気象と防災 マメ知識!

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55
【再放送】毎週日曜日18:50~18:55

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

「避難情報名称変更」2017年1月21日OA

2017年01月21日 6:00 PM

市町村が発令する避難情報の名称が変わりました。これまで切迫度の高い順に「避難指示」「避難勧告」「避難準備情報」でしたが、内閣府がそれぞれ「避難指示(緊急)」「避難勧告」「避難準備・高齢者等(とう)避難開始」に改めたものです。

「避難準備・高齢者等避難開始」が出された場合、いつでも避難ができるよう準備をしましょう。身の危険を感じる人は避難を開始しましょう。避難に時間を要する高齢の方、障害のある方、小さな子どもがいる方等は避難を開始しましょう。「避難勧告」が出された場合、避難場所へ避難しましょう。地下空間にいる人は、速やかに安全な場所に避難しましょう。「避難指示(緊急)」が出された際、まだ避難していない場合は、直ちにその場から避難しましょう。いずれの場合も、外出することでかえって命に危険が及ぶような状況では、自宅等のより安全と思われる上層階の部屋、土砂災害の恐れのある山からできるだけ離れた部屋に移動しましょう。又、大雨等により、避難場所までの移動が危険と思われる場合は、近くのより安全と思われる最上階が浸水しない建物、川沿いでは無い建物等に避難しましょう。

今回の変更は、去年8月の台風10号による豪雨災害で岩泉町の高齢者施設で入所者が犠牲になるなど特に「避難準備情報」について取るべき行動が浸透していなかったことが明らかになったことを受けたものです。岩手県認知症高齢者グループホーム協会が行った聞き取り調査では、台風10号の被害の遭った市町村の13のグループホーム長は、「豪雨で身の危険は感じているものの、認知症のお年寄りを別な場所に移動することに抵抗があり、避難するタイミングに迷いがあった」ということです。又、どこも火災は想定していましたが、水害想定の訓練はほとんど行われていませんでした。協会では今後の取り組みとして「1.『避難準備情報』段階での避難開始の徹底 2.地域住民、消防団等から声を掛け合う体制づくり 3.避難場所の選定と避難経路の確認 4.避難訓練の毎月の実施 5.水害はどこでも起こり得るという意識を持つ」ことをポイントに挙げています。避難の際に助けが必要な人の命をどうやって守るのか、お互いさまの意識を持ち、地域全体で支える必要があります。

 

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「0センチの読み方」2017年1月14日OA

2017年01月14日 6:00 PM

岩手県の降雪量情報は12月1日から3月31日の期間中、午前6時と午後6時の1日2回、発表されています。予報は盛岡、宮古、大船渡、北上、久慈の5地点で、対象は予報地点にある気象庁の観測施設周辺です。午前6時発表は当日午前6時から午後6時の12時間、午後6時発表は当日午後6時から翌日午前6時までの12時間に予想される降雪量で、「0(レイ・ゼロ)センチ」「1~4センチ」「5~9センチ」「10~19センチ」「20センチ以上」の5つの階級があります。

さて数字の読み方は、「レイセンチ」「ゼロセンチ」、どちらが適当なのでしょうか。気象情報の他の単位で、気温は0度(レイド)、降水確率は0%(レイパーセント)とお伝えしています。ゼロド、ゼロパーセントとは通常言いません。「NHKことばのハンドブック第2版」によると「数字の0『ゼロ・レイ』は原則として『レイ』と読む」としています。「ただし『無い』ということを強調する場合、および固有の読みが決まっている場合『ゼロ』と言っても差し支えない」として、その代表例として海抜ゼロメートル地帯、死亡者ゼロ、ゼロ歳児、零(ゼロ)戦を挙げています。又、岩波国語辞典第7版には漢字で「零(レイ)」という見出しで「ものが全くないことを表す数。一より小さい数」と。また、カタカナで「ゼロ」という見出しで「それに当たる量が全くないと見られる数」とあります。降雪量情報の0(レイ・ゼロ)センチは「1センチ未満」の予想ですので、一より小さい数という言葉の解釈から考えると個人的には「レイセンチ」が適当と考えます。とはいえ、積もることはほとんどないということを伝える為には「ゼロセンチ」という表現でも構わないと思います。

この件に関して盛岡地方気象台に照会したところ、「『レイセンチ』か『ゼロセンチ』かについて、特に決まりはございません。正しく伝わればよいと思います」との回答でした。レイセンチかゼロセンチか、皆さんは、どちらの方がしっくりきますか。

