気象と防災 マメ知識!

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55 【再放送】毎週日曜日18:50~18:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

455回「まちの記憶を伝える~石巻」2018年1月20日OA

2018年01月20日 6:00 PM

先月、宮城県石巻市の「南浜つなぐ館」を訪れました。館内には震災前のまちの再現模型、震災直後の写真や資料、復興祈念公園の計画等を展示しています。かつて1885世帯が暮らし、小学校やスーパーもあった南浜(みなみはま)・門脇(かどのわき)地区は、あの日、6.9mの大津波に呑みこまれ539人が犠牲になりました。

南浜つなぐ館を起点に住宅跡地を歩いて学ぶ「南浜メモリアルツアー」に参加しました。案内して下さったのは、みらいサポート石巻の藤間千尋さんです。横浜で生まれ育った藤間さんは、震災時、東京湾に面した横浜みなとみらい21内で働いていました。津波警報が出ているにも関わらず、多くの人達と共に海の傍を避難した自身の行動を悔やんでいます。その後、震災ボランンティアが縁で訪れた石巻に2011年11月に移住、防災意識を高める活動を続けています。外に出ると、西側には日本製紙石巻工場から立ち上る数本の白い煙が青空に映えています。震度6弱の揺れの後、従業員全員が高台に避難し、当時構内にいた1306人が助かりました。工場は丸太や瓦礫に囲まれ水没したものの、2011年9月には操業を再開。「24時間体制で立ち上る煙は故郷の風景で、再開はもの凄く嬉しかったそうです」と藤間さんは地域の声を代弁します。歩みを進めると、一面に広がる薄の間から剥き出しになったコンクリートの基礎がありました。南浜町会館の跡で、藤間さんは「小学校入学や敬老のお祝い、習い事の発表会など、地域にとっては欠かせないそうでした」と当時の2階建ての写真を掲げ話しました。高盛土道路を境に山側では区画整理事業が進められ、海側には2020年度を目途に国営の追悼施設を含む石巻南浜復興祈念公園が整備されます。会館跡は、暮らしの記憶を再生する手がかりとして公園内に残されることになっています。

藤間さんは、「『今更、足を運んでも良いのか』と思った時が行き時。復興はまだ終わっていないので、変わり続けるまちの姿を見ていただけたら」とリスナーに石巻への来訪を呼びかけていました。

 

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454回「外国人の防災・減災」2018年1月13日OA

2018年01月13日 6:00 PM

先月17日、奥州市で行われた岩手県防災セミナー。市民120人が集まった会場で講演したのは、岩手大学グローバル教育センターの松岡洋子教授です。「ことば、文化、習慣の異なる人々が、災害に接触した時に起こること、課題への対応」について解説しました。国際化は岩手でも進んでいます。県内在住の外国人は6168人、内訳は中国34%、フィリピン18%、ベトナム16%などです。又、2016年にスキーや、祭りなどイベントを目的に岩手を訪れた外国人観光客は16万3230人で、前年比34.4%も伸びています。地震、津波など、自然災害が頻発する日本ですが、そのような経験が無い国の人達は対応が困難なのが現状です。過去には大地震の揺れを「テロが起きた」と勘違いした外国人もいたそうです。

東日本大震災では日本語を知らない人達にとって耳慣れない「津波、避難、高台」などの言葉が飛び交いました。そもそも、それらの知識が無ければ直訳しても伝わりません。例え日本語教室で一度、勉強したとしても常に関心があるわけではなく、なかなか覚えられないのです。又、災害時は精神面で「自分だけ知らないことがあるかもしれない」と言った不信感、「避難所での物資配布や掃除など、習慣の違いについていけない」、「日本語だけの情報で孤独を感じる」などの声があったと言います。

松岡教授は、外国人との共生の難しさを「3つの壁」に分類できると言います。知らないから怖い、よそ者だから怖いという「心の壁」、通じないから面倒、分からないから嫌という「ことばの壁」、今まで居なかった人、少数派は想定外という「仕組みの壁」です。この壁克服の為、平時の近所付き合いに加えて、例えば「小学校で母国について語ってもらう。又、地域の避難訓練にも参加してもらう」といった取り組みの他、一時滞在者には、「災害時、言葉が通じなくても、絵文字で表示したり、手を取って逃げたりする」といった手段も提案していました。東北が誘致を目指しているILCが実現した場合、海外の方との交流がより一層、盛んになります。外国人の防災・減災の課題解決の為には「コミュニケーション」が鍵のようです。

 

