気象と防災 マメ知識!

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55 【再放送】毎週日曜日18:50~18:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

421回「釜石山林火災」2017年5月27日OA

2017年05月27日 6:00 PM

今月8日、釜石市で発生した山林火災は、発生から2週間が経った22日午後、完全に消し止められたことが確認され、市が「鎮火」を宣言しました。8日正午頃、釜石市平田の尾崎白浜(おざきしらはま)地区で「青出浜(あおだしはま)近くの山から煙が見える」と漁に出ていた船から消防に通報がありました。火は強い風にあおられて勢いを増し、煙が激しく吹き上げる様子は火山の噴火のような光景でした。けが人や住宅への被害はありませんでしたが、およそ400haの山林と、神社の柱や社務所を焼きました。

8日の県内は発達した低気圧の影響で西寄りの風が強まり、沿岸部では山を越えた乾いた風が気温を上昇させるフェーン現象が起きたと見られます。釜石では25.9メートルの最大瞬間風速を観測。最小湿度は大船渡で22%と空気が乾燥した状態でした。それに加えて釜石では4月18日に65.5ミリのまとまった雨が降って以降、3週間ほとんど雨が降らず空気も地面もカラカラに乾いていました。火事の現場につながる道路がなく消火活動は難航しました。強風のため本格的な空中からの消火が始まったのは発生から1夜あけた9日朝でした。3日目の10日、雨が降り火の勢いが弱まりました。市は11日「集落付近への延焼の恐れはない」と判断、136世帯348人に出されていた避難指示は解除されました。15日には「鎮圧」が宣言されましたが、その後も消防が現地に入り残り火の確認を行ってきました。そして22日、地上と上空から目視と熱感知センサーとで改めて確認を行ったところ煙や熱が認められなかった事から「鎮火」が宣言されたものです。森林は一度焼失すると再生するまでに数十年の歳月を要します。また土壌の保水能力の低下を招き、大雨により土砂崩れが起きやすくなる恐れがあります。

山林火災は乾燥して強風が吹く春に多く発生しています。原因のほとんどが、農作業や、山菜採りなどの入山者による、たばこ火やたき火、野焼きなど人為的なものです。1人1人の心がけで防ぐことができるのです。

 

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420回「八甲田山遭難事件」2017年5月20日OA

2017年05月20日 6:00 PM

先月、青森市郊外にある「八甲田山雪中行軍遭難資料館」を訪れました。入口には雪の中、立ったまま仮死状態で救援隊に発見された後藤伍長の銅像があります。今から115年前の1902(明治35)年1月23日、「青森歩兵第五連隊」は緊迫する日露関係を背景に敵の上陸を想定し、八甲田山での雪中行軍訓練を行いました。しかし日本の観測史上最強の寒波が一行を襲います。行軍3日目の1月25日、北海道旭川では日本の最低気温の記録、氷点下41度を観測しています。猛吹雪に阻まれ総勢210名の隊員が遭難し199名が犠牲となりました。その内、岩手県出身者は139名と約7割に上ります。他宮城46名、青森5名、東京、神奈川等の出身者各1名が命を落としました。

悲劇を招いた原因について、資料館では3つの点を指摘しています。1つ目は「心構え」です。行軍は田代までの約20キロを1泊2日で計画していました。将校と下士官は毛織物の軍服に厚手のマントだったものの、多くの兵卒は綿の夏服、手袋や耳袋程度の軽装で、危機意識が低かったのです。2つ目は「食糧」です。この時、青森の最高気温が氷点下8度。携帯していたおにぎりは凍結して歯が立たず石のように硬くなった為、捨てる者が続出しました。2回目の露営では既に食糧が尽きる結果となり体力の消耗へと繋がっていきました。そして3つ目は「疲労」です。激しい風雪と寒気により進退窮まった一行は、露営を決し雪濠を掘りますが、一刻でも早い帰着をと、早朝5時の出発を2時に早めほとんど休憩をとらず、更に疲弊していったと考えられます。一方、同じ時、弘前第三一連隊37名は、弘前から十和田湖・三本木を巡る行程を無事、踏破していました。隊員に青森出身者が多く、雪中行軍を熟知していたことが背景にあります。