 

「温暖化が進む未来の岩手の姿」2017年1月7日OA

2017年01月07日 6:00 PM

今世紀末の岩手は、現在と比べどのような気候変化が起こる可能性があるのでしょうか。仙台管区気象台が先月9日に更新した「東北地方の気候の変化」という資料を見てみます。尚、現在の気候は1980年から1999年、将来の気候は2076年から2095年の、それぞれ20年の平均値です。

様々な想定がある温室効果ガスの排出量の内、中程度のシミュレーションでは、将来の年平均気温は現在より3度程度の上昇が見られます。すると岩手では30度以上の真夏日日数が年間23.3日、35度以上の猛暑日日数が5日増加という計算結果になりました。現在の盛岡では年間の真夏日が19.1日、猛暑日が1日あるかないかです。市町村という狭いエリアに限定すると不確実性が大きいのであくまで参考程度ですが、単純に計算しますと、今世紀末の盛岡は年間で真夏日が40日程度に、猛暑日が5日以上と、大体、今の福島ぐらいの夏の暑さになるということになります。又、温暖化により今世紀末の盛岡は1日の最低気温が0度未満の冬日が年間70日程度と現在の6割に、1日の最高気温が0度未満の真冬日がほとんど無くなり、今の仙台の冬のような寒さになります。1時間降水量が30ミリ以上の激しい雨の日数は、将来の盛岡では年間11日程度と今の1.4倍に。又、県平均の年間降雪量が87センチ程減ることから単純に計算しますと、今世紀末の盛岡で1年間に降る雪の量は185センチ程度と今の3分の2の量になります。

これらの想定はあくまで平均したものであり、実際は極端な変動を繰り返して推移する恐れがあります。温暖化により農作物への影響、洪水の多発、熱中症の増加などが懸念されます。省エネルギーや再生可能エネルギーの普及拡大といった温暖化への「緩和」対策、治水や熱中症予防といった温暖化への「適応」対策を、各方面で進める必要があります。

「データが示す岩手の温暖化」2016年12月31日OA

2016年12月31日 6:00 PM

仙台管区気象台は12月9日「東北地方の気候の変化」を更新しました。東北地方の気象台等の長年にわたる観測記録を中心に、気候や海洋の長期変化をまとめたレポートを5年ぶりに書き換えたものです。

この内、岩手県は盛岡、宮古、大船渡の2015年までのデータを分析しています。まず気温変化ですが、「盛岡」では100年あたり1.7℃の割合で上昇。特に1990年頃から高温の年が多く現れています。全ての季節で上昇していて、特に冬の上昇率が100年あたり2.0℃と最も大きくなっています。「宮古」では100年あたり0.6℃の上昇。季節では春、秋、冬の気温は上昇していますが、夏の気温には変化傾向が見られず、この点は盛岡と異なります。東北地方では太平洋沿岸を中心に夏の変化傾向が見られず、宮古でもこの特徴が現れています。「大船渡」では50年あたり1.0℃の割合で上昇しています。春・秋の気温は上昇していて、夏の気温には上昇傾向が現れていますが、冬の気温に変化傾向は見られません。年間の降水量は、盛岡、宮古、大船渡共、10年程度の間隔で多雨期と少雨期が現れていますが、いずれの地点も変化傾向は見られません。1日の降水量が50ミリ以上の年間日数、又、降る雪の量にも変化傾向は見られません。30℃以上の真夏日日数は、3地点共、変化傾向は見られませんが、35℃以上の猛暑日は、盛岡では10年あたり0.2日の割合で増加、大船渡では増加傾向が明瞭に現れ、宮古では増加傾向が現れています。宮古は夏の気温の上昇傾向が見られない中、猛暑日の増加傾向は特徴的です。1日の最高気温が0℃未満の真冬日日数は、盛岡では減少傾向が明瞭、宮古、大船渡では減少傾向です。

気温上昇は植物にも影響を与えていて、盛岡のサクラの開花日は10年あたり1.2日の割合で早くなっていて最近は4月中旬に開花する年が増え、又、カエデの紅葉日は盛岡では10年で6.0日、宮古でも10年で2.5日の割合で遅くなっています。東北地方、岩手県にも現れている地球規模の気候変動の影響。次回は今世紀末の岩手県の気候シミュレーションについてお伝えします。

 