453回「予報の違い」2018年1月6日OA

2018年01月06日 6:00 PM

紫波町・じゃじゃじゃサテライトさんから質問を頂きました。ありがとうございます。「あるテレビ局の天気予報は『晴れ時々雪』と、また別の局では『曇り時々雪』と伝えていますが、どうして局によって予報が違うのでしょうか」。これはエリア毎のポイント予報を依頼している民間の気象会社が局によって違うからだと思われます。IBCで契約している日本気象協会にお聞きしました。

各気象会社では予報する為に用いる計算モデル=式があります。「自社の予測精度向上の為、過去に発表した予測をデータベースに蓄えており、実際の気象と比較し、その差が最小になるよう計算ロジック=道筋を定期的に見直しております」ということです。他社より予測精度を上げる為に企業努力を行っていて、性能を競い合っているとも言えます。又、計算式の他、気象予報士によって修正を加える作業もあります。気象学の基礎は同じなので見解は同じになるはずですが、修正に違いがでるのは「予測の基となる『資料自体』が異なるのでは」ということです。予報士が予報を組み立てる時には、一般の方が普段、目にすることのない「専門天気図」という資料を用います。日本周辺域・アジア太平洋域の実況天気図、予想天気図、300・500・700・850ヘクトパスカルなどの等圧面の高層天気図、数値予報天気図などです。「どの天気図を重視するかによって予報に若干の違いが出るかと思います」ということです。

各局のポイント予報が違った場合、利用者はどう対処すれば良いのでしょう。複数の予報を比べて同じであれば「当たる」可能性が高いと言えます。違った場合、それだけ予測が難しい気象状態で、この場合、どちらの結果になっても良いような備えだと安心です。天気を左右する要素は膨大で、日々変化する気象状態を完全に数値化することはできません。つまり未来を100%予想することは残念ながらできないのです。自然を読み解く際の誤差を最小にし、予報の的中率を高める為の努力は今後も続きます。

 

452回「2017年の天候」2017年12月30日OA

2017年12月30日 6:00 PM

日本気象協会は、所属する気象予報士の内、100名が選ぶ「2017年お天気10大ニュース・ランキング」を発表しました。この時間は、その中から上位3つの話題と、岩手との関連について取り上げます。

第3位は「北・東日本で8月は連日の雨、夏空はどこへ」。8月は、平年と比べて太平洋高気圧の本州付近への張り出しが弱く、オホーツク海高気圧が出現した為、北・東日本の太平洋側には北東からの冷たく湿った空気の流入が続き、日照不足や低温が顕著となりました。仙台では7月22日から8月26日まで36日連続で降水を観測、夏の連続降水日数としては、1927年の統計開始以来最も長くなりました。岩手でもギラギラした陽射しを感じることがほとんどありませんでした。8月の日照時間は釜石、千厩、大船渡、山田、岩泉町小本の5地点で観測史上最低を記録。釜石の51.7時間は平年の33.7%しかありませんでした。又、8月の平年の真夏日日数は盛岡10.9日、宮古6.5日に対して、今年は盛岡が3日、宮古は1日しかありませんでした。加えて東北地方で梅雨明けが特定できませんでした。

第2位は「雨の10月、秋雨前線と2週連続の週末台風」。10月21日から23日にかけて台風21号が日本列島に接近・上陸し、西・東日本を中心に大雨や暴風・高潮による被害が発生しました。さらに翌週10月27日から29日にかけては、台風22号の接近によって沖縄・奄美から西・東日本で大雨や暴風になり、過去にほとんど例のない、2週連続の本州付近への週末の台風襲来となりました。県内では台風21号の影響により暴風や大雨となりました。

そして第1位は「平成29年7月九州北部豪雨」です。土砂災害や堤防の決壊などによる浸水害が発生し、死者37名、行方不明者4名、又、家屋の倒壊など、多数の甚大な被害が発生しました。原因は複数の積乱雲が線状に並ぶ「線状降水帯」です。予測が大変、難しい現象で、4年前の8月、岩手県央部に記録的大雨をもたらしたのも、同じ線状降水帯でした。

間もなく新しい年を迎えます。5日に1度風が吹き10日に1度雨が降る「五風十雨」という四字熟語があります。気候が順調で、天下が穏やかに治まっている意味です。2018年はこの言葉のように平穏な1年でありますように。

