気象と防災 マメ知識!

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55 【再放送】毎週日曜日18:50~18:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

446回「水害・暴風雨体験」2017年11月18日OA

2017年11月18日 6:00 PM

先日、訪れた東京都墨田区にある「本所(ほんじょ)防災館」の模擬災害体験についてお伝えします。インストラクターが案内するツアー形式で予約が必要です。

「都市型水害体験」では地下空間内で浸水した場合の行動について学びます。片開きの緑のドアがありその裏側に階段を伝って水が流れ込んでくるような絵が描かれています。ドアの足下には濃淡に色分けされた水のラインがあり、水深10センチ、20センチ、30センチと3段階に分かれています。ドア横のボタンを押すと、それぞれの水深に応じた圧力がドアにかかり、10秒以内に45度、開けられるかを体感するものです。実際にやってみると、水深10センチでもかなりドアが重く感じられ、20センチは55キロの全体重をかけてやっと押し開けられ、30センチはびくともせず水の重さに驚きました。地下空間は決して安全ではありません。地上が冠水すると一気に水が入り込み浸水したり、又、水圧によりドアが開けにくくなったりする恐れがあります。このような危険性をイメージし、大雨の際は早めに水害の心配が無い場所に避難することを心がける必要があります。

「暴風雨体験」では、まず借用した青いレインコートにレインパンツ、長靴、マスクを身に着けます。そして大人が10人ほど入れるガラスで覆われた部屋に入り、3列あるハードルのような手すりに前屈みになって掴まります。男性アナウンサーの台風中継のような音声が流れ、正面から暴風と、頭上からシャワーのような大雨を体験するものです。風速30メートルは走行中のトラックが横転するような猛烈な風で、手すりをしっかり握っていないと立っているのが困難です。1時間に50ミリの非常に激しい雨はまるで滝に打たれているようです。このような気象条件では、外出を控え、安全な場所で身を守ることの大切さを実感しました。本所防災館の場所はスカイツリーのすぐ傍、都営浅草線・押上(おしあげ)駅から徒歩10分です。

 

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443回「記録的短時間大雨情報」2017年10月28日OA

2017年10月28日 6:00 PM

紫波町のじゃじゃじゃサテライトさんから質問をいただきました。ありがとうございます。「記録的短時間大雨情報はいつから始まったんですか?紫波で確か3年前に95.5ミリの猛烈な雨が降ったことがありますが、それも記録的短時間大雨情報に匹敵するのでしょうか?」

盛岡地方気象台によりますと、記録的短時間大雨情報とは「県内で数年に一度程度しか発生しないような短時間の大雨を、地上の雨量計で観測したり、気象レーダーと雨量計を組み合わせて解析したりした時に発表する情報」です。その基準は、1時間雨量歴代1位または2位の記録を参考に都道府県毎に決まっていて、岩手県では1時間に100ミリとなっています。現在降っている雨が災害の発生に繋がるような稀にしか観測しない雨量であることをお知らせする、大雨警報を補完するものです。導入のきっかけは、長崎県を中心とした昭和57年7月豪雨、及び島根県を中心とした昭和58年7月豪雨でした。昭和58年10月、記録的な短時間雨量を観測した際に大雨情報の発表を始め、昭和61年3月には記録的短時間大雨情報という言葉が登場。平成6年6月からは雨量の解析にレーダーを用いるようになり、平成28年9月からは雨量解析処理を改善、実況をいち早く伝えられるようになりました。

尚、近年、県内では、いずれも1時間に約100ミリの雨量が観測された「平成22年8月31日一関市西部付近」「平成22年12月23日宮古市東部付近」「平成25年8月9日雫石町付近」「平成26年7月6日盛岡市北部付近」そしてご指摘のあった「平成27年6月16日紫波町付近」「平成28年8月3日奥州市西部付近」を対象に発表されました。この情報が発表された際、特に土砂災害警戒区域や浸水想定区域などにお住まいの方は、市町村の避難情報を確認し速やかに避難してください。避難場所まで移動することが却って危険と判断される場合には、屋内の中でも土砂災害・浸水害・洪水害が及ぶ危険性ができる限り小さい階や部屋等に退避するなどの行動をとってください。

