気象と防災 マメ知識!

気象と防災 マメ知識!

気象予報士・防災士の神山 浩樹(IBCアナウンサー)がお届けする5分間。

◆放送日時
毎週土曜日17:50~17:55
番組開始:2009年4月〜

◆出演
神山浩樹(IBCアナウンサー)

お便り・お問い合わせ

472回「栗駒山火山ハザードマップ」2018年5月19日OA

2018年05月19日 6:00 PM

今日は、栗駒山の火山ハザードマップについてです。ハザードマップとは「災害予測地図」のことで、火山噴火など発生が予測される被害について、その種類・場所・危険度などを示しています。栗駒山の火山災害に対する防災体制の構築を推進する為、岩手、宮城、秋田の3県と、一関市、栗原市、湯沢市、東成瀬村の関係自治体、関係機関、学識経験者等で構成する栗駒山火山防災協議会が作成し、この春、公表しました。ハザードマップでは過去に発生した噴火や、他の火山での噴火事例を参考に「水蒸気噴火」と「マグマ噴火」に分けて影響範囲を示しています。

マグマによって加熱された地下水等が爆発的に地表に噴出する「水蒸気噴火」は、過去約1万年の間に少なくとも12回発生しています。800年に1回程度です。昭和湖付近で水蒸気噴火が発生した場合、火口から2-3キロの範囲で小さな噴石や火山灰が50センチ、奥州市の南西部にも1センチ程、堆積する恐れがあります。地下から上昇してきたマグマが地表へ噴出する「マグマ噴火」は、過去約1万年の間に少なくとも9回発生しています。1100年に1回程度です。昭和湖付近でマグマ噴火が発生した場合、溶岩流の他、火口から2キロの範囲で小さな噴石や火山灰が50センチ堆積し、10センチ以上堆積した斜面では雨により土石流発生の恐れがあります。

気象庁の資料によりますと、1774(寛保3)年2月3日の噴火では磐井川が俄かに渇水、山鳴りが響き、大木を含む大量の火山泥流が発生しました。その後も時々噴煙が観測され、山鳴りが続きました。又、1944(昭和19)年11月20日の小規模な水蒸気噴火は昭和湖付近で発生しました。火山灰が降り、泥を噴出、磐井川が濁り、魚類に多数の被害が出ました。加えて強酸性水が湧き出て、噴火後3年に亘り磐井川下流域の農作物や水力発電所に被害を及ぼしました。1774年の噴火でも同様の被害があり、将来、水蒸気噴火によって強酸性水が湧出した場合、磐井川下流域では数年間に亘り影響を受ける恐れがあります。自然の恵みと表裏一体にある火山のリスクを地域住民、登山者、観光客が共有することが大切です。栗駒山のハザードマップは岩手県のHPで御覧になれます。

IBCラジオPR
IBCワイドFM

471回「荒浜小学校」2018年5月12日OA

2018年05月12日 6:00 PM

今日は、去年春から震災遺構として公開されている「仙台市立荒浜小学校」についてです。東日本大震災では2階の床上40センチまで津波が押し寄せ、児童、教職員、住民ら320人が避難し取り残されました。当時91人が通っていた校舎は、海岸から約700m内陸に位置します。鉄筋コンクリート造4階建て、各階には11の教室が並びます。1階の窓は無くなりネットが張られ、2階ベランダの手すりは、ガレキがぶつかりひしゃげ、茶色く錆びています。仙台市中心部から東に約10キロ、800世帯、2200人が暮らしていた荒浜地区。黒い津波は家屋を呑み込み200人近い住民が犠牲になりました。施設の女性スタッフは「流されてきた木造家屋のぶつかる音が響き渡り、避難した人達は『校舎も破壊されるのでは』と怖かったそうです」と7年前を振り返ります。その彼女は、あの日、85歳の母親と共に逃げ無事でしたが、海から約200mの所にあった自宅を失いました。

