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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2021年04月23日(金)

医療組合運動

いりょうくみあいうんどう

県内 226市町村の約半数 114の無医村(昭和初期)を抱えた医療の砂ばく地帯で、都市に偏在する開業医に頼らず、自らの力で自分たちの病院 (実費診療所)をつくろうと医療組合運動が起こったのは1930年(昭和5)である。この年、気仙郡矢作村(現陸前高田市)に矢作村産業組合によって県内最初の組合診療所が開設されたのをはじめ、翌年は奥玉村に組合診療所が、さらに1933年には県内初の組合病院、有限責任購買利用組合盛岡病院(現県立中央病院)が開設された。翌年は釜石市共済病院・東山病院・江刺病院・磐井病院、さらにその翌年は胆沢病院が、続いて大槌病院・花巻厚生病院・遠野病院と各地に組合病院、実費診療所が開設され、1941年(昭和16)には病院13・診療所8・出張所6を数えるに至った。また1938年国民健康保険法が制定されると、国保を産業組合が代行することにしてその普及運動が始まり、その年に気仙郡日頃市村など6村が産業組合の代行で国保事業を開始、組合員の医療費負担の重荷を組合員の助け合いで解決しようとする産業組合の国民健康保険は県内各村に広まった。このように本県の医療組合運動は、病院と国保を自らの組織機構の中に備え、医療を大衆のものにする運動として全国の医療組合運動の先駆的役割を果たしたが、戦後は国保連(国民健康保険団体連合会)の活動に引き継がれ、その直営病院や診療所の多くは県立病院に移管された。

Written by 菊地武雄

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2021年04月22日(木)

医療過誤

いりょうかご

医師ならびに医療機関が誤った診断・措置を講じたために患者を死亡させたり、病状の悪化をもたらしたりした場合、「過誤」として責任を問われる。注射・投薬・手術などに関する技術的な過誤と医学上の判断の誤りとに二分することができる。従ってキノホルム原因説を取ってのスモンや乱注射による大タイ四頭筋短縮症などを医療過誤の範囲に入れる考え方もある。医療過誤が社会問題として注目されるようになったのは、医療事故が民事・刑事の問題として裁判に登場するようになってからであり、特に1960年(昭和35)以降から急激な増加が目立つ。しかし医療という専門分野で生じたものであるために要件事実の立証が困難であり、他の損害賠償請求訴訟と比べ原告側の勝訴率は低い。本県の場合、他都道府県に比べて医療過誤を巡る争いは少ないが、県医師会内には他の医師会と同様に医事紛争処理特別委員会が設置されている。県内での最近の事例としては、1972年(昭和47) 県立大船渡病院で新生児21人がブドウ状球菌感染症にかかり、遺族・患者側が県医療局と補償金問題で争った例がある。このときは遺族1人が法廷で争ったほかは、最高 300万円の補償金による示談が成立している。また、岩手スモン訴訟は投薬証明のない患者27人が国と製薬3社を相手取り、1980年(昭和55)から3次にわたり、盛岡地裁に提訴し、1985年にすべて和解が成立した。投薬証明がとれ、既に和解していた39人と合わせて県内のスモン患者66人全員が和解した。

Written by 野口純・橋田純一

2021年04月21日(水)

入会林野

いりあいりんや

明治初期まで村山・村林と呼ばれ、県内の林野の大部分を占めていた農用入会林野は、1873年(明治6)の地租改正やその後の土地官民有区分事業・市町村制度の変革によって解体を遂げて、多くは記名共有形態に変わり、部分的に個人(代表者)名義や、市町村名義(旧慣使用林野)として存在している。県内の入会林野は1960年(昭和35) センサスや公有林実態調査によると、 集団数1989、権利者数14万3000人、面積にして12万6000haに上ると推定されている。地域的にみると集団数の88%、面積の92%が北上山地に分布し、奥羽山間部は少ない。放牧・採草・薪炭生産の粗放利用が長い間続けられたため、林相は概して貧弱で、管理体制も立ち遅れている。1966年「入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律」が制定され、権利関係の明確化・土地利用の高度化の事業が進められている。県内でも1985年(昭和60) 3月末までに279集団を対象とし、1万2293haが生産森林組合などの協業組織に、また、1万3277haが個人分割された。