(「tenki.jpラボ」調べ https://tenki.jp

451回「七十二候」2017年12月23日OA

2017年12月23日 6:00 PM

宮古のケロチャンママさんから、七十二候(しちじゅうにこう)についてお便りをいただきました。ありがとうございます。「七十二候の全てを載せている雑誌を目にし、ノートに書き出しました。私も知らない季節の言葉、読み方、意味があり、昔の人達の感性の豊かさに感心しました。二十四節気は耳にすることもありましたが、七十二候は知りませんでした。読み方も楽しいんです。例えば3月21日から25日までは『雀始巣(雀、始める、巣と書き)』で『すずめはじめてすくう』と読み、意味は雀が巣を作り始める頃です。こんな感じで、一年全てに季節のあれこれが分かりやすい表現で割り振られていました」

「七十二候」は、中国、日本に古くからある季節の区分で、その時期に特徴的な自然現象を記した季節を知る目安です。倉嶋厚著「季節ほのぼの事典」や「季節よもやま事典」によりますと、1年を太陽の動きに合わせて二十四の「気」に分け、季節にふさわしい名前をつけた昔の分類を「二十四節気」と言います。そしてそれぞれの「気」を3つに分けた5日間が気候の「候(初候、次候、末候)」で、二十四の3倍の七十二候になります。つまり5日経つと自然界の現象が変わり、人々は「季節が少し変わったかな」と思うのです。

白井明大(しらいあけひろ)著「日本の七十二候を楽しむ」によりますと、啓蟄の内、3月10日から14日頃の次候は「桃(もも)始めて笑う」。桃のつぼみがほころび、花が咲き始める頃で、花が咲くことを昔は笑うと言っていました。芒種の内、6月10日から15日頃の次候は「腐草(ふそう)蛍(ほたる)と為(な)る」。昔の人は腐った草が蛍に生まれ変わると信じていたからなそうです。又、雨水の内、2月19日から23日頃の初候は「土脈(どみゃく)潤い起こる」で早春の暖かな雨が降り注ぎ大地が潤い目覚める頃です。しかし古くは「獺(かわうそ)魚(うお)を祭る」という不思議な季節とされていました。獺は魚をよく捕えるものの、岸に並べた後なかなか食べようとしません。それが祭の供え物のように見えたことから、この季節の名が生まれたそうです。七十二候は、先人の考えや自然への眼差しを短い言葉で伝えています。

450回「もりおか冬事情」2017年12月16日OA

2017年12月16日 6:00 PM

盛岡の冬の暮らしの歴史を知ることができる企画展を拝見しました。もりおか歴史文化館の企画展示室には、主に昭和までを中心とした写真資料、冬の暮らしを支えた衣服や道具類などが展示され、昔ながらの暖を取る方法やその変遷、逆に寒いことを活かして楽しむ盛岡の人々の姿を紹介しています。

「南部もりおか物売りふれ声」という巻物の資料では、明治・大正の物売りの声を文字に起こし、挿絵を添え当時の習俗を描いています。例えば二月。モンパという織物を被り、小さい引き出しの木箱を前に掛けた男の子が『こなんばアー、こなんば』と粉なんばん=粉末の唐辛子を売り歩く姿です。寒風の中、なかなか売れず『来ねばえがたアー、来ねばアー』と怒鳴ったものの、これが遠くでは、やはり『こなんばアー、こなんば』と聞こえたというエピソードが紹介され、当時の辛さが偲ばれます。昭和10-20年代のカマボコ型の湯たんぽは、白地に青く「國策湯丹保(こくさくゆたんぽ)」と入っています。陶器で造られているのは、戦時中、金属を供出した為で時代の空気が感じられます。昭和30年頃まで使われていた練炭などを入れて暖を取った櫓炬燵(やぐらこたつ)には、赤や紺地の南部裂織の炬燵掛けが使われています。傷んだ着物を織り直すという、先人の物を大切にする暮らしが伝わってきます。

昭和39年の白黒写真、アイスホッケーの試合の舞台は、高松の池です。スケート靴にスティックを持った選手達は、背番号のついたユニフォーム姿ですが、防具は身に着けていません。膝下の高さの板で囲われたリンクの周囲には、コートや長靴姿の応援が100人程居て、ここが池の上とは思えません。盛岡の冬の気温はここ100年で約2度上昇、真冬日の日数は10年あたり2.3日の割合で減少していて、昔の冬の寒さはより厳しかったことがデータにも表れています。雪の量に関しては大きな変化はありません。しかし除雪車も無い時代、いつまでも雪にすっぽり覆われたまちの様子が想像できます。担当した小西治子(はるこ)学芸員は「寒い中、力強く暮らしてきた盛岡の人達の様子を、展示を通して思い返していただきたい。親子3代で見学するとより楽しめると思います」と来館を呼びかけていました。企画展「もりおか冬事情」は来年2月12日までもりおか歴史文化館で開かれています。