442回「トクする!防災2」2017年10月21日OA

2017年10月21日 6:00 PM

前回に続いて日本気象協会が行っている「トクする!防災プロジェクト」についてです。水害や河川氾濫では、自分の地域だけではなく、近くの川の上流で豪雨や長雨が続いている場合にも気を付けなければなりません。市街地などに短時間で局地的な大雨が降ると、下水道や排水路から溢れ出した雨水が建物や土地、道路などを水浸しにすることがあります。これを「内水氾濫」と言います。内水氾濫は、河川の氾濫と比べて「雨の降り出しから浸水被害が発生するまでの時間が短い」「河川から離れた地域でも浸水被害が発生する」「浸水の深さが浅いので、無理に屋外へ避難するよりも頑丈な建物の2階以上へ移動した方が安全な場合が多い」という特徴があります。日頃から大雨に備えて自宅の周囲を点検し、路面の排水を妨げるような側溝等の上部に溜まったゴミや落ち葉は取り除きましょう。

水害や河川氾濫の避難で大切なのは、「夜になる前の早めの避難」です。台風の接近や、大雨が夜に予想されている時は特に注意が必要です。辺りが暗く大雨の中の避難は危険です。暗さで周りが見えないだけではなく、大雨で音が聞こえにくく、崩れている道路に気づくのが遅れ、避難中に被災する恐れもあります。特に災害に弱い高齢者や子どものいる家庭では、天気予報を見て、暗くなる前の昼や夕方に早めに避難するようにしましょう。

歩いて避難する時は、水位が上がっている用水路に流されないよう、離れた高い道路を通りましょう。事前に避難ルートを想定し、実際に歩いて用水路やアンダーパス等の低い土地がないか確認しましょう。もし道路が既に冠水している場合、泥水で足元が見えない為、特に注意が必要です。歩き慣れた道であっても、マンホールの蓋が外れて吸い込まれるかもしれません。やむを得ず冠水している道を通る際は、杖のような棒を持って、足元が大丈夫か確認しながら避難しましょう。防災のヒントが満載のHPは、「トクする防災」で検索すると御覧になれます。

 

441回「トクする!防災1」2017年10月14日OA

2017年10月14日 6:00 PM

今日は「トクする!防災プロジェクト」です。ちょっと楽しく、ちょっとおトクに防災アクションを取ることで、自分や家族の命を守ることを目指す、日本気象協会のプロジェクトです。公式ウェブサイトやSNS、アプリ、防災イベントなどを通じ、日頃から気軽に取り組める「ふだんの防災アクション」を提唱しています。

例えば「防災備蓄の必要性」について。阪神大震災や東日本大震災、熊本地震など大きな災害が起きると避難所では食料すら足りない状況が必ず起きています。自治体の備蓄は補助的なものと考え、被災地以外から支援を受けられるまでの数日間、必要な物は全て、自宅で用意しておくと安心です。防災用の備蓄は「長期的に置いておくもの」と「普段から使っているもの」に分けられます。前者は給水袋など水を溜めておくもの、カセットコンロなど調理器具、簡易トイレなど衛生状態を保つもの、ラジオのように情報を確認するものなどです。後者は、食料品、薬・救急用品、ウェットティッシュなど衛生状態を保つもの、乾電池など日用品です。普段から使っているものについて、おすすめの備蓄方法が「ローリングストック」です。食料品を少し多めに買っておき、食べたら食べた分だけ買い足し、常に一定量の食材を家に備蓄しておくというものです。消費と購入を繰り返すことで、鮮度を保ちながら、いざというときに備えられるのです。これは食料だけではなく、生活用品にも応用できます。

このプロジェクトで興味深いのは、災害時の行動体験イベントです。去年7月、愛知県の中学生ボランティア36人に、ゆであずき缶を缶切りで開けられるか試してもらったところ、約7割の25人が開けられませんでした。缶詰は、プルタブ式の他、従来型も多く販売されています。特に子ども達は、いざという時に開けられないということがないよう、普段から缶切りにも慣れておくことの大切さを感じました。防災のヒントが満載のHPは、「トクする防災」で検索すると御覧になれます。

 

