気象と防災 マメ知識!

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55 【再放送】毎週日曜日18:50~18:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

412回「津波の教訓を伝える木碑」2017年3月25日OA

2017年03月25日 6:00 PM

今年、建て替えられた津波の教訓を伝える木製の碑「木碑」についてです。復興工事が進む大槌町の安渡地区。大槌湾から約400m、津波の到達地点だった坂の途中に栗の木でできたその碑があります。刻まれた文は「大きな地震が来たら戻らず高台へ」。2013年3月11日に建立されたもので、雨・風に4年間さらされ、側面には1mほどの亀裂が入り劣化が進んでいます。

木碑を発案したのは当時、大槌高校の生徒だった吉田優作さん(現在20歳)です。津波対策を考える中高生の集まりに参加したことがきっかけで、この木碑を思いつきました。朽ちることを前提に4年毎に建て替えられます。震災前、三陸沿岸には過去の津波襲来を伝える石碑が数多くありました。しかしそれらは風景の一部になり、誰も目に留めなくなっていました。吉田さんは、建て替え行事に参加することで、震災の記憶を1人でも多く共有し後世に伝えられる、と考えたのです。

先月25日、安渡地区には、建て替え準備の為、千葉県の大学から帰省した吉田さんの姿がありました。仮設住宅の談話室に、大槌高校の生徒の他、近隣住民合わせて20人以上が集い、木碑の銘文に墨を入れる作業を行いました。震災の風化に対して、吉田さんは、それが当たり前だと思っています。震災のことを日々、考え続けていると「自分が壊れてしまう、重過ぎるので」と。だからこそ、4年に1度、集まることに意義があります。木碑を通して、高校生は故郷復興への思いを新たにし、住民は「津波を知らない世代の犠牲者が出ないように」と願いを込め作業していました。そして3月11日。地域住民や高校生と共に新しい木碑を建立した吉田さんは、集まった人達を前に「自分たちのように辛い思いをする人を後世に作らないようにしたい」と木碑への思いを述べました。次の建て替えは2021年3月11日。木碑は代替わりしながら、津波の教訓を静かに語り続けます。

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IBCワイドFM

411回「釜石で迎えた3・11」2017年3月18日OA

2017年03月18日 6:00 PM

3月11日、IBCラジオでは「東日本大震災から6年~忘れない3・11~」を放送しました。私は県と釜石市の合同追悼式が行われた県立釜石高校第一体育館からの中継でした。約800名が参列する中、御遺族代表として、野田町に住む三浦芳男さん(71)が追悼のことばを述べました。あの日、鵜住居地区防災センターに避難した妻・郁子さん(当時63歳)を失い、現在、遺族会の会長です。三浦さんは2012年1月、遺骨と化した郁子さんに再会。警察との確認作業で目にした1枚の写真は、あまりにも変わり果てた姿で、誰に見送られることもなく荼毘に付したことを思い「あふれる涙をおさえることができませんでした」と当時を振り返りました。三浦さんは、自立再建を果たし、庭に郁子さんが育て奇跡的に残ったキキョウを植える日を心待ちにしています。追悼式では「防災センター調査委員会で取りまとめた最終報告書を、次世代への教訓とし、津波による犠牲者を1人も出さない、安全で安心な町づくりを心から願っています」と結びました。

県復興局によりますと、岩手県全体の復興状況は、災害公営住宅は約8割完成、住宅の高台移転は区画数で5割を越えています。防潮堤など海岸保全施設は4割完成、復興道路の整備も進んでいるということです。釜石市では、災害公営住宅は約8割、宅地造成は4割を越えて整備。津波で被災し取り壊された釜石市民文化会館に代わるホールはこの秋、完成予定で、周辺の商店街と共に新たな賑わいの中心になりそうです。釜石は2019年にラグビーワールドカップ日本大会の会場地の一つになっていて、交流人口増加のきっかけになることが期待されています。

復興が目に見えて進む一方、市内で最も多くの犠牲者を出した鵜住居町に整備される震災メモリアルパークは、この3月に開設される予定でしたが、費用を負担する国との間で施設の規模や内容の検討に時間を要し、完成が2年遅れる見通しになりました。仮設・みなし仮設住宅で暮らす方は、釜石市だけで1568世帯、3379人もいらっしゃいます。震災から6年、復興はまだ道半ばです。

 