敷地内にある幸畑(こうばた)陸軍墓地には犠牲者の墓標が整然と並び、岩手県の御遺族が今でも供養に訪れるそうです。冬山の危険と備えの大切さを伝える資料館は、青森駅からバスで約30分の所にあります。

 

419回「数字の読み方」2017年5月13日OA

2017年05月13日 6:00 PM

陸前高田市の方から質問をいただきました。予報の中での数字・助数詞の読み方に関し「『1.3度(イチテンサンド、イッテンサンド)』『8.3度(ハチテンサンド、ハッテンサンド)』『10.3度(ジッテンサンド、ジュッテンサンド)』どちらなのか」ということです。ありがとうございます。

さて数字と小数点の「1.」(イチテン、イッテン)「8.(ハチテン、ハッテン)」について、結論から言うと「決まりはありません」。ただ私個人の考えとしては、『イチ』『ハチ』と発音する方が聞き取りやすく望ましいと思います。次に「10.(ジッテン、ジュッテン)」に関してです。NHKことばのハンドブック第2版によりますと「『ジッ』『ジュッ』の2つの読みが並行して行われており、どちらかを標準的と決めるのは難しい状態である」とあります。数字の「10」の後にタ行やパ行などが続く場合には『ジッ』、つまり『ジッテン』となるのが本来の発音でした。しかし『ジュッ』という発音も使われている為、2010(平成22)年の常用漢字表備考欄で『ジュッ』の発音も認められました。私達が拠り所としているNHK・日本語発音アクセント辞典も改訂されました。以前は、「10」に得点の「点」で『ジッテン』の方を勧め、『ジュッテン』は括弧書きで許容扱いでした。しかし去年5月に出された新版では『ジッテン、ジュッテン』と併記し、どちらでも良いというスタンスになりました。文化庁が2004(平成16)年に発表した「国語に関する世論調査」では、動物を数える助数詞で「10匹」『ジッピキ』『ジュッピキ』、普段、どちらで発音しているか尋ねたところ、75%の人が『ジュッピキ』と発音していると回答しています。4人の内3人が『ジュッ』の発音を支持しているのです。

伝統的な発音か、時代に即した発音か、悩ましく正解はありません。言葉を生業とする私達アナウンサーは、リスナー、視聴者に対して、どのような表現がより適切に伝わるのか、今後も模索して参ります。

 

418回「震度5・6の強弱」2017年5月6日OA

2017年05月06日 6:00 PM

地震の揺れの強さを表す「震度」について、紫波町のじゃじゃじゃサテライトさんから質問をいただきました。ありがとうございます。「なぜ震度5と6だけに強弱をつけるようになったんですか?」気象庁が発表している震度は、以前は体感や周囲の状況から推定していました。そして震度0は「無感」、1「微震」、2「軽震」、3「弱震」、4「中震」、5「強震」、6「烈震」、7「激震」という別名がありました。しかし1996(平成8)年4月以降は、「震度計」による観測に切り替えました。揺れを感知し、水平や上下の揺れの強さの程度を計算して数値化した計測震度から、震度に換算し速報しています。震度6強、6弱、5強、5弱の区分は、この年の10月から適用され、別名は廃止されました。

この強弱について契機となったのが1995(平成7)年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」です。各地の震度は神戸、兵庫県淡路島の洲本(すもと)で「震度6」、兵庫県豊岡、滋賀県彦根、京都で「震度5」を観測しました。現地調査を行ったところ、木造や鉄筋コンクリートの建物の倒壊・崩壊・傾斜、家具の移動・転倒、棚の食器や書籍類の落下など、同じ震度5、震度6でも被害の幅が大きいことが分かりました。そこで被害の様相を反映させる為、計測震度4.5以上5.5未満を「震度5弱」、5.0以上5.5未満を「震度5強」、5.5以上6.0未満を「震度6弱」、6.0以上6.5未満を「震度6強」と細分化することで、適切な防災対応ができると判断したものです。

尚、当時の震度階級は、震度0から7までの8階級で、震度7については現地調査により決定するものとなっていました。その調査で、神戸市須磨区から西宮市・宝塚市にかけてと、淡路島の北部で震度7に達していることが分かりました。気象庁はこのデータを元に、震度階級を改正、現在の震度6強、6弱、5強、5弱も加えた10階級にすると同時に、震度7についても震度計で速報しています。

