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IBC岩手放送|岩手百科事典

2019年01月19日(土)

関養軒

せきようけん

1761〜1832 儒学者。一関地主町の人。名は元龍、号は養軒。15〜23歳ぐらいまで京都に遊学。のち学問の根本は実践にあると考え、帰郷し両親に孝養を尽し勉学に励む。23歳のとき、自力で学校(一関学館のち教成館と改名)の建設を建議し許可され、士列となり学頭に進む。40余年その職にあって後進の指導に当たった。著書に『陸奥郡郷考』、『関邑略志』。

Written by 八巻一雄

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2019年01月18日(金)

関ノ戸億右衛門

せきのとおくえもん

1735〜1782 力士。本名熊谷喜七。磐井郡永井村(現花泉町)出身。江戸中期の明和年間(1764-1772)に4年間にわたって当時最高位の関脇を勤めた。江戸・大阪対抗相撲で西の大関出水川に勝ち、日本一の力士といわれ、日ノ下開山東都相撲総司となった。1774年(安永3)引退、2代目伊勢ノ海五太夫となる。身長179cm・体重180kgの堂々たる体格であった。4代横綱谷風や岩谷堂出身の関脇宮城野錦之助を育てた。

Written by 七宮涬三

2019年01月17日(木)

関登久也

せきとくや

1899〜1957 歌人。旧姓関徳彌。花巻生まれ。岩田ナホ(宮沢賢治の親類)と結婚。1917年(大正6)秋、宮沢賢治に誘われて盛岡市北山報恩寺に参禅。以後、賢治の同志同行となる。歌人尾山篤二郎に師事、『風抹』・『歌と随筆』・『農民芸術』などの雑誌で弟子を育てたが、歌集も刊行。賢治研究の書も数冊書き、賢治研究の根本資料となっている。

Written by 森荘已池

2019年01月16日(水)

歌と随筆

うたとずいひつ

1946年(昭和21)1月、花巻の関登久也(『芸林』同人)創刊。発刊と同時に全国的反響を呼び、前田夕暮・前川佐美雄・中山義秀・石塚友二らも寄稿。三浦忍・佐和新介・菊池実・松崎和夫・村上圭吾・三浦忠雄・森山耕平らが活躍。多くの新人養成と宮沢賢治の人と作品を紹介して、県歌壇の興隆に努めた。1950年『風林』と改題するまでに30余冊を発行した。

Written by 森山耕平

2019年01月15日(火)

獺沢貝塚

うそざわかいづか

陸前高田市小友町字獺沢。「おそざわ」ともよぶ。1917年(大正6)松本彦七郎が調査。出土土器に獺沢式の型式名を与え、さらに他地域の土器の資料とともに、縄文式土器の文様の変化を5段階の退化の法則に従う現象と説明したのは有名、1925年ごろには長谷部言人、1971年(昭和46)には江坂輝弥らが調査している。1975年遺跡の近くで開田工事中に貝層が発見され、及川洵・遠藤勝博・遠藤輝夫が緊急調査。縄文後期から晩期にかけての土器・土偶・石器や燕形離頭銛頭(えんけいりとうもりがしら)など骨角器を多数発見した。

Written by 及川洵

2019年01月14日(月)

ウズムシ(ナミウズムシ)

ウズムシ(ナミウズムシ)

三岐腸目プラナリア科。ナミウズムシは、頭部が三角状に突き出しているので、かつては三角プラナリアという和名。体長は2〜3cm、幅は体長の約10分の1。背面はオリーブ色・赤かっ色・黒かっ色。中津川・簗川・根田茂川などの上流に生息。そのほか水のきれいな川には、たいてい生息している。動物の再生実験材料として利用。

Written by 坂本義彦

2019年01月13日(日)

稲葉神社

いなばじんじゃ

和賀町藤根。旧村社。豊受姫命(とようけひめのみこと)をまつる。1044年(寛徳元年)阿弥陀(あみだ)如来像が飛来して大杉に宿った。集落民が御神体を鎮座し、建立祭事したのが始まり。1633年(寛永10)阿弥陀堂が焼失したあと再建し、1872年(明治5)稲葉神社と改称して保食神をまつり、現在に至っている。例祭は9月15日。

Written by 佐藤正順