410回「震災6年、仮設住宅の現状」2017年3月11日OA

2017年03月11日 6:00 PM

震災から6年。県内で未だに仮設住宅、みなし仮設住宅に住んでいる方は、1月31日現在、6179世帯、13283人です。沿岸に立ち並ぶ災害公営住宅には、空いている部屋があります。それでも仮の住まいで暮らしているのは、個人個人で様々な事情があるからです。私は2012年秋から、デジカメを持って仮設住宅を訪れ、住民に今の気持ちや今後についてお聞きしています。震災を風化させたくないという思いで取材し、ニュースエコー内で放送しているものです。3世帯の例をお伝えします。

去年8月に取材した釜石市の70代の男性。元市の職員の彼は消防団に属していて、あの日、水門を閉めた後、高台に逃げて無事でした。しかし自宅にいた、妻、長男、義理の娘、小学生の孫娘の4人を津波で失いました。市内に住む次男家族は無事でした。彼の願いは、元の場所に自宅を再建することです。そして仮設が手狭で次男の元にある仏壇を移し、亡くなった家族を供養したいと考えています。以前の住まい一帯は復旧、復興工事が進んでいるものの、自宅を再建できるのは1年半後。それまで仮設での暮らしが続きます。

去年6月に取材した、盛岡市のみなし仮設に住む80代の女性。次女が住む街へ大槌町から引っ越してきました。故郷に戻りたいのですが、親戚だけでも17人も亡くなり、頼れる親類がなく帰れません。今の時期、盛岡で白鳥の北帰行を見上げながら「帰る場所があっていいなあ」と大槌を懐かしんでいます。今後は内陸に建設される災害公営住宅に住む予定で、それまで先の見えない中、アパートで暮らします。

先月、取材した宮古市の40代の女性。町の中心部にあった店舗兼住宅を津波で失いました。家族は7人。夫婦の他、同じ仮設に70代の実の母、20代の長女夫婦と子ども2人の、3世帯が別々の部屋で暮らしています。7人はこの春、再建した自宅へ引っ越します。震災から6年、家族が同じ場所に帰れる生活がようやく、始まるのです。仮設団地の自治会長である彼女は、自宅に入居後も、まだ仮設に住んでいる高齢者の見守りを続けていくということです。

 

409回「東北各県の地震・津波(山形県)」2017年3月4日OA

2017年03月04日 6:00 PM

東北地方各県で過去にあった、又、今後、大きな被害が想定される地震・津波について、今回は「山形県」です。山形県の「主な地震記録と被害状況」によりますと、山形県で最大の被害をもたらしたのは1894(明治27)年10月22日の「庄内地震」です。マグニチュードは7.0、揺れは庄内の一部で震度7と推定されます。726人が亡くなり、負傷者1060人、家屋の全壊3858棟で、被害は酒田付近が最も大きく、山形、本庄にまで及びました。2011(平成23)年3月11日の東日本大震災では本震で震度5強、2人の方が亡くなり、又、4月7日の最大余震では震度5弱を観測、1人の方が亡くなりました。津波による被害はありませんでした。このように太平洋側沖合で発生する地震でも被害を受けることがあるのです。

今後、山形県沿岸に最大クラスの津波や被害をもたらすと想定されるのは、山形県沖の「F30断層」「F34断層」という津波断層です。山形県が去年3月に公表した資料によりますと、F30 断層では酒田市に属し日本海に浮かぶ飛島(とびしま)で震度7、庄内平野の広い範囲で震度6強、F34 断層では庄内平野に加え鶴岡市南西部で震度6強以上の強い揺れが発生すると想定されています。鶴岡市を襲う津波はF30 断層で最大16.3m、F34 断層では最大12.7m。県全体の人的被害は、F30 断層では海岸付近に漁業関係者や海水浴客などが多い夏の正午に最大約3290人、F34断層では就寝中で避難開始が遅れ、更に積雪で避難に時間を要すると考えられる冬の深夜に最大約5250人の方が犠牲になると想定されています。県全体の家屋の全壊棟数は、最も被害が多くなる冬の午後6時、強風時において、F30 断層の場合約10290棟、F34 断層の場合に約5490棟と想定され、被害は庄内地域に集中しています。酒田市では揺れによる被害、鶴岡市では津波による被害が多く、これは酒田市での被害が市中心部に集中しているのに対し、鶴岡市での被害が沿岸部に点在することにも表れています。

山形県では「発災後、すぐに避難を開始し、又、建物を耐震化することで、人的被害と建物被害を大幅に減少させることができる」と、今回の基礎資料を活用した防災対策を呼びかけています。

