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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2021年01月20日(水)

参勤交代

さんきんこうたい

江戸時代、徳川幕府が大名統制のため一定期間諸大名を江戸に参勤させた制度。1635年(寛永12) 3代将軍家光によって「武家諸法度」改正で制度化された。諸大名は1年を江戸詰、1年を国もとに在住することが原則となり、妻子の江戸常住が恒例となった。大名行列は、格式によって人員にきまりがあった。その後、幕府の力が衰退した1862年(文久2)には時期も改められ、規模も小さくなった。この制度は幕藩体制を強化し、街道の整備・宿駅の繁栄をもたらした。南部藩の場合、行列の人員は約300人前後であったとみられ、途中で雇い入れた人数を加えると多少増えたことも考えられる。南部藩家老席日誌である『雑書』によると盛岡一江戸間の行列の所要日数は約13日である。大名の宿泊所を本陣といい奥州街道には13カ所あった。有壁の佐藤家・北上の鍵屋などが有名。なお、江戸詰や往来に多額の費用を要し財政に苦しむ一端となったので、南部藩ではこの費用を負担する方法として1643年(寛永20)ごろから舫金(もやいきん)制度を始めた。これは平素その禄(ろく)高に応じて貯蓄しておき、当番として江戸に上るとき下付を受けるものである。

Written by 熊谷章一

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2021年01月19日(火)

隠し念仏

かくしねんぶつ

東北地方に見られる秘密宗教の一つであり、主として県の中南部に広まっている。宝暦年間(1751〜1764) 京都の人で鍵屋宇兵衛が来て伝えたものといい、本部に弘法大師・興教大師・親鸞聖人の木像が所蔵されているが、普通「くろばとけ」という親鸞像が本尊である。宗旨は念仏を常時唱えることによって成仏すると教え、根本において、寺院仏教を否定するものとして寺院側から邪道として非難された。江戸時代後期、この信仰が流行し、南部藩では邪宗門として弾圧し、取り締まりを厳しくした。しかし、その信仰は衰えなかった。雫石町では、年1回集落の善知識によって幼児の入信の会合を行う。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の掛け軸の前に幼児を正座させ、手を合わせ「助け給え」とよばせる。実施するのは主に夜でろうそく1本をともすだけで、しばらくして善知識が助けたとよび入信となる。終わって親とともに祝宴をする。正月・盆の16日には入信者は必ず入信した家に拝みに行く。平泉町では3年に1回、7〜15歳の子供を集めて宿で行われる。胆沢から先生(善知識)が来る。部屋を暗くして子供たちは目をつぶり、阿弥陀さまの仏壇に向かい「助けたんまえ」を何時間も続ける。先生がお光り(ろうそくの火)を持ち、一人びとりの前で目に近づける。最後まで目をつぶって助けたんまえを唱えながら祈った者は、先生の許可が出て阿弥陀如来の前で位が授けられて一人前となる。

Written by 熊谷章一

2021年01月18日(月)

蠣崎一揆

かきざきいっき

この一揆(いっき)は青森県下北郡田名部町を舞台とした八戸南部政経と蠣崎蔵人信純との紛争で、南朝復興運動の機運に乗じて応永年間(1394〜1428)に北奥に起こった一つの運動でもある。この地方を領有していた北部王家といわれた新屋民部太夫新田義純は代々南朝忠臣の家であり、南北合一後も足利氏に下らず南朝回復の雄図を抱いていたが、5代目義純に至り上洛して将軍足利義量に謁(えっ)し従5位上民部大輔に任官した。北奥の占有に野心を抱いていた重臣の蠣崎蔵人は釣り舟遊びに託し、新田一族を釣り舟に招待し、義純以下11人を水死させその実権を握った。この知らせを受けた八戸南部は蠣崎蔵人の真意が南朝復興運動にあるかどうかの確認に8年費やし、室町幕府とよく連絡し、1457年(康正3)海陸両面から田名部蠣崎城を攻撃した。蠣崎は葛西具全らの援軍を得て抗戦したが、ついに城は落とされ松前に逃れ、のちの松前氏の祖となったということが『田名部御陣日記』に書かれてある。この日記には91枚の中世文書を使用して、こと細かに事件の内容を伝えているが、その文書は1枚も現在に伝わらず、この日記以外に他の記録にあまり出ず正史とするにはなお検討を要する。八戸南部家に大崎左衛門佐教兼の推挙状18枚が残されているが、この恩賞に当てはまる事件としては、この事件しか考えられない。また、この事件以後田名部が八戸南部の領有に帰したことを考えれば、この日記が記しているほど大規模な事件ではなかったが、八戸南部と蠣崎との衝突があり、それを八戸南部独自で鎮圧して田名部を支配するようになったと推定される。

