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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2019年03月24日(日)

高潮被害

たかしおひがい

発達した台風や低気圧が海岸に接近したり、上陸するとき、その付近の海面が異常に上昇し、海水が陸地に押し上がってくることがある。これを高潮というが、高潮を起こす原因は2つある。その一つは海岸付近の気圧の低下であり、もう一つは、沖合から海岸に向かって吹く暴風である。一般に海面上を風が吹くと、海面と空気の間に摩擦力が作用するため、海水は風に引きずられて流れを生じ、海岸に向かって流れてそこに突き当たり、海面は高くなる。県内のこれによる被害は季節的に冬季と夏季に多く、春と秋は割合少ない。そして、三陸漁場は定置網とか、養殖施設など漁業施設が被害の大半を占める。1972年(昭和47)1月12日から13日にかけての低気圧による高潮被害は、漁船流失・沈没など大きな被害を与えた。

Written by 工藤敏雄

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2019年03月23日(土)

県遺族連合会

けんいぞくれんごうかい

(財)岩手県遺族連合会。盛岡市八幡町。1946年(昭和21)8月21日遺族の援護ならびに英霊顕彰運動推進を目的に結成した。当時、3万5000世帯の遺族は、息子を失い寄るべのない老父母や、夫を亡くし遺児を抱えた孤立無援の未亡人まで、敗戦により反動的に兵隊だったという理由で白眼視され、物質的に、精神的に苦悩と不安の連続であった。従って、遺族自身の手で相互扶助の必要性を感じ、遺族会を結成したのである。生活必需品のあっせん、授産所の設置、福祉資金、奨学資金の貸付、慰霊行事の実施、遺族相談所の開設、国会陳情などとともに組織強化に努めた。現在220の支部をもち、遺族の殿堂として、さくら会館を建設、遺族の福祉増進を図り、道義高揚に努め、会の目的達成を図っている。

Written by 菊池希孝

2019年03月22日(金)

月泉良印

げっせんりょういん

1319〜1400月泉は字名で、良印は法名である。正法寺2世。本吉郡熊谷直瀬の子として生まれる。初め塩釜の真言宗法蓮寺で修業、栃木県薬師寺で戒壇、さらに石川県総持寺(明治になってから横浜の鶴見へ移る)峨山禅師に師事。1361年(康安元年)、水沢市の正法寺へ無底良韶の入滅の後を継ぐため赴任。在山39年、82歳で没した。その間44人の弟子と多くの寺を開き、月泉派の派祖といわれた。勅諡(ちょくし)され仏学古心禅師。

Written by 司東真雄

2019年03月21日(木)

気仙川

けせんがわ

住田町北境の土倉峠に源を発し、広田湾に注ぐ40kmの川。途中、滝観洞から南西へ流れ、川口から大股川を併せ東流、世田米から南ヘ流路を変え、う回しながら陸前高田市竹駒で矢作川を合流する。藩政時代気仙巡視の伊達忠宗が、世田米付近で川中の平たい石の上で茶をたててこの川の渓流の美しさを賞したと伝えられる。魚種が豊富でウグイ・イワナ・シラウオ・アユ・ハゼ・サケ・ヤマメが釣れ、上流の滝観洞とともに、県内有数の観光とレジャーの川である。しかし、この河川も徐々に汚染が進み、上水道利用の上で問題が起きたりしている。河口には津波護岸堤が築かれ自然河川の趣を失いつつある。

Written by 高橋薫

2019年03月20日(水)

船越半島

ふなこしはんとう

北に山田湾・南に船越湾を抱き東方に突出した半島で、秩父古生層と花こう岩からなる。地形的には織笠川の流砂と沿岸流によって形成された陸係島とみることができる。東岸の海食がいは景勝地として知られ、 300mに及ぶ絶壁の赤平金剛や大釜崎·白崎の男性的で豪壮な景観は中部陸中海岸随一のものであり、 4月から11月にかけて半島めぐりの観光船が運行される。北東部には山田町の象徴である霞露ガ岳がそびえ、南東には太平洋に臨んで小谷鳥の海水浴場がある。半島の荒神台地には、国民宿舎タブの木荘がある。半島のつけ根の砂浜部分は、防潮堤が建設されている。またキジ、ヤマドリが生息している。

Written by 浅田常夫

2019年03月19日(火)

船久保洞穴遺跡

ふなくぼどうけついせき

紫波町船久保にある洞くつ(鍾乳洞)住居跡で、県の史跡に指定されている。洞内からは、縄文後期·晩期の土器や石器とともに獣骨なども発見されているが、発掘調査が行われていないため全容は明らかでない。県内でも数少ない洞くつ住居跡の一つである。

Written by 佐藤正雄

2019年03月18日(月)

武徳殿

ぶとくでん

盛岡市内丸の岩手公園北側に1910年(明治43)大日本武徳会県支部の本拠地として建設された。東側に弓道場、北側に管理棟があった。歴代の知事が県武徳会本部の会長に就任した。1920年(大正9)剣道の佐々木琢造が武徳会本部から派遣されて常駐、柔道の瀬川正三郎·弓道の朝岡蕃とともに指導に当たった。各種の県下武道(剣·柔·弓)大会会場として使用され、県内武道振興の中心であった。1946年(昭和21)終戦によって大日本武徳会が解散し、一時期米軍に接収された。間もなく返還され盛岡市の管理になっている。戦後はしばらく市民の小体育館の役割をしていた。1960年(昭和35) ごろから再び剣道·柔道·空手·銃剣道の専用練習場あるいは競技会場として広く市民に開放されていたが、 1982年(昭和57) 11月5日、老朽化のため、解体撤去された。

Written by 原田源次