 

417回「学ぶ防災」2017年4月29日OA

2017年04月29日 6:00 PM

先月末、宮古市田老で「学ぶ防災」ガイド・元田久美子さんに町を案内していただきました。2012年4月から始められた学ぶ防災のプログラムは、防潮堤での説明と、たろう観光ホテルでの津波ビデオ上映の2本柱です。宮古市田老地域は昭和三陸大津波の後、市街地の区画整理と防潮堤の整備に取り組みました。そして1979(昭和54)年に総延長2433mの防潮堤が完成しました。しかし6年前の巨大津波は「田老万里の長城」とも呼ばれた第一・第三堤防を越え、第二堤防を破壊。市街地で津波浸水高16.6m、津波遡上高20.72mを記録しました。元田さんは、10mの防潮堤の上で田老の津波の歴史を語りながら「防潮堤は津波が来るまでの時間稼ぎであり、命を守る為には逃げる意識を持つこと」と強く訴えます。

続いて去年、震災遺構として保存工事が終わった6階建ての「たろう観光ホテル」を訪れました。1・2階は壁が破壊され素通しで、赤茶けた鉄骨の躯体がむき出しになっています。3階の窓も全て無く、津波は4階まで来たといいます。外階段を上り最上階のフロアに入りました。宿泊客が今にも部屋から出てきそうな廊下を進み、一番奥にある604号室へ。あの日、ホテル関係者がこの部屋から撮影した大津波の映像が映し出されました。白いしぶきをあげながら黒い水の塊が迫り家並みを呑み込んでいきます。わずか4分で181人の命が失われ町が消えた事実に身震いしました。

上映後、同じ窓の外には、盛り土した復興途中の町や新しい球場が見えました。明治、昭和、東日本大震災と115年で3回も大津波に襲われた町は再び立ち上がりました。元田さんは「目に見える物を一つでも多く残さないと人は忘れてしまう」と震災遺構の意義を強調し「『災害は忘れた頃にやってくる』のではなく『人が忘れるから災害になる』」と結びました。「学ぶ防災」は津波の被害と教訓を、これからも伝え続けます。

416回「三陸鉄道と震災」2017年4月22日OA

2017年04月22日 6:00 PM

1984(昭和59)年4月1日、明治以来、住民の悲願だった三陸を縦断する三陸鉄道が開業しました。運行する2路線は、宮古から久慈間の「北リアス線」が71キロ、大船渡市の盛から釜石の「南リアス線」が36.6キロ、合わせて107.6キロです。トンネルが連続するものの、車窓から太平洋を一望できるスポットが多いのが特徴です。

国土交通省の資料によりますと、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、橋や駅、線路など317か所が被災しました。北リアス線が70か所に対して、南リアス線は247か所と3倍以上でした。これは宮古以北の震度が5弱だったものの、釜石以南の震度が6弱だったという地震の強さの違いが要因となっています。南リアス線では揺れにより橋脚が損傷したり、軌道を支える地盤が陥没したりする等が多数発生しました。一方、津波により線路・橋脚等が流出したのは、海岸部に近い堤防・高架橋を中心に5か所、延長5.8キロと極めて局所的な被害でした。そもそも三陸鉄道の路線は明治三陸大津波等の被災経験を踏まえ、ある程度津波を想定したルートが設定されていました。全路線の半分以上がトンネルとなっている他、トンネル以外の周囲が開けた区間でも高台に線路が敷設されていて、比較的津波には強い設計だったのです。その為、復旧にあたり内陸部へルートを変更することなく、震災からわずか3年の2014年4月に全線復旧を成し遂げました。

三陸鉄道では、震災後、津波の恐れがある場合の避難行動を見直しました。これまでは緊急停車後、高台への避難でした。しかし震災後は、線路脇に津波避難路看板を南リアス線12か所、北リアス線11か所に設置し、避難ルートを明らかにする等、更なる安全確保に取り組んでいます。津波により不通となっているJR山田線の宮古・釜石間が来年度末、JRから経営移管される三陸鉄道。地元と観光客の利用促進を図りながら、これからも被災地のインフラを支え続けます。

 

