種を導入した先覚者。下閉伊郡岩泉生まれ。ホルスタイン種は米人ウイレットにより1889年(明治22)日本に輸入され、それを継承したウインスタンリーから1895年種雄牛を700円で購入(当時和牛1頭5〜6円)。1903年(明治36)岩手郡薮川に練乳の製造を試みて失敗、1907年ごろウインスタンリーの後を受けた山岸茂八から1万円で40頭を買うなど終始乳牛の改良に尽くした。盛岡市乳業界の功労者小泉伊兵衛はその叔父。

Written by 菊池暁輝