448回「火災発見・通報の今、昔」2017年12月2日OA

2017年12月02日 6:00 PM

先月、東京都新宿区にある消防博物館で企画展「火災発見・通報の今、昔」を見学しました。学校の教室2つ程の6階の展示室エリアには、江戸時代から現代に至る火災通報の歴史を、パネルや写真、資料などで解説していました。

江戸時代の武家屋敷や小路には、大名・旗本が自警の為に設けていた番所などに、火災を知らせる仕事がありました。その道具として、青銅製の小形の釣鐘・半鐘、太鼓、ケヤキの1枚板などを木槌で叩く板木(ばんぎ)、銅鑼などが用いられました。火の見櫓は1658(万治まんじ元)年に設けられ、江戸の防火や警備を司った定火消(じょうびけし)屋敷に櫓を建てたのが始まりです。享保年間の火の見櫓は、町方の10町(約1キロ)に1か所の割合で建てられ、櫓の無い町には、番屋の上に火の見梯子が建てられ半鐘が備えられました。半鐘は、火事を発見した際の打ち方で出火点の遠近や、鎮火状況を知らせたそうです。火元に近い時は一打でジャーン…ジャーン…ジャーン。火消の出動を促す際は二打でジャーンジャーン…ジャーンジャーン。火元が近い際は連打しジャンジャンジャンジャンという打ち分けです。

明治後半には電話や報知機など機器が導入。大正時代には高い建物が立ち並び、火災発見が遅れる火の見櫓は、その役割を終えていきます。1923(大正12)年の関東大震災後、復興に際し、それまで電話交換手による回線交換だった通話を、1926(大正15)年1月からダイヤルを回せば消防機関に自動で繋がるダイヤル即時通話になり、火災専用ダイヤル番号が用いられるようになりました。当時は局番無しの「112」番でした。この数字が選ばれたのは、ダイヤル時間をなるべく短くしたいという発想です。しかし自動交換になっても従来の手動式電話と同じように、フックスイッチを数回上下させる習性が残っていました。フックスイッチの上下がダイヤルを回したのと同じ状態になり、違う番号に繋がる事例が数多く発生。そこで末尾番号を「2」から、局番号として使用していない「9」に変え、1927(昭和2)年10月から「119」番になったのです。今も昔も、火災の被害軽減には、早期発見・通報が大切です。