438回「内水氾濫」2017年9月23日OA

2017年09月23日 6:00 PM

去年8月、県内を襲った台風10号の際、宮古市では観測史上1位となる1時間に80ミリの猛烈な雨が降り、市役所や商店街などが広範囲に亘って水に浸かりました。宮古地区では全壊19棟、大規模半壊180棟、床上浸水1197棟、床下浸水455棟、一部損壊22棟の被害となりました。しかし市の中心部を流れる閉伊川で、堤防を乗り越え氾濫した形跡は、県も市も確認していません。宮古市上下水道部では「閉伊川の水位が上がり、排水先が確保されない上流から降った雨が平地に溜まって内水として残った」と見ています。

これは「内水氾濫」と呼ばれる現象です。大雨等により地表の水の増加に排水が追いつかず、用水路、下水溝が溢れて氾濫したり、河川の増水などで排水が阻まれたりして、住宅や田畑が水に浸かる被害のことです。内水氾濫の対語として、河川の氾濫を「外水氾濫」とも言います。防災科学研究所によりますと、内水氾濫はゆっくりとした浸水で、人命への危険は小さいものの、冠水した道路を歩いていて深みにはまったり、側溝・排水路などに転落したりして溺れ命を落とすケースがあります。又、浸水戸数が多くなると被害額が大きくなり、大量に発生するゴミの処理が水害後の難問になります。

閉伊川河口部に位置する宮古の市街地は、海抜が数メートルと低く水が流れ込みやすく、更に排出先の閉伊川の水位は、千徳地区の観測所で最大で5.51mにも上り水圧が高まりました。その結果、内水氾濫が起きたと考えられます。閉伊川右岸の藤原地区では、海抜の低さに加え、震災で地盤がおよそ50センチ沈下したことから去年の台風10号で大きな被害を受けました。そこで宮古市では、今年6月上旬、溜まった水を強制的に川に出すポンプ場の建設を始めたもので、来年度末に完成予定です。ポンプ場はこの他、左岸の新川町(しんかわちょう)地区、宮町(みやまち)地区の併せて3か所に整備されます。自然災害から住民を守る為のまちづくりが進められています。

 

434回「高性能レーダー」2017年8月26日OA

2017年08月26日 6:00 PM

今日は、集中豪雨や局所的な大雨による災害の防止に役立てようと国土交通省が設置した高性能レーダ雨量計「XバンドMP(マルチパラメータ)レーダ」についてです。盛岡市下厨川の北上川ダム統合管理事務所に備えられ、今月15日から運用が開始されました。

レーダは簡単に言えば、電波を利用して雨の強さと範囲を観測する装置です。従来のレーダでは「水平」の電波のみを送受信していました。新しいレーダでは「水平」と「垂直」の2種類の電波を送受信することで、上空の雨粒の形状などを把握することができます。例えば集中豪雨の場合、落下する雨粒は大きくなり、空気抵抗を受けつぶれた形になります。その様子から雨量を推定し、高精度な観測が可能になるのです。加えて、改良された従来のレーダと組み合わせることで、雨の様子をこれまでよりきめ細かく、短い時間間隔で観測できるようになりました。従来は1キロ四方で、5分毎の観測データを5~10分後に配信していました。今後は250m四方で、1分毎の観測データを1~2分後に配信することが可能になります。急激に発達する雨雲を捉えることができ、防災や避難行動に役立つことが期待されます。XバンドMPレーダの観測範囲は、盛岡市を中心に南は北上市、北は二戸市まで半径80キロで、去年、台風10号で甚大な被害を受けた岩泉町の雨量もつぶさにキャッチします。その他の県内のエリアも、半径300キロを観測する北海道や山形の従来のレーダの改良型でカバーしています。

インターネットで公開されているこの情報を私も拝見しました。リアルタイムの雨の状況を市町村別で確認でき、しかも役場や幹線道路、鉄道などランドマークが透けて見えるので知りたい場所の様子がよくわかり、使いやすい画面だと感じました。「XバンドMPレーダ」による国土交通省の雨量の情報は、アルファベットで「XRAIN」と検索し、各家庭でも御覧になれます。

 