校舎に入るとネットの間を出入りするスズメの鳴き声が響きます。黒板が歪んだ1年1組の教室。破壊され鉄筋が剥き出しになった廊下の天井。脇には、ガレキと共に車が突っ込んだ大きなパネル。震災翌日、校長が撮影した写真を実物大に引き伸ばしたもので、自然の脅威を静かに語っています。4階の展示室では、午後2時46分の地震発生から27時間後の避難者全員の救出までを、約17分にまとめた映像を拝見しました。特に当時の校長のインタビューで「避難方法を見直す。良かれと思うことをできるだけやる。その積み重ねが何かの時に少しでも災害を少なくする」という言葉が心に響きました。実は言行一致の出来事がありました。2010年2月27日、チリ地震により大津波警報が出された際の学校の対応です。校舎西側・体育館内の毛布など備蓄品を「ここに置いていては津波が来た時、使えないのでは」と判断し、職員と共に校舎3階に移したのでした。その1年後の震災で体育館は全壊、しかし移動した備蓄品が避難者の命を守ることに繋がったのです。

「地震は来ても津波は来ない」との伝承を信じ、逃げずに犠牲になった人もいる荒浜地区。荒涼とした野原の真ん中に立つ荒浜小学校は、大津波の記憶と教訓を後世に伝え続けます。

470回「消防署職員の手記」2018年5月5日OA

2018年05月05日 6:00 PM

東日本大震災では、宮城県仙台市でも甚大な被害となりました。市の資料によりますと、宮城野区で震度6強、青葉区・若林区・泉区で震度6弱を観測、仙台港では推定で7.1mの津波が押し寄せました。904人の方が亡くなり、27人が行方不明、負傷者は2275人。30034棟の家屋が全壊、27016棟が大規模半壊となりました。

先日、津波被災現場の最前線に立っていた消防署職員の記録を拝見しました。地下鉄東西線・荒井駅舎内「せんだい3.11メモリアル交流館」で開かれた企画展「結(ゆい)~消防・命のプロが見た東日本大震災」です。展示の中心は仙台市沿岸の大部分を管轄する若林消防署職員の手記です。2011年5月から7月に記された手紙が7年の時を経て紹介されることになりました。救助活動のモノクロ写真が添えられた60枚の文章のパネルには、想像を絶する事態に立ち向かった人達の心情が綴られていました。「心の底から湧きあがる『恐怖』とメラメラ湧き上がる『奮起』が交差した」「消防とは、なんて非情な組織なのか。力尽きるまで戦えというのか」「今やるべきことは何か?真に必要なことは何か?」災害現場で活動するプロも生身の人間だと再認識し、現場の真実、心の真実に胸が張り裂ける思いです。

エピローグに掲載されていたのは祖父や友人を失い、実家が全壊した職員の手記でした。「全員助けたかった。流された人、閉じこめられた人、取り残された人、建物の上に残された人、車に乗ったままの人、全員、助けたかった。全員、生きて家族の元へ帰してあげたかった。私には足りなかった。知識、技術、体力、行動力、判断力、勇気、様々なものが不足していた。しかし前を向いていくことに決めた。両親や弟夫婦もアパートを借りて生活を始め冗談を言えるようになった。イチゴ農家の友達は必ずやり直すと言ってビニールハウスを作り直し始めた。私ももう一度やり直そうと思っている。救助隊員として揺るぎない気持ちをもてるように」。消防救助の基本である結び=結索(けっさく)から着想を得た企画展タイトル「結(ゆい)」。この展示は命と命の「結(ゆい)」を見つめる時間となりました。

 

469回「大船渡津波伝承館」2018年4月28日OA

2018年04月28日 6:00 PM

今日は大船渡市赤崎町にある「大船渡津波伝承館」についてです。館長の斎藤賢治さん自らが撮影した震災時の津波の映像を視聴し、命の大切さ、そして、防災について学ぶ施設です。東日本大震災から2年目の2013年3月11日、被災しなかった内陸のさいとう製菓の工場の会議室を借りて開館しました。