「2016年重大ニュース」2016年12月25日OA

2016年12月25日 7:00 PM

日本気象協会がまとめた気象に関する2016年の大きなニュースについてです。1年を振り返ってまずは「南の島へ寒気襲来、奄美大島で115年ぶりの降雪」。1月24日、九州地方や沖縄地方では記録的な寒さとなりました。奄美大島の名瀬では1901年2月以来、115年ぶりに雪が観測された他、沖縄本島名護や久米島では、雨と雪が同時に降る霙が観測されました。沖縄本島では観測史上初、久米島では39年ぶりの観測でした。これは地上で雪が降る目安となる上空1500m付近のマイナス6度の寒気が台湾付近まで南下した為です。

長崎は18センチの大雪となり、1906年の観測開始以来最も深い17センチの積雪となりました。長崎のこの日の最低気温は氷点下4.2度、最高気温は氷点下0.2度と真冬日でした。この日の岩手のお天気を見ると、盛岡は午前中、雪が舞い、午後は陽が差しました。最低気温は氷点下6.2度、最高気温は1度。宮古は午前中、雪が2センチ降り、午後は回復して晴れました。最低気温は氷点下3.6度、最高気温は1.6度でした。このように、九州や沖縄で雪や霙が降ったからといって、岩手でも記録的な寒さや大雪になる、というわけではありません。

そして7月以降は台風が日本列島に次々やってきました。1号が発生したのが7月3日と、1951年の統計開始以降2番目に遅く、年間の上陸数は6個と最多2位タイ、8月の上陸数は4個と最多1位タイ。そして観測史上初めて太平洋側から東北地方へ台風が上陸しました。10号は8月21日夜9時に八丈島の東で発生しました。海面水温の高い海域を進み、8月25日午前3時に中心気圧が945ヘクトパスカルに発達し、30日午後5時半頃、大船渡付近に上陸しました。湿った東から南東風の影響で、北上山地や日高山脈の東から南東斜面で大雨となりました。北海道と東北では合わせて13地点で29日の降り始めから30日にかけての48時間降水量が平年の8月の1か月分を上回りました。この大雨により県内では20人が亡くなり、3人が行方不明となっています。2017年は穏やかな1年になることを願うと共に、様々な自然災害に対して私達は備えなければなりません。

「くまのがっこうと防災」2016年12月17日OA

2016年12月17日 6:00 PM

日本気象協会は、子どもと保護者に向けた防災啓発活動の一環として、来年15周年を迎える人気絵本シリーズ「くまのがっこう」とコラボレーションした防災チェックシートを作成しました。

赤いワンピースを着たクマのキャラクター「ジャッキー」が描かれた「お役立ち!備蓄チェックリスト」は、壁や冷蔵庫に貼りたくなる可愛いデザインです。掲載されている災害時に備えておきたい基本的なものは「水/水を溜めておくもの」「(缶詰など)食料品」「(カセットコンロなど)調理器具」「薬/救急用品」「(ウェットティッシュなど)衛生状態を保つもの」「(ラジオなど)情報を確認するもの」「(マルチツールや懐中電灯など)災害時に役立つもの」です。又、赤ちゃん・小さな子どもがいる場合に備えておくものとして「(避難所へ移動する時は最低3日分の)オムツ・(お風呂に入れない時に体も拭ける)おしりふき」「ミルク/離乳食/授乳ケープ」「おしゃぶり/(心のケアにも役立つ)おもちゃ」「(避難の時、両手が使えるように)だっこひも/おんぶ紐」です。衛生用品は日頃の買い物の際、多めに購入する程度で十分です。リストは実は、あまり具体的に挙げられていません。これは参考程度で、何を何日分備蓄しておくか、それぞれの家庭で想定することが大切と考えたからです。その他、「ふだんの防災アクション」として、住む場所によって土砂災害や洪水など起きやすい災害が違うことから、昔はどんな所だったか調べ「自宅の危険性を知っておく」、倒れてきたり落ちてきたりするものがないよう「家の中のいつもいる場所は安全ですか」など日頃の防災行動を促しています。

日本気象協会では「トクする!防災公式アプリ『わが家の防災ナビ』では、お住まいの地域の、土砂災害や洪水の危険度を判定したり、家族の現在地を共有したりすることができます。是非、ダウンロードしてください」と活用を呼びかけています。親子での備えに役立つこれらの情報はHPで「防災」又平仮名で「くまのがっこう」と検索すると御覧になれます。

 

