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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2020年04月05日(日)

珊瑚橋

さんごばし

北上市黒沢尻町川岸と立花の間、北上川に架かる橋。市立公園展勝地の山の名から命名された。最初は木製の私有の有料橋であったが、1933年(昭和8)永久橋に架け替えられた。国道107号線が通り遠野・大船渡方面、また江刺方面への交通の要地であるが、近年老朽化が進んでいること、幅が狭いことが隘路(あいろ)となっている。

Written by 加藤紘

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2020年04月04日(土)

珊琥島

さんごじま

大船度湾中部下船渡付近に浮かぶ南北370m・東西100m・標高28mの平たんな島。全島アカマツの天然林に覆われた中に白亜の珊琉島灯台があり、近くには前島・水鶏島・琵琶島が点在する。1943年(昭和18)国の名勝の指定を受けた。平たんな島を覆う樹齢100年を超すアカマツの天然林はサンゴを思わすものがあり珊琥島の由来となった。

Written by 中村敢

2020年04月03日(金)

内川目

うちかわめ

大迫町の北東部に位置し、早池峰山ろくから流れる岳川に沿って集落が形成されている。藩政時代は大迫通り代官所が置かれ、その支配下にあった。1889年(明治22)内川目村となり1955年(昭和30)大迫町の一部となる。岳川沿いの水田とその支流の谷沿いに畑作・果樹が盛んで、葉タバコとブドウが特産物になっている。

Written by 佐々木博康

2020年04月02日(木)

有芸

うげい

岩泉町の東南部に位置し南は新里村に接する旧村。1889年(明治22)町村制施行によって有芸村となり1956年(昭和31)岩泉町と合併。かつて木炭生産と牛馬の飼育が盛んであり、開拓入植も行われた。

Written by 菊池強一

2020年04月01日(水)

上田常隆

うえだつねたか

1900〜1980 毎日新聞社長、日本新聞協会会長。大阪市生まれ。本籍は滝沢村。代々南部藩士の家系。母は原敬の姪。1926年(大正15)京都帝大法学部卒。毎日新聞社に入社、販売一筋の道を歩み、1951年(昭和26)大阪本社営業局長を経て1957年常務取締役、1961年(昭和36)代表取締役社長に就任。1968年辞任するまで欧米・南米各国と国際交流につとめた。1968年(昭和43)米国イリノイ州モンマス大学から日米友好の記念として名誉法学博士号を贈られる。同年滝沢村の名誉村民に推挙される。1969年岩手県総合開発審議会長に就任。さらに浄法寺町の天台寺復興にも功績をのこす。

Written by 太田俊穂

2020年03月31日(火)

しとぎ

生米を水に浸した後、つきつぶし、しとねるところからきた名称。もちが用いられる以前の、古い形式の神への供え物である。『和名抄』には「粢餅は祭餅也(しとぎもちはまつりもちなり)」と書かれている。国内では地方によっておしとぎ・ひやし・おはたき・なまこ・しろもち・おだんすなどの方言で呼ばれ、県内では「すっとぎ」などと呼ばれている。神に供えるので火を用いないのが普通だが、にしとぎ・やきしとぎのように加熱したものもある。県内では主にお供え物として作られ、山の神・氏神・大黒・稲荷・大師・蒼前・オシラサマなど旧暦12月の神々の年取りに祭られた。このほか、豆しとぎ・あわしとぎ・そばしとぎ・ひえしとぎ・かきしとぎなどがある。県北地方で現在も作られている豆しとぎは、大豆を1晩水にてつけておき、固めにゆで、うすに入れてつき、さらに米の粉を入れてつく。塩で味付けし(現在は砂糖も入れる)、よくしとねて、かまぼこ形にまとめ、1cmぐらいに切って食べる。大豆のほかに青豆や黒豆を用いてもよい。

Written by 鷹觜テル

2020年03月30日(月)

清水

しみず

自然的にわき出る水は清らかなところから清水・しみず・すずといっている。掘り井戸を造ることのできなかった時代は、自然流水か降水・わき水を利用するしかなかった。なかでも清水は人間生活のよりどころであった。水の乏しい地域では、発見に難しい技術を要するため、水脈発見についての伝承は県内各地に残されている。弘法大師がつえをついた所から水がわき出したとか、大師に水をさし上げることを断ったため悪水になったとか伝説が多く、水神をまつる習俗が注目される。旧伊達領では1776年(安永5)領内各村に『風土記御用書出』に「名水・清水などの類は残らず書き申すべく候事」と提示し、名水・清水を書き出させている。県内の清水伝説は弘法大師のほか、坂上田村麻呂、慈覚大師、源頼義・義家父子、藤原秀衡の霊験などが語られている。盛岡10カ所清水(箱清水・洞清水・磐(いわ)清水・苔(こけ)清水・御田屋清水・昆沙門(びしゃもん)清水・大清水・青竜清水・大慈清水・黃金清水)や「清水」という神社仏寺も湧水地(ゆうすいち)によって名付けられたものである。原始時代の人は湧水地の周辺に集落を設け、井戸掘り技術の進んだ今でも水神をまつる。

Written by 佐島直三郎