スクリーンには、本社事務所2階で激しい揺れの中、撮影された映像から始まります。物が散乱する中、齋藤さんはカメラを回しながら従業員に「逃げろ、津波が来る」と呼びかけます。瓦屋根の家々やビルを見下ろす高台へ。15時22分、大船渡湾から防潮堤を越えて津波が市街地に流れ込んできます。15時23分、社屋前を自販機が流れ、水かさが増し勢いが強くなります。白い飛沫と灰色の煙を上げながら、ミシミシと音を立て移動する家屋。地域の建物が塊になって崩れて黒い海に呑み込まれ、圧倒的な自然の猛威の前で、人は無力だと感じます。15時24分、「何が防波堤だよ、何が防潮堤だよ」「収まってくれ」とビデオを回しながら叫ぶ齋藤さんの声が。そこには全てを奪った大津波の一部始終が記録されていました。

齋藤さんは改めて映像を止めながら分析します。市街地が30センチ程の水かさの際、海に向かって走る、2台の車が映っていました。津波が来ているのに逃げない異常行動の背景は5つ、考えられると言います。「1.津波の知識が無い、2.車中からは津波が迫っていることが分からない、3.土地勘の無い人は方向が分からない、4.避難行動を考えない人は、いつも通りの行動をする、5.海の方向に家がある、家族がいる」です。齋藤さんは「津波の際は車を捨てて高台に逃げるなど命を守る適切な行動を」と訴えます。又、市街地の浸水が始まっているのに避難せず、普通に歩いている黄色いジャンパーを来た女性がいました。防災無線を耳にして、津波来襲はわかっていたはずです。齋藤さんは「正常性バイアス」という心理学用語を用い説明します。自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりする人の特性のことです。逃げ遅れを防ぎ、落ち着いて行動する為には、地域の避難訓練に参加する等、日頃から防災に対して意識することが必要なのです。津波伝承館は今後、市内の別の場所に本格的な施設を作り津波の恐ろしさを伝えていくことにしています。

 

468回「語り部が案内する陸前高田」2018年4月21日OA

2018年04月21日 6:00 PM

先月末、陸前高田観光ガイド部会の語り部・河野正義(こうのまさよし)さんに市内を案内していただきました。最大12.2mまで盛り土する大規模工事中の新市街地。建て直された「東日本大震災追悼施設」は白木が香る木造の平屋建てで、中には慰霊碑と献花台が設けられています。大津波により犠牲になった1757人に静かに手を合わせます。河野さんは、震災の教訓を2つ挙げます。1つ目は「防潮堤を過信しない」。「昭和35年のチリ地震津波も大丈夫だったから、今回も大丈夫」と逃げない人達がいた為です。2つ目は「避難所に逃げた後も、安心せずより高台へ」。陸前高田市がまとめた東日本大震災検証報告書によりますと、「津波避難場所として指定していた一次避難所67か所のうち38か所が被災するとともに、9か所で推計303人から411人の尊い命が失われた」としています。市は県の津波予測を絶対視し「それ以上の津波の襲来はない」として避難所の見直しを行わなかったのです。

追悼施設近く、BRTの駅舎は、薄い緑色の屋根に白とベージュの外観で、かつての駅舎をモチーフにしています。震災前の賑やかな駅前通りの写真を掲げながら河野さんは「住民の念願が叶ってやっと通った鉄路の復旧ではなく、バスでの再開になってしまった」と悔しさをにじませます。観光物産施設「一本松茶屋」の傍にある被災したガソリンスタンド。残った2本の支柱を見上げると赤い屋外看板「オカモトセルフ」の文字の脇に「津波水位15.1m」と記されています。自分達がいる所も含め町を呑み込んだ大津波の高さに慄然とします。大型トラックが行き交う市街地から仮設の気仙大橋を渡り、奇跡の一本松が見える場所で車を降りました。田畑を守る防砂林として植えられた約7万本の内、1本だけが残った理由として「海側に立つ黄色いユースホステルの建物により津波の力が分散され、又通常の松より下枝が無かったことが考えられる」と説明していました。