Written by 森ノブ

2021年01月17日(日)

カキ

カキ

イタボガキ科の二枚貝。全国各地の潮間帯の岩礁に付着する。生産量のほとんどが養殖によるもので、県内では年間、むき身で約900tである。殻高は20cm、産卵期は7〜8月、プランクトンを食べる。ホタテガイやカキ殻に採苗し、それを14〜20ヵ月間養殖して貝殻をむいて出荷する。酢の物・フライ・なべもの・バター焼きなど各種の料理に使われる。

Written by 土田健治

2021年01月16日(土)

科学談話会

かがくだんわかい

1948年(昭和23) 5月結成。戦後の人心の退廃・無気力・科学の貧困を憂え県内の科学者・技術者の力の結集を呼びかけて発足、以来毎月例会を開き、それぞれの専門の知識と研究を交換し、時には新聞・ラジオ・講演会などによって県内の開発や水害復興の調査・科学知識の普及に尽力した。この会を母体に東北開発研究会・岩手迷信調査会・岩手推計学会が発足した。本会には会長をおかず、事務局は岩手大学農学部・工学部・教育学部・人文社会科学部、岩手医科大学、盛岡気象台が一年ごとに輪番で担当し、発足の趣旨の下に世話人によって運営している。

Written by 石川栄助

2021年01月15日(金)

カエデ類

カエデるい

カエデ科のカエデ属は多数の種類を含み、世界に約120種あるといわれ、北半球の温帯〜亜寒帯に広く分布している。県内ではチドリノキ・ミツデカエデ・ヒトツバカエデ・カラコギカエデ・ハウチワカエデ・コミネカエデ・クロビイタヤ・エゾイタヤ・テツカエデ・イロハモミジ・ウリハダカエデ・イタヤメイゲツ・ミネカエデ・オガラバナの14種がある。このうちチドリノキについて吟味してみれば、北海道渡島に産するという報告が、1回出されただけで再確認されていない。本州北部では福島県・宮城県から本県南東部の釜石市〜東山町以南に多く産し、それ以北では知られていないので本県がこの種の北限自生地と認められる。カエデ類では植栽品種が多数知られている。イロハモミジは変種としてイロハモミジ・オオモミジ・ヤマモミジの3系があるが、イロハモミジ系シメノウチ・カギリ・シガラミ、オオモミジ系オオサカズキ・ノムラ・イワテヤマ、ヤマモミジ系シダレモミジ・オオシュウシダレ・タムケヤマなどの品種が県内でも見られる。ほかにハウチワカエデ・マイクジャク・オグラャマがある。これらのカエデ品種は徳川時代に江戸の庭師が作り出したものが多く、県内にも多くの品種が移入されている。現在では外国産のカエデ類もみられ、ネグンドカエデなど7種が知られている。

Written by 村井三郎

2021年01月14日(木)

街路樹

がいろじゅ

街路樹とは都市道路に飾りと緑陰を目的として、植えられる並木をいう。昔は道路が舗装されなかったので、路肩に列状に植えてそれを並木といっていた。街路樹としてはイチョウ・松類・柳類・ケヤキ・ハンテンボク・スズカケノキ・桜類・ニセアカシャなどが良好である。最近盛岡ではトチ・ナナカマド・シラカバなどが植えられるようになった。昔から杉並木、松並木、桜並木などが各地にあり、親しまれた呼称である。

Written by 村井三郎