 

449回「震災学」2017年12月9日OA

2017年12月09日 6:00 PM

今日は、東北学院大学発行「震災学」についてです。東日本大震災によって浮かび上がる課題を、被災地・東北から発信する学術誌で、先月17日に11冊目が刊行されました。第1章では『地元局アナウンサーの6年』として、震災報道を振り返った座談会の模様が掲載されています。NHK仙台の杉尾宗紀(そうき)さん、東北放送の藤沢智子(ともこ)さん、エフエム仙台の石垣のりこさん、ラジオ福島の菅原美智子さん、そして岩手から私が参加しました。

杉尾さんは、震災時は仙台、その後、出身地の宮崎を挟み、2015年から再び仙台放送局に勤務しています。宮崎県では、南海トラフ巨大地震の津波と揺れにより約35000人が犠牲になる恐れがあります。杉尾さんは、宮崎赴任時、ラジオ番組を通して防災士のネットワークを構築。次なる大震災への備えと、災害時のラジオの重要性を強調していました。藤沢さんからは、震災以降、放送している番組「3.11みやぎホットライン」が紹介されました。部員23人の内、13人が震災未経験者ということで、若手アナを中心に被災地に足を運び、生の声に耳を傾ける機会になっているとのことです。被災された方の事情はそれぞれ、思いもそれぞれです。想像ではなく、自ら取材し伝え続けることの大切さを再確認しました。石垣さんは、震災後に防災士を取得、番組やイベントなどで被災地の今を発信し続けています。最近、放送で「防災の為」と銘打つとリスナーが避ける印象があることから、普段から親しんでもらう入口としての放送の大切さや、又、転勤や進学で仙台に転入する多くの人が震災を体験していないことから、音楽をきっかけに震災について伝えるFMならではの手法について触れていました。飯舘村に特化した取材を続けている菅原さんが最も印象的だったのは、80代の方の言葉「人を恨んで生きるなよ」。原発事故の距離や放射線量による数字で住民を分断し、恨み、妬み、嫉みを生んだ現状に対して、今後を慮る重い一言です。菅原さんは、2011年7月に立ち上げた「いいたてまでいの会」の事務局長として、取材とは違う形でも村を応援しています。

そして私は仮設住宅の取材で見聞きする、住まう高齢者が亡くなったり、介護施設に転居したりするケースから、被災地での月日の重さなどについて語りました。「震災学vоl.11」は一般の書店で販売されています。

448回「火災発見・通報の今、昔」2017年12月2日OA

2017年12月02日 6:00 PM

先月、東京都新宿区にある消防博物館で企画展「火災発見・通報の今、昔」を見学しました。学校の教室2つ程の6階の展示室エリアには、江戸時代から現代に至る火災通報の歴史を、パネルや写真、資料などで解説していました。

江戸時代の武家屋敷や小路には、大名・旗本が自警の為に設けていた番所などに、火災を知らせる仕事がありました。その道具として、青銅製の小形の釣鐘・半鐘、太鼓、ケヤキの1枚板などを木槌で叩く板木(ばんぎ)、銅鑼などが用いられました。火の見櫓は1658(万治まんじ元)年に設けられ、江戸の防火や警備を司った定火消(じょうびけし)屋敷に櫓を建てたのが始まりです。享保年間の火の見櫓は、町方の10町(約1キロ)に1か所の割合で建てられ、櫓の無い町には、番屋の上に火の見梯子が建てられ半鐘が備えられました。半鐘は、火事を発見した際の打ち方で出火点の遠近や、鎮火状況を知らせたそうです。火元に近い時は一打でジャーン…ジャーン…ジャーン。火消の出動を促す際は二打でジャーンジャーン…ジャーンジャーン。火元が近い際は連打しジャンジャンジャンジャンという打ち分けです。

明治後半には電話や報知機など機器が導入。大正時代には高い建物が立ち並び、火災発見が遅れる火の見櫓は、その役割を終えていきます。1923(大正12)年の関東大震災後、復興に際し、それまで電話交換手による回線交換だった通話を、1926(大正15)年1月からダイヤルを回せば消防機関に自動で繋がるダイヤル即時通話になり、火災専用ダイヤル番号が用いられるようになりました。当時は局番無しの「112」番でした。この数字が選ばれたのは、ダイヤル時間をなるべく短くしたいという発想です。しかし自動交換になっても従来の手動式電話と同じように、フックスイッチを数回上下させる習性が残っていました。フックスイッチの上下がダイヤルを回したのと同じ状態になり、違う番号に繋がる事例が数多く発生。そこで末尾番号を「2」から、局番号として使用していない「9」に変え、1927(昭和2)年10月から「119」番になったのです。今も昔も、火災の被害軽減には、早期発見・通報が大切です。