「変わる竜巻注意情報」2016年12月10日OA

2016年12月10日 6:00 PM

今月15日から盛岡地方気象台が発表する「竜巻注意情報」の区域が細分化されます。これまで岩手の場合「岩手県」として県全体を対象に竜巻注意情報を発表していました。県全体で注意しなければならない状況というのはわかっても、実際に危険度が高まっているのは限られた地域で、どこまで対応すべきか判断に迷うのが実情でした。しかしこれからは「岩手県内陸」「岩手県沿岸北部」「岩手県沿岸南部」を対象地域として発表となります。勿論、これら3地域に同時に出され結果として県全体に発表ということもあります。ただエリアが絞られることで、住民にとっては竜巻注意情報をこれまで以上に自らの危険と認識できるようになり、安全を確保する行動につながることが期待されます。これは、これまでの竜巻に関する調査研究等から得られた最新の科学的知見や、国土交通省高性能レーダ雨量計ネットワークによる観測データの一部を新たに活用することにより可能になったものです。

岩手県も竜巻と無縁ではありません。気象庁の竜巻等の突風データベースによりますと、竜巻は1970年6月奥州市、1985年10月八幡平市松尾、1987年8月二戸市、2003年8月北上市、2011年5月奥州市、又、今年は6月と8月、いずれも奥州市で観測されました。そして積乱雲から吹き降ろす激しい空気の流れ=ダウンバーストが2000年8月一関市、2015年6月紫波町で、更に現象が特定できない突風が1992年5月宮古市川井、1993年4月花巻市、2008年7月陸前高田市、2009年7月盛岡市で観測されました。今年8月22日、奥州市で確認された竜巻は風速60mで、4月から運用が始まった竜巻の強さを6段階で評価する日本版改良藤田スケールでは下から3番目のJF2にあたるとしています。奥州市胆沢区では若柳地区を中心に突風が吹き、併せて12戸で車庫が飛ばされたり作業小屋が崩れたりする被害となりました。台風9号に伴う発達した積乱雲によるものとみられています。

いつ、どこで起きてもおかしくない竜巻被害。気象情報を活用し、竜巻注意情報が発表されたら空の変化に注意して、屋外にいる場合、頑丈な建物の中に逃げるなど、身を守る為の行動をとって下さい。

 

「海の見える町づくり」2016年12月3日OA

2016年12月04日 10:11 AM

10月、ほぼ1年ぶりに宮城県女川町を訪れました。工事車両しか目にしなかったJR女川駅前は見事な変貌を遂げていました。去年12月、新しい商業エリアがオープンしたのです。駅から長さ約300mのレンガ道「プロムナード」が伸び、緩やかな下り坂は正面の女川湾に通じています。景観の美しさと共に、津波の際の避難路の役割も果たします。両脇に並ぶのは6棟の木造平屋建て「シーパルピア女川」。スーパー、小売店、女川の味を堪能できる飲食店など27店舗で構成するテナント型の商業施設です。平日のこの日、駅に降り立った観光客や町を視察に訪れたグループは、興味深そうに通りを散策していました。プロムナードの中ほどには「まちなか交流館」があります。10mの天井高のロビーでは地元のサークル活動の女性たちが談笑していました。観光客、地域住民、どちらも利用しやすい居心地の良さを感じました。

震災前、女川町で商売をしている家は、1階が商店、2階が住居という形が主でした。しかし震災後、防潮堤に頼らない町づくりを選択、商業施設は海に近いものの住居は高台に建て、職住分離を徹底しています。商業エリア周辺は今後、52店舗整備される見通しで、シーパルピアを運営する民間まちづくり会社「女川みらい創造」では、定期的に屋外で音楽イベントなどを開催し、にぎわいづくりに取り組んでいます。

湾のそばには、女川水産業体験館「あがいんステーション」があります。スタッフの阿部真知子さんは、以前、女川さいがいFMでパーソナリティを担当していました。現在は毎週日曜日、TBCラジオで女川町の今を発信しています。阿部さんは2014年以降、ほぼ毎朝、女川港が見える場所から写真を撮りツイッターで発信しています。復興と共に日々、変化する町の風景を、女川を気にかけている14000人のフォロワーの皆さんに定点観測でお知らせすることで、震災の風化を防ぎたいという強い思いがあります。震災から間もなく5年9か月。復興と並行して、どうやって人を呼び込むか、女川町の挑戦は続きます。

 