432回「増加する大雨」2017年8月12日OA

2017年08月12日 6:00 PM

「最近、雨の降り方が変わってきた。降らない時は全然降らない、降る時は一度に大量に降るような印象だ」という声を耳にします。実際はどうなのでしょう。気象庁が1901年から集計している全国51地点の降水量データの内、1日の降水量100ミリ以上及び200ミリ以上の日数について見てみます。20世紀初頭の30年間と最近30年間を比較すると、100ミリ以上の日数は約1.2倍、200ミリ以上の日数は約1.4倍に増えています。一方、1日の降水量1ミリ以上の日数は減っていて、大雨の頻度が増える反面、弱い降水も含めた雨の日数は減少する特徴を示しています。また1976年から全国約1300か所のアメダスで観測された1時間降水量50ミリの「非常に激しい雨」及び80ミリ以上「猛烈な雨」の発生回数も長期的には増加傾向です。先ほどの実感に近い結果と言えます。

しかしエリアを絞ると、変化傾向が見えない点もあります。仙台管区気象台がまとめた「東北地方の気候の変化」によりますと、120年以上の観測記録が残る青森、秋田、宮古、石巻、山形、福島の6地点の日降水量70ミリ以上の年間日数について、20世紀初頭の30年間には平均1.1日でしたが、最近30年間は平均1.5日に増えています。ただ年毎の変動が大きく有意な変化傾向は見られませんでした。東北地方のアメダス164地点の1時間降水量50ミリ以上の「非常に激しい雨」の年間発生回数は増加傾向が明瞭に現れています。1979年から1988年には平均5.2回でしたが、2007年から2016年には10.2回と倍増しています。また日降水量100ミリ以上の大雨については、1979年から1988年には平均68.6回が2007年から2016年には96.1回に増えていました。ただこちらも年毎のばらつきが大きく、ここ30年あまり統計的に有意な変化傾向は見られませんでした。

気象庁では「これらの変化は地球温暖化の影響の可能性があります。しかしアメダスの観測期間は約40年と短いことから、地球温暖化との関連性をより確実に評価する為には更なるデータの蓄積が必要」としています。

430回「線状降水帯」2017年7月29日OA

2017年07月29日 6:00 PM

ラジオネーム蜂巣歌州平(はちすかくにへい)さんから質問をいただきました。ありがとうございます。「九州北部豪雨の原因は、線状降水帯と言われています。広島土砂災害や関東・東北豪雨も原因は『線状降水帯です』と説明されていますが疑問があります。広島土砂災害や関東・東北豪雨や平成25年8月秋田・岩手豪雨は以前『バックビルディング現象』と言っていた筈。バックビルディング現象と線状降水帯は、同じですか?それとも違うものなのか?教えてほしいです」。

一言で言えば「『線状降水帯』の形成過程の一つが『バックビルディング型』」です。気象研究所や防災科学技術研究所によりますと、線状降水帯の形成過程は、線が切れたような「破線型」ビルが林立するように積乱雲が形成される「バックビルディング型」面が割れたような「破面型」「埋め込み型」の4つのタイプがあり、日本での集中豪雨をもたらす線状降水帯の大半はバックビルディング型と言われています。バックビルディング型は線状降水帯の移動方向に対して、後方に新しい積乱雲が次々と形成され、線状降水帯と一緒になることで長時間維持されます。

「平成29年7月九州北部豪雨」では5日から6日、対馬海峡付近に停滞した梅雨前線に向かって、大気下層に大量の暖かく湿った空気が流入しました。又、上空には平年よりも気温が低い寒気が流れ込み、大気の状態が非常に不安定となっていました。冷たい空気と暖かく湿った空気の境界付近で積乱雲が次々と発生。上空の寒気の影響でそれらが猛烈に発達し、東へ移動することで細長い線のような降水帯が形成・維持され、同じ場所に強い雨を継続して降らせました。福岡県朝倉市では1時間に129.5ミリの雨量を観測し、24時間降水量は516ミリに、大分県日田市では1時間に87.5ミリ、24時間降水量は336ミリに達しました。線状降水帯は発生する時刻と場所を事前に予測するのは難しいのが現状です。自分の住まいが土砂災害や洪水の危険が無いか確認し、避難行動について想定しておくことが必要です。

 

 

