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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2020年01月26日(日)

大原

おおはら

大東町の砂鉄川の上流に位置し、内陸と気仙地方とを結ぶ今泉街道の宿場町として栄え、付近の馬産・養蚕・薪炭・タバコの集散地で海産物との交易市場であった。国鉄大船渡線の摺沢駅ができてから宿駅としての機能は衰退したが、1955年(昭和30) 合併後は大東町の行政の中心地となった。毎年2月11日の「大原の水かけ祭り」は奇祭として全国的に有名である。

Written by 藤沢信吾

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2020年01月25日(土)

大橋

おおはし

北上山地脊梁(せきりょう)部に近い釜石市西部にある鉱石採掘地。1727年(享保12) 磁鉄鉱を発見、1857年(安政4) 大島高任が日本最初の洋式高炉によって出銑に成功した地で、この日12月1日を記念して「鉄の記念日」とされる。鉄鉱石を主に銅鉱石・石灰石も産し鉄鉱石は新日鉄釜石製鉄所で精錬される。仙人峠の基点。

Written by 及川勝見

2020年01月24日(金)

大野東人

おおのあずまんど

生年不詳〜 742 奈良時代前期の武将。724年(神亀元年)蝦夷(えぞ)攻略に参加してから742年(天平14)に参議に転じるまで、実に20年間近く、鎮守将軍・按察使として蝦夷地経営に従事した。多賀城の基礎もこの間に定まる。多賀城碑は東人が多賀城を建てたとしている。蝦夷地経営の父である。740年には藤原広嗣の乱を平定するなど、武功が大きかった。

Written by 高橋富雄

2020年01月23日(木)

大津麟平

おおつりんぺい

1865年(慶応元年)大阪府生まれ。台湾蕃務部長から1914年(大正3)本県知事となり在任4年11ヵ月。勇敢な性格で乗馬で県内を巡視して道路改良に努めた。また殖産事業ことに米麦の生産増収を熱心に指導し当時県の米の年産70万石(10万5000t)を 100万石 (15万t)としたことは有名。盛岡中学を移転して日赤病院を建設し初めてのペーチカ付きの病院として好評を博するなど当時としては近代的感覚の人。徳島県知事に転じる。

Written by 小田耕一

2020年01月22日(水)

大槌湾

おおづちわん

陸中海岸の筋山と御箱崎半島に抱かれた湾。1960年(昭和35) チリ地震津波で大被害を受けたが、その後復旧し、赤浜から蓬萊島を結ぶ延長 432m の防波堤、赤浜から安渡に至る護岸岸壁、さらに埋め立て地も造成されている。魚市場にはスルメイカ・サンマ・イワシ・マスなどが水揚げされ、水揚げ量は宮古・釜石・大船渡・久慈・山田に次いで多い。湾内ではホタテ・ワカメ・ノリ・カキの養殖が盛んである。また大槌湾には大槌川・小鎚川が注ぎ、特に大槌川は南部鼻曲がりサケの産地としても有名である。

Written by 田口淳一

2020年01月21日(火)

大槌城

おおづちじょう

城山館ともいう。大槌町字上内町の西北の丘陵上に所在。東は大槌湾、西は高峰、南に小鎚、北に大槌川と自然の堀を利用し本丸・二ノ丸・三ノ丸を擁した典型的な中世の山城で大槌氏280年間の居城。応永年間(1394〜1428) 遠野の阿曽沼氏の一族、大槌孫三郎がここにおり、1437年(永享9) 南部氏13代守行は孫三郎を討つため陣営を巡視中、流れ矢に当たり戦死。守行の戦死を秘し大槌氏と和解。1611年(慶長16)ごろの城主は孫三郎の子孫大槌孫八郎政貞で平田(現釜石市) - 豊間根(山田町)間3000石を領し南部氏に帰順していたが、釜石川(現甲子川)・片岸川などから獲れるサケを大船で江戸に送り、財を得たとして南部氏のために一族滅亡。城も破却された。

Written by 昆勇郎

2020年01月20日(月)

白石隆一

しらいしりゅういち

1904〜1985 写実的な魚の画家で知られた。千厩生まれ。一関中学から川端画学校卒。藤島武二に師事、帝展・文展・光風会展で活躍。1954年(昭和29)一関市に美術研究所を開設、後進の指導にあたる。1972年(昭和47)岩手日報文化賞受賞。千厩町の菩提寺大光寺の大壁画制作に病身をおして取り組み3年がかりで完成、1カ月後に死亡。穏和な画風と同様、人柄もだれにも好かれ、郷土の美術振興に尽くした。

Written by 千葉瑞夫