Written by 船越昭治

2021年04月20日(火)

入会権争議

いりあいけんそうぎ

地租改正の実施により土地所有権が認められ、官有地・公有地・民有地の区別が成立したが、1874年(明治7) 政府は土地を官有地と民有地の2つに分け、入会地は民有地とした。ところが入会慣行を証明できない所は官有地とされたために、村民が入会地利用権を嘆願し、飼肥料や薪炭林利用を要求して運動し、一定の利用権をかちとった。次には入会地を地租改正の際に一個人地主の名義としたが、商品経済の発達とともにその地主が村民の入会権利用を拒否した。そのために生じた争議に山形村・大野村・一戸町小繋の入会権争議がある。いずれも明治・大正・昭和にわたる長い裁判争議であったが、農民の自家用樹木採草の入会権は認められ一定の和解妥結となった。

Written by 名須川溢男

2021年04月19日(月)

衣服規制

いふくきせい

江戸時代の幕府と各藩による、倹約令と結び付いた衣生活への諸規制。共同体を基礎にした封建社会では、共同体的秩序としての身分的規制が厳しく、生活全般についてさまざまな規制があった。南部藩では1672年(寛文12)から1842年(天保13)の 171年間に96回規制法令が公布された。特に1708年(宝永5)以後増加し、宝暦・寛政・文政年間(1751〜1830)に集中。凶作・沿岸警備による財政窮乏が倹約令と結びつく。士農工商(武士は上下層別)、 男女の身分別に、綿・絹・麻・木綿の材料別、織物の種類、染物の種類、付属品(かっぱえり・履物)に至るまで、季節に応じて規制された。江戸時代中期以降は、商品経済の発展が著しく、奢侈(しゃし)禁止令が繰り返され、そこに事実上衣生活の多様化と向上がみられるが、南部藩の場合ごく地味な内容のものとならざるをえなかった。藩独自の法令が多く、農民・町人に比べて武士に対するものが多く、規制のあり方は具体性に欠け、訓戒的であった。

Written by 三浦黎明

2021年04月18日(日)

夷俘

いふ

降伏もしくは捕虜になった蝦夷(えぞ)のこと。俘囚(ふしゅう)と同じように用いられる。ただし、用法としては、服属段階のまだ進まぬものについては、主に夷俘といい、服属・開明化の進んだものについては、主に俘囚の語を用いたと思われる。平安時代には専当国司のもとに夷俘長(いふちょう)を置き、統制に当たらせた。第1〜6等の爵位を与えるなどして、その内民化が図られた。

Written by 高橋富雄

2021年04月17日(土)

イヌワシ

イヌワシ

ワシタカ目ワシタカ科最大級の陸鳥。体重3〜4kg、 翼開張2mぐらい。1972年(昭和47) 岩泉町大川で営巣が発見された。発見のきっかけは中学生が巣から落ちたひなを育てていたことからであった。村人には昔から、 クマタカ・ダケタカと呼ばれ、知られていた。渓谷のがけ・岩だなに巣を構え、何十年も同じ巣を使う。巨木に作ることもある。「タカノスクボ」「日陰タカノス」など地名になった町もある。晩秋から巣材を運び、厳冬に産卵。2卵のことが多い。43日ぐらいでかえり、 70〜80日で5月中旬〜6月中旬に1羽だけ巣立つ。子は秋まで親と暮らし独り立ちしてゆく。90%までノウサギがえさで、キジ・ヤマドリ・テン・ヘビなども捕る。北上山地に8巣発見されているが、いずこも開発その他の危機にさらされて、繁殖率は極端に悪くなっている。1965年(昭和40)から国の天然記念物。

Written by 遠藤公男