415回「花見に関する調査」2017年4月15日OA

2017年04月15日 6:00 PM

県内各地から桜便りが届き、お花見シーズンになりました。気象情報会社「ウェザーニューズ」は、お花見に関する調査を実施し、のべ7万3000人の回答を集計しました。都道府県毎のランキングで「今年はお花見に何回行きたい?」という質問に1位が山形県「2.2回」2位が佐賀県・秋田県・富山県の「1.9回」、岩手は22位で「1.4回」でした。山形は全国で唯一2回を超える結果で、お花見好きの県民性がうかがえます。「お花見場所への所要時間」は1位が北海道で「3.2時間」2位が石川県「3.1時間」3位が岐阜県で「3時間」、岩手は13位で「2.1時間」でした。特に桜の名所は移動距離と併せ、渋滞も考慮してスケジュールを立てなければなりません。「お花見の場所取りは何時間前?」という問いに1位は岐阜県で「6.2時間」2位は広島県で「5.6時間」3位は鳥取県で「5.5時間」、岩手は38位で「2.1時間」でした。又、「お花見を楽しむ時間」は、1位は京都と高知で「2.4時間」3位は北海道と青森で「2.3時間」、岩手は42位で「1.7時間」でした。

岩手が上位に入っているも設問もありました。花見予算の平均は、1位が「青森県」で3167円、そして2位が「岩手県」2919円、3位が「宮崎県」2842円でした。4位以下は熊本、山梨、秋田、京都、山形、福岡、新潟と続きます。10位以内に東北が4県入っています。東北では、長い冬の後に到来した春を楽しむ傾向が表れているようです。

ここまでは都道府県別ですが、代わって「あったら良かったお花見グッズ」。3位は「カイロ」。日中は日差しがあっても風が冷たい時があります。夜は尚更です。カイロで手足や腰を温めると寒さが和らぎます。2位は「イス」。レジャーシートを持っていたもののお尻が冷たく、地面が凸凹していて座りにくい時があります。イスがあればお花見もより楽しめます。そして1位は「ひざかけ」でした。膝や肩にかけて温められますし、畳めば座布団代わりにもなり重宝します。どうぞ寒さ対策をしてお花見にお出かけ下さい。

 

414回「新たなステージ」2017年4月8日OA

2017年04月08日 6:00 PM

8月に岩手を襲った台風10号や集中豪雨など、近年の気象災害は「新たなステージ」に入っているといえます。そこで気象庁は、防災気象情報の提供の仕方を見直します。

1つ目は、警報、注意報クラスの現象が予想される時間帯をそれぞれ赤、黄色で表示し、危険度とその切迫度が一目でわかる色分け表示を行います。又、雨量、風速、潮位などの予想される値も時間帯ごとに明示します。加えて警報に切り替わる可能性が高い注意報についても、通常の注意報と視覚的に区別できるよう表示を改善するものです。情報を利用することで、自分がいる地域に迫る危険の詳細を速やかに把握できるようになります。2つ目は、警報級の現象が5日先までに予想されている時には、可能性が高い「高」、可能性は高くないけれども一定程度は認められる「中」の2段階で発表するというものです。翌日までの「警報級の可能性」は、定時の天気予報に合わせて、2日先から5日先までの「警報級の可能性」は、週間天気予報に合わせて発表します。これらは、雨、雪、風、波が対象です。昨年度、各地の気象台から自治体等関係機関に対して試験的に提供したところ、「遠出を控えるなど職員が心構えを持つことができた」「夜間でもすぐに参集できるようになった」「避難場所開設の準備ができた」などの意見が寄せられたということです。

情報の受け手である私達は、「中」が発表された際、直ちに避難等の対応をとる必要はありません。ただ深夜に天気が急変し突然警報が発表されても、慌てずに対応できるようにしましょう。「高」が発表された時は、警報が予想される時間帯を確認するようにして下さい。又「高」や「中」が発表されていなくても、天候の急激な変化に伴い警報が発表される場合もありますので、対応は普段から考えておくことが重要です。この夏から運用されるこれらの情報について、IBCでは、ラジオやテレビで、速やかにわかりやすくお伝えして参ります。

 