形を変えて繰り返し私達を襲う自然災害。河野さんの命を守る為のメッセージ「人の造ったものに頼ってはいけない」「心の防潮堤を高くして」を胸に刻みました。

 

467回「避難所運営マニュアル」2018年4月14日OA

2018年04月14日 6:00 PM

今回は3年前の3月、陸前高田市がまとめた避難所運営マニュアルを取り上げます。避難所に関する基本的な考え方、避難所組織のあり方や活動内容をまとめたもので、一定期間の避難生活を想定しています。「事前対策」、「初動対応」、「運営」の大きく3章に分かれ、事前対策では「地域住民による『自主運営』」「震災検証報告書で整理された課題や教訓を反映」「要配慮者が安心して生活を送れる」を運営の基本方針としています。机上のマニュアルではなく、東日本大震災での教訓や課題が反映されているところが、円滑な避難所運営の為の大きなヒントになります。

東日本大震災では、市が運営する避難所26か所と併せて、地域で自発的に開設された避難所が58か所ありました。市が指定していないものの、地域の公民館や集会所等が自主受け入れ避難所になったもので、全避難所の約70%を占めました。しかし開設状況の把握が困難で、食料・物資が行き渡りませんでした。マニュアルでは「各施設から、コミュニティセンター単位で設置されている地区本部へ、積極的に情報提供することが重要」と指摘しています。又、被災した自宅で生活している人達の所在の把握が困難で、食料・物資の支援等で課題が生じたことから「在宅避難者は自ら地区本部に申し出を行い、登録する等の対応が必要」としています。市が状況を把握しないと、食料・物資等の支援が受けられません。自主受け入れ避難所、在宅避難者共に、「行政との連携」が鍵となります。

この他、食料・物資の調達に関して「地域で米を調達できたとしても、籾の状態で保管していた為、精米機の動力源の確保が困難で、食料として利用するまで時間がかかった」ことから、「停電に備え事前にガソリンや軽油等で稼働する発電機を準備するよう努め、地域での食料調達について日頃から話し合うこと」としています。又、電気、ガス、水道が使用できない状況で炊き出しが行われたことから「カセットコンロ、かまど等の器具や、パック容器を事前に準備することが有効」と指摘しています。このマニュアルは、インターネットで「陸前高田市避難所運営マニュアル」で検索し御覧になれます。

466回「避難所」2018年4月7日OA

2018年04月07日 6:00 PM

避難場所と避難所の違いを御存じでしょうか。内閣府の資料によりますと、「避難場所」は、災害から身を守る為に緊急的に避難する場所で、土砂災害、水害、津波、地震などの災害種別ごとに指定されています。災害に対して安全な構造である堅牢な建築物や、災害の危険が無い学校のグラウンド、駐車場等です。例えば盛岡市の場合、盛岡城跡公園が洪水や大規模な火事の際の緊急避難場所に指定されています。又「避難所」は、災害の危険があり避難した住民等が、災害の危険がなくなるまで必要期間滞在し、または災害によって自宅に戻れなくなった住民等が一時的に滞在することを想定した施設です。例えば学校や体育館、公民館等の公共施設が指定されています。

避難所の中には「福祉避難所」があります。高齢者や障がい者など、入院や施設に入所する程ではないものの、一般の避難所では生活に支障が生じる恐れがある人達が滞在することを想定した避難所です。一般の避難所内に専用のスペースや部屋が設けられたり、老人ホームや障がい者施設などが指定されたりします。福祉避難所では介助員などの生活相談員や、支援の為の器具やスロープなどが設置されます。最初に一般の避難所に入った場合においても、必要に応じて、市区町村の判断で福祉避難所に移送してもらえます。東日本大震災の発災直後、多くの人が身を寄せプライバシーも確保されない沿岸の体育館を取材した時の事です。親子で避難したものの、障がいのあるお子さんが奇声を上げてしまう為、集団生活ができないというケースがありました。福祉避難所があればと思ったものです。

