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IBC岩手放送

 

IBC岩手放送|岩手百科事典

2018年11月20日(火)

城山

しろやま

紫波町日詰と古館の境にあって、北上川の西河畔にある標高180.4mの丘陵。北上盆地の平たん部にあるだけに頂上付近からの展望が四方に開けている。室町時代にこの地方を支配した斯波氏が、この山を本拠とし、高水寺城と称した所でもある。現在、紫波町立城山公園として、春は桜の名所として、家族のハイキングコースでにぎわいをみせている。

Written by 金子豊

岩手百科事典とは

「郷土のすべてを知りたい」という県民の思いにこたえ、岩手放送開局25周年事業として1978年に刊行。10年後の1988年に補訂し「新版岩手百科事典」を刊行した。岩手の自然・歴史・地理などあらゆる分野・領域で5千を超える項目を網羅、集大成。
WEBでの掲載項目は「新版」に準拠し、刊行当時の内容をそのまま採録しています。このため地名や解釈等で、現在と違う場合もあります。予めご了承の上、お楽しみください。

2018年11月19日(月)

シロウオ

シロウオ

シラウオと1字違いで紛らわしいが、全く別種のハゼ科の5cmほどの海産魚で鱗がない。春先産卵のため川をさかのぼり川底に埋もれた中ぐらいの石の下に産卵する。生きている間は透明な淡いあめ色で粘質に富みシラウオより味が良いが、死ぬと白色になり、急速に味が落ちてまずくなる。おどり食い・おろしあえで美味。宮古ではチリメンザッコ・ザッコといい、シラウオより高価。

Written by 西野耕一郎

2018年11月18日(日)

シララカハナカミキリ

シララカハナカミキリ

鞘翅目(しょうしもく)ハナカミキリ亜科。体長8〜14mm、体は黒色で上ばねに黄かっ色紋があり高地性で7〜8月に出現する。1937年(昭和12)7月下旬早池峰山で採集され本州新記録(それまでの分布は樺太)となった種である。現在の分布は北海道と九州が加えられているが、6月下旬川井村区界付近で採集された記録がある。北上山地に多い。

Written by 平野修一

2018年11月17日(土)

白山

しらやま

前沢町北部、北上川右岸にある旧村。坂上田村麻呂建立と伝えられる麻生神社や、蜈夷(えぞ)居住の大麻生柵の攻防などが史実にあり、平安時代以降に開かれた地域。1889年(明治22)町村制施行で白山村となり、1955年(昭和30)合併して前沢町に編入された。北上川流域を中心に水田が開ける。

Written by 初貝行実

2018年11月16日(金)

白鳥川

しらとりがわ

北上山地の折爪岳南ろくに源を発し西へ流れ、二戸市岩谷橋付近で馬淵川に注ぐ8kmの川。流域は峡谷がほとんどで、下流では馬淵川とともに九戸城の堀の役割を果たした。1591年(天正19)南部・豊臣連合軍6万5000の兵をもってしても、九戸政実の軍5000の兵で守るこの城が難攻不落であったことは有名。岩谷橋下の岩谷観音は二戸七観音の札所として知られる。

Written by 高橋薫

2018年11月15日(木)

照明器具

しょうめいきぐ

床を仕切った囲炉裏の火は、煮炊き以上に灯火の役目を果たしていた。「たいまつ」は手に持ち夜道など照らすが、屋内の照明には、マツの根を細かく割りさら状の松台・松灯貝(蓋)に載せて燃やした。植物油・魚油などで点じる「あんどん」や「ろうそく」は、武家や商家のもので、庶民には高価すぎて普段は用いなかった。ただし三陸沿岸のイワシから搾った油、ウルシの木の実から採るろう(ろうそくの原料)は南部藩の重要産品だった。「石油ランプ」が県内に普及し始めたのは、1877年(明治10)ごろで、石油は米国から横浜に輸入、塩釜を経て北上川の舟運で盛岡に運ばれた。国内最初の「電灯」は、1878年東京で点灯されたが、県内では1905年(明治38)盛岡の簗川に発電所が完成して市内77戸に点灯したのが始まりである。

Written by 斉藤文男

2018年11月14日(水)

浄法寺塗

じょうぼうじぬり

わが国の漆の生産は本県が最も多く、質も良かった。主な分布地域は浄法寺町から安代町にかけての安比川流域。ここの漆で塗った器が浄法寺塗で、浄法寺椀はその代表的製品。起源は奈良時代末の建立と伝えられる天台寺で、僧侶が寺のじゅう器として製作したのが始まりといわれている。御山御器あるいは浄法寺御器と呼ばれ、例祭には境内で販売された。浄法寺椀は三つわんか四つわんで、内外は黒か紅がらで仕上げ、高台は秀衡椀(わん)より低いのが特色。こうして、天台寺の自家用食器や仏具の製作に端を発した浄法寺塗はやがて一山から民間に伝わり、浄法寺町から安代町にかけての安比川筋で、専業の木地師や塗師によって生産されるようになった。江戸時代には藩内だけでなく、他藩へも移出するほどで、藩の重要な産物になったが、後に藩外移出禁止や商人に販売権を請け負わせたため、生産意欲と品質低下をまねいた。その上、明治には藩の保護もなくなり、他産地との競争もあり衰退した。最近、浄法寺町の地場産業として復活し、第8回全国伝統的工芸品展で、中小企業庁長官賞を受賞した。1985年(昭和60)には伝統的工芸品にも指定された。

Written by 池田雅美