408回「東北各県の地震・津波(秋田県)」2017年2月25日OA

2017年02月25日 6:00 PM

東北地方各県で過去にあった、又、今後、大きな被害が想定される地震・津波について、今回は「秋田県」です。秋田県の資料によりますと、明治以降、最大の自然災害は1896(明治29)年8月31日の「陸羽地震」です。マグニチュード7.2の内陸直下型地震で、仙北郡の南東部の平野部では震度7、秋田県内の被害は死者205人、負傷者736人、家屋の全壊は5682棟に上ります。犠牲者の9割は家屋の倒壊によるもので、午後5時頃の夕食の支度をする時間にあたり、多くの方が台所で亡くなりました。1983(昭和58)年5月26日には「日本海中部地震」が発生しました。マグニチュード7.7、震源は秋田県能代沖約100キロ、深さ約14キロとごく浅い海底で、秋田市では震度5を記録。沿岸の津波は最大14mにも達し79人の方が命を落とした他、倒壊物による死者2人、ショックにより2人の計83人が亡くなりました。

今後、大きな被害が想定されているのは、男鹿半島北西沖から新潟県北部沖、山形県沖の3つの海域が連動したマグニチュード8.7の巨大地震や、岩手との県境に近い横手盆地、真昼山地連動のマグニチュード8.1の巨大地震です。2013(平成25)年8月に秋田県がまとめた報告書によりますと、3つの海域が連動した巨大地震の場合、男鹿市や三種町(みたねちょう)で最大震度7、津波は秋田県北西部の八峰町(はっぽうちょう)で地震28分後に約14.4m、秋田市でも34分後に約13.6mなど沿岸各地で10mを超える大津波襲来。そして冬の深夜の場合12606人の方が犠牲になり、60741棟の家屋が全壊すると想定されています。又、内陸直下型の連動地震が発生した場合、横手市や湯沢市などで最大震度7、72594棟の家屋が全壊し、やはり冬の深夜に発生した場合、4524人の方が犠牲になると想定しています。秋田県では現在の耐震基準が導入された1981(昭和56)年以前に建てられた建物が過半数で、しかも冬は夏に比べて積雪により倒壊数が増加する恐れがあります。

県では、住宅等の耐震化率向上や、安全な避難場所や避難経路の確保及び「津波ハザードマップ」の見直し、津波を想定した避難訓練の実施などに取り組んでいます。

407回「東北各県の地震・津波(青森県)」2017年2月18日OA

2017年02月18日 6:00 PM

東日本大震災から来月で6年。岩手、宮城、福島の被害が甚大でしたが、それ以外の東北地方各県でも過去にあった、又、今後、大きな被害が想定される地震・津波について、今回は青森県です。青森県のHP「主な災害」によりますと、1968(昭和43)年5月16日、マグニチュード7.9の十勝沖地震で八戸などで震度5を記録、46人の方が亡くなり2人が行方不明になりました。多くの犠牲者を出した背景には、100ミリを超える大雨が降り地盤が緩んでいる状態の時に強い地震に襲われ、地滑りや山崩れ等が各地で起こったことが挙げられます。1983(昭和58)年5月26日、マグニチュード7.7の日本海中部地震では深浦、むつで震度5を記録、17人の方が津波で亡くなりました。第一波が深浦の検潮所で地震発生後約7分で観測されるなど津波の来襲が非常に早く、又、場所によっては5~6mもの高さになって海岸に押し寄せたと推定されます。犠牲者の半数以上の9名は県内外の釣り客で、一旦、津波から逃れたものの、引き潮の時に自分の釣り竿などを取りに再び元の場所に戻り、再度の津波にさらわれた人もいたといいます。又、東日本大震災の際、県内で亡くなった方は、漁港付近の車の中から遺体で発見された八戸市の60代女性1名の他、三沢市で2名の計3名、行方不明者は八戸市の1名で、いずれも津波によるものでした。

今後、大きな被害が想定されるのは「太平洋側海溝型地震」「日本海側海溝型地震」陸奥湾内の「内陸直下地震」です。2014(平成26)年3月、青森県が公表した資料によりますと、1968年の十勝沖地震及び2011年の東北地方太平洋沖地震の震源域を考慮し設定したマグニチュード9.0の太平洋側海溝型地震で、最大震度は上北地域で7、下北や三八地域などで6強。冬の深夜に発生した場合、犠牲者は津波により22000人、火災で1700人、建物倒壊で1600人など併せて25000人と想定されています。