岩手県によりますと、福祉避難所は3月現在、31の市町村で指定されていて、指定された354施設の内、347施設が社会福祉施設、その他は特別支援学校や保健センター等の公共施設です。指定されていない市町村がある背景には「行政、施設共に福祉避難所の開設経験がなく、物資や人員の確保等について受入施設側との調整に時間を要していることなどが一因」としていて「指定済み市町村の事例など必要な情報を未指定市町村とも共有し、又、一般避難所でもユニバーサルデザインに配慮した福祉避難スペースを設けるなど、誰にも優しい配慮を行い、災害に備える必要がある」としています。災害時、全ての地域住民が安心して避難できる環境作りが急務です。

 

465回「災害時のトイレ2」2018年3月31日OA

2018年03月31日 6:00 PM

災害時のトイレ、今回は避難所についてです。仮設トイレがすぐに避難所に届くとは限らず、又、避難者数に比べトイレの個数が不足することが考えられます。東日本大震災の被災地でのアンケートによりますと、仮設トイレが避難所に行き渡る迄に要した日数は、3日以内と回答した自治体はわずか34%、最も日数を要した自治体は65日でした。私も発災初期に避難所を取材した際、トイレが排泄物の山になって劣悪な衛生状態になった所を目にしました。又、和式トイレで、お年寄りなどが使いにくいものもあり、トイレの使用を減らす為に水分や食事を控え、体調を崩すケースがありました。

内閣府がまとめた「避難所におけるトイレの確保・管理ガイドライン」によりますと、「市町村は、過去の災害における仮設トイレの設置状況や、国連等における基準を踏まえ『災害発生当初は避難者約50人当たり1基』『その後避難が長期化する場合には約20人当たり1基』『トイレの平均的な使用回数は1日5回』を一つの目安として、備蓄や災害時用トイレの確保計画を作成することが望ましい。又トイレの個数については、施設のトイレの個室と災害用トイレを合わせた数として算出。バリアフリートイレは先ほどの個数に含めず、避難者の人数やニーズに合わせて確保することが望ましい」としています。

災害用トイレには、し尿を溜める袋と凝固剤などがセットになった「携帯トイレ」、組み立てるなどのタイプの「簡易トイレ」、イベントなどで見かける汲み取り式の「仮設トイレ」、下水道のマンホールを利用した「マンホールトイレ」などがあります。トイレの設置場所や防犯対策等については、障がい者や女性の意見を積極的に取り入れ、配慮が必要です。具体的には、安全性については「暗がりにならない場所に設置」「夜間照明を個室内、トイレ迄の経路に設置」「個室は施錠可能に」「防犯ブザー、手すりを設置」、衛生面では「手洗い用の水、ウェットティッシュを用意」「生理用品の処分用のゴミ箱を用意」「オムツ替えスペースの設置」などです。各地域では自治体と連携し、先ほどのガイドラインを参考に、平時から災害時のトイレ対応について備えることが大切です。

 

464回「災害時のトイレ1」2018年3月24日OA

2018年03月24日 6:00 PM

大地震などが発生した際、被災地では在宅避難か、避難所に行くか、ということになります。避難所では環境の変化などによって体調を崩す人もいるので、できるなら住み慣れた自宅の方が安心です。しかし断水や停電、下水道や浄化槽が壊れることにより、多くの水洗トイレが使えなくなっている可能性があります。便器の下の方や配管から水が漏れていないか、床下などから水が垂れる音がしていないか、汚水の臭いがしないか、下水が道路に溢れていないか、などを確認しましょう。もしそのまま使用し、風呂の水などで流そうとすると、汚水が溢れる恐れがあるからです。無事に使えるかどうかわかるまでは汚物を流さないようにしましょう。