424回「大正時代の福島台風」2017年6月17日OA

2017年06月17日 6:00 PM

去年夏、岩手を襲った台風10号。8月29日から30日にかけ沿岸を中心に雨が降り続き、30日夕方から夜のはじめ頃にかけては局地的に猛烈な雨を観測しました。総降水量が約300ミリの大雨になった所があり、河川の氾濫により21人が命を落とし、2人の方が未だ行方不明、冠水、倒木、土砂災害等が多数発生しました。台風10号は関東の南東海上から福島県沖を北上し、強い勢力を保ったまま30日午後6時前に大船渡市付近に上陸、東北北部を北西に進んだもので、盛岡地方気象台によりますと、台風が東北地方の太平洋側に上陸したのは、1951(昭和26)年の統計開始以来、初めてでした。

しかし更に記録を遡ると、この台風10号と似たようなコースを通り、岩手に甚大な被害をもたらした台風がありました。今から104年前の1913(大正2)年8月の「福島台風」です。台風は8月26日、関東から福島県沖を通って宮城県石巻市付近に上陸、北北西に進路を変え、中心が岩手と秋田の間を通り、青森県の陸奥湾付近から抜けていきました。新版「岩手百科事典」によりますと、この台風により40人が亡くなり、家屋損壊流出357棟、浸水7932棟、橋の流出883か所と甚大な被害となりました。

福島台風は岩手だけではなく、関東・東北地方など広範囲に被害をもたらしました。長野県蓑輪町(みのわまち)郷土博物館によりますと、福島台風襲来時、修学登山の為、駒ヶ岳に向かった中箕輪尋常高等小学校の生徒・教師ら37名は暴風雨に遭遇し、11名が犠牲となりました。全国的にも衝撃を与えたこの山岳遭難は、1976(昭和51)年、作家の新田次郎が「聖職の碑(いしぶみ)」という小説で描き、映画にもなりました。100年あまりの間に少なくとも2度あった東北地方の太平洋側に上陸した台風。自然災害の記憶は長続きしないことを肝に銘じ、私達は備えなければなりません。

420回「八甲田山遭難事件」2017年5月20日OA

2017年05月20日 6:00 PM

先月、青森市郊外にある「八甲田山雪中行軍遭難資料館」を訪れました。入口には雪の中、立ったまま仮死状態で救援隊に発見された後藤伍長の銅像があります。今から115年前の1902(明治35)年1月23日、「青森歩兵第五連隊」は緊迫する日露関係を背景に敵の上陸を想定し、八甲田山での雪中行軍訓練を行いました。しかし日本の観測史上最強の寒波が一行を襲います。行軍3日目の1月25日、北海道旭川では日本の最低気温の記録、氷点下41度を観測しています。猛吹雪に阻まれ総勢210名の隊員が遭難し199名が犠牲となりました。その内、岩手県出身者は139名と約7割に上ります。他宮城46名、青森5名、東京、神奈川等の出身者各1名が命を落としました。

悲劇を招いた原因について、資料館では3つの点を指摘しています。1つ目は「心構え」です。行軍は田代までの約20キロを1泊2日で計画していました。将校と下士官は毛織物の軍服に厚手のマントだったものの、多くの兵卒は綿の夏服、手袋や耳袋程度の軽装で、危機意識が低かったのです。2つ目は「食糧」です。この時、青森の最高気温が氷点下8度。携帯していたおにぎりは凍結して歯が立たず石のように硬くなった為、捨てる者が続出しました。2回目の露営では既に食糧が尽きる結果となり体力の消耗へと繋がっていきました。そして3つ目は「疲労」です。激しい風雪と寒気により進退窮まった一行は、露営を決し雪濠を掘りますが、一刻でも早い帰着をと、早朝5時の出発を2時に早めほとんど休憩をとらず、更に疲弊していったと考えられます。一方、同じ時、弘前第三一連隊37名は、弘前から十和田湖・三本木を巡る行程を無事、踏破していました。隊員に青森出身者が多く、雪中行軍を熟知していたことが背景にあります。

敷地内にある幸畑(こうばた)陸軍墓地には犠牲者の墓標が整然と並び、岩手県の御遺族が今でも供養に訪れるそうです。冬山の危険と備えの大切さを伝える資料館は、青森駅からバスで約30分の所にあります。

 

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