青森県では「津波は太平洋側から日本海側に伝わり被害を与える恐れがあり、日本海側沿岸部にお住いの方は、太平洋側の地震であっても、津波来襲を念頭に行動することが必要」又、「津波は防潮堤などによって完全に防ぐことは困難なので、犠牲者を減らす為、早期に避難を」と呼びかけています。

406回「最も寒い時期とは」2017年2月11日OA

2017年02月11日 6:00 PM

ラジオネーム「髪が危機一髪」さんから、気象について質問をいただきました。ありがとうございます。「日曜日の寒さが一番激しい時に、ラジオにて『最も寒い時期を下回る』との表現がされておりました。これは、『観測史上最も低い気温』と同じ意味なのでしょうか?私の記憶ではもっと寒い年があったように記憶していたのですが、思い違いかな?」

この「最も寒い時期を下回る」とは、平年値が関係しています。例えば今月5日の盛岡の気温を例に見てみます。最低気温は氷点下5.0度でした。過去30年の2月5日の盛岡の最低気温を平均した平年値は氷点下6.0度、平年を1度上回ったことになります。氷点下5.0度が2月の最低気温の平年値の中に相当しないか見てみると、18日、19日が氷点下5.0度です。今年2月5日の最低気温は2月18日、19日並み。つまり「2月中旬並み」と表現したわけです。では今月2日の盛岡の気温ではどうでしょう。最低気温は氷点下7.2度でした。盛岡の平年値の中で最も寒い時期でも1月29日から2月1日の氷点下6.2度です。この気温を下回り、該当する時期がありません。つまり「最も寒い時期を下回る」という表現になるのです。

さて、お便りにあった観測史上最も低い気温は、盛岡で1945年(昭和20年)1月26日の「氷点下20.6度」です。又、岩手百科事典によると、岩手の最低気温の記録は同じ日の「薮川」で「氷点下35.0度」。本州一寒いといわれる所以です。これは戦前の記録ですが、薮川で気象庁が自動的に観測データを集めるアメダスを設置した1976年11月以降では、1988年(昭和63年)2月17日に「氷点下27.6度」まで下がりました。翌日の岩手日報によると、室内の金魚鉢に厚い氷が張り、ボールペンはインクが凍って書けなかったとか。受話器も冷たくて持つのが大変で、皆さん、寒さにうんざりしていたそうです。

 

405回「大津波と三陸の生き物」2017年2月4日OA

2017年02月04日 6:00 PM

大津波が三陸の自然環境に与えた影響について考える企画展が盛岡の岩手県立博物館で開かれています。会場には津波前後の変化がわかる三陸の写真や貝類などの標本およそ150点が展示されています。会場に入ってまず目に入るのは野田村野田の海岸で採取された地層の標本です。海岸沿いの松が生える小高い丘の斜面には地層が露出していて、およそ7000年の歴史が積み重なっています。その剥ぎ取った地層を横に5m並べたガラスケースの中に展示しています。左から右に時代を遡ると、こげ茶色の土の層に時折、灰色の丸い小石や薄茶色の砂の層が縦に混じっています。17回含まれるこれら砂礫(されき)層は、10mを超える巨大な津波によって海底から運ばれた堆積物と考えられています。今、私達が目にしている三陸の景色は、繰り返し襲う大津波の度に回復してきたということを実感します。

山田町の磯を再現した樹脂製の岩礁からは、大地震により50~60センチ地盤が沈下した影響が見てとれます。左側・2010年当時をイメージした高さ1.5m程の岩の表面、平均潮位には黒ずんだムラサキイガイ、いわゆるムール貝がびっしりと繁殖しています。しかし右側・2012年の高さ1m程の岩の表面では激減しています。海面より上にあった部分が海中に沈んだ為に生育できなくなり、個体数が回復していないのです。

復興工事と保護の取り組みのコーナーでは、陸前高田市の小友浦や大船渡市の越喜来湾など、地盤沈下によって海岸線が内陸側に移動した地域の防潮堤整備について取り上げられています。防潮堤を元の位置に建てると、稚魚や稚貝の生育の場である砂浜や干潟が下敷きになる為、住民の要望により以前あった場所より内陸側に建設したということです。復興工事は、三陸の水産業や観光業を支える沿岸の生態系を守りながら進める必要性に改めて気づかされました。企画した学芸員、鈴木まほろさんは「普段は気づかない津波と自然界の関係を多くの人に知ってもらいたい」と話していました。テーマ展「大津波と三陸の生き物」は2月26日まで開かれています。

 