水洗トイレが流せない場合、し尿を溜める袋と凝固剤などがセットになった市販の携帯トイレなどがあると良いですが無い場合、緊急的に対応するしかありません。NPO法人日本トイレ研究所によりますと、この場合、用意するものは、新聞紙見開き3枚と取っ手が無いゴミ袋2枚です。まずゴミ袋を便器に敷きます。次にもう1枚のゴミ袋を便座に被せ、便座を覆うようにして裏側に折り返します。2枚使用することで、最初のゴミ袋の便器内への接触を防げます。そして四つ折りの新聞紙をクシャクシャにした後、広げて四隅を折り曲げ、ゴミ袋の底に敷きます。2枚目の新聞紙も同様にクシャクシャにした後、縦横の向きを変えてから底に敷きます。最後に3枚目の新聞紙を短冊状に数回切り裂きクシャクシャにしてゴミ袋の中に入れ完成です。ゴミ袋の中に用を足した後は空気を抜いて袋を縛り、ゴミの回収があるまで保管します。

被災地で気をつけたいのは衛生面です。水が出ない、水洗トイレが使えない状況では不衛生になり、ウィルスや細菌が手や指を介して口に入って病気になる恐れがあります。手洗い用の水が無い場合、ウェットティッシュで汚れを拭き取り、アルコール消毒液を手に取ってこすり合わせ、清潔を心がけましょう。

 

463回「震災7年の宮古」2018年3月17日OA

2018年03月17日 6:00 PM

東日本大震災から7年。3月11日は宮古市からラジオの特別番組を放送しました。事前取材で、私は新しい住宅地の一角にある集会施設を訪れました。宮古市の中心部から南に約5キロ、宮古湾の奥に位置する金浜地区では、斜面を利用して宅地造成が進んでいます。再建された住宅が20軒以上建ち並び、道路工事が進行中です。3年前に建てられた金浜農漁村センターは、クリーム色の外観の平屋建てで、月に1度のお茶っこの会が行われていました。長机を組み合わせて並べ、10人の高齢の女性達が赤や黄色、青のフェルトを鋏で切って糊付けし、バラのコサージュ作りです。70代の女性は、堤防のすぐ近くの自宅を失い、高台に再建して5年になります。会のことを知り初めて参加したということで「家に居ると、震災のこと、避難所での生活のこと、余計なことを考えてしまう。皆さんの顔を見に、話をしに、また来たい」と交流を楽しんでいました。毎回のように参加しているという80代の女性は、「引っ越してきた平成27年の12月頃は私で2軒目。辺りも暗くて寂しかった。翌年ぐらいから家が建ち始めた。不便なのはバスが通らないこと。国道45号まで出なければならない」と、新しい地域の課題を口にしました。取材を通して、お茶っこの会のような人とのつながりがあれば、辛い気持ちや不安、悲しみは消えなくても、共に歩み続けるきっかけになると感じました。新しいコミュニティで住民が孤立しないような取り組みが引き続き必要です。

宮古市社会福祉協議会では、仮設住宅や災害公営住宅を1軒1軒周り、相談業務を行ったり、集会所でのサロン活動を支援したりしています。サロン活動は参加メンバーの固定化が見られ、今まで参加していない方、参加できなかった方を呼び込む方法に頭を悩ませています。

岩手大学地域防災研究センターの齋藤徳美客員教授は「まちのハード整備は目に見えてきた中で、人のつながりが進んでいないのが一番の課題。人が生きる為には人との交流は不可欠。古い仲間も、そうなる前は他人。集まりに出てこない方にも声をかけ、皆さんで知恵を絞って対応してほしい」と、心の復興で大切な、人との交流の大切さを訴えていました。

 

もっと読む