 

447回「等圧線」2017年11月25日OA

2017年11月25日 6:00 PM

プッチンプリリンさんから質問をいただきました。ありがとうございます。「天気の話の時に『等圧線の間隔が狭いので』と話していましたが、等圧線はテレビでよく見ます。間が広いとか、狭いとか。でもこの線は誰がどうやって天気図に記入するんですか?」

等圧線とは、天気図上で気圧の等しい所を結んだ線です。細い実線は4ヘクトパスカル毎、太い実線は20ヘクトパスカル毎に引かれています。気象庁には、国内、国外から観測データが集められます。各種観測資料やスーパーコンピューターによる計算結果が天気図解析システムに入力されて、天気図の案が作成されます。実は自動作成された天気図だけでは不完全な状態です。そこでその案を元に予報官が実際の気象状態を考慮し、高気圧、低気圧、前線などをペンタブレットを用い、手動で解析し、ある時間の気象状況や気圧分布を表した「実況天気図」と将来の気象状況を予想した「予想天気図」を作成します。全てコンピューターでの作業ではなく、予報官の知識や経験も活かされているのです。等圧線だけからでも、風向きや風速を推定できます。例えば地図で同じ高さの点の集まり・等高線の間隔が狭い所を流れる川は、傾斜が急で流れが速くなります。空気も同じです。風は気圧の高い所から低い所へ向かって吹きます。等圧線の間隔が狭く混んでいる所では空気が速く動く、つまり風が強くなるのです。逆に等圧線がまばらな所は風が弱くなっています。ただ空気の場合、地球の自転の影響を受ける為、川の流れのように高い所から低い所に真っ直ぐには向かいません。

2004(平成16)年11月27日、県内は暴風が吹き荒れ、盛岡では観測史上1位となる38.6mを記録、宮古でも35.8mを観測しました。盛岡では民家やアパートの屋根が吹き飛び、大船渡などでは漁船が転覆する被害がありました。この日の天気図を見ると、低気圧がオホーツク海で猛烈に発達し、日本列島には縦じまに12本もの等圧線がかかり、特に北日本で狭く混みあい蜘蛛の巣状にかかっていました。天気図を参考に気象情報に注意し、大荒れの天気が予想される際は、災害への備えを見直しましょう。

446回「水害・暴風雨体験」2017年11月18日OA

2017年11月18日 6:00 PM

先日、訪れた東京都墨田区にある「本所(ほんじょ)防災館」の模擬災害体験についてお伝えします。インストラクターが案内するツアー形式で予約が必要です。

「都市型水害体験」では地下空間内で浸水した場合の行動について学びます。片開きの緑のドアがありその裏側に階段を伝って水が流れ込んでくるような絵が描かれています。ドアの足下には濃淡に色分けされた水のラインがあり、水深10センチ、20センチ、30センチと3段階に分かれています。ドア横のボタンを押すと、それぞれの水深に応じた圧力がドアにかかり、10秒以内に45度、開けられるかを体感するものです。実際にやってみると、水深10センチでもかなりドアが重く感じられ、20センチは55キロの全体重をかけてやっと押し開けられ、30センチはびくともせず水の重さに驚きました。地下空間は決して安全ではありません。地上が冠水すると一気に水が入り込み浸水したり、又、水圧によりドアが開けにくくなったりする恐れがあります。このような危険性をイメージし、大雨の際は早めに水害の心配が無い場所に避難することを心がける必要があります。

「暴風雨体験」では、まず借用した青いレインコートにレインパンツ、長靴、マスクを身に着けます。そして大人が10人ほど入れるガラスで覆われた部屋に入り、3列あるハードルのような手すりに前屈みになって掴まります。男性アナウンサーの台風中継のような音声が流れ、正面から暴風と、頭上からシャワーのような大雨を体験するものです。風速30メートルは走行中のトラックが横転するような猛烈な風で、手すりをしっかり握っていないと立っているのが困難です。1時間に50ミリの非常に激しい雨はまるで滝に打たれているようです。このような気象条件では、外出を控え、安全な場所で身を守ることの大切さを実感しました。本所防災館の場所はスカイツリーのすぐ傍、都営浅草線・押上(おしあげ)駅から徒歩10分です。

 

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