404回「有線放送電話」2017年1月28日OA

2017年01月28日 6:00 PM

今日は災害時にも活躍する有線放送についてです。岩手中央農協の有線放送センターを取材しました。一般家庭の加入電話の普及率が低い時代、有線放送は1954年矢巾町に、1958年に紫波町に施設を置き、当初、通話を中心に使用されました。放送サービスは矢巾で1966年、紫波で1969年にスタート、2015年現在、紫波で3788世帯、矢巾で1613世帯と契約しています。

有線放送は災害時、ラジオやテレビとは違った地域限定の詳しい情報を伝えます。2011年の東日本大震災の際は、職員たちが発電機の確保や情報収集に走り、ライフライン、公共施設の営業状況など生活情報を加入者に流し続けました。2013年8月の県央部の豪雨の際は、紫波・矢巾の避難所開設の他、紫波町内の道路の通行止めの情報を伝えました。60年に亘り地域と共に歩んできた有線放送事業。しかし岩手中央農協は、2018年2月に廃止する方針です。利用者の高齢化や多様なメディア環境の中で加入者が年々減少し、又、老朽化した設備を更新する為に多額の費用がかかることから判断したものです。

加入者の1人、矢巾町に住む高橋清子(きよこ)さん宅を訪ねました。大きな農家で、古い母屋の部屋の梁には、有線放送の黒いスピーカーが設置されていました。高橋さんが楽しみにしているのは、町内の赤ちゃんの紹介や、学校行事などを取材し子ども達の様子を知ることができる自主番組です。又、地域で不幸があった際、火葬や葬儀日程を知らせるお悔みのチャンネル放送は、大変、助かっているといいます。震災の際は、停電でも加入者間で通話ができる専用電話のお蔭で、お互いの無事を確認できました。高橋さんは「有線放送は必要なものなので、どんな形でも残してほしい」と存続を強く望んでいます。又、有線放送センターの伊藤広子所長は「地域に根差した、皆が聴けるこのようなメディアはなかなかない。地域の声を拾い上げ、何らかの形でその声を届けたい」と加入者に想いを馳せていました。代替手段を含めた今後の方向性を探る際、地域の人達が必要として存続してきたことを、忘れないでいただきたいと思います。

 

403回「避難情報名称変更」2017年1月21日OA

2017年01月21日 6:00 PM

市町村が発令する避難情報の名称が変わりました。これまで切迫度の高い順に「避難指示」「避難勧告」「避難準備情報」でしたが、内閣府がそれぞれ「避難指示(緊急)」「避難勧告」「避難準備・高齢者等(とう)避難開始」に改めたものです。

「避難準備・高齢者等避難開始」が出された場合、いつでも避難ができるよう準備をしましょう。身の危険を感じる人は避難を開始しましょう。避難に時間を要する高齢の方、障害のある方、小さな子どもがいる方等は避難を開始しましょう。「避難勧告」が出された場合、避難場所へ避難しましょう。地下空間にいる人は、速やかに安全な場所に避難しましょう。「避難指示(緊急)」が出された際、まだ避難していない場合は、直ちにその場から避難しましょう。いずれの場合も、外出することでかえって命に危険が及ぶような状況では、自宅等のより安全と思われる上層階の部屋、土砂災害の恐れのある山からできるだけ離れた部屋に移動しましょう。又、大雨等により、避難場所までの移動が危険と思われる場合は、近くのより安全と思われる最上階が浸水しない建物、川沿いでは無い建物等に避難しましょう。

今回の変更は、去年8月の台風10号による豪雨災害で岩泉町の高齢者施設で入所者が犠牲になるなど特に「避難準備情報」について取るべき行動が浸透していなかったことが明らかになったことを受けたものです。岩手県認知症高齢者グループホーム協会が行った聞き取り調査では、台風10号の被害の遭った市町村の13のグループホーム長は、「豪雨で身の危険は感じているものの、認知症のお年寄りを別な場所に移動することに抵抗があり、避難するタイミングに迷いがあった」ということです。又、どこも火災は想定していましたが、水害想定の訓練はほとんど行われていませんでした。協会では今後の取り組みとして「1.『避難準備情報』段階での避難開始の徹底 2.地域住民、消防団等から声を掛け合う体制づくり 3.避難場所の選定と避難経路の確認 4.避難訓練の毎月の実施 5.水害はどこでも起こり得るという意識を持つ」ことをポイントに挙げています。避難の際に助けが必要な人の命をどうやって守るのか、お互いさまの意識を持ち、地域全体で支える必要があります。

 

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