413回「栃木の雪崩事故」2017年4月1日OA

2017年04月01日 6:00 PM

先月27日午前8時半ごろ、栃木県那須町のスキー場で雪崩が発生し、男子高校生ら8人が死亡、40人がケガをしました。積雪をかき分けながら歩く「ラッセル」と呼ばれる訓練をしていて巻き込まれたものです。雪崩は大きく「表層雪崩」と「全層雪崩」の2種類があります。表層なだれは、気温が低めの時、古い雪の上に降り積もった数十センチの新雪が滑り落ちます。全層なだれは春先に起き、積雪層の下の部分と地面の間に隙間ができ、雪解け水が流れて全体が滑り落ちるものです。今回は、降ったばかりの雪の層が滑り落ちる「表層雪崩」だった可能性があります。26日から27日にかけ、日本列島の南岸沿いを進んだ低気圧の影響で、関東北部の山沿いで雪が降りました。気象庁の観測では、栃木県那須町で27日午前2時から10時の間に一気に34センチの雪が降りました。

北東北雪崩事故防止研究会によりますと、全層なだれの起こりそうな箇所はクラックという亀裂があり見た目で分かることが多いそうですが、見ただけでは分かりにくいのが表層雪崩。雪崩事故の90%以上が今回のような表層雪崩ということです。特に顕著な雪崩の起こる日は、「風の強い日」と「大雪の日」です。雪が降っていなくても、風に飛ばされた柔らかい雪があると風下斜面等に吹き溜まりができ、思わぬ所で雪崩が起きることが多く、又、駐車場で物が飛ばされたり、歩いたりするのが大変な強風時の入山は、雪崩の危険が伴います。

岩手でも過去に雪崩で犠牲者が出ています。2008年3月8日、八幡平市の松川温泉に近い源太ヶ岳で雪崩が発生し、スキーをしていた男性2人が亡くなりました。2人は登山歴10年以上のベテランでした。午後0時半頃、源太ヶ岳の山頂から300メートルほど下の急斜面で、縦横150メートル規模で発生した「表層雪崩」に巻き込まれたものです。源太ヶ岳では2002年1月13日にも、同じ場所で発生した雪崩により1人が亡くなっています。里では春の足音が聞こえていますが、積雪の多い斜面は、雪崩の危険がまだあることを肝に銘じる必要があります。

412回「津波の教訓を伝える木碑」2017年3月25日OA

2017年03月25日 6:00 PM

今年、建て替えられた津波の教訓を伝える木製の碑「木碑」についてです。復興工事が進む大槌町の安渡地区。大槌湾から約400m、津波の到達地点だった坂の途中に栗の木でできたその碑があります。刻まれた文は「大きな地震が来たら戻らず高台へ」。2013年3月11日に建立されたもので、雨・風に4年間さらされ、側面には1mほどの亀裂が入り劣化が進んでいます。

木碑を発案したのは当時、大槌高校の生徒だった吉田優作さん(現在20歳)です。津波対策を考える中高生の集まりに参加したことがきっかけで、この木碑を思いつきました。朽ちることを前提に4年毎に建て替えられます。震災前、三陸沿岸には過去の津波襲来を伝える石碑が数多くありました。しかしそれらは風景の一部になり、誰も目に留めなくなっていました。吉田さんは、建て替え行事に参加することで、震災の記憶を1人でも多く共有し後世に伝えられる、と考えたのです。

先月25日、安渡地区には、建て替え準備の為、千葉県の大学から帰省した吉田さんの姿がありました。仮設住宅の談話室に、大槌高校の生徒の他、近隣住民合わせて20人以上が集い、木碑の銘文に墨を入れる作業を行いました。震災の風化に対して、吉田さんは、それが当たり前だと思っています。震災のことを日々、考え続けていると「自分が壊れてしまう、重過ぎるので」と。だからこそ、4年に1度、集まることに意義があります。木碑を通して、高校生は故郷復興への思いを新たにし、住民は「津波を知らない世代の犠牲者が出ないように」と願いを込め作業していました。そして3月11日。地域住民や高校生と共に新しい木碑を建立した吉田さんは、集まった人達を前に「自分たちのように辛い思いをする人を後世に作らないようにしたい」と木碑への思いを述べました。次の建て替えは2021年3月11日。木碑は代替わりしながら、津波の教訓を静かに語り続けます。

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