森川俱志さんを悼んで

盛岡市大通で40年あまりアルゼンチンタンゴのライブレストラン「アンサンブル」を営み、

バンドネオン奏者として多くの人にタンゴの魅力を伝えてこらえた森川俱志(ともゆき)さんが、

昨年12月28日にお亡くなりになりました。84歳でした。

不覚にも12月30日の岩手日報の広告や1月4日の記事を見落としてしまい、奥様の花田さんに

お悔やみの言葉を伝えることができませんでした。この場をお借りしてお詫びいたします。



 

森川さん夫妻は1977年昭和52年、当時あったローレライという店に招かれて初めて盛岡で

演奏活動を行い、一旦東京に戻ったあと昭和54年に盛岡市大道りに店を構えました。

市内・県内ばかりか広く全国のタンゴファンに時に力強く、時に哀愁に満ちたタンゴのリズムと

メロディーを届けてこられました。日本中のアーティストにも愛されたばかりか、アルゼンチンの

超一流バンドのメンバーがお店に集うこともありました。IBCテレビのスタジオでも幾度となく

生演奏を披露されたことがありました。しばらくして森川さんが大学の先輩(といっても20年

はなれた大先輩)と知り、同じ時代に盛岡で仕事をはじめられたことに縁を感じたものです。

 

開店30周年の年、当時ラジオのディレクター職をメインとしていた私は、ふた月に一度担当する

1時間の番組「IBCラジオスペシャル」に、ご夫妻に登場いただき「アンサンブル・30年目の夏」という

番組を作らせて頂いたのが一番の思い出です。

戦災で失ったものの多かった青年時代、タンゴに出会い、バンドボーイからスタート、坂本政一、

早川真平等のバンドのメンバーとして活躍。海外での演奏も豊富でした。奥様と出会いと独立、

色々なエピソードを語ってくださいました。



 

上の写真はその30周年の年に記念のCDエル・ディア・ケ・メ・キエラセ=想いの届く日

森川さんのバンドネオンと、花田さんのバイオリンの抜群のハーモニーの佳曲が表題と

なっています。一つの節目を越えた頃、国内でタンゴの生演奏を毎日聴ける店はアンサンブル

だけになりました。

森川さん花田さんご夫妻は盛岡を拠点に全国で活動を続ける一方、市内の中学校での演奏を

行ったり身近なところで〝本物の音”を届け続けました。今思えばなんと贅沢なことでしょう。

さらに東日本大震災の折には何日も被災地に赴き、被害を受けた方々の心を癒し続けました。

こうした活動が認められ、2018年には「岩手暮らしの文化特別知事表彰」を受賞されました。

 

去年春体調を崩されたものの、その後お店での演奏を再開されたとの知らせを聞きました。

近いうちに行かなければ、と言いながら忙しさにかまけ、新型コロナウイルスの感染拡大に

足を向けずにいました。お元気なうちに会ってタンゴを聴きたかった。お話を伺いたかった。

悔いが残ります。

 

1月14日のゲツキンライブ、担当アナウンサーが選ぶ一曲のコーナーでお別れの曲を

かけようと思います。森川ともゆきとタンゴ・アンサンブルの曲をとも考えましたが、

森川さんの曲は今後必ず何かの機会におかけしますので、今回はあえてお別れの曲として

カルロス・ガルシア楽団のアディオス・ムチャーチョス=さらば友よを流そうと思います。

余命いくばくもない男が友に別れを告げる、そんな曲想が縁起でもないと、演奏を

しない楽団・アーティストも多いのだとか。そういえばアンサンブルで聞いたことは

無かったですね・・・。明日ばかりは立場を変えて、森川さんにさようならの挨拶をさせて

ください。

 

いま森川さんを迎えて下さろうとしているのは、東京大空襲で亡くなられたご両親ですか。

本場アルゼンチンを旅した仲間の方たちでしょうか。きっと安らぎのタンゴのメロディーに

包まれていらっしゃることと思います。 安らかにお休みください。

2021.1.13記