「自然の防波堤となった島々」2016年11月26日OA

2016年11月26日 6:00 PM

先月20日、日本三景の一つ宮城県の「松島」を訪れました。湾に面した1キロ程の通りには土産物店や食堂が立ち並び、平日にも関わらず大勢の観光客が訪れ、被災したエリアとは思えない活気がありました。しかし遊覧船案内所に入ると、松島観光協会窓口脇の壁1m60センチ程の高さに浸水の跡があり、津波により自販機が流れ出し壁やドアを破壊した当時の記録写真が掛けられていました。松島町(まち)では21人の方が亡くなりました。

この日は、70人乗りの船に乗り、観光桟橋から沖に出て戻る1時間の遊覧コースに参加しました。波やうねりがほとんど入ってこない内海には、コンブ・ワカメ養殖のオレンジや黒の浮きや、カキを育てている竹で組んだ櫓が点在していました。緑の松が茂った乳白色の岩肌の島々は震災前とほとんど変わりなく、美しい景観を保っています。震災の際、松島には外海から8.5mの津波が押し寄せましたが、湾内に浮かぶ大小260余りの島々が自然の防波堤となり、陸地の被害を軽減しました。しかし、その為に589人が暮らしていた有人の浦戸諸島4島の内、寒風沢島(さぶさわじま)では4人の方が亡くなり、他の3島でも住宅や港湾、漁業施設、漁船、養殖施設が甚大な被害を受けました。離島が属する塩竈市によりますと、本土地区の仮設住宅や民間賃貸住宅への入居、親族との同居により島から転出することになった人も多く、人口は363人に減少しましたが、島には災害公営住宅が完成し、新しい生活がスタートしています。

離島の内、桂島(かつらしま)で育った丸文松島汽船の内海武(うつみたける)船長(38)は遊覧時、テープではなく、船を操舵しながら自ら松島の魅力や被災状況を伝えています。内海さんは「御覧のように松島は完全に復興しています。一方、東松島や女川の被害は甚大で、まだまだ復興途中です。その中、松島の被災状況をいつまで伝え続ければ良いのでしょうか」と、周囲を慮り複雑な心境を口にしていました。被災の度合いはそれぞれのエリアによって違います。あの日、何があったのか、歴史の証人として伝え続けていただきたいです。

 

「佐藤山」2016年11月19日OA

2016年11月19日 6:00 PM

東日本大震災で約1100人が犠牲となった宮城県東松島市。南西部の野蒜(のびる)地区では、自宅裏山に個人が整備した避難所のお蔭で70人余りの命が救われました。先月20日、その避難所を造った佐藤善文(よしふみ)さん(82)に案内していただきました。野蒜海岸から内陸に約700m、かつてのJR仙石線・野蒜駅近く、高さ30m程の小高い山の上に位置しています。ブロック階段の狭い林道を5分程上ると、頂上の広場に東屋や小屋がありました。青い屋根の小屋は基礎がしっかりしていて、四方がサッシで囲まれています。フローリングに茣蓙を敷いた8畳の室内にはテーブルがあり、ガスコンロで煮炊きできる他、電気が通っていてテレビが見られます。防寒具、布団、食料、水も備蓄していました。眼下の住宅は数少なく、津波に襲われ多くは更地で復興の途中でした。あの日、ケガ人やずぶ濡れになった人、女性、子ども計30人が小屋のストーブで、男性達は外の焚火で暖を取り、約70人が2日間過ごし生き延びたのです。

タクシー会社を経営していた佐藤さんは1999年、65歳で長男に経営を譲り避難所造りを始めました。合併前、町では野蒜地区に「津波は来ない」という説明でした。災害時の指定避難所は低い場所にあります。金華山沖に断層があると聞いていた佐藤さんは万が一、津波が来た際は、高い場所に避難所が必要と考えました。長年、タクシー業務に携わり、お客様の命を預かる意識の高い方です。お客様でもある地域住民の命を守る為、私費を投じて、約10年かけ避難道や避難所を整備したのです。避難所は震災前、地域の交流の場として提供していました。知り合いや近所の人に声をかけ、山菜を天ぷらにし共に杯を傾けるなど、日頃から活用していたのです。その積み重ねがあって、多くの人が自然に避難しました。

避難所のある裏山は震災後、「佐藤山(さとうやま)」と呼ばれるようになりました。佐藤さんは、学生や団体など全国からの視察に応じる多忙な日々です。行政任せではなく、自分の命は自分で守るということを、佐藤山は教えてくれます。

 

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